3話
「着きましたよ」
御者の声で、ハッと我に返る。
どうやら、いつの間にか寝ていたらしい。フィロは一度深呼吸をし、御者に礼を告げて馬車を降りる。
目の前にそびえ立つのは、白亜の城だ。何度か来たことはあるが、いつ見ても圧倒されてしまう。建築や芸術に興味のないフィロでも、すばらしい城であることは分かるほど、精巧な造りをしていた。
――――トートレーゼ王国、王城ロゼ。
国王の住まう場所であり、国の中心だ。
フィロは素早く視線を走らせて、異変がないか探る。が、特にこれといって気になる場所はないように思う。
「どうだ? 何か感じるか」
腰の相棒に意見を求めてみるが、返事がない。何度か呼びかけてみるが、フルーカスは黙ったままだ。どうかしたのかと怪訝に思っていると、城の方からこちらに向かってくる人物を見つけて、慌てて姿勢を正した。
二人の部下を引き連れたその人物は、カターニア・エンブリザ。トートレーゼ王国の軍部を指揮する将軍の一人であり、フィロの直属の上司だ。
腰まである栗毛色の髪はゆるやかにウェーブして、太陽の光にキラキラと輝いていた。新緑色の瞳は優しげな色を宿しており、将軍というより森の精霊のような女性だ。
彼女が目の前までやってくると、フィロは胸に手をあてて騎士の礼をした。
「ご苦労さまです! カターニア将軍」
「お久しぶりね、フィーフィロス隊長。元気にしていたかしら?」
「はい、おかげさまで」
ゆっくりと笑みを浮かべたカターニアに、フィロも笑みを返した。
「今日はいきなり呼び出してごめんなさいね。わたくしはお止めしたんだけど、夫がね……」
困ったように頬に手をやった彼女に、なるほど、と納得する。
カターニア・エンブリザの夫は、この国の司宰であるギルト・エンブリザだ。賢王の右腕として有名で、まだ若い現王の即位を後押しした人物と言われている。
彼の名がカターニアの口から出たということは―――。
「今回の招集は、王関連ですか」
司宰直々のお呼び出しとは、そうそうあることではない。王に関連した何かであることは間違いないだろう。現に、カターニアはフィロの問いに笑みを深め、「付いてきて」とだけ言って、くるりと背を向けた。
そのまま歩き出した彼女に付いていきながら、厄介なことになったな、と内心でため息を吐いた。
カターニアの案内で城内を歩いていると、城で働くメイドや近衛騎士、官僚たちとすれ違った。
みな、先頭を歩くカターニアを見て朗らかに笑って挨拶をするが、背後にいるフィロの姿を見ると、いっせいに眉根を寄せて怪訝そうな顔をする。
「なぜ、戦場の狂魔女が城に?」
「サンザ海砦にいたのでは?」
「また何かやらかしたのか?」
「どうしてカターニア様と一緒にいるのかしら」
ひそひそと声を潜めてはいるが、丸聞こえだ。
とはいえ、歓迎されないことは初めから分かっていたので、フィロは表情を変えることなく、カターニアの後に続く。
だが。
「――――魔法が使えない、落ちこぼれのくせに」
その言葉が耳に届き、ぴくり、と指先が震えたのが分かった。
表情は変わっていない自信はあった。少なくとも、前を歩くカターニアには気づかれていないはずだ。
ひやりと冷たくなった指先が、剣の鞘に触れる。
動揺したときや不安になったときに出る、フィロの癖だった。鞘を、正確には鞘に宿る使い魔の存在を感じることで、フィロは動揺を押し殺すことができた。
魔法が使えない、落ちこぼれ。
フィロにとって、それは鬼門にも等しい事実だった。
フィーフィロス・ウェザリアは魔女である。
それは変えようのない事実であり、血筋からいっても正真正銘の魔女である。しかし、フィロには魔女として致命的な欠点があった。
それが、生まれつき魔法が使えないこと、だった。
魔女は生まれつき、魔法が使える。
魔法とは自然の力を借り、呼び起こすことだ。
なにもない所から火を起こし、風を生み出し、水を湧き上がらせ、大地から芽を生やす。
それができるのは魔女の血を持つ者のみであり、その特異性ゆえに、数百年前までは魔女は忌避と畏怖の対象であった。
人々は得体の知れない力を使う魔女を恐れ、迫害した。魔女たちは迫害を恐れ、辺境の地に集落をつくり、ひっそりと生活していた。
それを変えたのが、トートレーゼ王国の初代国王、トートレーゼその人だった。
彼は魔女の力である魔法を、素晴らしき叡智と褒め、魔女の力を国のために使ってほしい、と魔女たちに願いでた。
国王直々に依頼された魔女たちは、彼の願いを聞き入れ、王都へ居住を構えることになる。
魔法の力はもちろんだが、勤勉で謙虚な彼女たちは国の発展に大きく貢献し、今では魔女は栄誉職の一つとして、人々の尊敬を集めている。……勤勉すぎて、変人扱いされている面もあるにはあるが、おおよそ好意的に受け止められていた。
そんな魔女の生まれであるフィロは、しかし、魔法を一切使えなかった。
いくら努力しようと、魔法が発動したことは一度もない。
それは前例のないことであり、異例だった。だが、それだけであれば、フィロはまだ只人としての生き方を選択できたのかもしれない。
しかし運の悪いことに、フィロの両親は王城に務める軍人であり、しかも、伝説級とされる魔力の持ち主たちだった。
豪炎の使徒、と呼ばれていた、炎使いの父と。
睡蓮の花、と呼ばれていた、水使いの母。
二人とも、そこら辺の魔女が十人集まったところで、蟻と獅子ほどの力差が出るほどの魔女だった。
そんな二人の長子として生を受けたフィロは、それはもう、周囲の期待を背負いに背負って生まれてきた。
炎の父と水の母。どちらの力をより強く受け継ぐのか。それとも、全く違う力なのか。周囲はフィロの心境などお構いなしに勝手に期待して―――――、フィロが魔法が使えないと知るや否や、勝手に失望した。
そうしてフィロは『魔女のくせに魔法の使えない落ちこぼれ』としての人生を歩むことになる。
唯一の救いは、両親がそんなフィロを一度も責めなかったことだ。
三十三歳という年齢でフィロを出産した母は「生まれてきてくれただけでもいい」とフィロを抱きしめた。
長い間、子供ができないことに苦しんでいた母は、落ちこぼれであろうがフィロを大事にしてくれた。それは、父も同じだった。
それが、さらにフィロを苦しめた。
立派な父と母に憧れ、どうして二人のようになれないのかと絶望した。
期待しては失望していく周囲に、申し訳ないような居たたまれなさを感じた。
何とか周囲の期待に応えなくてはと、がむしゃらに魔法を学んだ。屋敷にある魔法関連の本を、何日も寝ないで読破した。
それだけでは足りず、両親に頼み込んで指導をしてもらった。何度やっても魔法が発動しない娘に、それでも根気よく両親は付き合い、教えてくれた。
だが。
そこまでしても、フィロは魔法が使えなかった。
何度も何度も訓練をして、
何度も何度も教えを請うフィロに、ある日、父はこう言った。
『もう、やめようか』
『もうじゅうぶん、お前は頑張ったよ』
痛ましい顔をしながら、父はフィロの両手を握りしめた。
―――――見放された、と思った。
魔女としての生き方を模索するフィロに、魔女として生きなくてもいいと。
それは、これまでのフィロの努力を全て否定する言葉だった。
あの二人の子供なのに、と嘲笑う周囲よりも、落ちこぼれと軽んじる使用人たちよりも、どんな言葉よりも、その言葉がいちばん、フィロの心を傷つけた。
内心では分かっていた。自分には魔法の才能はない。いつか見切りをつけて、他の生き方を考えなければならないのは分かっていた。
だけどそれは、フィロ自身が考え、出すべき答えだった。
『はい、おとうさま』
頷いたフィロに、父はホッと安堵したような顔をした。その表情を見て、いつまでも落ちこぼれの相手をして父の時間を奪っていた自分に、嫌悪が募った。
そして、悟る。
魔女になれない自分に価値はない。
無価値な自分は、生きている資格すらない。
思いつめられたフィロは、橋の上から身を投げ、入水自殺を図ろうとした。
そこを助けてくれたのが、いま、目の前にいる将軍――――カターニア・エンブリザだった。
フィロを助けたカターニアは、居場所がないと嘆くフィロを一括し、鍛え上げ、騎士としての生き方を示してくれた。
今のフィロが在るのも、カターニアのおかげだ。
ゆえに、大恩人であるカターニアが自分と共にあることで、こうして好奇の目で見られていることに、罪悪感を覚えた。
申し訳なさにいたたまれなくなっていると、ぴたり、とカターニアが歩みを止めた。どうかしたのかと怪訝に思っていると、彼女はこちらをくるりと振り返って。
にっこりと、無邪気に笑ってみせた。
「落ちこぼれとは、どなたのことを申しているのかしら? わたくし、無能はあまり好きではありませんの。主人に申し上げて、王城から去っていただきましょうか。あぁ、それとも、わたくしがこの場で粛清したほうが早いかしら」
にこにこと天使のような笑みを浮かべながらも、内容は悪魔のそれだ。
場の空気が、一瞬で氷ついた。彼女が腰に下げた剣に手を伸ばして、今にも抜きそうになっているから、なおさらだ。
ここで抜かれてはたまらないと、フィロは慌ててフォローに入る。
「しょっ、将軍! 空耳です、空耳! 落とし物ですよ、落とし物! どなたかが落とし物をなさったのでしょう」
「そ、そうですよ将軍! 落とし物です! ささ、落とし物捜索は他の者に任せて、我々は行きましょう! ええすぐ行きましょう!」
フィロの付け焼き刃フォローに、すかさずカターニアの従者たちが追従する。ナイスフォローのフォローである。
視界の端で、そそくさと逃げるメイドや官僚たちの姿が目に入った。戦場さながらの逃げ足だ。思わず感心してしまった。
「そうかしら? ならいいのだけれど。―――――――次はないわね」
微笑んで柄から手を離しながらも、ちゃっかり逃げていく彼らに釘を指す天使。
殺意を抱いていることすら悟らせないその手練は、さすがとしか言いようがない。
「さ、行きましょう? 遅れてはいけないわ」
再び歩き出したカターニアのあとに続きながら、フィロは大事にならなかったことに、ホッと肩の力を抜いた。
だが、彼女は知らない。
その後、その場にいた全員が、のちに減俸の処分を受けたことなど。
やるなら徹底的に、叩き折るまで。
鏖の天使と呼ばれるカターニア・エンブリザは、殺意を見事に隠しながら、そっと微笑んだのだった。
ヒーロー不在で申し訳ありません(土下座