プロローグ
「久方ぶりだね、最近の調子どうだい?」
西洋系の整った相貌に初雪を思わせる白髪、水晶を彷彿とさせる右眼に刻まれた十字傷、やや童顔に微笑を浮かべ、その青年は言葉を紡いだ。
「どうもこうも、可もなく不可もなく、まぁ、平常運転といった感じだ」
火焔状に畝ねる華美な窓と装飾は恐らくフランスで発達したゴシック晩期の建築様式、火焔式を模倣したものだろう。緻密な装飾が刻まれた大理石の円卓を挟んで、真向かいの男は億劫げに返事を返す。
「つれないなぁ。折角、五年ぶりの親友との再会だっていうのに」
青年が溢すその台詞にはそれらしい抑揚が含まれていたものの、男がこの薄暗い室内で目を凝らせば彼の顔には相変わらずの能面如き薄ら笑いが張り付いていた事を見てとっただろう。
糊が効いた紺スーツを身に纏った青年に対し、その目前に腰下ろす長身痩躯の男は余りに対照的だった。草臥れた様な黒のスーツに漆黒の黒衣を羽織っている。闇色の毛髪が東洋系の血を引く事を示しているが人種は定かではない。緩めきった黒色ネクタイにこれまたシャープな黒のサングラス、更には革靴、両手に嵌めた革手袋まで真っ黒。差詰、闇の体現者といったところである。青年と同じくその顔には大きな罰印の切り傷が備わっていたが人当たりが良さそうな前者と異なり、男の方は宛ら何処かのマヒィアであった。
「そもそも、呼び出したのはお前だろう。こっちも別段忙しい訳でもないが用件は早めに済ませてくれるとありがたい、アルフレッド」
言ってグラスに注がれた六〇年もののロマネ・コンティを一息に干し、その男││鬼龍は手馴れた仕草で巻煙草に火を灯す。ジッポーの蓋を閉じる無機質な金属音と伴に辺りに紫煙が漂い始めた。それを見てアルフレッドこと、サー・アルフレッド・コルネリアは鷹揚に肩を竦め、小さく嘆息を洩らした。
時は新世紀一〇二八年。
嘗て太陽系第三惑星地球にて栄華を極めた人類という種は資源の枯渇、核戦争、様々な要因から減衰の一途を辿ることとなった。その主だった原因は大きく三つ挙げられる。
一つ、西暦二〇七九年に勃発した第三次世界大戦こと〝核大戦〟
一つ、西暦二一〇〇年に起こった新型兵器ウィルスによるバイオハザード及びパンデミック〝βウィルス〟の流出。
そして、極めつけが、
西暦二一一〇年に起こった巨大隕石〝ウロボロス〟の南極衝突であった。
八十億を超える盛況を誇っていた人類はこのトリプルパンチによって瞬く間に減少、
盛者必衰は世の習い、驕る平家は久しからず、
これによって人類祖先であるホモサピエンスこと、アウストラロピテクスから
イエス・キリストが誕生し、始まった西暦に数えて実に二一一〇年。哺乳類類人猿人の歴史は終焉の幕を下ろした││そう、その筈だった。
だが、人の歴史は終わらなかった。
聖書宜しく豪雨による大洪水がおきる〝ノアの方舟〟北欧神話における異族達の反乱である〝神々の黄昏〟〝ハルマゲドン〟にも相当する甚大な被害を被ったにも関わらず人は生命を繋いだ。
宇宙へ、月へと宇宙進出へ活路を見出し、脱出した一億人。
世界は再び戦乱の時代へと突入した。
群雄割拠の戦国乱世を終え、世界は火種を抱えたまま五つの勢力へと分断されていた。
嘗て地球を捨てて宇宙進出に活路を見出し、月面及びその周囲に数多の宇宙植民島を構築、過酷な宇宙環境に淘汰されず耐えるため独自の進化を果たした〝新人類〟と呼ばれる連中。数は約二十億、身体能力、平均知能指数伴に旧世紀の人類を大きく上回ることとなる。
科学文明を発達させ、世界の半分を占める神聖アドリアーネ帝国。新人類を最も嫌悪する帝国は人体実験による強化人間、改造人間、更にはデザインベビーに人造人間。
嘗ての東南アジアを支配する東亜連合。
中立を確約するオティシア共和国。
一度、人類が絶滅した││否、絶滅しかけた千年後のことである。
「
非常に微妙であった国家間の均衡が崩れた。第三十五代目コルネリア家当主はそう宣った。
訥々と語るその台詞は彼の独白か。将又、目前の皮椅子に腰を降ろす親友にむけたものかは定かでない。
「ネロ議長と漸進主義の〝SHIELD〟連中は未だ非開戦を主張し続けているが時既に遅しだ。副議長アレックス・サイドライトと急進主義の〝SAVIOR〟は『母なる大地の奪還』を大義名分に掲げ、今も着々と戦いの用意を進めている」
月面及び月周辺域に点在する五〇を超える宇宙植民島、そこに住まう総勢二十億の民を束ね、先導する元老院、その最高評議会議長ことネロ・リバイアサンは言わば文官であり鳩派の代表である。
文官代表が鳩派となれば、勿論、強硬姿勢の鷹派代表は〝NEO〟の軍部を統括する
「可笑しなものじゃないか。三百年前に〝人を超越した人〟を作り出す事を目当てに自ら流化金属未確認生命体に含まれるS細胞を享受したのは彼らのご先祖様達だ」
相変わらずの薄ら笑いを口元に貼り付けたまま一度言を切り、卓上の紅茶を啜った。口調は軽薄ながら優雅という形容詞が相応しいその然り気無い挙措の端々に見て取れるのは彼の育ちの良さだろうか。
「うん、矢張り紅茶はダージリン産に限るね。君もそう思わないかい?」
先程から黙して語らず、紫煙を燻らせながら聞きに徹している男に青年は漸く水を向けた。