第九章4 フィリアのいたずら
――しばらくすると、肩の震えが収まる。
彼女はまだ私に体重を預けたまま、俯いているが、幾ばくか顔色は良くなっていた。
「……落ち着きました?」
「はい。ご迷惑をお掛けしました」
セルフィスは、ウサギのように赤くなった目を隠すように、そっぽを向いた。
優しい風が一つ、私達の間を駆け抜ける。
落ち着いたのなら、何よりだ。
私は、頬が自然と綻ぶのを感じた。
誰かの目の前で涙を見せるというのは、すごく難しいことだと思う。
前世でも、辛いことや苦しいことがあったときは、必ず自分の部屋で静かに泣いていた。
もちろん、辛いことや悲しいことの九割は――女の子であるが故に、女の子との恋愛を否定されたことなんだけど。
まあとにかく、親にも友達にも涙は見せたくないというのは、私達の年齢であれば誰しもが持つ感情だ。
そんな涙を、私の前で見せたということは――
(少しずつだけど、信頼されてるってことなのかな?)
これが男状態ならいざ知らず。
少なくとも、彼女との距離は大きく縮まった気がした。
セルフィスの横顔を見つめ、図らずも微笑む。
そんな矢先。
「な~に二人で良い感じの空気になってるわけ~ッ!」
そんな叫びと共に。
常にトラブルを生み出すことで有名なアイツが、空気を読まず突っ込んできた。
ドンッ!
「うわぁ~ッ!?」
背中に衝撃が加わり、私は思いっきり前に吹っ飛ぶ。
しかも、運が悪いことに、この場所は川に向かって下っている斜面だ。
吹っ飛んだ勢いでゴロゴロと斜面を転がり続け、川に落下。
バッシャーン! という大きな音と共に、水飛沫が跳ね上がる。
私は、一瞬のうちに濡れ鼠と化してしまった。
「冷たっ! さっっっむ!?」
慌てて岸に上がり、土手を見上げる。
「あはははっ! おにいビッショビショだね!」
土手の上。セルフィスの隣で、腹を抱えてゲラゲラ笑っているフィリアの姿が。
言わずもがな。
私を川に突き落とした犯人である。
「ちょっ! こらっ! いきなり何すんのっ!?」
「なにって、セルフィスと仲よさそうに話してたから、ムカついて突きとばした」
「限度があるでしょッ!」
「いや~……実はフィリアも、まさか川に落ちるとは思ってなくて。ちょっと小突いただけのつもりだったんだけど」
「怪力かッ!?」
まったく、怖い妹だ。
「もう。嫉妬か何か知らないけど、いきなり突き飛ばすのは簡便して。心臓に悪い」
「おにいが悪いんだよ? 正妻を放っておいて、他の娘に手を出してるんだから。浮気は駄目なんだよ!」
フィリアは不服そうに頬を膨らませる。
「浮気じゃないし、ただの百合だし! ていうか、お前はいつから妹ポジから妻に昇格したの!」
「昇格してないよ。妹も妻も、似たようなものだって。妹も妻も、同じ家族だもん。はい、QED(証明完了)」
「「QED」、じゃないよッ! 何そのとんでも理論!?」
なんか、ちょっと腹立ってきた。
これは、お仕置きが必要かもしれない。
「それ以上、屁理屈を並べるなら、こっちにも考えがある」
「何?」
「因果応報で、水をかける」
「フィリアがいるのは土手の上だよ? 届くわけないじゃん。バカなの? おにい」
「ふ~ん。この期に及んで、まーだそんな態度とるんだ」
決まりだ。
報復開始である。




