第四章4 宵闇の再開
フィリアがジュースを買いに行って一人になった私は、とりあえず近くの路地に一端隠れることに決めた。
門番が倒された以上、私が侵入したことがいつ相手側にバレるかわかったものじゃない。
首都の大通りなんていう目立つ場所にいるのは危険すぎる。
フィリアを置いて自分だけ隠れるというのは、あまり良い気分ではない。
だけど、とにかく今はこの状況を打開するために、安全な場所に隠れて少し考える時間が欲しいのだ。
やむを得ない。
(ごめん、フィリア)
今度フルーツタルトをたらふく食べさせてあげるから!
なんていう身勝手な理由をつけ、私は近くの商店と商店の間にある路地に駆け込んだ。
路地に入ってしばらく進むと、表通りの喧噪がたちまちフェードアウトしてゆく。
それと同時に、静けさと暗闇に包まれて、表通りにいるよりも安全のはずなのに、なんだか別の恐怖が芽生えてくる。
けれど、人が暗闇や静寂に対して抱く原初的な恐怖を前にして、ちびりそうになっている場合ではない。
こうしている間にも、〈ウリーサ〉の監視の目が動き出すかもしれないのだ。
(といってもなぁ……)
私は、静かな路地裏でため息をついた。
その小さな音は、暗く寂しい路地の向こうに、吸い込まれて消えていく。
何か策はないものかと思案を巡らせるが、一向に良い案が浮かばない。
セルフィス王女がいるであろう奴隷収容所は、〈ロストナイン帝国政府〉の地下深くにあることは掴んでいる。が、帝国政府の場所は知っていても、地下の構造や奴隷収容所の正確な場所はわからない。
加えて、仮に〈ロストナイン帝国政府〉の警戒網を破って、〈ウリーサ〉の人々に見つからずに奴隷収容所にたどり着けたとして、果たしてそこに王女はいるのだろうか?
その王女を連れて、無事に脱出することができるのだろうか?
今回の作戦の大部分が運任せであるが故に、事ここに至り、頭を抱えることとなっていた。
(まあ、無謀だけどやってみるしかないか。……最悪、作戦が成功しそうに無ければすぐに引き返せと、ロディに言われてるし)
それでもやるだけやってみようと、私は懐から地図を取り出して広げる。
雑木林を発つ前に、通信機と一緒に受け取っておいた〈ディストピアス〉の地図だ。
ロディが言うには、王国のスパイが持ち帰ったデータをまとめたもので、ある程度は信用していいらしい。
(えーっと、今いる場所が大体この辺りで……方角は北西か。地図によると、帝国政府の本館はここから南西に一・二キロ進んだ先にあって、それで……)
位置関係を割り出し、この路地からなるべく安全なルートを通って、帝国政府に近づけないものかと画策していると――
――それは、唐突にやってきた。
……かつん。かつん。
暗闇に染み入るように、遠くから何やら音が聞こえてくる。
……かつん。かつん。
一定のリズムを刻み、路地裏に残響するその音は、段々と大きくなっていく。
(これは……誰かの足音?)
十中八九、間違いない。誰かが、こちらに歩いてきているのだ。
まさかとは思うが、〈ウリーサ〉の連中に見つかったのだろうか?
私は息を殺し、真っ直ぐに続く吸い込まれそうな程に暗い路地の奥を凝視する。
……かつん。かつん。
足音が、すぐ近くまで迫ったとき。
暗闇のヴェールをぬぐい、何者かが姿を現した。
まず目に入ったのは、この暗闇の中でなお目を焼く、燃えるような赤色のドレス。
それから視線を上にずらすと、病的なほどに白い肌を持つ女性の顔を見た。
鴉の濡れ羽を想起させる艶やかな漆黒の髪と、血溜まりのように淀んだ赤色の瞳が特徴的なその女には……見覚えがある。
「あ、あんたは……!?」
その女性の顔と記憶の中の女性が重なった瞬間、私は驚きの声を上げた。
同時に、心臓が張り裂けそうな程に警鐘を鳴らす。
「うっふふ。お久しぶりですわね。こうしてまたあなた様と会うことができて、ワタクシ光栄ですわ」
だが、私の心中なんて知らないとでも言うように、その女――テレサは、優雅に一礼する。
その艶やかな唇を薄く伸ばし、この薄気味悪い路地裏には不釣り合いなほど、妖艶に微笑んだ。




