第一章2 旅立ち前の一時
――湖の畔を離れ、一本道を進む。
二十分ほど歩いた先に、小さな村があった。
三角屋根が特徴的な石造りの建物が、甍を争う。
(小さな村だけど、街の造りはしっかりしてるんだなぁ)
小さな大通りを進みながら思った。小さな大通りって表現が矛盾しているような気はするけど、この状況を指すなら、あながち間違ってないはずだ。
村のメインストリート。横幅は決して広くない。馬車二台がやっとすれ違えるくらいの幅しかないと思う。
中央の植え込みに咲くバラが、窮屈そうにしている。
道を進んでいく最中、常にバラの香りが漂うというのは、オシャレなものだ。
本物のバラの香りをかいだことがほとんど無いから、新鮮だった。
前世でかいだバラの香りは、トイレの消臭剤くらいである。
「ねえ」
「ん? なに?」
「この村に住んでるの?」
「そうだよ。おにいってば、なにわかりきったこと聞いてるの?」
繋いだ手をぶんぶんと振りながら、フィリアは答えた。
(わかんないんだって! ここに来たの初めてなんだから!)
心の中でそう突っ込みたくもなる。
フィリアの兄になったなら、デフォルトで兄の記憶を引き継いでいてくれたって、いいじゃないか。なんで前世の記憶があるまま転生したのか? 気の利かない神様だ。
「まあ、わかってはいたけど確認として聞いただけ。引っ越しとか、もしかしたらしてないかってさ」
「してないって」
「だよねー」
あはは。と愛想笑いをする。
てか、さっきからアドリブでなんとかなってる僕、凄くね?
「おにい、さっきから変じゃない?」
ドキッ。
「えっ、そ、そんなことないよ?」
怪訝そうに眉をひそめるフィリアに、慌てて返す。声が上ずった。
「えー、そうかなぁ?」
大きな目が、焦りを隠す僕をのぞき込む。店主の弱みにつけ込んで商品を値切るおばちゃんみたいな目だ。
「そうとも。大体、どういうとこが変なのさ」
「昔よりおしゃべり」
饒舌ですいませんでした。
「じゃあもっと寡黙な方が良いの?」
「ううん。今の方が良い」
笑顔でそう言ったから少し安心した。静かな兄じゃ、うるさい妹に太刀打ちできない。
そうこうしているうちに、村はずれの小さな家の前まで来た。
「着いたね」
そう言って吸い込まれるようにして入っていくフィリアの背中を追った。
「ただいまぁ!」
狭い玄関に、よく通る声が響き渡る。
少しして、「おかえり」と言う声が二つ返ってきた。野太いのと、包み込むような優しいの。それと一緒に足音が近づいてくる。
両親とご対面の時だ。僕の中では初対面だとバレないようにしなくては。
そう考えていたのだけど。
現れた両親。僕とフィリアを見たとたん、揃って足を止めた。
いや違う。
(僕を見てる……?)
目を見開いて微動だにしない。これじゃあまるで。
(そっちが初対面みたいな反応じゃん!)
何これどういう状況? 僕はどう対応すれば良いの?
「もう。ママパパ、驚きすぎだよ」
気まずい沈黙をフィリアが破った。
「さっき会ったの。おにいと会うのが一年ぶりだからって、ちょっと寂しい反応なんじゃない?」
「そ、そうだな」と父。
「お帰りなさい。カース」
母は優しい声色で告げる。
止まっていた時間がフィリアの助太刀によって動き出した。ナイス、我が妹!
だが、両親がどことなくぎこちなさを引きずっているのは、僕の気のせいだろうか?
それを確かめる間もなく、「おあがり」という温かい声に誘われて、僕はリビングに向かった。
「うわぁ」
珍しい内飾を前に思わず感嘆の息を漏らす。
石壁の縁は滑らかな木目の柱で覆われ、天井に小さなシャンデリアが吊されている。
家庭科の授業で西洋風の建築を学んだけど、まさしくヨーロピアン。
「ふふ~ん、シャンデリア、綺麗でしょ?」
フィリアは得意げに言った。
むむ。この憎たらしげな表情をするということはまさか?
「フィリアが作ったの?」
「大正解! おにいが留守の間にね」
ここぞとばかりに胸を張る。なんとも思考のわかりやすい妹である。
苦笑しながら、視線を再び天井に投げた。
白亜色のメダリオン。キャンディケインのような形の数本のガラス棒。その先端には、ろうそくを模した明かりが灯っている。
こういう小洒落た明かりはホテルでしか見たことがなかったから、自然とテンションが上がった。
「うん。うまくできてると思うよ」
「ありがと」
照れくさそうに微笑む。
なにやら美味しそうな匂いがどこかから漂ってきた。
「ご飯できたわよ?」
母の手に乗る夕食。出所はそこだ。
テーブルに置かれた食事を注視する。
メインディッシュは鳥の香草焼き。フランスパンの子供みたいな小さなパンがバケットに盛られている。豆のスープとサラダが付いた、ヘルシーな夕食だ。
「美味しそう!」
はしゃぐフィリアに続いて席に着く。
フィリアが隣、父と母が向かいの席だ。
かくして初めて出会った家族との食事が始まった。
といっても、これが最後。
明日にはフィリアと共に隣町に発つのだ。
「ママ、ククの実の瓶取って」
「また? いいけど、程々にしなさいよ?」
「わかってるって」
フィリアは、なにやら小瓶を受け取ると、蓋を開けて中のものを料理にかけ始めた。
黒くて丸い実で、胡椒に似ている。
「何それ?」
「ククの実だよ」
それはわかってる。
というか、喋りながら鶏肉が隠れるくらいまでかけている。かけ過ぎだよ。
「はい」
フィリアはククの実の瓶を差し出してきた。
「僕に?」
「おにいも好きじゃなかったっけ?」
「え? う、う~ん。まあ、ほどほどにね」
曖昧に答えて受け取った。
十粒ほど料理の上に万遍なくかけて、ほぐした鶏肉と一緒にかき込んだ。
「ッ!」
カッッッラ!?
あまりの辛さにリバースしかける。一口食べただけでこのザマである。妹、凄すぎ。
「なあ、フィリア」
「なに? パパ」
「明日からのことなんだが」
不意に話し出した父親の話に耳を傾ける。たぶん僕にも関係のある話だ。
「隣町に行くんだろう? パパ心配なんだ」
出た。親バカってヤツだ。
でもまあ、わからない話じゃない。こんな年端もいかない娘を王国騎士団に送る親の心中は、察するに容易いことで――
「明日から、眠れるか不安なんだ。フィリアが居ないと思うと寂しくて」
(いやそっちかよッ!?)
危うく突っ込みかけた。親バカだと思ったらただの寂しがり屋だとは。
「カース、お前も行くんだろ?」
「え? まあ、一応フィリアと行くつもり」
いきなり話を振られて少し驚いたけれど、平静を取り繕って返した。
そっか、そうだよなぁなどと寂しそうにぼやいて、父はパンを口に入れた。
「ふふ。パパったら、相変わらず寂しがりなんだから」
そんな父を、母は穏やかになだめる。それから、僕達の方を振り返った。
「貴方たちは貴方たちのできることを頑張りなさい。これから先、街でお金を稼ぐことは決して楽じゃ無いわ」
でも、と母は言葉を切る。
「どうしようもなくなったら、帰ってきても良いのよ。無理はしないで」
「わかってるよ! 心配なんてかけないけど」
フィリアは力強く言い切った。流石、口と舌だけは頼りになる。
「カース」
「何?」
「フィリアのこと頼むな」
次の日死ぬことが決まっているようなノリで、父が言った。
何か勘違いしてらっしゃると思いますが、頼るのは僕の方です。
そう答えるわけにもいかないので、「わかってるよ」とだけ答えておいた。
明日はいよいよ、旅立ちだ。
順調にいけばいいんだけど……
そう思っていた僕が、甘かった。
次話からいよいよ冒険です!
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