真昼間、二人きりの新築校舎
「依頼者によれば、タイムカプセルは校舎中庭の隅に埋めたらしいんだ。というわけで、僕が掘ってくるよ。今日は大きめのスコップを持ってきた――」
「ストップ!」
詩乃音が声を荒らげたので、僕はとびあがった。さらに、校門を開けようとしたこちらを指さして両手でバッテンを掲げた。
「わたしがやる。並は、そこらに座って見学」
現場に到着して人が入れ替わったかのように、詩乃音の目つきが大きく変化した。黒髪をきちっとまとめていた白のカチューシャがはずされる。代わりにかぶった耳元までおおうヘルメット。この前の魔物化物件の時と全く同じスタイルだ。
おまけに口調が変わった。多重人格に見える変わりっぷり。謝ったのは何だったの••••••
「詠唱士わたしひとりだって、この程度どうにでもなる」
「あんまり無理しすぎるなよ。独走していったあげく失敗するなんて、チームリーダーが本部じきじきのお呼び出しをくらわんとも限らない」
「ふーん、そう。・・・・・・でも、今のセリフは、並にだけは言われたくない」
「そうか、そうか。こちらとしても詩乃音には言われたくないぞ!」
軽く受け流したつもりだったが、本当のことを明かすと、実はかなりぐさりとくる言葉だった。だが、それは詩乃音も同じだろう。互いに、つまずいたレベルには大差ない。
もたもたしている場合ではないので、立ち話をやめて、詩乃音より前にカプセルを掘り出してやろうと駆け出さねば。そう思って実行しようとした時には、隣は既に走り出していた。
ちくしょうっ、あいつめ。いつも一歩早いのだから。
――遅れをとった僕だったが、予想外のチャンスがおとずれた。
「ぎゃん!」
美貌に合わないその悲鳴をあげたのは詩乃音だった。驚いて彼女の方に視界を移動する。
・・・・・・転けていた。校門から昇降口までの道中だった。
すねを押さえて、うーっ、と呻いている。よほど痛かったのか。無理ないか、すねを打つと耐え難い痛みに襲われるのは分かる。
「いたたた・・・・・・やっぱり、そうだった。なるほど、そういうことね」
指示語たっぷりの一文だ。単なるケアレスミスだと気づきながら、分かっているふりをする、典型的な"強がり”。恥ずかしいのだろう。
「ははははっ! 詩乃音のくせに、転ぶとは珍しい」
「たしかに転ぶことで調査することは珍しいかも。どうやら、ひきこもりさんがこのトラップを仕組ませたらしいですね。でも、この線を見破ればそう難しい問題ではなくなる――」
なにやら複雑なことを口にしているが、きっと全てダミーだ。
「転んで調査? 詩乃音は負け惜しみが好きなのかい」
「・・・・・・並。たぶん根本的に勘違いしていると思う」
それだけ言い残すと、彼女は立ち上がり行ってしまった。逃げたのか?
ついていく――と、二歩も歩かないところで突然バランスを崩す、転倒した。
ばかたれ。詩乃音の二の舞ではないか、無能を演じる状況ではないと自分に言い聞かせたが、再度、反芻するように転ぶ。
原因不明は分からない、ここまで僕はおっちょこちょいではないはずだ。・・・・・・それなら、なぜ転ける?
擦りむいたヒザが切れて、滲みている。これ以上動いても新たな傷が生まれるだけで利益はなさそうなので、とどまるしかなかった。
ボランティア作業ごときでこれほど自分が狂うなんてツイテいないと思った。無線接続時の雑音がレシーバーに入った。誰だろう。
『まいくてすとてすと。並、今どこにいるの?』
詩乃音が、わざわざ無線を入れたのだった。
「ほっといてくれ! 校門から昇降口、こっちはだな、たった30mの道のりに何分も悪戦苦闘しているッ!」
『ふっ、やっぱり・・・・・・能なし解体士・・・・・・』
「そ、そこまでストレートにおっしゃらんでもいいだろ」
『たまには素直に認めたら? そんなところにうずくまっていたくなかったら、弱さを認めて、その状況からの脱却方法を詠唱士に教わるといいと思う』
んっ!? 詩乃音には、サディストな(ケ)要素があるようだ。いわゆるS。
ああ、今考えたことが、感づかれませんように。
「むむ・・・・・・まぁ詩乃音よりは実力が下だと認めるよ。ただし詩乃音が完璧だと意味しているわけではない。よく突っ走って転けるという難点は笑えるレベルだぞ」
アドヴァンテージが変わって、いつの間にか、こちらが強がっていたようだ。
『あー、そこまで言えるんなら、並のこと黙殺しちゃおうかなぁ?』
「教えてくださいッ! 詠唱士さん」
なんちゅう屈辱! でも、こうでもしておかないかぎり、プライド意識がいくらか上がった詩乃音には効かないようだから仕方ない。
『霊級解体士だったら分かっているはずだけど、この学校敷地において、ほぼ怨念物件になっているわけだよね?』
「うん・・・・・・あぁ、そうか!」
これは解体こそ命じられていないものの、れっきとした怨念物件だったのである。したがって、さっきから転けまくっているのは、怨念物件のせいだと考えられなくはない、か?
「だとすれば・・・・・・いや、疑問の余地が残る。なにもない、空気しかない場所に見えないついたてでもあるみたく、足がつっかかるのはいったいなんだよ!?」
『この怨念物件は例外モノなの。ただでさえ中学校という多くの恨み感情のたまりやすい施設だったんだから、空気が固化されたっておかしくはない』
詩乃音が、あっさり答えを言った。
「そんなはずがあるか」
本気で、冗談かと思った。空気が固化されていたりすれば、とっくにこの人工島は絶対に人間が生存できない空間になる。
『わたしもそう思っていたよ、最初は。でも、わたしの目に入ってくる空間の熱運動色相がやけに異常な数値を示した。だから、あえてトラップに引っかかってみて確かめた』
気づいた。僕は、とんでもない勘違いをしていたようだ。詩乃音が校門入った直後にずっこけたのは事実だ。しかし、その原因が詩乃音の油断にあるわけでもなければ、実力不足でもないのである。全ての展開は計算された出来事だったのだ。
「よくもまぁ、そんなことが考えつくものだな」
『今は、もう見えない壁を全部撤去したから。感謝して』
壁が撤去された。そんなウソめいた言葉に、僕は耳を疑った。左足で、壁があるであろう場所をこづく。 ない。
片足が空気のようにすり抜けて、よろける。今度は目を疑う光景だ。
円形校舎の中庭にタイムカプセルがある、と詩乃音には前もって伝えておいた。よって、彼女はそこに向かっただろう。遅れをとったぶん、追いつこうと駆け足になる。昇降口は土足で通過して――いた。だが、中庭への金属扉を開けてはいなかった。
「恩に、着るよ。どうやって撤去した!?」
「わたしは、詠唱士よ。霊級解体士なんていなくたって、それくらい雑作もないこと」
詩乃音を見返すと、こちらに気づいてくれたものの躊躇う様子もなかった。霊級解体士を不必要と考えるのも仕方ないのかもしれない。コストとかいう問題ではなく、詩乃音の技術が僕をはるかに上回っているように、霊級解体士が彼女におよぶことはあり得ないといっても過言ではないのだ。
「なんで中庭に入らないんだよ?」
「これを、並に見てもらいたかっただけ」
そっけなく口を止めた詩乃音は、扉からは離れて、すぐ近く、画鋲のついた掲示板の前に移動した。1年前の学年通信が留められている。"ごめん、並の姿を見ると急にやる気がなくなった”なんて職場放棄するんじゃあるまいなとつまらない心配をしてしまう。
「ここに一枚の学年通信。・・・・・・というわけで、これからビリッと破かせていただきまーす」
まったく抑揚のない声で宣言された。
「ストップ、す・と・っ・ぷー! それはまずいですよ詠唱士さん。緊急時以外物件の破損は固く禁じられているはず!」
「じゃあ、今が緊急時ということにすればいい。わたしを官能的に押し倒そうとした並に襲われそうになって、紙というすばらしいカッターで自己防衛した、そういうことで」
「なんで僕に責任がある!? しかも、理屈の通し方は強引なはずなのに、なぜか正論にしか聞こえないとはどういうこった!」
学年通信がまっぷたつになってしまう。
耳に障る音が僕の話を一言も聴くことなく発生する――ことはなかった。多少の折れ目がついている紙は、詠唱士のちょっとやそっとでは、破れなかったのだ。怨念物件特有の症状である固化が隅々まで広がっていると分かる。
「固化しているな。きっと校舎全体が完全にやられちゃっているんだな。なにせ空気まで固化しているような土壌だ、無理もないか」
「では、次いきますよー」