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雨の匂い

作者: 白砂

 猫も杓子も、だとか、猫の手も借りたい、とか言う。猫ってなにも考えてなくて、ただずっと寝ていて気楽なんだから、って。そんなに手を借りられたら、僕だって猫になって大損だ。僕は太陽の光線が動く道筋、雨の予感、缶詰めと猫缶の音、どれも人間よりよく知ってる。そう自負している。

 だから正直なにも考えていないわけじゃない。確かに小さい頃はのほほんとしてた時もあるけど、それって人間も同じだと思う。ただ自然の音楽に揺すられて、暖かさに溶けながら生きていた。


 あとひとつ弁解させてもらうと、猫だっていつも寝ているって言ったって常に爆睡してるわけではない。僕は「イエネコ」だから周りはぬくぬくと守ってくれるけど外ではそうはいかないし、野生というものはそう簡単に僕の中から抜けてくれるわけではない。常に僕のサンカク耳は外に向かってピンとしているし、毛一本でも触られたらすぐわかる。あと、知らないやつに触られたらたまったものじゃないけど、飼い主ならもちろん嬉しい。


 僕の飼い主は赤澤晴というらしい。だから僕につけられた名前は、雨。ちなみに僕の飼い主はおしゃれな横文字が大好きなので、イタリア人とかフランス人のお友達がいる訳でもないのに僕にカタカナの名前も作った。嫌いじゃないけど要らないと思う。でもそう思うのは薄情かな。


「ぐっもーにん、ペコリトール」

そう、これが晴がつけた横文字のお名前。ペコリトールは雨が降ってるときの匂いのこと。僕は雨が降るとヒゲがむずむずしてげんなりするけど晴は雨が降っても元気だ。

「今日は雨が降ってるね。こんな日は雨ガッパを着て外で踊るに限る!」

といってパタパタと快活な足音を立てて、晴はクローゼットの棚に向かった。僕はますます強くなる湿気と戦うために、丁寧にヒゲを繕った。




「雨~!!今日はごはん無しかもしれない!!」

なんだと!?晴、どうしたっていうんだ。今日は朝から晴の様子がおかしい。数年一緒にいて見たことがないぐらい焦っている。時計は十二時少し前を指している。まだ一日が終わるわけでもないのに……人間ってものはどうしてこんなに焦るんだ?そういえば昨日も忙しそうに掃除していた。せっせと雑巾で廊下を拭いて、僕は掃除機が嫌いなのに。

「雨!?私のイヤリング知らない!?」

昨日掃除したときに戸棚に片付けたじゃないか。

「ニャーーゴ」

私はト、ト、ト、と軽快に肉球を鳴らしながらイヤリングの在処を示した。晴はピアス穴を開けるのが恐ろしいらしくイヤリングしか持っていない。

 晴はイヤリングを見つけて安心したように胸を撫で下ろした。でも晴はまだそわそわと玄関で回っている。


 五分ほど経って、玄関の扉が開いた。

ドアが開いたときは知らない人が来る合図だ。身体を縮めて物陰に隠れる。

ドアを開けて入ってきたのは──知らない男の人だった。

「こ、こんにちは!!あ、どうぞ上がってください」

「ありがとうございます。お邪魔します」

誰だ。この人は。晴に近づくやつはとりあえず警戒する。

「とりあえずソファどうぞ!!」

晴がやたらと緊張している。僕はとりあえず気持ちを落ち着かせるために窓辺で毛繕いをすることにした。今日は陽が差していて暖かい。眠くなってしまうが、今は不審者がいるからのんきに寝てはいられない。

 そのとき、チリン、と外で鈴の音がした。僕は咄嗟に顔をあげる。

「赤澤さん、ここの問題教えてもらえる?」

「あ、ここは──」

外を見た僕ははっとした。


 白い猫がいた。


 日差しに照らされた艶のある毛並み。空の色を写し取った青色の瞳。僕は短毛で黒猫だから真逆の見た目だ。

 向こうも僕の存在に気づいた。ゆっくりと瞬きをする。瞬きをゆっくりするのは猫が仲間だと言っている証拠だ。

「あ、そういえば雨のお昼ごはんまだだった……雨、ごはんあげるよー……?」

僕は外に気をとられ過ぎていて気が付かなかった。

「雨、お友達見つけたの!?かわいいね」

「ニャーン」

「じゃあごはんここに置いておくね」

ごはん無しじゃなくてよかった。でも僕はもう少し外の白猫さんと情報交換をしたい。

「僕も猫飼ってるんだ!」

「ほんと!?名前は……?」

「ちょっと変だけど、パンダみたいな柄だからパンダってつけたんだ」

「かわいい!私の猫は雨って言うの。名前の由来は……私が晴って名前だからっていうのもあるんだけど──」




 花曇りの四月だった。一人暮らしを始めて間もなかった私は新居の近くの叔母の家を訪ねていた。

「本当に一人で大丈夫なの?姉さんったら私が小さい頃家出しかけたときの何万倍も心配していたけど」

「全く心配ないよ。しかもこうやって近くに叔母さんもいるからもっと安心できる」

「でもねえ……私もスーパーマンではないから、晴ちゃんが危ないときでも一瞬では駆けつけられないからねぇ……まあ、事を始める前から心配ばかりするのもよくないわね」

「そうだね。まあ、何はともあれ頑張る!」

そう話がまとまった時。縁側の向こうからガサガサッ、と音がした。音の発生源は生け垣の辺りだ。

「あらあら、ボールでも当たったのかしら」

「私見てくるよ」

叔母の家は生け垣とちょっとした低木を隔てて公園に隣接している。子供たちが遊んで飛びすぎた野球ボールやサッカーボールが生け垣に突撃することは珍しくない。私は生け垣越しにそっと外を覗こうとした。

「ミーッ、ミーッ!」

「え……?!」

明らかにボールから出ない音(そもそもボールから音は出ないのに……)がして、私は驚きのあまり後ずさりした。ここまで来たら逃げる訳にはいかない。私は生け垣の根元に落ちていた音の源に目を向けた。

「子猫だ!かわいい……けど、この子痩せてる」

晴の兄が働いているペットショップで見せてもらったような、ぴょんぴょん跳ねるように動く元気な子猫とは対照的な弱々しさだった。

「とりあえず、叔母さんのとこに持っていこう」

晴はサクサクと音を立てる芝の上を駆けだした。



「晴、遅かったねー、やっぱりボールだった?子供は元気でいいねえ──」

「猫だった。しかもこの子すごく痩せてて元気がない。お兄ちゃんに預かってもらった方がいいかな……?」

「でもあの子、ついこの間猫一〇匹目を新しく飼い始めて『本当は一〇〇ぴきぐらい飼いたいとこだけど、俺もうこれ以上は名前も覚えられなさそうだなあ』なんて言ってたけど」

「困ったなあ……」

正直なところ今現在猫を引き取ってもらえそうな人は兄だけだった。その唯一の頼みの綱を失った晴は、頭を抱えた。

晴は何十分も叔母と話して考えた。考えが煮詰まってしまった晴は、口が滑ったように思い付きでこんなことを言っていた。


「じゃあ私、この子と暮らそうかな」


 叔母は猫を飼うことに反対するかと思っていた晴だったが、その予想を裏切るような返事をされた。

「いいじゃない!家に誰もいないよりも、帰りを待っててくれる誰かがいるって思ってるより良いことよ。まあ……あなたは曲がりなりにも年頃の女の子なんだから、猫で満足せずに良い『人』を見つけて欲しいけどね」

「もうっ、叔母さんまでお母さんと同じようなこと言う……。猫だって私にとってみれば十分だもん」

「ふふふ、あなたも意外と意地張ってるのね。そのうちあなたも猫だけじゃ頼りなく思うようになるわよ」

「も~~、本当に叔母さんったら…………私、帰るね。猫はこのままもらっていくわ」

「あらあら、でも晴ちゃん、これから雨降るのよ?荷物とか濡れちゃうじゃない」

確かに今日の朝スマホで見た天気予報にはお昼頃から雨が降ると出ていたような気がする。

「大丈夫。それより私ここにあと一時間もいたら叔母さんに縁談でも持ちかけられそうで怖いわ」

「そんなことはしないとは言えないけど、そういうことなら気をつけて帰ってね。はい、傘。また今度来るときに返してくれればいいからね。じゃあまたね~」

「ばいばい、叔母さん」

やっぱり叔母さんは縁談の流れに持っていこうとしていたのか。というか縁談っていつの時代よ、などと思いながら、黒地に薄い花柄のワンタッチ傘をパッと開いた。運悪く今まさに雨が強く降りだしたようだ。傘の表面が、玄関先の庇から流れ落ちた雨粒を勢いよく反射する。

と、ふと腕に抱えていた小さな段ボールがもぞもぞと音を立てた。中にはあの子猫が入っている──はずなのだが?

「あれ!?子猫さん!?」

ミーッ、と声が聞こえたのは、降りしきる雨の中だった。さっきの弱々しさとは打って変わって、ぺたぺたと楽しそうに走っている。

「子猫さん……風邪引いちゃうよ?!」

雨の中で楽しそうに走っているのを止めるのは申し訳なかったが、弱っている身体に雨が当たるのはやはりよくないと思い、持っていたタオルで子猫の身を包み、段ボールに再び戻した。

ナーオ、と子猫の少しだけ不機嫌そうな声が、雨粒を通して聞こえたのは、気のせいではなかったはずだ。




「なるほど…雨くん自身も雨が好きなんだね」

「最初はびっくりしたの。ほら、猫って水が苦手っていうから」

「確かに。僕の猫もやっぱりお風呂嫌がるよ」

「雨はシャワーもお風呂も最初からへっちゃらだった。不思議な猫だなあってお兄ちゃんも言ってたし」

「雨くんは人にもよく懐くし賢いし、お風呂も難なく入れるなんて利口な猫だね」

「……何か私まで誉められたようで少し照れるなあ」

「あはは。でも、雨くんのことを話してる時の赤澤さん、すごく幸せそうだったよ」

「そうかもしれない。話が止まらないし。」

「……赤澤さんにそんなに好かれてるなんて、僕ちょっと雨くんに嫉妬しちゃうな」

 二人が何度も僕の名前を呼ぶものだから、ニャーゴ、と言って僕は二人のお邪魔をしに歩いていった。晴はさっきからキョトンとしたままだ。僕がもう一度ニャッ、と短く鳴くと、晴はやっと我に返ったように僕の方を見て微笑んだ。僕は気が済んだので、また元の窓辺へと戻った。

「赤澤さん」

「はい?」

「さっき雨くんにいいとこを遮られちゃったんだけど……」

「雨ったらもう……で、何でしょうか」

「今度、どこか一緒に出かけませんか?」



多分人間には全く理解されないと思うけど、僕たち猫には猫なりの会話がある。それはもちろん僕と、あの白猫さんとの間でもそうだ。

 僕らはお互いに言った。

「今度、どこか出かけようか」


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