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戦の支度


 日暮れの義栴村は、大騒ぎとなった。

 村長の孫と若い娘がいつまで経っても帰ってこないのでこれはひょっとするとひょっとするかなとにやにやしながら待っていたら、頭から血を流して帰って来たのだから。

 そのまま自宅で手当てを受ける松林の代わりに、凡が説明を試みたが、複雑な会話が苦手な彼の言葉を完璧に理解できる者はおらず、かろうじて「盗賊」「来る」だけわかった。確かに鈍い男だが、言葉を選ぶセンスがないわけではない。

 しかし、それだけでは事情を呑みこめない。視線は追って、花蓮へと向かった。 

 彼女は理路整然と盗賊の物見が訪れて追い返したのはいいがすぐにでも本隊がやってくるだろうことを説明した。結局は、盗賊が来るという話である。


 村中の人間が広場に集まり、松明の下で喧々諤々と議論が続く。

 選択肢は、そう多くない。抵抗し戦うか、恭順し差し出すか、逃げ出すか。

 どの意見にも賛成と反対があり、結論は出ない。貴重な時間が刻一刻と目減りするが、誰もその悪循環を断ち切れない。

 結論を出すべき立場にいる、村長とその後継者である男が、自宅にこもりまだ出てこない。

 二人の間でも結論が出ないのだろうか。その不安を紛らわすように言い合いは続き、男達の間に剣呑が伝染し、女たちは震えを隠すように手を強く握りしめる。

 誰かが言った。

「それにしても、あの商人は一体何者なんだ? 村長の家に一緒に入ったまま出てこないぞ」

「おい、まさかあいつも盗賊の仲間だってことはないだろうな」

「馬鹿、あの方は松林達を助けて下さったんだぞ」

「それに凡の奴も懐いてるしな、悪い方じゃ」

「はぁ? あんな阿呆に何がわかるんだよ」

「あいつ、確かに喋るの下手だし頭も悪いけれど、ちゃんと見てるんだよな。誰がサボってるとか、誰がいないとか、誰が嘘ついてるかとか、前に蔵の鍵を失くした時あいつ落したのを見ててわざわざ届けに来てくれたりしてな」

「戸を叩くのを忘れて一晩じゅうお前ん家の玄関に立ってたって話だっけ?」

「しかも、立ったまま鼻水垂らして寝てたんだよ」

「……そんなのに村の命運託すのか?」

 いつの間にか話題の中心になっていた小男はと言うと、村長宅の玄関で見張りをしていた。

 誰も入れるなという命令を律義に守りふんぞり帰っている。

 誰も入るわけないのに、命令を律義に守りふんぞり帰っていた。

 誰とも言わず、誰かが呟いた。

「俺達、どうなるんだろうな」

 そこで、喧騒が一瞬静まった。

 空気が冷えた。

 松明の弾ける音が、響く。


 村長宅、家の奥に鎮座する祭壇の前に、男が三人座っている。

 祭壇の前に座するのは頭に包帯を巻いた義松林。

 その後ろで背中を見つめる祖父。

 その脇には商人にして武人、劉鳴山。

 六つの眼が見つめるのは、祭壇にささげられた一振りの剣。

 かつてこの村を開拓するために、剣を置き鍬を担いだ、一人の男の形見であり、義家の家長が代々受け継いできたものである。

 逃げ惑う人々を受け入れる村を作ると決めて、野におりても自分達が武の命脈を守る者であることを忘れぬために、捧げられた刃。

 けれど、いつの間にはそんなことは忘れてしまって、ただ見守ってもらうためだけに刃は鞘に収まっている。

 こんな、簡単に、あっけなく、抜き放たれる日が来るとは、思いもしなかった。

 黙祷を終え、松林は立ちあがると剣の柄を手に取る。

 その姿を、眼に涙を浮かべながら祖父は見つめていた。

「爺さん、ごめんな。俺のせいで」

「松林、何も言うな。務めを果たせ、ワシのことは一切気に止める必要はない。武門の裔として、悔いなく戦えい」

 そして、それ以上二人は会話をしなかった。

 そのやりとりを、家族の神聖な儀式が終わったのを見図り、鳴山もまた立ちあがる。

 剣を帯びた義松林と剣を帯びた劉鳴山は、対峙する。

「鳴山様、先ほどの非礼を詫びさせて欲しい。花蓮を、凡を助けていただいたあなたに礼も述べていなかった。大恩を受けていながら、自分のことで手一杯で悪態を吐いたこと、どうか許していただきたい」

 言って少し顔が赤くなる。

 つい昨日の今日まで農民だった自分が、剣を持ったくらいでこんな格式ばった喋り方をすること。

 見透かされていないか不安になったが、意地でも目は逸らさない。

 爽やかな、涼しげな眼をした男は、堂々と応えた。

「許すことなど何もなし、堂々と戦われよ。微力ながら助勢仕る」

 くそ、勝てないな。そう思いながら別のところで動いた思考が、口に出る。

「鳴山様、そこまで迷惑をかけれませんです」

 慌てる松林に、崩すことない笑みで続ける。

「私も侠客の端くれ。命の奪い合いを厭いながらも、己の天命を果たす決意を得た男のために戦わず、何のための剣でしょう。この悲鳴山の侠、見ていただかねば生きる意味がございません」

 いぶかしむ。

「ひめいざん?」

 そこで、つい口が滑ったというような顔をした後、ごまかすように笑う鳴山。

「いや、まあ、あだ名のようなものです。そういう風に呼んでくれる仲間もいたのですよ」

「鳴山様、あんた。本当は」

「今はただの行商人にございます」

 少しの沈黙。

 そして、今夜最も大切な会話が始まる。

「……俺、あんたに憧れていたんだと思う。侠なんて嫌いだって言って。本当は憧れてた。でもそんな青臭いこと言うわけにもいかなくて。そんな奴いないって思ってた。……鳴山様、あんたみたいな人、本当にこの世にいたんだな。……この世に、武侠っていたんだな!」

「ええ、もちろんです」

 男は拳を包み、男に乞う。

「鳴山様、俺達は戦った事がない。戦い方を教えて欲しい、一緒に戦って欲しい!」 

「……今すぐに逃げるというのも、戦術の一つですよ」

「けれど、味をしめれば何度でも奴らは来るだろうし、ああいう手合いはもうこの国にいくらでもいるのだろう? ここで抵抗しておかねば、ずっと逃げ続ける羽目になる。それに……、それにもしこれから先、誰かが逃げまどいこの村の噂を聞いて訪ねてきた時、俺達がいなければその人達はど思うだろうか」

「わかりました。それではすぐに準備を。時間が惜しい」

 そうして、それ以上の問答はせずに二人並んで家を出る。

 落涙をもって、老人は見送り、その後に寝た。


 突然村長宅の扉が開き、開いた扉に凡が弾き飛ばされたため村人たちの視線はそこに一斉に注がれた。

 そこには、腰に剣を帯びた松林と、並んで立つ長身の男。

「迎え撃つぞ!」

 松林の声は静寂の夜に響き、弾かれた男達は一斉にそれぞれの家に飾られた剣を取りに走る。

 みな、心の奥底で望んでいたものは同じであった。

 そこからは、鳴山の指示で全てが動いた。

 まるで手慣れたもので、武器の用意を手伝い、そこらへんの木の棒をさっさと槍に削っては渡し、柵の作り方まで指導する。戦える人間戦うのは無理な人間を分け、謎の手紙を書いて村で一番足の速い男に何かを言ってどこかに届けさせたりと、どこか楽しそうに一つ一つを、効率よく素早く動かしていた。

 思わず松林が「慣れてるんだな」と呟くと「まあ、昔こういうこともよくしてましたので」と返ってきた。

 どうにも女子供老人に至るまで皆戦意高揚しており、結局は重病人や本当に戦えないほど弱っている者を村長の祖父が連れて避難し、残りは全員戦闘員となった。

 しかし、戦の準備が一段落し、防衛柵を村の周りに設置しようかという段になって、素人だけで戦うことなどできるのだろうか? とみなが不安を覚え始めた頃である。

 今までどこにいたのかわからなかった凡が、何かを喚きながら帰ってきた。

「来た! 来た!」

「数は?」

「たくさん」

「村の人達よりも?」

「たくさん」

「馬に乗ってるのは?」

「三」

「よろしい。情報じゃ50人程度の集団と言っていたから、全員と見ていいかな」

 鳴山に頼まれ、すばしこく意外と体力のある凡に見張りを頼んでいたのであった。

「意外と早かったな」

 関心する鳴山に松林が怒鳴りつける。

「いや、まだ何の準備も!」

 しかし、動じない。いつものように。こんなのは慣れていると言わんばかりの玄人ぶりで。

「では皆さん、逃げましょう」

 その説明のなさが、玄人ぶりの証である。

「はあ?! 戦うんじゃないのかよ! 柵まで作って!」

「いや、こんな平地で戦うわけないじゃないですか。山に逃げます」

 そして、そこで。今までとは違う笑い方。にやりと、牙剥く獣のように。

「あなた方の御先祖様は、やはり武人だった。この山、登り易い道が一本しかなく、その道に上から物を落せる場所がたくさんあるし、下からは見えにくいけれど上からはよく見えるところが多い。最初から、砦として使うことを想定していたようです」

「あんたになんでそんなことが」

「いや、商いの暇な時とかよくこの山を凡さんに案内してもらってまして」

 そんなことをしていたのか。

「それにね。山の防衛は私の元々の生業でして」

 呆れる松林をせかすように。

「さあ、松林さん。あなたが長です。一つし切ってくださいな」

 この人、こんな性格だったんだな、と少しおかしくなって、そして気を引き締めて自分を見つめる村人達を向く。

 どうにも、鼓動が大きい。息の音が耳につく。

 こん棒を担いだ花蓮と、いつもの同じようにこちらを見つめる凡が見えて。

 松林は咆えた。

 皆が続いた。

 山の麓で、村そのものが叫んだように狂奔に包まれていく。

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