7話
スバルに案内されたのは、砦の地下深くにある、今は使われていない牢だった。動かない死体を牢に入れたのは、死体にどんな魔法が掛けてあるのか分からないため、安置できるのがここしかなかったためだ。
牢には魔法を遮断する結界が張られている。もし万が一、死体に何か仕掛けられていたとしても、結界の中では無効化される。
薄暗い牢の中、布が覆われた机が一台、ぽつりと設置されていた。「あれです、隊長」スバルは牢の鍵を取り出して、錠前を外した。
「使者の死体のことは、俺とカナタ以外は知りません。使者が来た時に案内を担当した門番の騎士がいましたが、彼らには別の道でお送りしたと伝えてあります」
「まさか、使者が信書を持ってきて死んだなんて他に知られたら、どこに耳や目があるか分かりませんからねぇ」
「なるほどな。しかし、使者はいったいどうやって死んだんだ? 砦に入るときに、武器の所持確認はしたんだろう?」
「それはもちろん、確認いたしました。武器は持っていませんでしたが、どうやら、歯の奥に毒を仕込んでいたようで。それを噛んでの服毒自殺です」
「毒、ね」
アルベスクが、含みのある笑みを浮かべた。ツカツカと死体が寝ている机の前まで歩み寄ると、くるりとこちらを振り返った。
「君たちは優秀な武官ではあるが、最後の爪が甘かったな。死体を結界のある牢へ入れたまではよかったが、鍵をもう少し頑丈なものにしておくべきだった」
「なにを言いたいんですか?」
遠回しな言い方に少し苛立った様子のスバルに、アルベスクはにっこりと笑った。そして、死体にかけられていた布を一気に剥ぎ取った。
そこには、本来あるはずの死体がなく、ただの机があるだけだった。
「え!?」
「な、なんで? たしかにここに置いておいたはずなのに……!」
「……おそらく、使者が飲んだ毒は一時的に仮死状態になるものだったんだろう。一定時間が経てば、目覚めるような。そして、仮死から目覚めた使者は牢から逃げ出した」
「ですが、牢には鍵をかけていました。そしてその牢の鍵は、俺が持っているものだけです。中から出るのは不可能でしょうし、万が一出られたとしても、この砦内をうろついていたら、誰かしらに見られていたはずです」
不可能に近い、とスバルは断言した。
確かに、一つしかない牢の鍵を開け、誰にも見られず砦内を移動することは不可能だ。だが。
「………この砦内に、内通者がいるってことですか」
カナタの言葉に、スバルがハッと目を見開いた。それは思いつかなかった、と言わんばかりの表情に、カナタは苦笑した。
「ちょっとぉ、しっかりしなさいよスバル。こういうのは私じゃなくて、あんたが思いつくことでしょ」
「……分かってるよ。しかし、内通者か……。この砦に在中しているのは、俺たちウェザリア隊とレイモンド・イビザエル公の部隊だ。炙り出すのは、なかなか苦労しそうだな」
苦渋の顔をするスバル。フィロもその名を聞いて、うっと顔をしかめる。苦手なものを前にしたかのような二人の反応に、アルベスクは思案するように顎に手をやった。
「イビザエル……、七人公の一人か」
七人公。
トートレーゼ王国の領地運営を任された爵位を持つ貴族たちをまとめ上げる貴族の総称で、名の通り七人いる。
彼らは貴族社会において絶対的な地位にあり、絶対君主主義であるトートレーゼ王国においても、彼らの存在は無視できないほどの権力を持っている。
そんな七人公の一人が、レイモンド・イビザエル。爵位は侯爵で、軍司令官である人物だ。
「はい。イビザエル侯爵家のご当主で、軍司令官のお一人です。真面目で優れた方であるのは間違いないんですが……。私たちの上司であるカターニア将軍とは、反りが合わないらしく……」
「そのせいで、何かと私たちを目の敵にしてくるのが、玉に傷よねぇ」
「とはいえ、今回ばかりは事情が事情です。至急、使者の消息とともに、怪しい動きをした者がいないか調べます」
スバルはそう言って、足早に牢を後にした。おそらく、彼が内密に育てている部下を使うのだろう。カナタも「私はカターニア将軍に報告しますねぇ」と言って、出ていってしまった。
残された二人は、互いに顔を見合わせる。
「……よろしかったのですか? 二人にあのような態度を見せても」
「かまわないよ。彼らは君の翼だろう? 翼は本体を裏切らない。ぼくとしても、彼らの協力があったほうがいいしね。だた、ぼくがアルベスク・トートレーゼであることは、内密にはしていてほしいけど」
「……」
(このひとは、何を考えているんだろう)
穏やかに笑うアルベススクを見て、何ともいえない気持ちになる。
言葉の節々から感じる、アルベスクからの信頼。まだ会って間もない、一部隊長でしかないフィロに対して、彼は信頼を寄せてくれている。
スバルとカナタのことも、カターニアの協力があったとはいえ、フィロの独断でしたことだ。本来であれば、処罰して然るべき案件だ。それなのに、黙ってくれているし、二人のことも認めてくれている。
よく分からない人だ、とアルベスクのつむじをぼんやりと眺めていると、彼はにやりとイタズラ好きな子どものような顔で。
「それに、どうやら君は、隠しごとには向かないらしいしね」
「なっ」
「二人に詰められてあたふたしている君は、なかなか可愛らしかったよ」
「か、かわっ、っ、からかわないでくださいっ!」
発火したように顔を赤くして叫ぶフィロに、アルベスクは声を上げて笑った。
牢を出て、フィロとアルベスクは客間へと移動した。
スバルとカナタからの報告があるまで、とりあえずは待機だ。フィロは部屋の隅に設置されたティーセットを取り出した。
カチャカチャとお茶の用意をするフィロを、アルベスクは物珍しそうに眺めていた。
「へぇ、ウェザリア隊長はお茶を嗜むの?」
「少々ですが。王城でいただいたお茶に比べれば、粗茶になりますが」
フィロは王城で飲んだカモミールティーの味を思い出し、ふっと微笑む。あんな立派なお茶を淹れることはできないが、気休めにはなるだろう。
砦内は、基本的に自分のことは自分でする。食事は専用の料理人が作ってくれるが、その他の洗濯や掃除は持ち回りで行う。それは一般騎士であろうが隊長だろうが変わらない。
お茶を淹れるのも、スバルやカナタがいればどちらかがしてくれることもあるが……正直、二人の淹れる茶は不味い……、基本は自分で淹れるようにしている。
フィロは無難な紅茶を淹れ、アルベスクの前に置いた。彼はマジマジとティーカップを見ている。まるで、見知らぬ食べ物を置かれた犬のようで、笑ってしまう。
「何も変なものは淹れていませんよ。……味はそれなりですけどね」
苦笑していると、アルベスクがゆっくりとティーカップに手を伸ばした。おそるおそる、というように、一口含んで、柚葉色の瞳をぱちくりさせた。そして、じっとティーカップの中を見て、ぽつりと呟いた。
「――――――、おいしい」
びっくりしたような、感動したような、―――うれしそうな、ふしぎな顔。
素直な、なんの飾り気も感じないその顔に、フィロの方が驚いた。
(なんだ、こんな顔もできるんじゃないか)
人を食った笑みよりも、よほどいい。
マジマジとティーカップを覗き込むアルベスクの姿は、本当の子どものようだ。フィロに兄弟はいないが、いたらこんな感じなのだろうか。
「ねぇ、このお茶、何ていうお茶?」
「これは普通の紅茶ですよ。フレーバーティーです。そこら辺の市場でも売っているもので、庶民でも買えます」
「へぇ、そうなんだ。初めて飲んだけど、すごくおいしいよ」
「へい……、アーサル様は、紅茶はお好きですか?」
「アーサルでいいよ。騎士見習いってことにしてるんだし。敬語もなしで。……んー、どちらかというと、苦手かな。むかし、紅茶に毒を盛られてね。それ以来、色の付いたお茶が苦手になったんだ」
(それで、あのとき、陛下にはお茶がなかったのか)
王城でのできごとを思い出す。あのときは本当に、フィロを落ち着かせるためだけに頼んでくれたんだろう。今更ながら、アルベスクの気遣いに、胸の奥がムズムズした。
「そうだったんですか……。そうとは知らず、申し訳ありません」
「け、い、ご」
「ですが……っ。………善処しま、っ、……する」
じっと見つめてくるアルベスクに、フィロの方が折れた。この柚葉色の瞳で見つめられると、どうも、居心地が悪いような、妙な気持ちになるのだ。
「よろしい。今後は気をつけてね。あぁでも、紅茶のことは気にしなくていいんだよ。君は善意で淹れてくれたんだし、実際、おいしかったよ」
にっこりと微笑むアルベスクは、何気なくカップに口を付けるが、フィロの心境は複雑だ。
(普通にお茶を飲むだけでも、毒の心配をしなければならないとは。……このひとは常に、敵と味方と、両方に囲まれているんだ)
少なくとも、眼前の敵を全て屠ればいいという単純な話ではないのだろう。
ほとんど戦場にいるフィロだが、王城でのことは漏れ聞いている。
たとえば―――、第三王子であるはずのアルベスクが、なぜ即位したのか。即位できたのか。
彼は自分が即位するために、兄である第一王子と第二王子を陥れた―――らしい。
真偽は不明だが、しょせんは一介の部隊長にすぎないフィロにとって、真偽の是非はどうでもいいことだった。だが、アルベスクはそういった黒い噂が絶えない場所で、戦っている。
様々なものを背負っている彼に、フィロができることはそう多くはない。フィロができることは、剣を握り、敵を屠ることだけ。
そのことを、ほんの少し、もどかしく思う自分がいた。
(私にできることはないんだろうか。……このひとのために)
寄せられる信頼に応えたい。応えられる自分でありたい。
そのためにも。
(いまは、陛下の体を元に戻すために、『名もなき魔女』を斬ることだけを考えよう)
単純明快。ただ目の前の敵を斬るのみ。
フィロは腰に下げた剣に触れ、密かに誓いを立てた。
アルベスクと二人でのんびりと紅茶を飲んでいると、カターニアに報告を済ませたカナタと、調査に向かったスバルが同時に戻ってきた。
「まずは私から報告いたしますねぇ。カターニア将軍にことの経緯を報告したところ『内通者およびそれに関わる処遇の是非については全権をフィーフィロス隊長に委ねる』とのことですぅ」
「分かった。カターニア将軍には追って、私から了承の旨の報告をしておこう」
「はぁい」
「では、次は俺から。まずは使者の行方ですが、こちらは案外簡単に調べられました。イビザエル部隊の中に紛れ込ませていた者から、数時間前に見回りの交代を頼まれた者がいたと報告がありました。時間から見ても、その者が協力者であり、見回りに紛れて砦から逃げた可能性が高いと思われます」
「では、使者はすでに砦にはいないと」
「断定するにはまだ早急かとは思いますが、そう長く敵内部に潜り込むのはリスクが高いです。いちおう、捜索はいたしますが、空振りに終わるでしょうね」
「たしかに、いつ捜索されるか分からない以上、そうそうに去っているだろうな。しかし……、使者はいったい何のために死んだふりをしたんだろう」
あまりにも危険すぎるし、リスクも高い。砦内部のことを調べるにしろ、すでに内通者を潜り込ませているのであれば、調査はそちらに任せればいい。
これでは逆に、内通者が砦内にいるとバラしているようなものだ。
そこまで考えて、フィロはハッと目を見開く。もしかして――――。
「内通者の存在を、こちらに知らせるのが目的、とか?」
「なるほど、たしかにそんな考え方もできるね。死んだふりをしたことがバレれば、どうやって砦内から逃げたのか調べる。内通者の存在を疑えば、怪しい動きをした者が一発で分かる、ということか……。ちなみに、見回りの交代を頼んだというのは誰?」
「……レイモンド・イビザエル公一派の一人、グエン子爵の次男、―――バルド・グエンです」
「レイモンド公の子飼いか……。七人公の中に内通者の疑いがあるなど、国が揺らぐ大問題だな」
言いながら、アルベスクはどこか楽しげに唇を歪ませた。
無邪気な子どものような、無慈悲さと残虐さを滲ませた笑みを浮かべて。
「ちょうどいいや。これを機に、いちいち煩い老害どもを黙らせようかな。ちょうど、七人公たちには用事もあったことだし」
ふふ、と笑うアルベスクは、どこまでも楽しそうだ。
フィロはその笑みを見ながら、密かにレイモンドへ両手を合わせるのだった。