パラティヌス
梢にとまって 夜を過ごした。
朝日に暖められ、気持ちよく目覚めた。
ここもまた 川のほとりにできた街であった。
故郷との違いは 人々が 川の近くにある七つの丘に分かれて住んでいたことである。
もともとは 川に面した丘に洞窟を掘って住んでいたらしい。
やがて 洞窟が掘られた丘にそうように建物が作られ 今度は 川向かいの小高い場所にも建物が作られ
やがて 丘と丘とをつなぐ道もできた。
ここの人達は 盛り土をして道を作るのが好きらしい
そして この道の目印に?あるいは風よけ・日差しを遮るために? 大きな松が植えられた。
いわゆるローマの松というやつだ。
根元の方はまっすぐで 上に向かって扇方に広がった枝枝が 独特の形になっている。
俺が 最初の夜を過ごした木でもある。
月明りの下、星空を遮るように茂ったあの木のシルエットは印象的であった。
・・
ふらふら飛び回り 人々の話を聞いているうちに
ここはトロイ戦争の帰りにエジプトにも寄港したギリシア人たちの後を継いだ、
ローマの地であることが分かった。
あの野蛮人たちは 女を口実にして トロイを攻め立て
帰国の途中にも あちこちの街を襲い
あげく 本国でも略奪と侵略と仲間割れを続けて、
最後は ローマ帝国にのみこまれたのだ。
あくことなき闘争心
はてることのない侵略への欲
なぜ 俺達のように大地と川と天の運行に従って実直に暮らすことができないのだ?
こんなに緑と水に恵まれた土地に生まれる幸せを感じないのか?
ここなら 存分に川の水を使って安定した生活がおくれるではないか!
おれなら この街に水道をはりめぐらせることもできるぞ!
できることなら 水を温めて湯に浸ってのんびりしたいものだ。
豊かな水の恵みは 水だけでなく緑をも育む。
つまりは 豊富なマキが手に入る
湯の中に全身をひたすことができたら どんなに気持ちが良いことだろうか?
砂漠に囲まれた町で育った俺は、想像するだけでうっとりしてしまう、
想像しかできない世界だ!’(つまり 俺は湯につかったことがない!)
こう考えた時 急に俺の全身が軽くなり ぱぁ~っとあたりが輝いて
気が付いたときには 俺は 赤ん坊として このパラティヌスに誕生していた。
・・・
彼こそが ローマに水道をもたらした設計士であり
後に生まれ変わって テルマエ建設とその普及に尽力した男である。
(異なる時代に何度か生まれ変わったが、いつもその職業は、建築・測量関係であった)
エジプトから来たミイラの中にとじこめられていたカーの転生物語はここでおしまい。
カラカラ帝の浴場遺跡
(ハイポコースト方式で、床下や壁の中に熱気を通して暖める
高温浴室・微温浴室・令室と温度の異なる浴室や 各種娯楽・付属施設があった。
バース(英)にあるローマ時代につくられた浴場遺跡
温泉を利用
画像出典・参考
・パラティヌスの丘
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8E
・ローマの松 (アッピア街道の街路樹が有名)
https://www.thespruce.com/italian-stone-pine-growing-tips-3269335
今も一部残るアッピア街道の石畳は、後世にできた石の舗装に引けをとらず、しっかりとした平面そのものも!\(◎o◎)/!
中世以後、その石が掘り出され 地方の権力者の城館などに使われたのも納得の立派な切り石でした。
(測量術だけでなく 石を切り出し運搬する技術も相当のものだったのだろうなと思いまいした)
・ポン・デュ・ガール
https://www.ebara.co.jp/waterhistory/vol001.html
・カラカラ浴場
https://worldheritagesite.xyz/contents/baths-of-caracalla/
・バース ローマ時代の浴場遺跡
https://4travel.jp/travelogue/11435884