始業式、出会いの季節
四月八日。
気が付いたころには毎年恒例のうわついた空気のなかで、我が高校の始業式の日がやってきた。僕の家の近所、バスで15分の距離にある。
この時代らしく、校舎エントランスは天井が高くひらけていて、かなり風通しが良い。長期休暇明けには、毎回圧倒されるものだ。二年生の並でも、いまだに慣れないものはある。
初々しい新入生たちが美しく二列に整列し、広い廊下をぞろぞろと歩いていた。県内でも比較的規模の大きい学校だけに、人数もちょっとやそっとではない。
「よおっす! 久しぶりだな、長久手!」
急ぎの用もなく、エントランスにたたずんでいると後ろから快活な声がとんできた。髪の長さがまたいちだんと短くなり外見が爽やかになった元級友、遊沢 啓だった。
家が近い幼馴染と呼ばれる関係にある彼だが、無駄にテンションが高いサッカー部員なので、応対に困る。欠点としてはあまりに小さすぎる欠点だが。
「あぁ。ここ最近、霊級解体士の仕事が忙しくてまともに会えてなかったな……」
「おやぁ? どうしたんです長久手サン、元気ないですね。もしや、できたばかりの彼女にたった数日で電撃的にフラれたとか!?」
今日の遊沢は、妙にあざとかった。
「なぜそうなる!? 展開が狂っているよ。僕に寄り付くような女性なんざ、まずいないと考えておいたほうがいい。彼女なんて縁遠い話だ」
「マジですかい……」
「そんな哀れみの目で、こっちを見るな!」
間違いを丁寧にただしておいたはずだが、遅かった。啓がやけに大きな声をだしていたおかげで、周りの聴衆に男女問わず聞こえていたのだ。冷やかすような目線がいっせいにこちらを向いた。
「おい、啓。これでもし変な噂が広まったら、ちゃんと責任とれよ!」
と、振り返った時には、遊沢 啓の姿は消えていた。
始業式でクラス替えがあるという大事な時期に、印象を悪くしたようなものだ。困った困った。頭を抱える要素がひとつ増えてしまった。
上履きにようやく履き替えたとき、タイミング悪く、別のクラスらしき新一年生が廊下をさえぎってしまった。遅刻ギリギリの時刻には程遠いけれども、執拗に待たされるのはごめんだ。
「――相変わらず、お前はバカか」
聞き慣れた声の女性が肩にもたれ掛かってきた。横にかかる圧力ではなく、リュックサックでも背負ったように縦にかかる重力。佳南 夏那、僕が怨念物件をあれこれしているときにこっそり本部で、触れがたい僕の失敗談をあっさり暴露したとんでもない元パートナーの詠唱士だ。
「……バカとはなんだ」
「たわけ。幼馴染のことすら、まだ気づいていなかったとは。失望ものだ」
佳南の全体重が肩にかかる。でかい態度のくせに、これでも同学年だというのだから不思議だ。本部で知り合って以来、冷戦関係にあるようで実は頼りになるから憎めない。
「幼馴染のこと?」
「うむ。分かっているはずだが遊沢のことだ。
彼、一見すると凡人のようにしか見えないが…………いや、この話は今はやめておこうか」
なにか言いかけたのを中途半端に終わらせられると、むしろ気になる。
「は?」
「とにかく、始業式に集中してこい!」
返す言葉も生まれず、二人の間は沈黙のみがたちこめる
「……そこだけ威勢よくいわれても、混乱しか生まれないと考えるのは僕だけ?」
言葉の爆弾を投下されて困惑している並を置いてきぼりにして、佳南は去った。「あ、ごめんね」と、急に態度を変えて声をかけた佳南が一年生の列を横切って、新しい教室へ向かう。
この女、恐ろしいことに、この学校の第38代生徒会長なのだ。
新入生の記憶のなかに、この高校の裏が一つ植え付けられた瞬間だ。おそろしや。
ちょうどよく列が止まった隙に、僕もささっと横断させていただく。
たった数人の在校生によって、立場逆転、足止めをくらった一年生集団の切り口は、量産されていそうな白のシンプルなカチューシャで飾られただけのーーけれども、周りよりはなぜかワンランク上に見える女子生徒だった。かけている黒縁のメガネが良い演出をしているのかもしれない。
ごくありふれたメガネ女子ーー
「なんで、ここにいるの? ・・・・・・です、か?」
「ん?」
「この学校の……先輩……?」
彼女希望のサインもオーラも出していないはずなのに、例によって、その美麗な女子生徒に呼び止められた。だとしたら何の用だろう。こいつは・・・・・・」
「長久手 並・・・・・・さんじゃありません、でした? あれ、ちがったのかなぁ・・・・・・」
「人違いではないね。だけど、なぜ僕の名前を知っているんだ?」
自分から上級生にアタックしたものの、勝手に緊張している女子生徒がそこにはいた。ぱっちりとした瞳が上目づかいにこちらをのぞく。
見覚えがないとは、いいがたい顔が向いていた。
――これは詩乃音じゃないか!
あの戦闘時とはうってかわって穏やかそうな新入生を演じていたから、ぱっと見では気づかなかった。
「君、まさか詩乃音!?」
「ふふ、やっと気づきましたか。正解です! 岸河 詩乃音です」
詩乃音が満足そうに微笑む。
「マジかよ・・・・・・お前、この学校の新入生だったのか。まぁ、臨時パートナーだったから、佳南ほどには面倒なことにならないとは思うが」
佳南。今でこそパートナー外だが、去年までずっとチームを組んでいた彼女からは、いろいろといじられたのだ。本人こそ楽しいのかもしれないが、こちらとすれば大層迷惑だった。優秀な詠唱士ほどサディストな傾向があるらしい。
「どう思うかは自由ですけれど、わたしだって想像以上に厄介者ですよ」
「そうかな?」
いくら厄介者でも普段のやりとりがなければ、影響はないはずだ。それにも関わらず忠告してくるなんて、まったく、心配のしすぎだよ。ちょっとは落ち着きなさいな。
「そうだ! この前の件で事後報告があるので、今日の正午にでも、食堂のテラスでもう一回落ち合いませんか?」
「事後報告だな。分かったよ、では正午に」
他の新入生たちが不思議そうな目でやりとりを眺めていたが、足音立てず歩き出した詩乃音に遅れをとらないよう、慌ててついていった。詩乃音は、やはり一昨日とは一線を画した雰囲気を醸し出していた。乱れも飾りもない優等生だった。圧巻。
「なに一年ばかり見つめているんだ。ひょっとしてロリコンか?」
佳南が、教室に入らない僕にかみついた。なんてこった。また、変な噂が広まりかねない。
「頼むから、せめて、もうちょっとマシな話をしようぜ、佳南さん?」
▽▲▽
慣例的にとりおこなわれ、先生達すらまるでやる気のなかった始業式はあっという間に終わってしまった。この時代、わざわざ始業式などという行事をおこなったところで、あまり意味はない。
伝統は時に無駄を作り出す。
校内には静かな春の陽気と、正午のチャイムが流れる。
僕は始業式前の約束どおり、お呼びだしされた場所に来ていた。今日は始業式だけなので、他の生徒はほぼ全員、速攻で帰宅した。よって、食堂には現在、自分と、眠そうにあくびしている調理員のおじさんしかいない。
仕事仲間とはいえ、ひとりの女の子にお呼び出しされたのだ。僕自身、かなり胸をときめかせて食堂に向かったものだ。ーーが、そこに彼女の姿はなかった。
呼び出した張本人が、遅刻しているのだ。"これが最初の厄介事でした”とかだけは勘弁してくれ。そういうのは反応に困るぞ。
「すみませーん! 遅れましたぁ!」
そして、声を裏返して彼女は飛び込んでくる。そこまで厄介ではなかった。ほっとしたわ。
「あぁ、問題ないよ。どうしたんだ?」
「これを買っていたら、つい遅くなっちゃって。はい、これどうぞ」
ポリ袋に入っている同じ缶飲料二本のうち、一本をくれるみたいだ。
「ありがとな。わざわざ買ってきてくれたのか」
「礼には、およびませんよ」
詩乃音のさわやかな笑顔が空気をあたためる。
缶の表面に、"ポータブルみそスープ”とあった。実に微妙な・・・・・・。
「・・・・・・では、事後報告とやらをお願いしようか」
僕が腕を組んだところで、詩乃音は神妙な面持ちを浮かべた。いつにもなく真面目な顔つきである。いわゆる、ビジネスモードだ。
「まず、並さんに謝らなければならないことがあります」
「は!?」
「・・・・・・並さんがまさか年上だと思いませんでした! えと、失礼な言動申し訳ありませんでした」
机に両手と頭をこすりつけて謝罪される。あまりの唐突さに唖然とするしかない。
どうも、いっこうに向き直る気配がなかったので、彼女の肩をつつく。
「いや、べつに気にするようなことじゃないよ。それから、呼ぶときは並でいいよ」
「ありがとうです、並・・・・・・さん」
自分の構築したスタイルを、そう簡単には崩さない主義、強情者ですか・・・・・・やれやれ。臨時コンビのことだから、関係ないにひとしいが。
缶入り味噌汁を開封して、ほんのちょっと口にする。味噌の風味とともに、ほんのりとした甘さが口いっぱいに広がっていった。うまいな、これ。
「事後報告は、それだけ?」
「あ、まだです。まだまだですよ」
「そうかい。じゃあ次の報告を――」
「その前に軽く警告しておきます。わたしは厄介者です。心に留めておいてください」
詩乃音が顔を近づけてくる。メヂカラが幾分強くなった気がした。