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4.前世の記憶

俺はいつものように布団から起き上がると、普段から付けっぱなしにいているパソコンで動画サイトのヨーツーベを見る。毎朝ヨーツーベのライブニュースを見ながら歯を磨いて、それから着替えて出社する。


---いつもの繰り返しだ。


ハンガーから半そでのカッターシャツを選び、携帯と財布をポケットに適当に突っ込むと、片手に軽く畳んだタオルを持ち、7時半には家を出る。

家賃の安さと地下鉄まで徒歩7分だけが取り柄ともいえる古い賃貸アパートから出ると、ムワッとした熱気と強い日差しに心を顰める。


季節はもう初夏を迎えていて、これから駅まで歩くと思うだけで嫌になる。

世間はクールビズだとか言っているが、クールビズっていうならTシャツで出社したっていいだろうに、まぁ俺は大手のお堅い企業の子会社に出向中の身だから出先のルールに従わないといけない。


近年暑さがますます激しくなっている気がする。道路のアスファルトがそのうち毎年溶けだすんじゃないのか?蚊だって余りの暑さだと活動できないと聞くが、確かに今年はまだ見ていないぞ。


そういえば先週、ついに出向先の親会社から全社向けのメールでネクタイ禁止の連絡が来た。理由は時勢にそぐわないということらしい。

ネクタイは締めるだけでなんだか奴隷になった気分になるから、それがなくなるだけでもだいぶマシだ。


あとはエアコンがまともに効いてくれればいいんだが。


出向先は数百人が入れるワンフロアに、10個くらいずつ机で「島」を作って仕事をしているため、空調設備の直下の席は寒いくらいだが少し離れるととても暑いのだ。サーキュレーターくらい入れろよとも言えず、扇子で頑張っていたが、去年忘年会の席で出向先のお偉いさんに卓上扇風機の持ち込み許可をもらって凌いでいる。


地下鉄の駅に着くと弱冷房車とかいうまったく涼しくない車両に乗り、さらに路面電車に乗り換える。ここからが地獄だ。駅のホームどころかそこへいく階段の上まで人で埋まっているのだ。


平日の朝という時間、無言で敷き詰められた空間に、電車が来るたびに定期的に動く人の波。


まるで動かないベルトコンベアーに乗せられ、自分で動いて利益を出せと命じられた機械の気分になる。


そうしてやっと最寄り駅につくと、これまた人の群れ。


出向先は子会社とはいえ、敷地は親会社と同じなのだ。駅のホームから出向先まで途切れることなく流れる人々に、もうこのまま今日は帰ろうかなと毎日思いつつも、少し歩くだけで汗だくになる顔をタオルで拭い、重い足を踏み出す。

敷地内の改札に通行証を通し、エレベーターに乗ってようやく自分の席に着く。


「ぉはよーござっす…」

「…はよーっす…」


やる気のない小さな声で挨拶をする。まぁ朝からやる気満々な連中なんてここにはいないからな。社交辞令で挨拶だけしとけばいい。


「---さん、昨日の客先の打ち合わせで出た要望の見積もりなんですけどー」


後輩が俺に質問してくる。そういや一人だけいたわ。やる気ある奴。まぁまて…まだ来たばかりなんだ。始業時間は9時からだ。まだ8時52分。トイレに行きたい。あとコーヒーを買わせろ。


席について早々話しかけてきたコイツは2年前に中途で入った元バンドマンという触れ込みの…えぇっと何だっけ?名前が浮かばない?


うん?おかしいな。俺はコイツが入社した時から一緒に仕事をしている…よな?自社の忘年会でアコギの弾き語りをしていた、ええっと?アレ?


コイツ、なんて名前だっけ?


おかしい、いや待て。嫌な汗が浮かぶ、漠然とした焦燥感に襲われる。


俺は…、俺の名前は?というかここは?会社名は?俺は何の仕事をしていた?

…分からない。なんだどういうことだ?


何か記憶に繋がるものはないかと周囲を見回す。広いフロアに整然と並ぶ机、仕事をしたり雑談をしている人々。わずかにコーヒーの香りが漂っている。

俺の正面の席には誰も座っていない。ぽつんと一つノートパソコンが置かれているだけだ。閉じられた蓋の上には「月初作業中。触るな。」と大きく書かれた紙が1枚。


ふと、村での生活が俺の脳裏へ急速に鮮明に映る。


生まれて、最初に産声を上げる瞬間から自意識があった。

何が何だか分からなかったが、古臭い家にむき出しの木の板の壁。

窓にはガラスも嵌っておらず、木の格子があるだけで、天井には電灯すらついていなかった。


目の前にいるのは、母親だろうか?髪の色は茶色で、痩せているがくりくりした目で顔はたぶん可愛いんじゃないかと思う。産まれたばかりのせいか顔の認識がよくできない。父親は薄汚れた金髪だった。こちらも痩身だが引き締まった体をしている。が、目つきが悪い。コンビニの前に座り込んで目を合わせたら絡んでくるタイプの目だ。


両親ともまだ20代だろうか?結構若い雰囲気がある。肌は少し荒れているが皺がない。ただ、服がなんだか小汚い。所々汚れているのもあるが、裾がもつれて糸がひらひらしている。ズボンも破れたのを刺繍してるなコレ…。ついでに父親よ、顔に泥がついてるぞ。


一体どんな環境に生まれたんだと思ったものだ。少なくとも裕福ではないな…。


それは俺の想像以上に過酷な場所だった。


そう、育児放棄だ。


普段は誰も俺には興味は無く、構うこともなく、適当に放置されていた。

漏らしてもそのまま垂れ流し。床が汚れないように桶か何かの中に入れられていた気がする。3件隣のおばさんが俺のことを気にかけて、というか赤ん坊が好きでほぼ毎日家に来ていたので、その時だけは世間を気にして乳をくれたり世話をしてくれた。


一番辛かったのは空腹だ。泣き声をあげると嫌な顔をするので、出来るだけ我慢していた。一度あまりにお腹が空きすぎて夜中に泣いたら3番目の兄に軽く首を絞められたのが本気で死ぬと思った…


正直良く生きていたなと自分で思う。


3か月後には、何とか芋や木の実や山菜等を磨り潰して水に混ぜて飲むことができたので、それからは1か月くらいは家族が畑に出ている隙にこっそりと樽の中にある生の芋を使って食事をとったものだ。


ちなみに蒸かすとかはできない。ザラザラした石に芋を擦り付けて削り、それを水に混ぜて飲み込むのだ。えぐみで不味かったし栄養大丈夫か?腹壊さないか?と不安しかなかったが、それでも生きのびることはできた。


乳を飲まなくても大丈夫だと家族に発覚してからは普通に食卓で一緒に食べていたが、それもなんだかんだと理由をつけて兄弟たちに半分くらいは取られていた。


とにかく最初の数か月は生きるのに必死で、自分の置かれた状況や転生のことなど考える余裕はなかったが、生まれて半年になろうかという時に転機は来た。


そう、俺は歩くことができるようになったのだ。普通はもう少しかかるような気がするが、俺は生きるのに必死だったせいか、足りない(と思われる)栄養を少しでも取ろうと体が頑張ったのか、これで家の外に出ることができるようになった。

村の家は鍵なんてついてないし、冬以外は扉が開けっ放しだったりする。割と自由に移動できるようになった。


両親と兄弟は毎朝、日が昇るより早く家を出て、夕方くらいに帰ってくる。

その間は俺の自由な時間だ。当然、昼食なんて贅沢なものはない。


1日2食、朝に木の実と芋と山菜のスープ。夜は芋だけだ。時折猟師のカルティスが鹿や兎の肉のお裾分けをくれるが、俺の口に入るのはせいぜい一切れ分。あとは親兄弟が食べてしまう。常時空腹の欠食児童という状態だが、しかし普通の食事がとれると発覚してからは家の食料を勝手に漁ると折檻されるので家の中の食料に手を出すことはできない。


だから自分で歩けるようになるということは俺にとってとても重要なのだ。そう食べられるモノを探すのだ!ついでに服と体も洗いたい!

そうして一歩踏み出すと、そこには良い意味で牧歌的な、悪い意味で閑散とした風景が広がっていた。


まず地面がアスファルトじゃない。まぁこれは分かっていた。というか部屋から見えていた。道と呼べばいいのか、家と家との隙間と呼んでも差し支えない狭い道はむき出しの土にそこかしこに雑草が生えている。


さらに家々はどれも小屋かとおもうように小さく、固まって建てられているようだった。どうりで隣の家の声がよく聞こえると思ったわ。ここまで狭いとは…

家の奥には柵のようなものがあり、中央には5m四方くらいの広場と少し大きめの木製の建物がある。


しかしこれはなんだ?南米の田舎にでも生まれたのか?だけど最近はどんな田舎でも電気くらいはあるだろう…むしろネットだって繋がってるでしょ…前にヨーツーベで見たことあるし?と。まだ日の昇っていない暗い空の向こうを眺めると、そこには月が3つあった。


一番大きな赤黒く輝く不気味な月。その隣には白く光る何故だか神々しい感じがする月。2つの中間にある一番小さくて、でも優しく照らす蒼い月。


3種の月が仲良く並んで空の上にぽっかりと浮かんでいる。


(なんだ…これは…?まさかこれは…知らない宇宙…?いや星に生まれたのか?)


まぁよくわからないことは置いておこう、それよりも食料だ!と歩き出すと前方から複数の人がやってくるのが見えた。


(こんな日もまだ昇っていない時刻に1歳の俺が外にいると絶対まずいよな…)


幸い体は小さい。固まって建つ家はゴチャゴチャと雑多なものが置いてあるし、まず見つからないだろう。近くにある木箱の影に隠れると前方の村人達が通り過ぎるのを待つ。


「いやー今回のゴブリンは少なかったなぁー、俺の剣さばきを見せつけられなかったぜ!でも賭けは賭けだかンな?約束守れよ!はっはっは!」

腰にさした剣を撫でながらそんな太い男の声が聞こえてくる。


(ゴブリン?いやゴブリンだって!?それって俺の想像するゴブリンなのか?それともゴブリンという名前の別の何かなのか?)


「勘弁してくれよ…あれは酔った時の冗談だって、ゴブリンなんか煮ても焼いても、苦いし固いしで食えたもんじゃねーんだぞ、腹壊した奴もいるしさぁ…」

もう一人の男が何かを引きずりつつ、弱り切った声で応じる。


「ダメダメ。約束は約束だ。今度の飲みン時にソイツを食ってもらうからな!っつかお前食ったことあンのかよ!?」

太い声の男は、弱り切った声の男が片手で引きずっているモノを顎で指す。


「いや、ねーよ。前にシールトの酒場の前でよ、酔っぱらいが道楽で冒険者やってる貴族の息子に絡んじまってさ、謝罪としてみんなの前で食わされてたの見たことがあんだよ。一口食べて吐いてたぞ。ソイツそのあとは3日くらい寝込んでた。」

男は片手を軽く持ち上げると、引きずっていたソレを月明りに照らすように掲げる。


体の大きさは7.8歳の子供くらいか?だらりと下がったその腕は肘から先がなく、胸には大きな傷がある。暗くて分かりにくいが肌は緑で口から牙がはみ出している。頭髪はなく、額からは小さな角が2本生えている。そして深い皺に刻まれたその顔はまさしく小鬼。俺の想像しているゴブリンだ。


(まじかよ…。つまりここは別の宇宙ってか別の世界、異世界っつーことか?生まれ変わったって自覚はあったが、異世界転生ってやつか…?)


2人の男たちは、取り留めもない話をして、俺の前を通り過ぎていくと村の中央の方に去っていった。


(ここは異世界、そう仮定しよう。ゴブリンがいるってことはファンタジーな感じか?月も3つあるし。じゃぁあれかな?魔法とかもあるのかな?しかしまずは食べるモノだ)


そうして木箱の陰から出ると、後ろから声がかかった。


「お前さんこんな時間にそこで何をしている?かくれんぼか?どこの子供じゃ?」


---そう、それがおじいちゃん先生との出会いであった。


おじいちゃん先生は昔は「町」で司祭をしていたらしい。年齢的な事もあって引退を考えていたところ、ここに開拓村を作る話が持ち上がって最後の仕事としてここに来ることを受けたという。


任期は5年。村に援助資金が支給され、税金が免除されている期間だけだ。


俺が常時空腹なのを知っているのかは知らないが、家に行くと大抵食べ物をくれる。蒸かし芋なことが多かったが、腹いっぱいになれば何でもよかった。

そして文字。そう俺は子供の振りをして(実際1歳の子供なのだが)家の中にある本を手に取って興味がある振りをし(いや実際興味があったのだが)文字を習ったのだ。


知識を習得する必要がある。この村には長くいられない。というか生まれた瞬間から生きるために必死に行動しないといけないこんなとこに居たくない。少しでも早くこの村を出ていきたかった。


俺が習った文字はエムラント・シュバイス語、略してエシュ語という「人間」が使う共通の文字とのことだ。


本は司祭だけあって神話や教典ばかりだったので、実際に使える知識ではないかもしれない。ただ文字の読み書きはできるようになった。

本当は魔法も教えてほしかったが、もう少し様子を見てから思っているうちに、ゴブリンの襲撃によって亡くなってしまった。


(おじいちゃん先生はこの世にいない。俺もこのオフィスにはいない。死因は記憶にないが俺は転生した。ならばオフィスのこの情景は、前世の記憶を夢で見ているだけか)


そう、今思えば夢のような生活だった。


毎日が似たようなことの繰り返しで、毎朝満員電車に乗って。でもいつだって好きな時に好きなものを食べることができた。

どうしても仕事をしたくないときは有休を使ってサボったりもした。


少なくとも生まれた瞬間から食事の確保に必死になるなんて、決してなかった。


まぁ俺の環境の酷さは育児放棄。これの一言に尽きるだろうし、村のほかの子供は貧乏とはいえここまできつくはないだろうが。


夢の中だからなのか、転生の影響なのか、自分の名前は分からない。何の仕事をしたのかも覚えていない。


しかし一般的な事は記憶にある。そう、夢に出たエアコンとか動画サイトのヨーツーベだとか。同僚の名前も顔も浮かばないが、俺はいつも金曜日は定時退社して、近所のスーパーでタイムセール品を狙っていた気がする。


もちろんスーパーの名前は記憶にないが。


そろそろ新しいパソコンを買おうと次のボーナスでアーアムデーのCPUの値段なんかを確認してたな…


俺が今いる世界は異世界。前世の記憶がどれくらい役に立つのかはわからない。

少なくとも魔法がある時点で物理法則が全く同じということはあり得ないだろう。

しかし経験がある。何十年と生きてきた己の知識と意識で持ってこの現実に立ち向かおう。


さぁ!役に立つかわからない前世の知識と経験で持って3歳の俺よ!今を生き延びろ!



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