第一章4 大渦に揉まれて
かくして、めんどくさがるフィリアを強引に手伝わせ、完成した筏で僕達は大海原(ただの湖である)へと乗り出した。
滑り出しは好調。
風向きと波は僕達の行きたい方向に流れ、オールで漕ぐ必要も無く水面をアメンボのように滑っていく。
なのだが……
「きゃー、こわ~い!」
フィリアは黄色い声を上げて、僕の腕にしがみついてきた。
緩やかな曲線を描く金色の髪がすぐ近くに迫り、仄かに甘い香りが鼻腔をくすぐる。ワンピースの生地を下から申し訳程度に押し上げる胸は、慎ましやかなれど、こうも腕に押し当てられては、ドギマギしないほうがおかしい。
むしろ、男失格である。
(でもまあ、あざといんだよなぁ)
腕に妹を侍らせたまま、僕は複雑な心境にかられていた。
明らかに「怖い」と思えるほど揺れていない。波は比較的穏やかだ。彼女のそれは、明らかに演技である。
とはいえ形だけでも、〈女子に頼られる男子〉を演じることができるのは、男冥利に尽きるというものだ。
にわかに、身体がぐんと前に引っ張られる感覚に襲われた。
それと同時に、筏がガタガタと揺れ始める。
「な、なに?」
反射的に水面を見ると、いつの間にか流れが速くなっている。
「これって……?」
「あー、やっちゃったみたいだね。前見てよ、おにい」
白々しいリアクションで、フィリアは応じる。
前方を流し見て、目の前に広がるアホみたいな現実に、危うく意識が飛びかけた。
筏の全長の五倍はある大渦が轟々とうねりを上げている。それも、一つや二つではない。幾つもの大渦が水面のあちこちで現れては消え、現れては消えを繰り返し、不規則な流れを生み出している。
あざといフィリアに気を取られているうちに、こんな場所に流されてきてしまった。まさか、【前方不注意】という言葉を陸路以外で使う日が来るとは思わなかった。
「というか、ここ湖だよねっ? なんで渦潮があるの!」
「湖って言っても、この〈ナントカ湖〉はちょっと特殊だから。深度や水流、水質の違う三つの湖が繋がってできてる一つの大きな湖なんだよ。その結節点であるこの場所は、自然に渦が生まれるってわけ!」
得意げに胸を張って力説するフィリア。
「どう。おにい? フィリア物知りでしょ」
「いや知ってるならなんで最初に言ってくれなかったのッ!」
「え? 忘れてたからに決まってるじゃん」
「頼むから忘れないでぇッ! あと、なんとか湖って、せめて地元の湖の名前くらい覚えておこうよッ!」
「なに言ってんのおにい。〈ナントカ湖〉はそういう名前の湖なんだよ?」
「ややこしいよッ!」
そうこうしている内に、どんどんと流れに引き寄せられてゆく。
「このままじゃマズイって! そ、そうだ! オールだ! さっき作ったオールを全力で漕げば、この天然殺戮兵器から逃れられる……ってナァアアアアイッ! オールがどこにもない! さっきまで筏の上に載せといたのにどうしてッ?」
「ごめん。スペース取ってて邪魔だったから捨てた」
「ちょっとぉおおおおおおッ! ナニ勝手なことしてくれてんのぉおおおおおおおおおッ!」
「めんごめんご。てへぺろっ☆」
悪戯っぽく舌を出すフィリアにさらに畳みかけようとするが、そのときガクンと、筏がことさら大きく傾いだ。
「どわわッ!」
その勢いで身体が宙に浮き、フィリアもろとも筏から放り出された。
「くっ!」
だが、とっさに手を伸ばして筏の端を掴み、もう片方の手で湖に放り出されたフィリアの腕を掴むことに成功した。
荒れる波。幾度と上がる水飛沫。
時計回りに回転する水流に捕まり、渦の中央へと引きずり込まれる。
(このままじゃ……!)
呑み込まれる。青黒い渦の中心がすぐ近くに迫り、自身の終焉を予感する。
ああ、男に生まれ変わって一日でゲームオーバーなんて、なんて儚い人生だろうか。
そう嘆いたとき、不意に身体の自由を奪う枷から解き放たれたような感覚が僕を襲った。それと同時に、ろうそくの火を掻き消すが如く急速に弱まる渦の回転。
(助かった、のか……?)
ほっと安堵の息を吐いたのも束の間。
再び水流に捕まり、ぐんと引っ張られる身体。
「なっ!」
別の渦に捕まったのだ。
三つの湖がぶつかるこの場所では、水の流れが不規則に変わる。だから、渦があちこちに出現するのだろう。
……って、冷静に分析してる場合じゃない。
(どうしようッ! このままじゃ埒があかない!)
また運良く渦を脱したとしても、間髪入れずに別の渦に捕まること請け合いである。
(ちくしょう! どうしたらいいんだッ!)
どうしようもない現実に歯がみする。
オールがあれば転生で手に入れた頼れる腕力をフル活用してこの渦から脱出するのだが。
(何かないか? オールに変わる何かがッ!)
頭をフル回転させ、とあるアイデアを閃いた。
「そうだ! 剣だッ!」
言うが早いか、腰に佩いた剣を抜き、筏に突き立てる。それを支えにして筏の上に登り、フィリアを引き上げた。
「フィリア、ちょっと剣借りるよ」
「え? どうして?」
「問答無用!」
問い返すフィリアにそう言い捨て、フィリアの腰から剣を抜き取る。両手に持った剣を水面に沈め、力一杯漕いだ。
流れに逆らって、剣を必死に動かす。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおッ!」
男っぽく雄叫びを上げ、腕に力を込めて。
会得した男☆ぱぅわーは絶大であったようで、徐々に渦の中心から離れ始める。
「あと……もう、ちょいッ!」
己を鼓舞して、より一層強く水をかく。そのとき、渦の回転が急激に遅くなった。渦が消える合図だ。
「今だッ!」
これを好機と一気に加速。なんとか渦を抜け出すことに成功したのだった。
「はぁ……ッ! はぁ……ッ!」
熱い吐息が口から否応なしに出る。短時間で一気に体力を消耗した反動で、心臓が早鐘のように鳴っている。
「お疲れおにい」
ぽんと、フィリアの小さな手が頭に乗せられた。
「まあ、なんとか……お互い生きて抜け出せたね」
「うん。おにいのお陰だよ、ありがとう」
フィリアが薄く微笑みかける。それは、さっきの小生意気な微笑では無くて。親愛なる誰かを見つめる乙女のように映る。
「いや……まあ、兄として当然のことをしたまでだから」
気恥ずかしくて目を逸らす。
「あれぇ? あれあれ? もしかしておにい、照れてるの?」
にんまりと。たちまち人を小馬鹿にするような顔に戻り、圧をかけてくるフィリアの図。
「そ、そんなんじゃないってッ!」
「ナニ焦ってるの? あ~、もしかして、妹に発情しちゃった?」
「だからそんなわけッ……ってちょっと! なんで胸元のボタン外してるのッ!?」
「ん? 暑いから」
「いや寒いよッ! お互いさっきまで水につかってたでしょうがッ!」
「フィリア、水につかると発熱する身体だから」
「おまえの身体はマグネシウムかッ!?」
どこまでも人を食ったような態度を示すフィリアに振り回されつつ、窮地を脱した僕達は、〈リースヴァレン〉の港に向けて舵を切る。
イラスト:くれは様作
可愛らしいフィリアちゃんで、癒やされちゃいます♡
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