いじめはいけないことです8
叶が麦茶の入ったポットと二人分のグラスを持って部屋に戻ると、千夏は勉強机の前で半分白紙の原稿用紙をみていた。
「見事に詰まってるね。これ一枚目でしょ」
「ほんとに書けないんだってば。試しに書いてみたらわかると思う」
結構真剣に悩んでいたので少しむっとしたのだが、私悪いことしてないし、と小馬鹿にされた。
グラスに麦茶を注ぎながら千夏に座るよう促すと、腰を下ろしきる前に聞かれた。
「それで、なんで止めたの?」
考えを整理していたつもりだったが言葉に詰まった。自分でもなぜいじめを止めてしまったのか正直あまりわかっていない。
少しの沈黙のあと、口を開く。
「多分だけど私、変わりたかったんだよ」
叶の意外な言葉に、千夏は首を傾げた。
なんじゃそりゃ。
叶はゆっくり続ける。
「中二って変化の時期でしょ?何か変わらないといけないって気がして。何かしたかったんだよ」
聞きながら、なるほどと呟いてみるがやっぱりよくわからない。多分とか気がするとか、ぼやっとしている。
「私ね、大人になりたいって思ってる。ていうか、お姉ちゃんみたいになりたいのかな。お姉ちゃんだったら多分周りなんか気にしないで止めるんだよ。停学になんかはならないだろうけど」
「そりゃあ里火さんはそうかもしれないけど、それがいじめを止めた理由なの?」
聞かれて、叶はまた言葉に詰まってしまった。
「里火さんになりたいとしても、大人になりたいとしても、叶のやったことっておかしくない?大人はあの状況で止めたりしないし、里火さんなら止めるって言ったけど、あの人だったらそもそもあの状態になる前に手を打ってるよ」
千夏の言っていることは正しい。叶も何か言いたいのだが、どうもうまく言葉にならない。
「ほんとに、里火さんみたいになりたいの?」
そう言われて、自分の言ったことがわからなくなってしまった。目標なんて後付けで、なんでもいいから変化を期待していただけなのかもしれない。
「私なりに叶の気持ちを考たんだけど、わからなかったんだよ。正義感とか優しさじゃないとは思ってるんだけど」
「うん、私もそんなので止めたわけじゃない、と、思う」
「つまりあんたもわかってないのね」
はっきり言い当てられると謝るしかない、ごめんなさい。
「そりゃあ反省文も進まないわけだ。適当に書いちゃえばいいのに、それは嫌なんでしょ」
わかってくれるのはありがたい。
なんだか叱られている気になってきたので身構えていたら、千夏は短いため息をついた。
「考えるかぁ、一緒に」
叶は親友の呆れ顔にちょっぴり申し訳なさを覚えつつ、はっきりと肩の荷が降りたのを感じていた。
二人で反省文の内容を考えるというのもおかしな話だ。そもそもこの宿題は事件の当事者である小谷叶が一人で抱えるべきもののはずである。そんな思いを気に止めようともせず、いっそ全部書かせてやるとでも言うように意見を求められる。なんだかんだ言いながらもそれに付き合ってしまうのが栄下千夏の良いところなのかもしれない。
しかし進まないなぁ、そうだねえ。なんていう膠着状態に一石を投じたのは千夏の方だった。
「叶はさ、私がいじめられてるときは別に止めようとしなかったよね。何が違ったの?」
おぉ……と質問に感心する叶に、自覚の足りなさを感じる。
「いやでも千夏のときはいじめも女子中心だったしそんなに過激じゃなかったし、なんというかいつも通りだったし?この前のはいつもより激しかったし殴ったりとか多かったし?」
「男子っていつもそうじゃない?」
決められているわけではないのだが、同性が中心となっていじめを行うことがほとんどなので、男女のいじめにはかなりの差が出る。
「私がいじめられてるとき、私をいじめてるときどんな気持ちだった?」
「別になんとも。千夏だし平気でしょって感じ。どっちかというと他の子のときの方が心配だった、いやかわいそうだった、かな」
ひと呼吸おいて淡々と続ける。
「見てるだけでいじめられるのは嫌だと思ったし、するのもすごい抵抗あった。私のときにやり返されることとかそういうの考えちゃってたのかも。千夏は仲もいいしあんまり考えずにいじめてたけど。意外と距離が近い方が気楽にできるのかも……あっ」
叶が視線を上げる
「私、クラスメイトを信用できてなかったみたいな話?」
二人は目を合わせた。
「ちょっとは進みそうなんじゃない?反省文」
「ありがとう友よ……!」
「もっと感謝するがいい!」
間違いなく今日いちばんにはしゃぐ二人の間で、原稿用紙の三枚目が終わろうとしていた。