殺し屋
裏社会や警察関係者の間に噂が広まった。暫しの沈黙を破り、伝説の殺し屋がまた動き出したらしい。
とある古びたビジネスホテルの一室。男は目の前のテーブルにナイフを並べて眺めていた。男の名はサコタ。ナイフは彼の商売道具だ。とは言っても彼は料理人でもなければナイフの行商人でもない。彼の仕事は殺しだ。
ここは警視庁の一室
「小説や漫画じゃあるまいし、本当に伝説の殺し屋なんているんですか?」
「残念ながら本当だ。恐ろしい事にな」
「でも、有名なら顔や名前くらい分かるでしょう?捕まえればいいじゃないですか」
「馬鹿野郎、それが出来ないから苦労してるんだろうが!」
殺し屋を追い続けてきた刑事・中村と組むことになった新人の都田だったが、いきなり中村を怒らせてしまった。
「用意周到で尻尾を出さないから、クロと分っていても手が出せない。お前と違ってキレ者だから『伝説』なんだよ!」
サコタが選んだのは小さめのバタフライナイフだった。今度の標的は小柄で若い女だ。これなら隠して身に着けやすいし充分に仕留められる、と考えた上での選択だった。
標的の事を充分に調べ、それに合わせて道具や場所、時間、殺し方の準備を怠らない。そこがこの世界では凄腕として通っている所以だった。
「何か事前に手を打てないんですか?」
「無理だな。標的が何処の誰かも分からないしな。警備を強化するしかない」
最近、警官やパトカーをよく見かける。警戒が厳しくなっている事はサコタも感じていた。しかし、そんな事は想定内だ。この警戒の隙間をついて殺しを実行してこそ、プロの真骨頂と思っている程だった。
「人員は通常の三倍近く投入しています。流石に諦めるんじゃないですか?」
都内を厳戒態勢にしてから三ヶ月。最初は緊張の面持ちだった都田だが、姿の見えない敵を待つことに疲れて気持ちが折れかけていた。しかし、中村の目はまだギラつき、表情は最初と変わっていなかった。
「それは無いな。プロの殺し屋は絶対に依頼を実行に移すものだ。ヤツは必ず動き出す。しかし、その時がヤツを捕まえる絶好のチャンスでもある。これは根競べなんだ」
今日、標的の女が一人で出歩く。彼女の家の近くには人通りが少ない道がある。いつもなら近所への買い物でも自家用車を使っていたが、サコタがエンジンに細工して動かなくした。遂に実行のチャンスが訪れた。いや、サコタが自分で作りだしたのだ。これもプロならではの手腕だ。
近所の書店やドラッグストアを回りながら女の家を監視し、外に出てくるのを待った。夕方近く、やっと出てきたのを確認して、サコタは後をつけた。狙い通りの道に向かってゆく。数々の依頼をこなしてきたサコタもいよいよ実行する時が近づいてくると冷静ではいられなくなってくる。手に汗がにじんできて、それを隠すようにポケットに入れたナイフを握りしめた。周りを見渡し、肌の感覚を鋭敏にし、人の気配を探る。誰もいない。
「よし、決行だ!」
「中村さん殺しです!例の殺し屋らしいです!」
「しまった。またやられたか!」
“馬鹿な、こんな事が起こるなんて・・・”
サコタは今、首から血を流して地面に横たわっている。恐らくもうすぐ死ぬ。
女の首を狙って、サコタはナイフを振るった。タイミングは完璧だった。しかし、腕をつかまれ、ナイフは頸動脈に届く前に止められていた。次の瞬間、ナイフは女の手に握られており、女は何のためらいなくそれを振るった。何が起こったか理解する前に、サコタは首を切り裂かれていた。
「信じられない。こんなすごい殺し屋、本当にいるんですね・・・」
「ああ、殺されたのはまた殺し屋だろうな。ちょっとは有名かも知れんが、俺達が追っているヤツと比べればどうでもいい小者だ」
名前、職業、住所、生い立ちまで全て作り上げ、標的になってプロの殺し屋をおびき寄せて返り討ちにする。そして痕跡は一切残さない。伝説の「殺し屋の殺し屋」は未だ健在だった。