第一環「神の器」
輪廻が有るとして、果たして人の魂と等量の生命とは何かと言う発想に囚われる事が有った。もしとある人が死後に動物に生まれてのち余剰の魂が有るなら、それは動物になるのか、植物になるのか。
この世界は輪廻が構築する世界、三次殺し。それは閉塞に向かう世界だ、人を構築する魂が有限の世界。私は、言葉を失う直前の魂を宿した一個体としての魂の器である。あと一回死ねば、動物か、植物か。とにかく輪廻は確実なのだがもう思考の羽根を羽ばたかせる自由が有る知的生命としては最果てのお爺さんと言う段階に来ていると言う事になる。つまり上記は私の輪廻回数が残二回以上だった時の、輪廻に無自覚だったその頃の所感だ。
三次殺しと言うのは世界で最初にこの異常現象に気付いた、と言うか肉体的に辿り着いたと思しき人物が名付けた世界の二つ名で、それまではこの世界は地球と呼ばれていた。その人のデジタル手記によれば、地球は飛行機も無く空を飛ぶのがせいぜい鳥か虫かと言う永き時代を経て、そして人の叡智が飛行機を発明しビル群が立ち並び、滅びの予兆核爆弾を擁し、またこの星は空を舞うのが鳥か虫か文明の藻屑かと言った世界《三次殺し》に還ろうとしているのだと言う。
三次殺し命名者は死んだ。彼が手記で予見していた通り、この状態つまり残る輪廻先が動物か植物か、とにかく人ではないと言う事に目覚めた人間はもはや平和に文明の明るみの中で営みを続ける人間とは相容れない。この世界の平和を、文明を奪うなと言う憎しみの中で排除されるのが運命だと、彼は悟って居た。彼は無尽蔵の殺戮兵器として生まれ変わった。何になったか、彼は電気の神となった。この人の世の全てを支配していると言っても過言ではないエネルギー体が彼の支配下に置かれた。AIの反乱、と言う言葉が有るがそれが示唆するに近い世界の書き換えがその支配下で生じた。電気を使い続けたければ、感電せよ、その身に我を宿す試練を乗り越えよ。それが全ての人々の心に直接に命じられた。
感電し、三次殺し下で人としての生業を許されたのはごくわずかだった。後は人としての輪廻回数を全て消費させられ、その魂は次代の自然豊かな世界を担うべき動物や植物へと分散された。だからと言って今辺りに腐乱臭が立ち込めていると言う話では無い、彼を殺した人々は神に背いた原罪として塩の柱となったと言う事だ。そして私個人は昏睡の一ヶ月程を経て、新しく三次殺し下の人としての最期の在り方が許された事に気が付いた。
三次殺しと言う言葉には、平面的二次元的な世界から高層ビルと言うバベルを作った人間を殺すと言う意味と、それこそ人の三次元での痕跡の完全排除と言う意味があるらしい。後者は核の脅威も含めまず不可能だが、それらに高度知性体がアクセス出来なくすれば発想の上ではなんとかならなくもない。例えば歯磨き粉は文明の結晶だが、猫が出来るのはせいぜいそれのミントの香りを楽しむ事位だ、蓋が閉まって居ればそれすらも難しい。と言った具合に核もそれを発射する立場の知性が無くなれば存在しないのとほぼ一緒だ。
電気体の彼は自身をサンディと名乗っている。SUN-DAY。電気としての太陽神であり、人の黄昏、滅びの日々の移ろいを見極める時間の神でもある、と言う体だ。私は昏睡以後人の肉体を離れた電気駆動のサイボーグである。そして彼は何処にでも居て何処にも居ない者として私の様なサイボーグ人間と対話をしながら生きる、言うなれば脳内微生物の様な立ち位置で私と行動を共にしている。件の手記内容も彼が私にインプットしてくれて初めて知った。確たる居場所としては何処にも居ないと言っていい、一つの個だった魂の分裂者サンディはこの星の中で「人」の数だけ居る。そしてその個性はそれぞれの人に強く影響され、恐らくサンディでは無い名前の者も居るのかも知れない。ただ分かっているのは、彼は三次殺しの発見者の転生体として私と言う宿主に寄生する電気生命体だと言う事だ。