第二章21 闇色の彼女
闘いの余波で崩れた建物の間を縫い、僕は西地区を駆け抜ける。
やがて、前方に二人の人影が見えた。
一人は右手に炎の塊を灯している、謎の女性。そして、彼女の足下に倒れているもう一人の人物は……
「――レイシアッ!」
その人物を認識した瞬間、僕は叫んでいた。
駆ける足に力を込め、一息に二人の間に駆け込む。
「はぁッ!」
腰の刀を迅速で抜き、気合い一閃。
「ッ!」
不意打ちが功を奏したらしく、テレサは発動しかけていた魔術をキャンセルして、距離を取る。
僕はすかさずレイシアを庇うように立ち、一足の間合いで体勢を立て直すテレサに剣の切っ先を向けた。
「はぁ……ッ、はぁ……ッ、なんとか間に合った」
肩で息を吐きながら、僕は油断なくテレサを見据える。
「な、なぜここに来た……!?」
後ろに控えるレイシアから、問いを投げかけられる。
「貴様の担当は東地区だろう! ここに来るべきではない! 今すぐに元いた場所に――」
「黙ってください!」
僕はレイシアを一喝した。
予想していたことだが……こればかりは、頭にきた。
「別に今から戻ってもいいですよ? 現に東地区では、フィリアとロディが身体を張って闘っているんですから。今すぐ戻って手伝いたいくらいです」
「だったら……ッ!」
「だから、僕が怒っている意味を考えてください!」
息を飲むような音が聞こえ、それっきりレイシアは黙ってしまった。
「男が女を救うことに見返りを求めない」なんてさっきは言ったが、あれは嘘だ。建前に決まってる。
だって、女性を救って「きゃ~、素敵♡」と惚れられるグッドエンドを望まない男なんて、男じゃない。
せっかく念願の男に生まれ変わったんだ。前世では女であるが故に望むことを許されなかった欲望を、存分に満たしたい。
だが、そんな思いを嘲笑うかのように、不意にテレサは謎の台詞を口走った。
「……はて? このワタクシ、テレサ=コフィンに釣り合いそうな、素敵な殿方が現れて不覚にもときめいてしまいましたが……魔術的心眼で見れば、どうやら殿方ではなさそうですわね」
「はい?」
小首を傾げるテレサに応じて、僕も思わず首を傾げた。
素敵かどうかは知らないけど、僕のことを言っているはずだ。てか、殿方に見えないって、あの人の目……いや心眼は節穴か?
確かにさっき風呂に入ったとき、何故自分の身体が女になったように見えたけど、たぶん気のせい……だと思うし、何より今はめっきり男の身体だ。
刮目せよ! この筋肉を!
腕に力を込めて、ボディビルダーお約束ポーズを取ろうとする……が、その前にテレサから声をかけられた。
「そこの貴方、名前は?」
「……カース=ロークス、ですけど」
訳がわからぬままそう答えると、テレサは口元を抑え、妖艶に笑った。
「何が可笑しいんです?」
「いえ、貴方の名前が、呪縛というのは、なんとも言い得て妙だと思っただけですわ。嗚呼、なんて数奇な運命かしら」
「は、はぁ……」
わけがわからず、相槌を打つことしかできない。
だが、ふと僕の脳裏にいつか聞いた言葉が蘇る。
――『そなたをこの世界に転生させるときに、男にする因子とは別の力が混ざってしまったのだ。すぐに取り除こうとしたのだが、転生の儀式中の思いがけないハプニングであったことと、その別の力が驚くほどに強く……残念ながら、その力がそなたの中に取り込まれてしまった』――
この世界に転生した直後、神から聞いた台詞。
その不穏な響きと、テレサの言った呪縛
その二つが、どうにも無関係には思えなくて――
「まあ、精々頑張りなさいな。不完全な身体で生を受けた、可哀想なカースさん」
だが、そんな僕の心を知ってか知らずか、テレサは愉しそうに笑みを浮かべた。
「は、はい……?」
やっぱり彼女の反応がわからないが、とりあえず哀れんでいるらしいことはわかった。それか、単にバカにしているかのどちらかだ。
「益体の無い話はここまでにして、そろそろお相手願いませんか?」
ふと、テレサの纏う空気が変わった。
気付けば、彼女の手はいつの間にか僕の方に向けられている。
その指先には、不穏な魔力の光が灯っていた。
「今宵は、どうにも身体が火照って仕方ありませんの。是非とも、貴方様の苛烈な一手で、感じてみたいものですわ」
「は、はぁ」
さっきから、気圧されっぱなしだ。
ていうか、聞く人が聞いたら誤解されそうなこと言ってるぞ、この人。
そんな、怪しい人物を前にどうするべきか一瞬迷うが、忘れかけていた決定的な事実を思い出す。
彼女は〈ウリーサ〉の総長にして、人の命を根こそぎ奪っていった、邪悪な者だということを。
それが証拠に、彼女の濁った赤い瞳を覗き込むと、井戸のように深い闇を湛えている。
これは……闘わざるを得ない。
手汗をズボンで拭き、剣を深く持ち直した。
「……感謝いたしますわ」
戦闘の意志を感じ取ったらしいテレサは、深々と礼をして――
その瞬間、彼女の魔術を振るう細腕が霞むように動いた。




