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 行商人、劉鳴山と名乗る男は、正規の鑑札を持っていた。

 その札を持っていると何がどう得なのか、村から一度も出たことのない松林には実感はわかないが、一つの信頼に値することはなんとなく、わかる。

 それほど大きな荷物を持たない彼は、細工物を女たちの前で並べたり、丈夫なこの土地では織れない布を取り出してみせたりして、物々交換に勤めていた。

 時折、村長である祖父を訪ね、世情について説明をしていた。

 旅の行商人に求めるのは、それが一番大きい。

 村から一歩も出ずに生活している者達にとっては、訪れる者から話を聞くしかない。

 そして、なけなしの金銭を渡す。

 それこそが、本当の商いである。

 劉鳴山は、商人であった。

「妓栴王は、日に日に心を病んでおられるようです。王宮は心ないもの達によって牛耳られ、地方の役人達は好き勝手に徴税を行い、町や村は、役人に賄賂を治める無法者たちが支配する有様。この村は辺鄙である故に、健全です」

 辺鄙等と失礼、と鳴山は謝るが、その通りなので祖父も付き添う松林も気にしない。

 今、義家で病床から上半身を起こした村長とそれを支える孫は、村の外の話を聞いている。

 今まで訪れる商人達も、治安が悪くなる一方だと愚痴っていたが、かなり深刻なところまで、この村の外は暴力が溢れているようだ。

 対面に背筋よく座る鳴山は、さらに続ける。

「10年前、武山団を追討し自らの危険因子を絶滅させても、なお王は心休まることはなく、粛清を続けました。その乱暴ぶりに人心は離れ、その不安を紛らわせるために民につらくあたり、刃向かうために立ちあがった者は月将軍が打ち滅ぼす。そうやって、負の螺旋を描き続けて、妓栴国はもう息を絶えかけています」

 憂う視線もまた、絵になる男であった。

 しかし、その放つ言葉の重さに、松林も村長も、息を呑むしかない。

「最近よく耳にするのは、『武山団残党』を称する盗賊達が、王政打倒の義捐金という名目で辺境の村々から略奪を繰り返しているとのこと。これが遣り手の武術家が中心になって組織されているらしく、弱体化した国軍ではもう対応できなくなっているとか。目ぼしい村はやられています。いつ、この村が見つかってもおかしくはない」

 美丈夫の顔は、曇る。今から自分が言うことが却下されることがわかっていたから。

「戦える者も少ない、護衛を雇うだけの金銭もない。この村を捨て逃げることも視野にいれていただきたい」

 思わず、二人の村男の声は揃った。

「「断る」」

 それだけは、できないから。

 鳴山は哀しげに笑みを浮かべるだけで、済ませた。


 夕暮れ、村と荒野の境で畑仕事を終え、赤光に照らされながら帰路に着く松林が一人いた。この辺りは開拓を始めたばかりである。村中の若衆を集めて、樹根を掘り、石を拾って農作地を作りあげる最中である。

 普段の仕事もある。過重労働だが、今の内に使える畑を広げておきたかった。

 村の人の口が、増えてきたのだ。いいことである。けれど、大変なことだ。それだけの食べるものを用意しなければならない。

 その段取りは、村長の孫である松林の務めである。

 少しだけ誇り高い気持ちを胸のあたりに持つ贅沢だけが、今の楽しみである。

 皆が先を急いで村に帰る。

 それを見送り、ゆっくりゆっくり、噛み締めるように歩く彼に、さらに後ろから声をかけるものがいた。

「松林。鈍いわよ」

 自分にそんな口を聞く娘は、一人しかいない。

 振り返れば、美しく若い娘がいた。頬に土をつけ、随分と汚れた格好をした農婦のごとき格好さえも、彼女の眼の光りを映えさせる。

 烈花蓮は、微笑んだ。

「帰りましょう」

 最近は、二人並んで帰るのが日常になり、村の若者たちはそれを邪魔しないように競うように帰るのが日常になっていた。

 本来なら、そこに空気を読むとかそういう機能が欠落した下男が一人、二人の後ろをにこにこと笑ってついてくるのだが、最近はその姿が見えない。

「松林、最近凡の姿が見えないけれど。どうかしたの?」

 言われたくないことを言われて、つい舌打ちをしてしまう。花蓮は遠慮をしない。

「あの武人様についているのね」

 剣を帯びた商人がこの村にやってきてから、一週間が経つ。退去勧告から五日である。

 まだ彼はこの村から出ず、各戸を回って商品を見せたり、世間話をしている。営業努力が実り、彼に都に行った時に買ってきて欲しいと注文をする者まで出るようだった。

「仕事熱心な武人様ね。武門の方は銭の扱いを卑しいものと考えるのが普通かと思っていたけれど」

「元々武家の生まれじゃないんだとさ。武術の心得は少しはあるらしいけれど」

 花蓮は笑った。

「詳しいのね、もっと嫉妬深く無視してるのかと思ったら」

 松林は笑わなかった。

「嫉妬なんかしてねえ。本人が自分は武人じゃないって言ってるんだから、違うんだろうよ」

 花蓮は笑うのをやめた。

「凡が、あの人に懐いたのは、別にあの人が武人だからではないわ。あの人が凡を一人前として扱うからよ」

 笑えないことを言われ、少し心が焦げるような痛みを覚える。

「俺が凡を下に見てるってのかよ」

「松林、ごめんなさい。そんなことを言わせたかったんじゃないの。私達は凡がこの村で生きていけるように、厳しく言ったり叱りつけたりするわ。でもあの人……ええと名前なんだったかしら」

「鳴山様だ」

「そう、その鳴山様は、そうしてやり方を教わった凡を、あるがままに受け入れている。無関係だからこそ、そういう風に接することができるのよ。自分と鳴山様を比べるなんて、無意味よ」

「言われなくてもわかってる」

 そこで、それ以上花蓮は言うのを止めた。

「ただな、あの人は、凡の言いたいことをよく理解するんだ。俺でもたまに何が言いたいのかわからない時あるのに」

「己の正しいことを貫くという意味では、凡も鳴山様も同じようなものでしょうから、通じるものがあるのかもしれないわ」

 なんだか、おかしくなる。

「じゃあ、凡も侠客なわけか」

 花蓮も調子よく続ける。

「ええ、そうよ。人の喜ぶことをする。松林に認めてもらう。そう言ったことしか考えていないわ」

「すげえな」

「ええ、すごいの」

 家が見えた。

「ねえ、松林。早く私を御嫁にもらってくれないかしら」

 歩く速度は変えられない。振りかえって、顔も見れない。

 花蓮の声色も変わらない。

「私の母親が、死罪を申しつけられた罪人で、牢を逃げ出してこの村まで来たことは知ってるわよね」

 知っている。

「私には、この村への恩義がある。母が病で死ぬその日まで、受け入れてくれた。私は、この村に恩を返したい」

「そのために、俺と一緒になるのか?」

「馬鹿ね、そういうこと言わせたいわけじゃないのよ。わかってよ」

 松林は振り返った。

 美しい娘が、沈む陽を背に、立っている。

 これから告げられる言葉を、愛おしげに待っていた。

 松林は、それを言おうとして。

 その彼女の背の向こう側から、二頭の馬がこちらに向かって走ってくるのを見た。

 馬にはそれぞれ男を乗せている。

 乗る男達は、腰に剣を帯びていた。


「我々は悪政巣食うこの国を革命するため、武山の遺志を継ぐ武門連合である。我らに協力することは国に生きるものの務めである。食料と金銭を提供せよ」

 練習したのか、難しい台詞をぺらぺらと喋るものである。

 要は盗賊の類である。しかも武力を持った連中が徒党を組んだ、一番厄介な。

 松林は怖れた。別に盗賊など初めて見るわけではない。

 怖れたのは、自分の後ろに庇う花蓮の存在である。彼女がこの場にいることで彼の行動はかなり制限される。

 このクズ共が、彼女の身柄を要求することなど想像するに難くない。女を浚うのは、盗賊のイロハである。

 抵抗するにも大した武器があるわけでもない。

 こちらが反応できず固まっているのを見て、騎馬の一人が降りてきた。

 何を言う気かと身構えていたら。

 突然、刀を抜き払い柄で殴られた。

「いつまでぼうっとつったってやがる。さっさと村に行って俺達のこと説明してこい」

 頭を殴られてその場に倒れ伏した松林は、戦慄した。

 こいつら、ここまで度の低い連中の集まりなのか。

 そうなれば、もうこの次の展開もわかる。

「松林!」

 花蓮が、自分にかきつく。

 男達の眼が、花蓮を刺す。

 手が伸びてくる。

 これほど恐怖を感じたことはない。


「わあああああ」

 怒声が聞こえた。

 盗賊達と反対側、村の方から何かが走ってきた。

 その、小太りで背が低い、なのに妙に足の速い同い年の男の登場に、さらに恐怖した。

「凡、逃げろ!」

「な、なんだこいつ?」

「おはようございます! おはようございます! おはようございます! おはようございます!」

 どうすればいいのかわからなかった凡は、知っている言葉をとりあえず叫びながら、自分の友を傷つけた男の周りに付きまとう。

 きっとそれは、守ろうとする行為で。

 騎乗の男が上から言った。

「単なる白痴だろ。さっさと殺せよ」

 こいつら、そんな簡単に人を殺せるのか……?!

 松林は、体の内側に急に怒りを覚えた。

 立ち上がらなくてはならない。

 頭が痛み、視界が熱を持つ。戦わなくてはならない。

 例え斬り殺されても。

 自分は、この村の長にならねばならないのだから。

 祖父でそうしたはずだ。

 初代様もそうしたはずだ。

 それが、侠のはずだ!

 げひた男の剣が、凡の頭に振りおろされるよりも前に。

 義松林が一歩踏み出す前に。

 烈花蓮が目を閉じてしまう前に。



 劉鳴山の拳が、男の顔にめり込んだ。



 男の剣が宙に舞い、それを簡単に掴むと、鳴山は涼しげに騎乗の男に投げつけた。

 切っ先はいとも簡単に男の体を貫き、馬上から突き落とした。

「二人の御帰りが遅いので、凡さんが迎えに行こうと言われまして。私もあまりお二人の邪魔をするのはよくないと思ったのですが……。今回は馬に蹴られる性分が役に立ったようですね」

 人二人傷つけて軽口を叩けるのが、武人なのだろう。

 最早、自らの剣を使わせるのもおこがましいと、素手のまま二人の盗賊に近付く鳴山。

 その表情はいつもと同じだが、どこか少し固い。何か、暖かさが少しひそめている。

 けれど、当たり前に落ちている剣を拾い、呻く男達に向ける。

「口上などいらん、逝ね」

 松林はそれを見守ることしかできなかった。

 けれど、ふと、自分を守るようにかき抱く花蓮の顔を見た。

 自分と賊の間に立ち泣きわめいていた凡の顔を見た。

 そして、今からもたらされる死に覚える賊の顔を見て。

「止めろ! 殺すな!」

 言っていた。


 その後、悪党達がいのちからがら馬に乗るのか馬に乗せられてるのかわからないほうほうのていで逃げていくのを見送りながら。

「松林さん、手当をしましょう」

「いい」

 険呑な雰囲気で会話は続く。

「あんた、やっぱり武人だな、人を殺すことになんもためらわないんだな」

 言ってしまった。自分は何を期待していたのだろう。自分の命を助けてくれた人に、何を言っているのだろう。自問しながらも言葉が出てしまう。

彼を支える花蓮が言う。

「松林、あいつらが二人なわけないわ。あいつらは単なる偵察で、本隊がどこかにいるのよ。そいつらに報告される前に口を封じなければ、すぐにもっと大勢に襲われるのよ。この人は私達のために……してくれようとしたのよ」

 そんなことは、わかっている。

 けれど、花蓮。お前は目の前で人が死ぬ時、なんであんな泣きそうな顔してたんだ。

「俺だって男だ、譲れないものがある」

 情けなくても、言わずにはいられない。

 日は沈んだ。

 もう、お互いの顔もわからない。

 ただ、鳴山の近付く足音が。

 目の前に、彼は来た。

 武人は、ただ言った。

「ええ、そうです。松林さん。人を殺して当たり前なわけがない。あなたが正しい。あなたの心根から出る言葉がそれであるならば、それはこの世の武林の何よりも侠だ」

 何の慰めにもならない。

「殺すべきだったのか、殺さないべきだったのか。どちらにせよ、遅かれ早かれ奴らは来ます。奴ら意外と装備がいい。来るのは早いですよ」

 戦いは、避けられないのだから。



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