5話
「失礼ながら、アルベスク陛下は二十歳を超えていたかと記憶しております」
「そうだね。あぁ、でも、もうすぐ誕生日だから、二十一になるかな」
「さようですか。しかし、私の目には陛下が子どもに見えます」
「だろうね。ぼくはいま、子どもだから」
「……」
(ダメだ、話がさっぱり通じない……! どうして、二十歳の大人が子どもになるんだ!? っていうか、そもそも本当に彼は国王陛下なのか? 私はもしや、担がれてるのか?)
ぐるぐると混乱しているフィロを憐れむように、ギルトが室内に設置された椅子に案内してくれた。とりあえず落ち着きたいフィロは、恐縮しつつも有り難く座らせてもらうことにする。
フィロの対面側にギルトが腰を降ろし、その隣にアルベスク陛下(仮)が座った。
彼は椅子に座るなり、小さな唇を不満げに尖らせた。
「なんか、喉かわいちゃったな。飲み物……そうだな、カモミールティーがいいかな」
「かしこまりました」
ギルドは控えていたメイドに飲み物を頼みながら、さて、とこちらへ向き直る。
「まずは、自己紹介からいたしましょう。私の名はギルト・エンブリザ。この国の司宰を務めさせていただいております。今回は、サンザ海防衛の要である貴女を火急な要件とは言え、急に呼び出したことをお詫びいたします」
「いっ、いえ、お気になさらないでください! 私は王家に仕える騎士。王家のご用命とあらば、どちらにでも向かう所存ですから」
「お、えらいえらい。騎士として満点の答えだね」
カラカラと笑いながら、小さな手で拍手をするアルベスク陛下(仮)。褒められているのだろうが、あまり嬉しく感じないのは、アルベスク陛下(仮)の態度が軽いからだろう。
「ありがとうございます。では、さっそく本題へ入りましょう。貴女をわざわざ王都へお呼びしたのには、込み入ったわけがございまして―――――」
つい、とギルトが言いよどむ気配を見せた。それを察したのか、アルベスクが手を上げた。
「そこから先は、ぼくが話すよ。でも、そのまえに、トルアがお茶を運んできてくれたみたいだし、一息つこう。ね? ウェザリア隊長」
「……わかりました」
上機嫌なアルベスク陛下(仮)の言うとおり、カートを引いたメイドがやってきた。ぴっちりと整えられた茶色の髪に、同色の瞳。冷たく、なんの感情も浮かんでいない顔で、彼女は淡々と仕事をこなしていく。
彼女は慣れた動作で、茶をティーカップに注いだ。用意されたカップは二つ。一つはギルトへ、そしてもう一つはフィロの目の前に置くと、彼女は一礼して立ち去った。
(え? アルベスク陛下(仮)にはないのか?)
彼の前には何も置かれていないので、フィロは困惑した。だが、ギルトが早々に茶を飲んでいるのを見て、戸惑いつつもカップに手を伸ばす。ふわりと香るカモミールの匂いに、ほっと息を吐く。
(さすがは王宮侍女。しかも陛下付きの侍女とあって、お茶を淹れるだけであっても一級品の腕前だな)
今は男所帯の中にいるフィロだが、これでも元は名家のご令嬢だ。幼い頃に令嬢としての知識と教養は叩き込まれている。
茶の良し悪しが分かるのも、その名残だ。
香り立つ茶の匂いに、高揚していた気分が落ち着いていく。それを感じたのだろう、アルベスク陛下(仮)がふっと小さく笑った。
「落ち着いた?」
静かな声に、ハッとする。
(もしかして、私が混乱しているのに気づいて、これを頼んでくれたのか……?)
カップの中の茶には、いつもどおりの自分の顔が映っていた。混乱しているところなど、見せていないはずだ。
だが、喉が乾いたと言って頼んだはずのアルベスク陛下(仮)本人が飲んでいないところを見ると、あながち間違いではないのかもしれない。
今までの軽薄な態度から一転、こうして気遣われると、どうも、胸の奥がムズムズしてしまう。
「――――はい。お気遣いいただきまして、感謝いたします」
心の底から謝意を告げると、アルベスク陛下(仮)……もとい、アルベスクは少し嬉しそうに笑った。
「どういたしまして。さて、ウェザリア隊長が落ち着いたところで、本題に入ろうか。要件というのは他でもない、この体のことだ。君はこの体を見て、どう思う? 何か感じることはある?」
アルベスクに言われて、改めてその小さな体を見る。
本来であれば、アルベスクは二十歳の肉体を持つ青年だ。しかし、今の彼は二十歳の思考を持ったまま、肉体のみが若返っている状態だと言える。
(呪術の類か、それとも、別の魔法か。人間の肉体のほとんどは血液や筋肉だ。となると、水系統の魔法になるが……)
フィロの頭の中で、それらしい魔法をリストアップしていく。だが、肉体が若返る魔法など、思いつくはずもない。
はぁ、と一つ息を吐いたフィロは、改めて二人に向き直った。
「見たところ、陛下は何らかの魔法が掛かっている状態であるのは、まず間違いありません。いつからその状態なのですか?」
「数日前からこの状態でね。今までは体調が優れないとごまかしてきたが……。部屋に籠もって執務をこなすだけならともかく、全く人前に出ないというのも無理がある。いらぬ噂がたてば、いらぬ障害が生まれるからね。そこは回避したいところなんだ。厄介なことに、ぼくには敵が多い」
外も、内もね、とアルベスクは笑う。
確かに、今はツクヨミとの戦争中だ。
トップである国王が部屋から出てこなくなったなどと、万が一にも敵に知られれば、絶好の付け入る隙になる。どこに間者が潜んでいるのか分からない以上、そこは避けなければならない。
「できるだけ早急に、元の体に戻りたい。そのためにも君の協力が必要だ」
「陛下の御身のためであれば、いくらでもご協力いたします。ですが、ご存知かとは思いますが、私には魔法が使えません。今回のことでお役に立てるかどうか……」
「そのことについては、分かっております。我々が欲しているのはあくまで『魔法の知識を持ち、なおかつ腕の立つ者』です。その点において、貴女以外に適任者はいないかと」
ギルトの言葉に、なるほど、とフィロは納得した。
魔女は総じて、引きこもりが多い。フィロの両親が規格外なだけで、ほとんどの魔女は研究室に引きこもり、己の定めた命題の研究に余念がない。剣を振るい、戦場で泥臭いことをしているのは、両親が退役している今はフィロ以外にいないと言ってもいい。
(戦える魔女は宮廷でもいないと聞く。だから私に白羽の矢が立ったわけだ。しかし、戦える者、ね。きな臭い匂いがしてきたな)
アルベスクの体に掛けられたものが呪術にしろ、魔法にしろ、使役している魔女を突き止めて、解呪すればいいだけの話だ。肉体派ではない魔女相手に、武力は必要ない。
それこそ、宮廷に仕えている優秀な魔女たちならば、居所を突き止めるのは簡単だろう。
だとすれば。
「陛下の肉体に魔法をかけた魔女が誰なのか、分かっているのですね」
「そのとおりです。このようなことができる魔女は、この世界で唯一人しかいません」
「――――『名もなき魔女』だ」
アルベスクの口から出たその名に、ざわり、と体中の血が騒いだ。全身の血がさざめいて、肌が粟立つ。
名を聞いただけなのに、フィロの全身が拒否反応を示していた。
(やっぱり、きな臭い案件だった……!)
ぞわぞわする二の腕をさすりながら、フィロは内心で舌打ちした。
―――名もなき魔女。
その名は、全ての魔女にとって忌むべき名であり、魂に刻まれている名でもある。もはや、呪いと言っても過言ではないだろう。
ことは、この国の初代国王の時代に遡る。
まだ、この国が建国される前のころ、この地には、穏やかで住みやすい気候のため多種族が混在しており、自分たちの領地を広げようと大小様々な戦が常に起こっていた。
それを嘆き、一つにまとめ上げたのが、初代国王であるトートレーゼだった。
彼は、ときには巧みな話術で、ときには武力をもって、多種族を合併し一つの国を作った。
それがこのトートレーゼ王国の始まりであり、誰もが知る歴史だ。
だが、その歴史の裏には、魔女のみが知る事実が一つ。
賢王で名を馳せた彼の隣には、常に一人の女性がいたという。
奇妙な力を使うとして人々から恐れられ、辺境で暮らしていた彼女は、トートレーゼの建国に大いに貢献し、彼の右腕として『賢者』の称号を持っていた。
国王から絶大な信頼を寄せられていた彼女は、しかし、国王を裏切った。
国王を、殺そうとしたのだ。
謀反の罪で処刑されるところであった彼女は、トートレーゼの恩恵により処刑を免れた。これまで彼女が成した功績は大きいとの、王からの温情だった。
そのかわり、彼女はサンザ海の離島へ流罪にされ、その際、王は彼女の不思議な力の源である『名前』を奪った。
それが、フィロたち魔女の祖先―――原初の魔女であり、『名もなき魔女』と呼ばれた女の末路だ。
彼女のことは、魔女たちの中では禁忌の存在として語り継がれ、秘匿されてきた。
ゆえに、その存在を知るのは、今となっては王家と魔女だけだ。
その名が今になって出てきたことに、フィロは嫌な予感が止まらなかった。
「……彼女は、離島へ流罪になったのち、流行病に罹って死んだはずです」
「あぁ。確かに、彼女の肉体は死んだ。だが、魂は死ぬことなく、初代王が奪った名前を取り返そうと、機を伺っていたんだ。それを知った初代王が、彼女が島から出られないように、島ごと彼女を封印していた。それを――――、ツクヨミの天皇が封印を解いてしまった」
「っ!? まさか、ツクヨミが我が国に出兵してきたのは……!」
「そう、彼らは『名もなき魔女』の力を借りて、我が国を手に入れようとしているんだよ。『名もなき魔女』としても、彼らと手を組んだほうが名前を取り返せると踏んだんだろう」
「なんてこと……」
フィロは絶句した。この話が本当であれば、王家はもちろんだが、今いる魔女の立ち位置も危うい。
『名もなき魔女』の存在は、魔女の汚点ともいえる。そもそも、迫害された歴史のある血族なのだ。今は認められているとはいえ、いつ、手のひら返しをされるのか分からない立ち位置にいる。
(もし『名もなき魔女』が名前を取り戻したら、取り返しのつかないことになる)
名は体を表す、というが、まさしく、魔女にとって名前というのは魔力の源とも言えるものだ。
初代王が『名もなき魔女』を封印できたのも、彼女の名前を奪ったからであり、そうでなければ原初の魔女である彼女を封じることなどできなかったはずだ。
だが逆に、名前を奪っていながら滅することができなかったのは、それほど『名もなき魔女』の力が強かったとも言える。
そんな膨大な力をもった魔女が、現代に蘇ろうとしている。それも、敵国であるツクヨミと組んで。
ひやりとした何かが、フィロの背筋を這う。それは、四方を敵に囲まれたときよりも明確に感じた――――戦慄と恐怖の証だった。
「……では、陛下の御身が若返ったのは、『名もなき魔女』からの宣戦布告、ということでしょうか」
「恐らくは、そうでしょうね。『私は蘇った。いつでも名を取り戻しに来るぞ』とでも言いたいのでしょう。……哀れな女の妄執に付き合うこちらの身にもなってほしいものです。おかげで、城の結界は強化しなければならなくなりましたし、余計な仕事が増えました」
淡々とした口調ながら、ギルトの声色には若干の苛立ちが見えた。それもそうだろう。もう数百年も前の亡霊が、今更蘇って国を脅かそうとしているのだ。迷惑にもほどがあるというものだ。
(なるほど、城の結界が強化されたせいで、フルーカスとの思念が通じなくなったのか)
フィロの使い魔であるフルーカスとは、魔法でやり取りしている。これは、思念と呼ばれる魔法で、フィロは考えるだけでいい。フルーカスがその思考を読み、発信してくれる。受信と送信を一手に引き受けているので、その通信を結界が遮断しているのだ。
「『名もなき魔女』が相手では、なおさら、私では太刀打ちできかねます。実体のないものは斬れません」
「……君『名もなき魔女』を斬るつもりだったの?」
「え? そういう要件で私を呼んだのではないのですか?『名もなき魔女』を相手できる魔女がいないから、私に斬れと」
「―――ぶっ」
至極真面目に答えると、アルベスクが吹き出した。けらけらと腹を抱えて、たまらないというように足をばたつかせている。
「聞いた? ね、聞いた? あの『名もなき魔女』を斬るって! ずいぶんと勇ましくて頼りになるじゃないか! ふ、ふふ。ね、ぼくの言った通りのひとだったでしょ?」
「……えぇ、確かに」
上機嫌なアルベスクに、どこか苦虫を潰したような顔をするギルト。
何がなんだかわからないが、とにかく、褒められているわけではないというのだけは分かった。
憮然としていると、アルベスクは目尻に浮かんだ涙を拭いながら。
「ねぇ、君は『名もなき魔女』を斬れる?」
ことのほか、真剣な声色でアルベスクはフィロに尋ねた。
フィロは腰に下げた降魔剣の宝玉に触れる。今は黙ったままの相棒が『―――好きにせい』といつもの調子で応えてくれたような気がして、ふ、と笑う。
「勿論。―――――実体があれば、必ず」
騎士の最上礼をしたフィロに、アルベスクは満足そうに笑った。
「なら、斬ってもらおうかな。――――――『名もなき魔女』をね」