第一章6 王宮魔術師団総隊長、レイシア=バーム
「止まれ、貴様ら」
鋭い声が横から僕達を殴りつけた。
アーチの脇にいた一人の娘が、淡いブロンドの長髪を翻し、足早に近づいてくる。
二十歳前後の若い女性だ。(僕の方が若いけれど)
目にした者全てを射貫くような琥珀色の瞳。雪のように白い肌。身長は僕より一回りも二回りも高く、黒のローブをきっちりと着こなしている。
その端々に感じられる凜々しさとは対照的に、豊かな胸やしなやかな御足は、紛う事なき女性の美を描いていた。
(誰だろう?)
ローブの胸元に刺繍された金色の鷹の紋章を見るに、かなり偉い人物らしい。もしかしたら、王宮に何か関係があるかもわからない。
その見るからに(態度も)偉そうな娘が、凜とした覇気を纏い、真っ直ぐにこちらを睨んできた。
「なんでしょう」
「いや、見かけない顔だと思ってな。どこの者だ?」
「答える必要、あるんですか?」
僕はそう聞き返した。
敵意があるわけじゃないし、答えたくないわけじゃない。
単純に、フィリアの村の名を知らないだけである。
「そうだな。貴様らに答える義務はない」
だが、意外にも娘はあっさり引き下がった。
「ただ、一つだけ答えろ。〈ウリーサ〉の者ではないな?」
(〈ウリーサ〉?)
聞き慣れない単語に、僕は微かに首を捻り……
「違うよ。フィリア達、〈リステイン村〉から来たの」
代わりにフィリアが答えてくれた。どうやらあの村は、〈リステイン村〉というらしい。
「〈リステイン〉? ああ、渡航厳化政策で弾かれた小村だったな。それは、長旅ご苦労であった」
「お疲れされます!」
「あの、すいません」
びしっと敬礼するフィリアを押しのけて、僕は娘に向き直った。
「む? なんだ?」
「貴方は、この港の警護か何かをしている方ですか? 見たところ、位階が高そうですが」
そう告げると、娘は満足そうに表情をほころばせて、僕の目を覗き込んできた。
「ほぅ? 貴様、なかなか鋭いじゃないか」
「い、いえそれほどでも。ただ格式高い感じがしたので」
「よい観察眼だ。余の真名はレイシア=バーム。王宮魔術師団の総隊長を務めている。今は訳あって、港に駐留している次第だ」
特に誇りもせず、淡々とそう言い切った。
「魔術師団の……総隊長?」
「すごい」
僕もフィリアも、目を丸くする。この若さで、どれほどの規模か知らないが、王宮に仕える魔術師とやらの頭を張っているとは。おそらく、大層強いのだろう。
「な、なんだ貴様ら。尊敬の眼差しで見られても、嬉しくないぞ」
口ではそう言うが、その氷のような冷たく硬質な表情に、ほんのりと赤みがさしている。
(もしかして、照れてる?)
だが、その動揺を吹き払うかのように、レイシアは二、三度咳払いをした。
「そ、それでだ。貴様なぜ、余にあんなことを聞いた? よもや余を褒めるためだけに、生業を聞いたわけではないのだろう?」
「はい。もし王宮に通じる方であれば、王宮までの近道を教えて戴きたいと思ったので」
王宮までの道と言わなかったのは、当然フィリアがいるからである。
くどいようだが、僕自身、フィリアはおろかこの世界のことすら全く知らない。しかし、フィリアは、兄としての僕。つまり。転生前は女であった僕の知らない、この世界での〈真なる僕〉を慕っているのだ。
僕は、〈フィリアの尊敬する兄〉でなければならない。転生した今、兄としての記憶が無いとしても。
だから、この街を知っているはずの僕が、〈知らない〉ということはあってはならないのである。
「王宮への近道? 路地を通れば多少は違うだろうが、普通に大通りを通っていくのでは不満か?」
「あー、実は急ぎの用事があってですね」
「急用?」
「はい。実は妹が王国騎士団への入隊が決まってまして。それで急いで王宮へ行かなきゃならないんです」
「王宮騎士団だと?」
その瞬間、レイシアの表情が陰った。
「ッ!」
思わず身震いがした。
鷹のように鋭い目は酷薄に細められ、まるで軽蔑するかのように僕達を見下ろしていた。
「おいそこの貴様。確かフィリアとか言ったな」
「ひゃいっ!」
あの、樹齢千年のクスの木並みに神経が図太いフィリアが、気圧されて情けない声を上げた。流石に魔術師団の頂点に立つ人物なだけある。
「騎士団に入るとは誠か?」
「入るよ……じゃなくて、入ります!」
「そうか……ならば、今後貴様らと顔を合わせることもあるまいな」
「どういうことです?」
冷たい態度が更に冷たくなったのが気になって、たまらず僕は聞き返した。
「貴様らに話す舌は持たぬ。今すぐここを去れ、目障りだ。一本奥の道を東へ向かって真っ直ぐ進めば、いずれ王宮に着く。近道など教えずとも、貴様らにはこれで十分だろう。後は勝手にするんだな」
そう一方的に言い捨てて、レイシアは踵を返し、元いた場所へと戻っていく。
「……なんだったんだろ?」
呆けたようなフィリアの呟きに、「さあ?」と返す。
王宮までの行き方がわかったのは僥倖だけど、どうにも後味が悪い。
何故か「王国騎士団」を毛嫌いしているように見えたが、どうしてだろうか?
「まあ、考えていても仕方ないし、王宮に行こうか」
「うん! この道を東に真っ直ぐ向かうんだよね!」
意気揚々と歩き出したフィリアに、待ったをかける。
「なに? おにい」
「この道じゃなくて、一本奥の道だよ」
「……へ?」
きょとんと首を傾げるフィリア。「知らなかった」そう顔が語っている。
「人の話はちゃんと聞こうな?」
「あーそれムリ。右耳から入って左耳から抜けてくタイプだし」
「じゃあ左耳に栓をしてくれ」
「そしたら右耳から入って右耳から抜けてくけど?」
「じゃあ両耳に栓を……」
「したら何も聞こえないでしょ? おにいっておバカ?」
「いやお前にだけは言われたくない」
僕は、盛大にため息をついた。
本当に、僕がいなかったらどうやって王宮にいくつもりだったのか。
(でも……いいか。どのみち僕も、フィリアの兄として転生してなきゃ、根無し草だったわけだし)
不安な運命共同体だが、毒喰えば皿まで。
僕はフィリアを伴って、王宮へ向けて足を踏み出した。
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レイシア=バームのイラスト
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