6.幸運
空が明るくなるにつれ、今いる俺の状況が鮮明になっていく。
森の視界を埋める雑然とした木々。天を衝くほど背は高く、黒くて凹凸のある太い幹に雪が纏わり斑模様になっている。落葉樹というのだろうか、今その枝は雪を乗せるだけだが、春になると大きく広い葉をつける。
その葉は細かいうぶ毛が生えており、そのまま触るとザラザラするのだが、ちょっとした処理をすると柔らかくなり水分を良く吸収し、肌触りも良くなる。村の共同トイレでお尻を拭くのに使用されていた。
木の根元は大きく広がっており、所々捩じれた根っこが雪の中から顔をだしている。ここは村から20分ほど離れた場所で地面は緩やかに傾斜し、木々の他には歪な形の岩と、茶色くなった短い草が点々とあるだけだ。
昨日の夜は気が付かなかったが、森の中とはいえ割と視界が通る。100mか方向によっては200mくらいは見えるだろう。
そして目の前にある炎。白と黒の世界に輝く紅一点。俺の使った火の魔法は朝を迎えてもその灯を消すことはなかった。
その炎の向こう側に倒れたゴブリン2体…今は良く見える。片腕をこちらに伸ばし、伏せている1体は伸ばした腕の肩ごと指先まで黒く炭化しており、伏せた背中から見える炭の回り具合を見るに、胸も一部焼けていそうだ。
仰向けになった方は上半身丸ごと黒くなっている。両者ともに獣の皮を腰をにまとっており、木の実と草で編んだ装飾品のようなものを腕に巻いていたり、首から下げていた。
防寒用には見えない。ゴブリンの風習か様式なのだろう。その近くには小さな袋と錆びを浮かせた短剣が転がっており、その刃には乾いた血と肉のようなものがこびり付いていた。
(一昨日村を襲ったゴブリンの残党か?それともバルムンド達を襲ったのだったら僥倖だが、2体じゃぁ無理だろうな。)
ゴブリンは基本的に数で押し切ってくる魔物だ。一体と正面で戦うだけなら武器を持った10歳の子供でも倒せるくらいなのだ。逆を言えば上位種によって統率されると一気に脅威になりえる。個々の連携は取れないが、それでもまとまった集団が機を見て波状的に攻撃してくると波に飲まれてしまう。
村を襲う魔物はゴブリン以外にもフォレスト・ボアやフォッグウルフがいたが、その中でも統率されたゴブリンの襲撃を一番警戒していた。死人が出たことも何度もある。
さらに言えばフォレスト・ボアは肉が美味しく、牙はそのままでも工芸品に加工しても売れる。また、フォッグウルフは白く綺麗な毛並みの皮がそこそこ高く、必ず数体から十数体で襲ってくるので数も揃えられる。村での良い収入源の一つだ。肉は一応食べられるがそんなに美味しくはないと評価されている。とはいえ俺の口にまともに入るのはフォッグウルフの肉くらいだったので、村を襲ったと連絡が来た時には肉が食えると喜んだものだ。
対して魔石しか取れないゴブリンは倒しても利益が少ない。まぁ一番数が多いので魔石は溜まるが安いのだ。お金にならない。さらに上位種が出ると厄介になるという嫌われ者だ。
とはいえ、基本的に襲撃してくるゴブリンはほとんどの場合上位種などおらず、ただただバラバラに襲ってくるだけなのが大半だったが。
(短剣があるのは運が良い。少し頼りないが武器になる。小袋の中身はなんだろうか?昨日から何も食べていないし木の実だったりすると嬉しいな。)
まずは、周囲の確認からだ。他に魔物がいないとも限らない。耳を澄ませ、目を凝らす。穴の中に入ってるため見れる角度が限定されることに不安が残るが今は仕方がない。
目に映るのは揺らめく炎に2体のゴブリン、天に伸びる木々に点々とする岩と土。時折見れる茶色い草。それらすべてを覆う雪化粧。ふと奥の方を見ると岩陰に血まみれの鹿が横たわっている。
ゴブリンに襲われたのだろうか、全身血まみれであちこちをむやみやたらに切りつけられており、内臓は引き出され、足は変な方向に曲がっているように見える。
(肉だ!ご飯を食べられる!ゴブリンが食べ散らかした後なのだろうか?割と体は残っているし何日分かは確実にあるぞ!さらに短剣だってそこに落ちている。捌くこともできる!)
鹿肉は前世では食べたことがない、この世界に生まれてからも薄いスープに小指の先ほどの破片のようなものしか口にしたことがない。一体どんな味がするのだろうか?楽しみで仕方がない。
逸る心を抑え、もう一度よく観察する。万が一でも魔物がいたら大変だ。
しばらくの間、息を殺して気配を探ってみたが、何もいなさそうなので火を消す魔法を使う決心をする。
(火を消すっていうと消火器だろうか?白い泡々のアレをイメージすればいいのか?それとも魔法の力そのものを打ち消す感じだろうか?)
消火器の方は何となくダメそうな予感がする。たとえ白い泡がうまく発生したとしても、泡がそのまま重力に従って地面に落ちるだけな気がしてならない。何かが燃えているなら有効かもしれないが、目の前にある焚火のような炎は空中に浮かんでいるのだ。
まぁ火の発生源が炎の下の方にあるのならば、石の上面にかかっているので、上手くそこに落ちれば消えるのかもしれないが、そうでないなら良くて1/3くらいは消えて終わりだ。
ここは打ち消す感じで行こうと思う。
(火の魔法を打ち消す、何もなかったことにする。無の境地…すべてを吸い込む黒い空間…虚空、虚無か…だめだな。本当に虚空とかが出たらヤバい。もしもブラックホール的なモノがポンッ!と発生したら一瞬で飲み込まれてしまう。元の風景に戻す感じで行くか?炎なんてない、冬のどこにである光景。冷たい空気がただあるだけ…いやいや冷たさはイメージしたらダメだ。空気ってのがどうにもわからない。結構難しいなコレ…)
イメージしようとすると、どうしても具体的な何かを想像してしまう。見えない空間を思い浮かべろと言われても、どこまでも続く真っ白な場所、あるいは何も見えない真っ黒な空間なら想像できるが、延々と何もない透明な空間なんて想像できない。
発想の転換が必要だ。炎の発生する前の何もない状態に戻すことを考えるのはやめて炎そのものを分解、消滅する方向で行こう。
(炎ってのは要は熱エネルギーだろ?それを全部拡散させる感じでこう…ぶわぁっと周囲に広がって消える感じ…はだめだ。この炎の温度がわからない。目の前にあるのに温い暖かさしか感じないのでそんなに熱くはない気はするが、ゴブリンが焼け死ぬくらいはあったんだ。魔法の火だしな。周囲にあまり熱を漏らさないなんてオチだったら拡散させたときに焼け死ぬ可能性がある。)
元々この炎は魔法で発生したモノだ。ならば魔力に変換するのはどうだろうか?きっと意識を失ったのは魔力かそれに代わる力を俺が使ったからだろう。だったら元の魔力に戻すだけなら、影響は少ない気がする。
(ただなぁ…魔力ってのがイマイチ感じ取れないんだよなぁ…魔力っていうと体の中を流れる青とか緑とか金色の、まぁ色々な光の筋みたいなものが魔法の源みたいな…よくわからんからそういうイメージで行くか…)
ニルヴァルナは炎を元の魔力、赤い光の筋に変換するイメージをする。糸のように赤い光の筋が集まって炎という形作られたものを、端のほうからほつれさせて元の魔力に戻すイメージだ。
(しっかりとイメージして…なんか名前が欲しいなぁ。こう、イメージを固定化させるようなそんな名前…打消し…解除…分解…。うん。分解がいいな。)
穴に横向きに体を丸めた状態で、目線を炎全体にしっかりと捉える。そして消えない炎が糸のようにほつれていく感じで、スゥっと消える感じで…
「分解」
喉が渇いていたため、少し掠れた声で、しかししっかりと口に出して言う。すると、炎は溶けていくかのようにキラキラとした粒子となって、ニルヴァルナの体へと吸い込まれていった。
なんだか疲れが取れた気がする。使用した魔力を分解して吸収したのだろうか?これでようやく穴の中から出られる。
ニルヴァルナは身を捩りながら穴の外へ這い出し、肩や腰を伸ばすように立ち上がる。昨日の昼からずっと穴の中に入っていたのだ。解放感に満たされる。
「…さっむっ!めちゃめちゃさみぃ!」
さっきまであった炎が消えたせいか、急に寒くなった。穴の中は近くに熱源があったから暖められていたのだろう。特に濡れた右半身が冬の冷気にされされて凍ってしまいそうだ。
震える体を動かして、まずは短剣を手に取る。柄の部分が腐りかけていて、細かい木の破片がパラパラと地面へ落ちた。そう遠くないうちに全部なくなってしまいそうだ。
(刃に錆は浮いてるものの、切れ味に目を瞑ればそこそこ使えると思ったが、長くはもたないな…)
小袋の方は汚れてはいるものの、目立った破れはない。十分使えるだろう。口を開けて中を確認すると、入っていたのは無数の石ころとそれに埋もれた何かの木の実だった。
石の1つを手に取る。すべすべしていて丸い。河原によくある丸石だろう。飾りにでも使うつもりだったのだろうか?木の実は前世でいうところのドングリに酷似している。家の台所の小樽の中にもあった記憶がある。これは食べられるな。
袋には紐がついているが、今は結び付けている時間がおしい。服の中のお腹部分に入れると短剣を片手に鹿のところへ行く。
岩陰に転がる鹿の死体は、遠目から見たように無残な状態ではあったが、食べられた形跡がない。遊びで残虐に嬲り殺されただけにしか見えない。そもそも魔物は食事はするのだろうか?
とりあえずひと塊の肉を切り出そうと、短剣をのこぎりのように何度も押し引きする。刃が悪い上に、予想以上に皮が固くて少し時間がかかってしまったが、ようやく両手の平より少し大きめの肉の塊を手に入れた。
(次は水だ。もう完全にカラカラでキツい。)
渓流の場所は分かる。村に引き込む川を辿ればいいだけだし、夏や秋に何度か山菜採取に無理について行っているので地形も多少はわかる。本当はこのまま完全に移動したいが鹿の肉が勿体ない。重くて動かせないがあれだけあれば一カ月は持ちそうだ。今は冬だし切り分けて乾燥させておけば腐ることもないだろう。
(狭くてつらいが前面に炎を置けば身を守れる穴もあるし。一度水を飲んだら戻ってくるか。)
---村の上流にある渓流へと行くと、幸いにも寒さで川の表面が凍りついていることもなく、汚れた手を洗いそのまま水を飲む。胃に冷たい水が入ってくるのが分かり体の芯から冷えてくる。火が必要だ。
ついさっきまではどうやって火を消すかと躍起になっていたが、実際に火を消して一度外に出てしまうと服を乾かすにも肉を焼くにも、そして体を温めるにも役に立つ揺ら揺らと揺らめく消えない炎が今は恋しく感じる。
そのまま先ほどの場所まで戻ろうかとも思ったが、渓流の端に転がる岩と岩の隙間に小さな洞があるのを見つけた。
横幅は2m、奥行は5mほどあり、高さもニルヴァルナくらいの大きさの子供なら立ち上がっても頭をぶつけることはない。入口も狭く、入ってすぐに少し曲がっているので中を直接見ることはできない。何より気に入ったのは寝そべられそうなほどに平らになった部分があるのだ。昨日の木の根元にあった穴よりはかなり良い場所だろう。
(さしずめ昨日の穴が一泊3000円の玄関風呂トイレなし、ついでに水道もないカプセルホテルなら、こっちはワンルーム家賃2万水道に共同トイレ付きで、しかも外から中が見えないというプライバシー完備な優良物件だ。手元の肉を焼いて食べたら、まずはあの場所に残った鹿の残りも全部こっちにもってきて乾燥処理しよう。)
本当は燻製とか干し肉にしたいのだがやり方がわからない。せめて焼けない程度に遠くから表面に熱を送って水分をできるだけ取り除く方向でいくことにしよう。
(まずは昨日の炎を出さないとな、位置に気を付けなければいけない。延々と燃え続ける炎の明かりができる限り漏れないように、あとは使った瞬間にまた意識を失うかもしれない。寝ている間に触れないような位置に発生させないと…)
魔法を使った瞬間に倒れ込むと危険なので岩の上に寝そべりながら赤々と燃える囲炉裏の火をイメージする。
「……焚火っ!」
イメージを明確にするためにあえて口に出す。するとニルヴァルナの手前50cmほど先に昨日と同じような炎が発生した。何かがごっそりと抜けたような感触に、一気に疲れが襲ってくるが、意識は保ったままだった。
(これは…魔力が抜けたのか?よくわからない何かが体から一気に無くなった…疲労は酷いが昨日みたいにはならないな。一度使ったことで魔力が増えたのか?それとも必要な消費魔力が減ったとかかな?)
使えば使うほど魔力が増えるのなら、もしくは消費魔力が減るのなら、これからは毎日魔法を使おうと心に誓う。体が成長するまでは魔法は唯一といって良い武器なのだ。
手を近づけて冷え切った体を少し温めると、さきほど切り取った鹿の肉の表面を軽く洗い、その辺で拾った枝を4本突き刺し台のような形にする。地面が土ではなく岩なのでこうしないと立てることができないのだ。
しばらくそのまま火で炙る。段々と火が通り、ぶすぶすと音をたてるが煙は意外に出ない。脂が少ないのだろう。おいしそうな匂いが洞穴の中に充満し、胃がクゥッと音を立てる。が、その中に漂う鼻に付くような血の匂いが気になる。
(そういえば血抜きとか全くしてなかったな。失敗した。きっと血生臭いぞ…)
もう焼いてしまっているのでこれは覚悟して食べるしかない。次からは川に一晩つけて血をしっかり抜いてから食べることにする。
表面が完全に焦げてさすがにもう十分だろうと思い、枝を引き寄せ肉を顔に持っていき口を大きく開けてかぶりつく!と、次の瞬間想像以上の血臭と獣臭に吐き出しそうになってしまう。
(まずい…ってもんじゃない…臭すぎる…あと中が生のままじゃんコレ…)
次はもっと肉を薄くすると肝に銘じながら我慢して咀嚼し喉の奥に押し込むように飲み込む。2口目を食べるか一瞬躊躇ったが、空腹には勝てない。まぁこういう時の対処法は知っている。匂いを嗅がなければいいのだ。
口に入れて鼻から空気が通り抜けないように注意して食べる。生の部分は筋もあって噛み切れないのでそのまま飲み込む。最終的には焼いた肉の半分ほどを食べてお腹いっぱいになった。
(この世界に生まれてから人生で初めてお腹いっぱいになったかもしれない。)
食べるのに工夫がいるとはいえ、満腹になったことの感動に打ち震える。
あとはこのまま寝れば最高なのだが鹿の残りがどうしても気になってしまう。あれは俺の生命線だ。全部の肉を確保できればしばらくの間は生活が安定する。
日の出とともに行動したおかげかまだ昼にもなっていない。さっきの場所まで戻って鹿の肉を切り分けて全部持ってくることにする。
---結局、すべての肉を洞穴に持ってくるのに夕方までかかってしまったのでその日はそのまま寝ることにした。