悪役の動きしかしていないのに、なぜか溺愛される悪役令嬢の顛末
「ふふふ……とうとう完成しましたわ!」
公爵令嬢エクシリーヌは、大窯を前にして、腕を組み、ふんぞり返っていた。
彼女が今いるのは、公爵家の自室だ。
やたらと暗い。カーテンを閉め切っているのだ。
室内には黒魔法の本が転がっていた。
とても公爵令嬢の自室とは思えない有様だ。
そして――。
彼女の前の大窯である。
謎の黒い液体が、ぐつぐつと煮えたぎっていた。
その様子をエクシリーヌは満足げに見つめていた。
扇を口元に当てて、「おーほっほっほ!」と高らかに笑う。
ちなみに、この謎の液体、ものすごく刺激臭を発している。エクシリーヌは高笑いしたせいで、それを大量に吸いこんでしまい、「げほごほげほっ!」と咳きこんだ。
「おーっほっほっほ!」
しきりなおして、黒い液体からは距離をとって、高笑い。……よほどその笑い方にこだわりがあるのか、もう一度やらなきゃ気が済まないようである。
「これで、あの憎き女はお終いですわ! この呪いで、けちょんけちょんの、めっためたの、ボロボロにしてさしあげますわよ!」
彼女は勝利宣言と共に、誰もいない虚空に向かって、扇をびしりと突き出した。
エクシリーヌは公爵令嬢だ。
偉いのである。
高貴な身分なのである。
そのために、彼女はとんでもなくプライドが高かった。どれくらいの高さかというと、「高度」ではなく、「天文単位」で表現しなければならないほどであった。大気圏突破は余裕。
そんな彼女は最近、腹に据えかねていることがあった。自分のプライドが粉々に砕かれてしまうような、大事件があったのである。
エクシリーヌは公爵令嬢で、高貴な身分なので、当然のように婚約者がいる。当然、彼も身分が高いので、この国の第二王子であった。
「2」という数字がエクシリーヌは大嫌いだったが、婚約者の顔も性格も大変自分好みであったので、許容することにしていた。
第二王子ルシアン・グディルセ。
そんな彼に近付こうとする不届き者が現れたのだ。
それが平民の女、ジゼルであった。
ルシアンとジゼルは、学園で同じクラスだった。「1組」だ。
エクシリーヌは「2組」なのである。憎き数字「2」。
なぜ婚約者と別のクラスにならなければならないの!? と、彼女は一時騒ぎまくった。「殿下と婚約者を同じクラスにしなければ、学校を爆破しますわ」と脅迫状を送ったこともある。……結果、父親と教師に死ぬほど怒られた。差出人名は書かなかったのに、なぜ犯人が自分とバレたのか。解せない。
……閑話休題。
ルシアンと別クラスのため、エクシリーヌは様々な辛酸を舐めさせられることになったのである。
たとえば、グループで課題を行う授業がある。ルシアンとジゼルは同じグループになっていて、一緒に図書室で課題をしていた。許せない。その光景を見て、エクシリーヌはハンカチを噛んだ。(その時、彼らは別に2人きりではなく、他のメンバーも同席していたのだが、エクシリーヌの視界には入っていなかった)
また、魔法の実技授業では、ルシアンとジゼルが対戦していたことがある。あの女、死にさらせ! その光景を見て、エクシリーヌは地団太を踏んだ。(授業をさぼって別クラスの見学をしたので、後で教師に死ぬほど怒られた)
エクシリーヌはジゼルが憎かった。
「ジゼル」という紙を何度、破り捨てたことか。……「ジゼル」という字は自分で書いていたので、その名前だけやたらと美文字で書けるようになった。
――ジゼルを絶対に破滅させてやる!
エクシリーヌは決めた。
この世界には「黒魔法」というものがある。相手を呪うための術だ。
その手の識者に尋ねてみたところ、学校の図書館に黒魔法に関する本があることを知った。
その日からエクシリーヌは寝る間も惜しんで、黒魔法の勉強に励んだ。エクシリーヌは大変プライドが高いので、大変な努力家であった。
何事も自分より上に誰かがいるのが許せないのだ。そのため、常に猛勉強していた。その熱量が、黒魔法の習得にも向けられていた。
そして、今日……呪いは完成したのである。
ジゼルを破滅させるための呪いが!
エクシリーヌは黒魔法の本を開いて、最後の確認をする。
「①薬が完成したら、呪いをかける相手の名前を呼んで、薬を渡します。②その相手に薬を飲むように指示しましょう。③24時間以内に相手が薬を飲めば、呪いは発動します。
ふふん、なるほど。後は簡単ですわね!」
その瞬間を想像して、エクシリーヌはほくそ笑む。
あの泥棒猫め……! もがき苦しむがいいわ!
彼女は上機嫌にその液体を小瓶に移した。
真っ黒の液体。
瓶の中でも気泡が湧き出ている。
その上、とんでもない刺激臭……。
「いったい誰がそんな気味の悪い液体を飲むのか!?」ということまで、エクシリーヌは考えが至らなかった。
彼女が机に置いた本は、ページが開かれたままだ。
呪いについて記載されている。
「※なお、24時間以内に相手に薬を飲ませることができなかった場合、呪い返しにあうので、注意しましょう――」
「ジゼルさん!」
翌日。
エクシリーヌは学校の廊下で、ジゼルを呼び止めていた。
高慢な口調だったが、エクシリーヌは高貴な身分で、ジゼルは平民なので問題はないのである。
「あ、エクシリーヌ様。おはようございます」
ジゼルはこちらを向いて、にこりと笑った。
なぜか友好的な笑顔である。
――私に憎まれて、呪われるとも知らずに、何て能天気な女なのかしら!? と、エクシリーヌは思った。
ジゼルは素朴な風体の少女だ。亜麻色の髪に、同色の瞳。ほんわかとした笑顔は温かみがあって、見る者に癒しを与える。
一方で、エクシリーヌはきつい雰囲気の美人であった。黒い巻き毛を背中まで伸ばしている。顔立ちは美しいが、プライドの高そうなつんとした空気をまとっている。
エクシリーヌは紫色の瞳で、ジゼルを見据えた。
さて、彼女に薬を渡して、それを飲んでもらえば呪いは発動する。
問題はこの気味の悪い液体を、どのような口実で彼女に飲ませるのかということであったが……。
「ふふ、こちらを差し上げますわよ」
何と――ど直球であった。
何の作戦も存在しなかった。
エクシリーヌは小瓶をジゼルに押し付ける。ちなみに、「このままだと地味かしら!?」と、思ったので、ピンク色のリボンを結んでいた。……妙な気遣いだけはできる。それがエクシリーヌ。
「え? こ、これは……? 何でしょうか?」
ジゼルはその液体を見て、思い切り顔を引きつらせた。
当然の反応である。
「いい? 飲みなさい。絶対に飲むのよ。24時間以内に飲むのよ! 絶対ですわよ!」
何かの前フリなのか、と怪しまれるほどに、しつこくエクシリーヌは言った。
口実は何も用意していない。
ただのごり押しである。
そして、エクシリーヌは颯爽とその場を去った。
残されたジゼルは気味の悪い液体を見つめながら、「え……ええ~……?」とうめいていた。
その日の放課後。
(どうしてですの……?)
エクシリーヌは頭を抱えていた。
ジゼルの呪いがまだ発動していないのだ。それはジゼルを見ればわかる。彼女にはまだ何の変化も起こっていないのだから。
(どうして、飲んでくださらないの……!?)
エクシリーヌはハンカチを噛みながら、地団太を踏んだ。
そうしていると、
「エクシリーヌ。どうかしたのかい」
低いけれど、心地よい声が響く。
その声にエクシリーヌは硬直した。
「で……殿下……!?」
婚約者のルシアン・グディルセだ。
金髪に、翡翠のような美しい瞳。穏やかな眼差しをエクシリーヌに向けている。気品のある佇まいといい、惚れ惚れとするほどの美声といい、端整な顔立ちといい――まさに「理想の王子様」という存在だ。
ルシアンはエクシリーヌのそばにやって来ると、気遣うように頬を撫でた。美が眼前に。刺激が強い! エクシリーヌはわなわなと震えながら、頬を熱くした。
「もしかして、また学校に脅迫状を出そうとか、考えていないだろうね」
「ちがいますわ! そうではなく、私は呪……っ」
「………………のろ?」
「の、の……ノロマの練習をしていたんですのよ!」
あまりにもお粗末な誤魔化し方であった。
ルシアンがおもしろそうに噴き出している。
「ふふ。それはまた……。成果はあったかな?」
「それが……まだですの」
「そう」
エクシリーヌはしょんぼりと答えた。
ジゼルの呪いはまだ発動していない。だから、落ちこむのもやむなしである。
ルシアンはエクシリーヌの髪を一房手にとり、そこにキスを落とす。
「何のことかは、わからないけど。上手くいくといいね。応援しているよ」
「ふぁ……!? あ、あの、……あぅ……!」
エクシリーヌは沸騰寸前なほどに赤面する。
彼女の羞恥は限界突破、逃亡一択、さらば殿下。
「そそそ……、それではごきげんようですわよ~~~!」
彼女は喚きながら、その場から逃げ出した。
その後ろでルシアンが、おかしそうに「ふふ」と笑っているのが聞こえた。
エクシリーヌは強行手段をとることにした。
ジゼルに何としてでも、薬を飲ませるのだ。
そのために、非情な手段をとることになったとしても……。
「ジゼルさん! 私が渡したお薬、飲んでくださるかしら? その代わりにクッキーを差し上げますわ」
「エクシリーヌ様……あの、すみません」
お菓子で懐柔作戦、失敗。
「ジゼルさん! 一緒に走りませんか? はぁ……はぁ……ふう。走ったので喉がかわきましたわね。あら、そんなところに飲み物が?」
「あ、エクシリーヌ様。喉がかわいてるんですか。これ、飲みますか?」
爽やかに駆けて、爽やかに飲ませよう作戦、失敗。
「ジゼルさん! 薬を飲んでください」
「エクシリーヌ様……あの、ごめんなさい」
普通にお願いしてみる作戦、失敗。
結果――惨敗。
そして、次の日の朝。
ジゼルに薬を渡してから、24時間が経過した。
呪いは失敗。
呪い返しが術者を襲う。
「ひっ……!」
エクシリーヌの体は見る見ると縮んでいく。
そして――3歳ほどの幼児となっていた。
「な……なんれすの、これは!?」
エクシリーヌがジゼルにかけようとした呪い。
それは幼児化の呪いであった。
幼児になれば、ルシアンに色仕掛けはできなくなるだろうと考えて、この呪いを選んだのである。
呪い返しが起きたのは、朝の授業前のこと。
エクシリーヌは学園内にいた。
しかし、こんな姿では教室に入れない。
彼女は慌てて中庭の植えこみに隠れた。
(どうすればいいの……?)
彼女は小さな体を丸めて、途方に暮れていた。
すると、足音が聞こえる。
それが植えこみの前で止まったので、エクシリーヌはびくりと震えた。
「ああ。こんなところにいたんだね。エクシリーヌ」
そんな優しい声が降ってくる。
次の瞬間、エクシリーヌはルシアンに抱き上げられていた。
「で、でんか……!? なにしゅるんれすの?!」
体が幼児なので、言葉が舌ったらずになっている。
ルシアンはエクシリーヌの顔を見て、穏やかにほほ笑んでいた。
「ふふ……。そんな姿になっても君は可愛いね」
ちゅ……。
頬にキスをされて、エクシリーヌは「ふぁ!?」と赤面した。
「や、やめなしゃい! しゅぐに下ろしゅのれす!」
「ダメだよ。そしたら君が逃げてしまうだろう」
「はなちて!」
「だーめ」
「この……し、しにしゃらせ~~~!」
渾身の悪口も、舌っ足らずでは効果がなかった。
その後――。
エクシリーヌはルシアンの膝の上にいた。抜け出そうともがいてみたが、無駄だった。手に噛みついたら、「こら」と優しげに怒られた。
「さて、エクシリーヌ。君、ジゼルに呪いをかけようとしただろ」
ルシアンが不意にそんなことを言い出して、エクシリーヌはぎくりと全身をこわばらせた。
「な……なんのことれすの……」
「これ。君がジゼルに渡したのだろう」
ルシアンが黒い液体の瓶をとり出す。
動かぬ証拠。なんてこった。
せめてもの抵抗で、エクシリーヌはぷいっとそっぽを向いた。
「………………ちりましぇん……」
「嘘はダメだよ。呪いが失敗して、君はそんな姿になっている。そうだろう?」
「うう……わたくし、わるくありません……。くしゅりを飲まないジゼルさんがわるいんでしゅの……」
「彼女のせいにしない。それに、飲まないのも当然だよ」
ルシアンがにっこりと笑顔で告げる。
「私が彼女に言ったんだ。エクシリーヌが薬を渡して、飲むように言ってくるだろうけど……それは絶対に飲んではいけないよ、と」
「……ふぇ…………?」
エクシリーヌは目を点にして、ルシアンを見上げる。
抱っこされているので距離が近い。美が眼前に映って、エクシリーヌはノックアウトされかけた。
「でんか……。どういうことでしゅの……?」
「君、図書館に置いてあった黒魔法の本を使ったんだろ」
「どうちて、しょれを……!?」
「……君が私に尋ねてきたんじゃないか。黒魔法について」
エクシリーヌは黒魔法について調べるため、識者に尋ねていた。
――それが何と、ルシアンだったのである。
ルシアンはこの学校で、魔法の成績はトップだ。だから、ぴったりだと思ったのだが。……明らかな人選ミス。
「は、はわ……!? でも、あの本をわたくしが選ぶかは、わからないでしゅわ……!」
「あの本しかないんだよ。この学校の図書館にはね。あれ、私が置いた本だから」
「ふぇぇ……?!」
「考えてみてご覧。『人を呪う』本なんて、学校の図書館に置けるわけがないだろう」
「………………っ!」
今気付いた、の顔でエクシリーヌは硬直する。
ルシアンはおかしそうに笑った。
「君があんなに一生懸命に黒魔法の勉強をするなんて、思わなかったよ。君は本当に何事においても努力家なんだね。方向性は少しずれているけど」
「でも! でも……! わたくしがもし、もっとひどい呪いをジゼルさんにかけようとしたら、どうしゅるつもりだったんれすの!?」
あの本には、多種多様な呪いについて載っていたのだ。
全身に発疹ができて、死ぬほどかゆい目にあう呪いや、食べものがすべてゲロの味になる呪いなんてものまであった。
もしその呪いをジゼルにかけて……呪い返しにあっていたらと想像するだけで恐ろしい。
ルシアンは、ふ、と笑う。それはとても優しげな笑みだった。
「君が選ぶのは、『幼児化』の呪いだとわかっていたよ」
「だから、どうちて……!?」
「だって、君は人を憎んでも、本当にひどいことはできない人だから。そんなところが愛おしい」
そう言って、頭をなでなでされる。
エクシリーヌは固まった。そろそろ羞恥で全身が溶けそうだ。スライム令嬢になる前に、この腕からは何としてでも抜け出さなくてはならない。
「……は……はなちてください……。でんか」
「だーめ。その呪いの効果は24時間だろう。それまで君のことは、こうやって可愛がるよ」
「どうちて……!?」
「選んだのは危険性のない呪いだったとはいえ、君はジゼルを呪おうとしたんだ。だから……」
ルシアンは綺麗な笑みをエクシリーヌに向ける。
美しい声は、わずかに毒を含んでいて、ジゼルの全身に浸透した。
「――その罰、だよ」
公爵令嬢エクシリーヌはプライドが高いので、大変負けず嫌いであった。
――この屈辱は絶対に晴らす……!
彼女はそう決意する。
エクシリーヌが懲りずに黒魔法の研鑽を行い、「猫化する呪い」「記憶喪失になる呪い」に手を出して……
ことごとく呪い返しにあうのは、また別のお話。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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