第九章1 川の畔で
第九章スタートです!
――日が沈み、その日も夜が訪れる。
私の予定では、〈リラスト帝国〉までの道に横たわる大河を、今日中に越えるつもりだったのだが――足取りが重く、川の手前まで来たあたりで、日が暮れてしまった。
足取りが重くなった原因は――言うまでもないだろう。
「ふぅ……」
紺色に染まった空の下、川へ向かって駆け下りる斜面の途中に腰を下ろした私は、小さく息を吐いた。
ズボンごしに、ひんやりとした草の冷たさが伝わってくる。
目の前を横切る大河は、今まで見たことがないほど川幅が広く、夜に差し掛かったのもあって対岸は窺えない。
おそらく、日本のように急流で川幅が狭いタイプではなく、アマゾン川やナイル川のように、川幅が恐ろしく広い分流れが穏やかなタイプだ。
それ故に、水面は不気味なまでに平らで、見つめていると吸い込まれそうな怖さを孕んでいた。
「本当に、どうしよう……」
私はふと、斜め下に目線をずらす。
私の視線の先――川岸には、今最も問題にしている人間、シェリーの姿があった。
そして、川の中には膝まで水に浸かったヘレドがいる。
「何をしてるのだ! さっさと魚を捕るのだ!」
「そ、そう言われましてもね……手で捕まえるなんて、そう簡単にいきませんよ」
「言い訳は聞きたくないのだ! 集中力が足りないから、魚に逃げられるのだ!」
「そ、そんな横暴な……」
話を聞く限り、シェリーが指揮を執って(?)、ヘレドに魚を捕まえさせているらしい。
(こうして見てる分には、ただの活発な女の子なんだけど……)
星明かりに照らされる、ガラス玉のような瞳を見つつ、再び昼間のことを思い出した。
△▼△▼△▼
一方的に盗賊達を斬りつけたあと、シェリーは緊張の糸が切れたように、意識を失ってその場に倒れた。
その後、近くの原っぱの上で寝かせていたのだが、十分もしないうちに目覚めた。
瞼を開けたシェリーの瞳には、いつもの光が戻っていた。
「なんなのだ? みんなでボクを見つめてて、ちょっと怖いのだ」
起きた瞬間、私達を順番に見まわして怪訝そうに眉をひそめたあと、勢いよく起き上がった。
「え? 何って……大丈夫かなって」
私が曖昧に答えると、シェリーはこちらを振り返って淡々と言った。
「ボクは元から正気なのだ! この通り、元気なのだ!」
シェリーは、握りしめた右拳を、勢いよく空へ突きあげる。
まるっきり、普段のテンションだ。
これはもしかして……さっきの狂戦士状態の時の記憶がないのか?
私は思わず、レイシアの方を見る。
視線に気付いたレイシアが、私の方を振り返って、微かに首を傾げる仕草をした。
「あー、こんなところで油を売ってる場合じゃないのだ。そろそろ、〈リラスト帝国〉に向かって出発しなきゃなのだ」
シェリーは、困惑する私達の間をすり抜けて、すぐ側の今まで通ってきた道に戻ろうとする。
「待って」
気付けば、私はシェリーの腕を掴んでいた。
本能的に、どうしても聞かなければと思ったらしい。
「なんなのだ?」
振り返ったシェリーが、まん丸に光る瞳を私に向けた。
「あのさ……シェリー、聞きたいことがあるんだけど。さっきのこと、もしかして覚えてない?」
恐る恐る問いかける。
すると、シェリーの目が微かに細められ、顔の向きを元に戻した。
そして、私に表情を隠した形で、一言呟いたのだった。
「それは、聞かない方がいいのだ」




