第二章24 退いた敵
「《削命法―火炎》ッ」
テレサは、高々と呪文を叫ぶ。
背中ごしに、圧倒的な熱を感じ、自身の儚い終焉を予感させる。
その瞬間だった。
「《珠玉法―翠玉・暴風》ッ!」
彼方から凜とした声が聞こえた。
それと同時に、猛烈な突風が僕の背後を駆け抜け、できあがりかけていた炎の塊を明後日の方向へ吹き飛ばす。
「くっ!」
流石に不覚を取ったらしく、テレサの動きが一瞬止まり――
「そこだッ!」
その隙を突いて、僕は身を反転させる。
振り向きざま剣を構え、テレサめがけて強烈な突きを放った。
「させませんわッ!」
だが、剣の切っ先が彼女の上半身を捉えるより一瞬速く、テレサは横に飛ぶ。
おかげで、刃が彼女の二の腕を鋭く掠めるに留まった。
ぱっと、斬られた傷口から血が迸り、宵闇に鮮烈な色を焼き付ける。
一定の距離を空けて立ったテレサは、自身の状態を確認するように傷口をちらりと一瞥した。
「傷は大したことありませんわね。でも……少々油断しましたわ」
テレサはそのすまし顔を僅かに強ばらせ、僕の目を射貫く。
「それに……彼女がまだ動けたというのは、いささか想定外というもの」
テレサは忌々しげに視線を外す。
その方向に目をやれば、苦しそうに肩で息をしながらも、二の足で地面を踏ん張ってこちらを見据えているレイシアの姿が。
「ふふふっ。まさかここまでお出来になるとは。王国の戦力も侮ることはできませんわね」
「侮れないなら……どうするの?」
僕は、口の端を吊り上げて笑うテレサに問う。
「正直、どうということはないですわ。ワタクシの絶対的な優位は揺らぎませんし」
「く……ッ!」
実際、彼女の言うとおりだ。
彼女に与えたダメージは、今のかすり傷のみ。
今の僕が、背伸びしたって勝てる相手ではない。現に、レイシアの不意打ちが無ければ、僕は確実に殺されていた。
「とはいえ……」
ふと、テレサから滲み出る殺気が減った。
「今回は、このワタクシ相手に一矢報いた功績に免じて、一時後退を約束して差し上げますわ」
「……はい?」
思わず耳を疑った。
周りを見渡せば、今まで彼女が倒したであろう魔術師達が倒れ伏している。
レイシアは戦闘不能間近だし、まともに戦えるのは僕しかいない。そんな状況で、撤退を選択するというのは、一体どういう風の吹き回しだろうか。
「そう驚かないでくださいな」
僕の心中を察したように、テレサは言った。
「ワタクシが去るのは、ただの気まぐれですわ。こう見えてタクシ、嬲り殺しというのは、趣味じゃありませんの」
(どの口が言ってるんだ)
流石に、そう思わずにはいられなかった。
だが、助かるのは事実だ。今の状況で、僕達に勝機は無い。
「なら、早く帰ってください」
「うっふふ。そうさせていただきますわ。このワタクシと張り合える、呪いの旅人様」
最後に何やら意味深なことを呟いて、テレサは慇懃に一礼して……次の瞬間、闇に溶けるように消えた。
「――はぁ~」
完全に脅威が消え去ったことを確認した僕は、思わず息を吐いた。
なぜテレサが引き下がったのかはわからない。
最後に言った言葉の意味も。だが……今はそんなこと気にしている場合ではない。
「レイシアさん!」
僕は、地面に崩れおちるレイシアの元へ駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
「……余を、誰だと思っている……大丈夫だ……」
言葉とは裏腹に、レイシアは煤で汚れた顔を苦しそうにしかめて答える。
「歩けそう、ですか?」
「……平気だ」
そう言ってよろよろと立ち上がるレイシアだが、次の瞬間ぐらりと身体が傾いだ。
「レイシアさん!」
咄嗟に身体を支える。
身体の熱が、衣服ごしにじんわりと伝わってきた。
「やっぱり、大丈夫じゃないじゃないですか」
「余のことは、気にしなくていい。……それより、部下達を……まだ、意識がある者もいるはずだ」
「わかっています。でもその前にレイシアさんを王宮に届けます。そのときに応援を呼びますから!」
「物好きなヤツだな……貴様は」
物好きじゃない。真っ先にレイシアを王宮に運んで、休ませなきゃいけないと思っただけだ。
そう告げようと思ったが、レイシアは既に意識を失っていた。
「……待っててください。すぐに、王宮へ連れて行きますから」
胸元にしなだれかかったまま気を失っているレイシアの腕を持ち上げて、背中に背負う。
立ち上がり、王宮へと急いだ。
「二人とも、無事かな」
途中、東地区の方を見たが、遠すぎてどうなっているのか、わからなかった。




