人手不足の解体作業
さすがに、人気が皆無な場所でわざわざ詠唱士のために長時間待つのは気が狂ってしまいそうなので、規則を無視して仕事を片付けてしまうことにした。すぐに終わらせて、あとは海でも眺めておけばいいのだ。
この物件は、案外単純な思考の持ち主が情を残していったようだ。個人情報保護のため、霊級解体士には所有者の情報は、なにも渡されないが、その程度で理解に苦労するほどのことはない。
情が自然怪化した土地の建物に反映された様子を見るかぎり、これは、ただ自分に絶望しただけの人間だ。
――察するに、事業が失敗した、あるいは入試で全滅したかだろう。
こんな場合は、割とたやすい。絶望したのなら、目的に向かっていけるように本人のやる気を再燃させてあげればいいのだ。
術式を構文、かつ組み上げていく。
チョークを取り出して、土の地面に書き込んでいく。これは単なるメモなので、完成した瞬間に効果があらわれるわけではない。このメモをもとにして、一つ一つ唱えあげる必要がある。
個人的には霊級解体士が本業なので時々詰まるが、それでも己の全神経を白い一本のチョークに込める。
そしてすべてを自らの手にゆだねる。
「クリーニング、スタート。
理性的処理を希望。
第3型公式は解凍開始。
コンディション。
気温25度、中心地点の地温は推定27度、なお湿度高め」
ごく一般的な言葉を話しているものの、足元には、見慣れない形の文字が出力される。日本古来の達筆文字に近い。詠唱士の作業をはたから見ていれば、それらしいものにはなる。
十分な自信がもてる手さばきだ。
「ロケーション、範囲はおよそ140平米。ただし、再地鎮は直下30メートルまで実行。
……第3型公式の解凍が終了。
プログラムを使用。構文に公式を挿入。――終了。さらに構文中に文言を追加。
この先、言語変換……」
一度手を止める。専業の詠唱士みたいに、メモなしアドリブ状態での術式詠唱が不可能なので、決してスピードは速くない。よって、精神的に疲れる。
しかし、ここからが重要段階だ。
「言語変換有効。フロムJA(現代日本語)、トゥーoldJA(古典日本語)。
――――希望を失った者は、その目的への段取を失敗しただけ。
目的自体への欲が否定される理由は無い――――
以上、oldJAで構文に代入。大地神へコンタクトを要求」
ここまで来れば、事前に必要な準備を整えた。あとは、術式の詠唱だけだ。そして、本来は詠唱士のやるべき領域になる。
再度、まわりを確認する。やはり、詠唱士はまだ現れない。
詠唱士いらずとはいえ、めったに術式を唱えないので、からだじゅうに緊張がはしる。もし、良くないタイミングに間違ったことをすると、反作用で吹き飛ばされる。
だが、おどおどしている時間はない。覚悟は決めた。
「……よし、いこう。術式起動!」
一声叫ぶと、一帯の空間が歪み出す。怨念物件を詠唱待ちの状態にできたのだ。
ついさっきのメモに軽く手を添える。
刹那。
手から神経を通り、脳と口まで感電ギリギリの強さで電気信号が流れた。自分の体は、いまや術式に乗っ取りを許している。感覚としては、このまま提供した口で術式を唱えてもらえばいい。
順調、順調。いいぞ。
口が勝手に動き、なにやら、わけのわからない暗号文が聞こえてくる。久しぶりに耳にしたたぐいの言葉――大地神とのコミュニケーション手段たる術式は、こんなものだ。
「--詠唱、終了」
なんなのだろう? この奇妙な達成感は。
ぐったりと疲れてしまった全身が、ゆっくりと、地面に倒れていく。
今年度担当の詠唱士、だれだろう?
そんなくだらないことを考えていた。
怨念物件周辺の空間がかすかに発光して、効果があらわれはじめる。
――はずだった。
立つ気がふるわず、ずっと寝っ転がりつつ安心しながら、浄化されていく怨念物件を眺めていた。鮮やかなものだ。こういうことが常にできる詠唱士はいい仕事しているなと、つくづく思ってしまう。
地鎮作用によって、無事に消滅しかけていた怨念物件。
撤収の片づけをしようと立ち上がった瞬間に、事件は起きた。
突然、その向きから大量の小石が降ってきた。
侵入した霊級解体士を襲撃するかのごとく。
音はしなかった。
ただ、このままでは確実に直撃する。
「え? ちょっ、まっ!」
戸惑う。
言葉にならないうめきをあげる。慌てて跳ね飛び、怨念物件から距離をおく。
自身に問いかけた。これは、なんだ? 僕の組み上げた術式はちゃんと大地神に通じたはず。だとすれば、どこが間違っている?
意味が分からない。ありえない。盛大なドッキリ? ばかな。
なんとか、公道の部分までさがった。直後、すさまじい衝撃をもたらして眼前には崩れたコンクリートの破片が落下する。
まともに受けると、致死一直線である。
「地鎮作用が停止!?」
術式使用のために怨念物件周囲を覆っていた空間の境が、内部からの強烈な波動圧によって、打ち破られる。破裂――――。
思わず、目を背ける。
公道の反対側まで、吹き飛ばされる。
痛たたたたた…………。
腰をしたたかに塀にぶつけたので、しばらくうずくまっていた。だめだ。敵から目をそらすと不利そのもの。なんとか顔だけを上げる。
そして目に入ったものに、僕はぎょっとした。