第七章35 カース=ロークスは誰
「え……?」
僕は手紙を手に持ったまま、掠れた声を出した。
手紙の続きには、「もしフィリアに手を出したら承知しない」などということが綴られているが、最早そんな文章は頭に入ってこなかった。
手紙を畳もうと思っても、指先が動かない。
そればかりか、金縛りにあったかのように、手足がびくともしないのだ。
けれど、そんなことはどうでもいい。
僕の頭は、他の事なんて何も考えられないほど、手紙の内容のことでいっぱいだった。
フィリアの兄である、カースという人物は既に死んでいる。
しかし、僕は確かにフィリアの兄としてこの世界に転生したはずだ。
これは一体、どういうことなんだ……?
動転していた気持ちが、一周回って振り切れ、逆に冷静になってゆく。
水面に立つ飛沫が徐々に収まっていくように、頭と胸がすっきりするのを感じながら、僕は思案を始めた。
「ひょっとして、僕はカース=ロークスという人物の姿を象った、幽霊なのかな……?」
ふと根拠のないことを思い至り、さっきまで金縛りにあっていた身体を引きずって、洗面所へ向かった。
鏡を見て、自分の顔を映す。
いつも通り、中性的な見た目をした好青年が映っている。
頬をつねったり、指で瞼を広げて穴が空くほど顔を見たり。
いろんな角度から自分を見つめた。
端から見れば、ナルシストか頭がおかしい人だと思われるだろうが、そんなことを考えている場合じゃない。
十分近く、真剣に自分の顔とにらめっこした後、僕は肩を落として呟いた。
「……実体はあるし、感覚もある。幽霊じゃなさそうだな」
幽霊なら痛みなんて感じないだろうし、フィリアやレイシアの目には見えないはず。加えて、食事もできないはずだ。
十中八九、幽霊などの類いでは無さそうである。
安心半分、残念半分といったところだろうか。
「幽霊じゃないとしたら、僕は一体何者なの……?」
鏡の向こうに自分の困り顔を映しながら、人知れずぼやく。
洗面所の蛇口から、水滴が一つ、石造りの洗面器の上に落ちるのと同時に。
僕は、あることを思い出した。
「そういえば、どうして転生前の“奈津子”としての記憶は持っているのに、転生後の“カース=ロークス”としての記憶は持っていないのか、ずっと疑問だった……」
今までなんとなくで流してきたが、事ここに至り考えると、とてつもなく不自然なことだ。
フィリアの兄が既に他界している事実。
フィリアの兄としてこの世界に転生したのに、彼の記憶を持ち合わせていない事実。
この二つに、何の関係もないとはとても思えない。
そして――転生した際、この身体にかけられた性別が変わる呪いとも。
いろいろと明らかになったお陰で、尚更事態が深刻になった感じが否めない。
私がこの世界に来たときにかけられた呪いは……想像以上に厄介そうだ。
(何か、想像を絶する事実が眠っているはずだ……それを確かめないと)
そのためには、一刻も早く〈リラスト帝国〉へ赴き、宮廷占い師に話を伺わないといけない。
そう気持ちを固めた瞬間、僕の脳裏にある少女の笑顔が浮かんだ。
金髪を揺らし、茶目っ気のある青色の瞳を楽しそうに細めて、向日葵のように笑う少女の姿が。
「フィリア……」
彼女の笑顔とは対照的に、僕はどんよりと曇った気持ちで彼女の名を呟いた。
それは――彼女との今後について、一抹の不安を覚えたからだった。




