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 義松林は十九歳になる頃には手足は伸び切り、村の誰よりも体躯のよい青年となっていた。

 祖母は随分前に亡くなり、床に伏すことの多くなった祖父の代わりに、母と下男の凡と共に畑仕事に精を出していた。

 義栴村が、武人によって開拓された村であることは祖父から聞いている。

 かつての武林侠河のようなものを作ろうとした数人の篤志が始めたのだ。


 伝説の武術集団。

 はるか昔、この国のどこかにあった武術の達人が集まって、研鑽し、国に危機があれば立ち向かい、不義があれば糾弾する、それが正しいと信じれば王にだって挑む、忠義の士。武術と学問の研究に勤めた砦。

 そんなものが本当にあったのかはわからない。

 けれど、その流れをくむと自称する団体はたくさん現れては消えたし、噂を真に受けて脅威を感じた王と時の将軍の手によって、最も武林侠河に近いとされた武山に居を構えた武山団は、討伐の憂き目にあった。この村からも兵役に駆り出され、戻らぬ人となった男達は多い。

 その十派一絡げの弱小団体の一つがこの村の祖であったという。この村でも古い家の祭壇には剣を飾っている家が多いのは、その名残だとか。

 けれど、ここは食べていくのがやっとの枯れて痩せた山の村。武を伝える暇などなく、ただの農民と成り下がり、時折、流れ着くものを受け入れる。そういう場所になっている。

 まっとうに伝説を受け継いだ武山団は滅び、邪道をいく義栴村はこうして生きながらえているというのも皮肉なものかもしれないが、まずは生きねば話にならないのだから、仕方ないのだろう。


「松林、ワシはもう長くないだろうのう」

 寝ている時間の多くなった祖父がそう言う。

 松林は今日も、凡と母が農具を持って畑に出て、それを追いかけようとして祖父に呼び止められた。

 一度家の中に戻り、祖父の枕元に座る。日に日に心が弱くなっている祖父は、青年を呼びとめては、次の村長となる孫に、後継者としての心構えや仕事を話すことが多くなってきた。何度も同じ話を聞かされる松林だが、人の真剣をくみ取る程度の感受性は培ってきたため、あえて遮ったりはしない。もう、長くはないだろうし。

「爺さん、長生きしてもらわなくちゃいけない。寝ろよ」

 そういって、布団をかけようとしたその手首を、老人のそれとは思えぬ強い握力に止められた。

「何度も言っておるが、村長の仕事は見極めることじゃ。この村は、最初は数人の武人の手によって開拓された村じゃった。その内、多くの人間が辿りつくようになった。在所におれない事情ができて、住める土地を求めて彷徨って来たもの。のっぴきならない問題から逃げるようにして来たもの。腕に重罪の入墨を彫られたものも何人かおるぞ」

 とんでもないことを言いだした。

「ここは辺境じゃ。背には山しかない。食うにも困る有様じゃ。しかし、ここでしか生きられないもの達もおる。そう言ったもの達の受け皿としてこの村を守ろうと、それを我々の侠としよう。そう、初代様は考えられたのじゃ。剣を振わずとも誇り高く生きる。我が義家にも武人の血は流れておる。お主にも、それを守って行ってもらいたい。来るものを受け入れ、しかし、この村を壊そうとするものは排除する。この村の在り方を、残してもらえれば、幸いじゃ」

 言われなくても、そうするつもりだった。

 しかし、松林にはひっかかる言葉があった。

「……侠なあ。もっといい言葉ないのかよ」

「嫌いか? 侠は」

「ああ、嫌いだね。俺は今まで侠なんて言葉を遣う奴でろくなのにあった試しがない」

 松林が大人になるまでにも、この村へ訪れる者達は多くいた。

 旅人、行商人、役人。武人。盗賊。侠客。

 この地に住み着く者。嫁ぐ者。恵みをもたらす者、実りを持ち去っていく者。村人に暴力を振う者。それから守るために雇われた者。

 一つわかっているのは、武器を帯びた奴は大抵威張っていて、自分の力の正当性を語る奴にもろくな奴はいなかった。

 人の間に階級という概念を持たない凡などの振る舞いを見て剣を抜き払おうとした連中もいる。

 そう言った相手は、それなりの見返りを渡し、謙ることで機嫌を取って追い返してきた。

 そういう奴らの使う侠という言葉が、松林は嫌いだった。

 そういう奴らの使う武という出自が、自分の中にもあるというのが、厭だった。

 侠とは、己の正しいと信じる道を貫くことだと、聞いたことがある。そういう言葉の意味に詳しい同い年の村の娘、花蓮からおしえてもらったことがある。

 それが正しさの押し付けでしかないことを、肌で理解している。だから、祖父の理想にそういうものが混じるのを、よしとしない気持ちがあった。

 そう言った気持ちを、祖父と二人きりの時、口にしてしまうことがある。

 祖父は、想いの継承者ににこりと笑って

「それもよかろう。お主はお主の正しさを持てばよい。一人前の男なら、譲れぬものの、守るものの一つや二つあってよい」

 そしてにやりと笑って

「だから、早よう花蓮と夫婦にならんか。ワシが話をつけてやると言っておるのに、嫌がるから自分で話をつけるのを待ってやっておるのに、未だに結婚を申し込んでおらんのじゃろ?」

 孫は年相応に恥ずかしがり、怒ろうとして。


「凡! 止めなさい!」


 家の外、畑の方から母の下男を叱る声を聞いて、飛び上がった。

 今度は何をしたのか?

 農具を担ぎ、外に飛び出すと辺りを見回す。

 いた。

 畑の脇道で、ずんぐりとした小男が、知らない男の顔を覗き込んでしきりに

「こんにちは、こんにちは」

 を声をかけている。

 あいつ、知らない奴に声をかけるな。声をかける時は一回でいいとあれほど毎日言い聞かせているのに!

 頭に笠を被っているため顔はわからないが、あの体躯は男だろう。装いから見て、行商人か……?

 そして自分も制止の声をかけようとして、声をかけられている男を見て、背筋が凍った。

 知らない。本当に見たことのない男だ。

 何より。腰に剣を帯びている。

 武人だ。

「御客人!」

 畑の中を走って、近付いた。

 にこにこと凡は挨拶を続け、そして知らない男の方もそれに何度も「はい、こんにちは」と返していた。

「止めろ、凡。あっちに言っていろ」

 小男を押しのけて、後ろから追って来た母の方に推すと、見知らぬ男に頭を下げた。

「御客人、失礼しました。この男少々知恵が遅れて、誰にでも声をかけてしまうんです。御不快に思うのも当然だと思いますが、どうか勘弁願えないでしょうか」

 昔、同じことを言って剣を抜き払われたことがある。その時は、祖父が間に入って止めてくれた。

 顔をあげる。

 男は。


 思わず、見惚れた。

 年は自分より十は上だろうか。

 端正な顔立ちで、何より自分よりもずっと上背があり、見上げねばならなkった。

 涼しげな笑みを浮かべて、男は頭を下げた。

「事情を知らず、私が言葉を何度も返したせいで凡さんも声をかけ続けてこられたのでしょう。お騒がせを致しました」

 面喰った。

 剣を帯びたような、武人に頭を下げられたことなど、今まで一度もなかったから。

 笠を外した男は、丁寧な声色を崩さず、告げた。

「商いの旅をしております、劉鳴山と申します。村長様のお宅に、ご案内いただけないでしょうか」


 いた。


 松林は、思わずにはいられなかった。

 

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