幼馴染は震えながらそれを割く
「10分休憩だ! 水分しっかりとってこいよ!」
夕日すらも落ちていこうかという時間帯。別校舎の近くに建てられた体育館ではいくつかの部活が未だ練習に励んでいる。
そんな中3年生の掛け声を皮切りに休憩に入るバスケ部員たち。それぞれが座り込み、大量に流れた汗を拭い、水筒を片手に携帯している。
皆が体育館にて休憩をしている最中、剱久哉は屋外にて水筒片手に夕日を眺めていた。汗が夕日に反射してキラキラと輝いている。
「何お前、祝福されてんの?」
別館から出た俺たちは、早速見つけた剱に声をかける。体育館に入っていくの怖いな〜と思っていたので外に出てくれていて助かった。しかも1人だ。最高のシチュエーション。
こちらに気がついた剱は、一度汗を拭い爽やか笑顔をこちらに向けた。
「やぁ黒薙君、それに湊さん。部活終わりかい? にしては随分と遅かったね」
「あいにくさままだ部活中だ。それで剱、今ってちょっと時間あるか? できることならこっちを最優先してもらいたい」
いきなりきて失礼なお願いをしていることは重々承知だ。しかし今回ばかりは退くわけにはいかない。
俺は真剣な眼差しを剱へち向ける。しかしいつも腐っている俺の眼はやはりこういう時でも死んでいるようで、その思いは届かない。
「ごめん、この後すぐに練習が始まっちゃうんだ。時間は正直ないね」
1回断られてしまう。しかし俺は懲りずに食い下がる。なぜなら俺の信条は『2回やって無理なら諦めろ』だからだ。つまり1回なら俺は諦めん。
とはいえ、逆に言えば次で無理なら諦めることになる。なぜなら2回も頼んでダメなことは大抵、何回頼んでもダメだからだ。ここで無理なら素直に諦めるしかない。
「そんなに時間は取らせない。すぐに終わるようなことだからさ、頼めないか?」
「……明日じゃダメかな? 明日ならなんとか時間を取れると思うからさ」
「……ッ! それは、えっと……」
断られてしまった。俺の頭は次に言葉を探すも見つからない。テンパってしまい思考に靄をかけられているからだ。
何も言えない俺を見て、剱は踵を翻し始める。返す言葉がないということは、そこまでの緊急性がない案件なのだと判断されてしまったのだろう。
これで2回断られた。これ以上の頼みはどうせ聞いてもらえない。2回やって無理なら諦めろ、2回やって無理なら──
「ありがとう黒薙くん。もう十分だよ」
耳元に響いたのは石動さんのか細い声。振り返らずともわかる。彼女は今寂しげで、諦めたような表情を浮かべているのだろう。その眼差しには誰に対する恨みや怒りもなく、ただ単純に『仕方ない』と言いたげなものだろう。
彼女のそんな言葉が、俺の頭を覆っていた靄を一斉に晴らし、ある1つの行動に体を突き動かした。
気づいた時には俺の体は1歩を踏み出し、剱の汗に濡れた腕を強く握っていた。
「黒薙、君?」
突然のことに動揺する剱。それはそうだろう、俺だっていきなり腕を掴まれたら困惑する。しかし申し訳ないが今回は気を使わない。気なんて使わず、俺の思うがままに発言し、動いてもらう。
「──頼む。今じゃなきゃダメなんだ。今後、俺が教室で何をされていても無視してくれて構わない。殴られようが蹴られようが、一緒に笑ってもらって結構だ。だから頼む……今だけ協力してくれ」
掴んでいたその手を離し、頭を下げる。気づけば、一緒に来ていた湊や八重洲もともに頭を下げてくれていた。
「黒薙君……湊さん……!」
頭を下げる俺たち、硬直する剱。この構図が暫しの静寂とともに流れる。そんな空気を変えたのは、剱の疑問系の1言だった。
「頭を下げるほど、大事な用なんだね?」
「あぁ大事だ。恐らく俺がお前に対して行う今世紀最大級に大事な用だ。だから、頼む!」
再び数秒の静寂が流れた頃、体育館の方から大きな野太い声が投げかけられる。それは俺たちの願いを完全にかき消すものだ。
その声に反応し、案の定剱の踵は再び体育館の方へと翻される。流石にもう無理か? そう思った時。頭上から穏やかな声が降り注いだ。
「わかった、ちょっと待っててくれ」
完全に足を体育館へと運んだ彼を、俺たただ見つめることしかできない。最後に投げかけらられた待っててくれという言葉を信じて。
そして待つこと数分。宣告通り剱は戻ってきた。手には先ほどまで持っていた水筒などは無くなっている。中に置いて来たのだろう。1度戻っていった理由はこれだったのだろうか?
「お待たせ。先輩に練習抜ける許可とってきたんだ。それで、用って何かな?」
荷物を置きにいっただなんて浅い理由だと思っていたことに結構な申し訳なさを感じつつ、気にしすぎていては話が進まないので飲み込んだ。
「わざわざ申し訳ない。それで、こういうのはいちいち御託を並べてもしょうがないからな。単刀直入にいうぞ」
「どうぞ、その方が僕としても助かるし」
今から頼むことはこれだけ取り上げると意味のわからないことだ。しかし事実は事実としてそのまま伝えるべきだと思う。
俺は少し深呼吸をし、真っ直ぐ彼の目を見つめて言葉を紡いだ。
「ハンバーグを食べてくれ」
「ごめん練習あるから。部活、頑張って」
まるでコントかのようなスピードで背中を向けた剱。本来人の話を聞けと怒る部分かもしれんが、今回ばかりは仕方がない。俺が悪い。
「ちょっと待ってくれ! 『何言ってんだこいつ? バカなのか? バカなんだろうな』みたいな気持ちはすんごいわかるがその上で言う、ちょっと待って!」
俺はこの時初めて剱の面倒くさそうな表情を見ることになった。
わかるよその気持ち。面倒だよね、何言ってんだって思うよね、ふざけんなって思ってるよね、わかるすごいわかる。しょうがない。お前は悪くない。
「剱、さっきも言ったがこれはお前にとっても大事なことなんだ。ちゃんと聞いてくれ。そして見てくれ、このハンバーグを。この盛り付け方、見覚えないか?」
少し右にどき、湊が剱の前に出る。彼女の手には白い丸皿に盛り付けられた1つのハンバーグが。そのハンバーグは通常の小判型ではなくコンビニの丸型おにぎりのようにまんまるとしており、ソースは上からかけるのではなく、料理自体を取り囲むように周りにかけられていた。
初めて見た時、この独特な作り方に俺たちは驚いた。そしてこれを見た俺は確信する。彼女に作ってもらって正解だったと。この形、盛り付け方が、彼女がそこにいるという何よりの証拠であるのだ。
実際、これは剱にも効果てき面だったようで、料理に目を奪われたようにそこから視線を外すことはなかった。
何が起こっているのか理解できていないであろう剱は、茫然自失状態のまま、震える声で俺に質問を投げかける。
「黒薙、君……もしかしてできたのかい、降霊術?」
「悪いな、降霊術ができるのかという依頼に関しては未完遂だ。だが、本質は達成している」
そう、剱の依頼は降霊術をすることではない。彼女に、石動巴さんに想いを伝えることが目的なのだ。そして、その彼女はそこにいる。
夕日を透過する彼女は、どこか物悲しさを感じさせる微笑を浮かべている。手を後ろで組み、すぐ近くで剱を見つめていた。
「これ……食べてもいいのかい?」
「……いいよ」 「だそうだ」
「巴、彼女はそこにいるのかい?」
「いるよ」 「だそうだ」
「……いただきます」
「──はい」
最後の言葉は訳さなかった。俺の口から伝えずとも、絶対に伝わると確信したからだ。そして剱はその期待通り徐にハンバーグを口に運ぶ。その手は震え、目は少し潤んでいる。
口に運び入れ、何度も何度も噛み締める。そして、口内のものが消失すると同時に、先ほどまで潤んでいた瞳からは大粒の涙が溢れ出す。そして絞り出したような掠れた声で剱は言葉を文字通り漏らした。
「巴……ずっと、ずっと好きだった……! 君を失ってから気が付いたんだ、バカだろ僕って。どれだけ気丈に振舞ってもさ、夜には君が出てくるんだ……。最後の、ハンバーグを作ってくれるって約束、そのために来てくれたのかい?」
「……あんたのことだから、食べれなくて後悔してんじゃないかなって思ってさ。だからその……うん……」
先ほどよりもその姿が薄くなり始めている石動さん。最後の約束を、ハンバーグを作ってあげると言う後悔が達成されたからだろう。
恐らく彼女はもうすぐ消える成仏してしまう。であれば、最後に自分の言葉で剱に伝えたいこともあるだろう。俺は憑依するかと尋ねるため彼女に近づく。
しかし、彼女はそれを無言で制止した。俺たちの方に振り返り、穏やかに笑みを浮かべる彼女は言葉を投げかける。
「ありがとね、探霊部のみんな。中でも黒薙くんには一番迷惑かけたね、ありがと。天国行ったら広めとくね。すんごいいい部活があったよ〜って話のネタにする」
再び剱の方に振り返り、触れられぬ手を彼の肌に沿わせ、優しくつぶやいた。
「あたしもね、あんたとおんなじバカだよ……おんなじ。もう触ることもできなくなって気づいたんだぁ。ってことはあたしの方がバカだね! はははっ、こりゃ〜参った!」
明らかに気丈に振る舞う石動さん。本来であれば見ていられないほど痛々しい光景だったろう。しかし、涙を浮かべながらも前を見つめる剱、落ちかけの夕焼けに照らされながら満面の笑みを浮かべる石動さん。不謹慎かもしれないが、とても綺麗だと思った。
「久哉、あんたモテんだからさ、いい子見つけて幸せになんなよ。あたしのことは忘れ……てほしくはないなぁ。う〜わっ、未練たらたらだなぁ。あたしは子離れできてない親かな?」
石動さんの体がわずかずつではあるがその濃さを取り戻しつつある。
これが創作であれば復活、奇跡が起きて生き返る流れだろう。しかしこれは現実である。死んだものが生き返るなんて奇跡存在しない。
であれば今目の前で起きている現象は何か? 簡単だ、未練である。せっかく薄れてきた未練が、いざ永遠の別れを覚悟すると再燃してしまった。これは責められることではない。当然の反応だ。
「石動さん……」
思わず漏れてしまう俺の声に、剱は顔をこちらに向けて反応する。
「黒薙君、巴は、まだそこにいるのかい?」
「いるよ。ずっとそこにいる。だけど……」
そろそろ成仏させてやれ、だなんて、口が裂けても言えっこない。そんなことを言える奴がいたらそいつは悪魔だと俺は思う。
しかし現実は残酷に、事実のみを突きつける。成仏しなくてはならないと言う事実が俺たちの心を蝕んでいく。
しかし、ここに1人、覚悟が決まった男がいた。その男は目に涙を浮かべながらも必死に口角をあげ、手を伸ばした。
「黒薙君、練習でお腹が、空いたんだ。だから……ハンバーグ、もらっていいかな?」
瞬間、その意味を理解したものの、すぐに動くことはできなかった。それは皿を持つ湊も同様で、差し出すことにかなりの躊躇を見せた。
ハンバーグを完食すること、それは石動巴さんのそもそもの未練を解消すると言うこと。つまり、別れの決意だ。どうするべきなのか考えに考えあぐね、眉間に皺を寄せた直後──箸とハンバーグが宙を舞う。
それを差し出す八重洲(彼女)の目は、覚悟と優しさの相まった、そんな……そんな目だった。
「…………ありがとうね、もう1人の探霊部員さん」
剱は差し出されたハンバーグに顔を近づける。そして口を開け目を瞑りながら閉じた彼からは、上歯と下歯がぶつかる空振り音が放たれた。
その後も何度も顔を近づけ口を開閉する剱。しかし、その度にその口には何も入ることはなく、ただただ虚しく音が響くだけであった。
「なんで……決めた、だろ? これを食べたら言うんだって。もう、大丈夫だからって……!」
目に大量の涙を浮かべ、歯をガタガタと震わせながら、再び何度も、何度も挑戦する剱。そんな剱に対し、差し出した位置から全く変わらぬ場所で待ち続ける八重洲。遠ざけ突き放すことはもちろん、近づけ、甘やかすこともしない。全て剱の意思に任せる。そう言いたげに待ち続ける八重洲。
そんな八重洲と剱を一番近くで見続けた石動さんは、小さく微笑を浮かべる。その表情は、自虐的に語っていたように、まるで母のそれであった。
「ったく久哉ったら、女の子どんだけ待たせんのよ。いつもそうだよね、肝心なところで身を引いてかっこつかない感じ。こんなん見てたら何十年だって成仏できないよ。あたしだってそんな長いこといられないって。だから──」
直後、石動さんは俺の体に触れていた。そして初めて部室であった時のような無邪気でやんちゃな笑顔で、彼女は俺に飛び込んだ。
「ごめんね黒薙くん! 最後にもっかいだけ借りるわ!」
そして、俺の意識はプツリと切れた。




