地獄はリバーサイドに
面接が終わった俺はこの世の終わりみたいな顔をして席を立った。
何処からともなくメイドがやって来て退出を促した。
しかし、足に力が入らず思うように立つことが出来ずにいた。
「お加減の方いかがでしょうか」
「ああ、最高の気分だね。スキップでもしたい気分だよ」
「ではしましょうか。スキップ」
「しねーよ」
俺はメイドに八つ当たりをし、大きく溜息をついた。
「あーあ……これから地獄だってよ、俺。しかも、地獄行きの決め手がドロップって渾名だぜ?そうなったら佐久間って苗字の奴は全員地獄行きか?」
「苗字が佐久間でもドロップという渾名になるのかはわかりませんが」
「知ってるよ!妹はドロップって呼ばれてねえよ!それじゃあれか、あんたメイドさんだけど冥土に行ってるのか?」
やり場の無い怒りをパワーに立ち上がった俺は罪の無いメイドに食ってかかっていったその時だった。腹部に重たい衝撃を感じたのと同時に、視界はブラックアウトした。
「あなた、うるさいです。それに、ここはもう冥土です」
怒りの捌け口にされたメイドは、俺を鬱陶しく思ったのか、力いっぱい握って出来た石のような拳を、俺の腹にめり込ませたのだった。
気づくと面接の前に通された待合室に運ばれて、つなげた椅子をベッド替わりにして寝かされていた。
「先程は失礼致しました。あなたも気が立っていたようなので、緊急措置を取らせていただきました」
「ああ…いてて……俺の方こそ悪かった…。どっか怪我したりしてない?」
ゆっくりと体を起こして、先ほどの暴走を詫びる。
「私は大丈夫です」
「それはよかった。ところで、地獄ってどうやって行くの」
「このお屋敷の裏門から出ると、また蓮台野に出て一本道が続きます。ずんずんずんずん歩いていくと、この建物のように一本道を遮るように川が流れているのです。そこから渡し舟が出ているので、それに乗れば地獄へ行けます」
「その川まではどれくらい歩くの?」
「さあ…どのくらいでしょうか…私はこのお屋敷から先には行ったことがありませんので…」
「そうなんだ。君も死んでこっちに来たの?」
「当たり前です。私も面接を受けました。何故かお嬢様方に気に入られ、こちらに住み込んで雑務をこなしている次第です」
「あの双子ちゃんたちは?」
「まだこれから仕事があると言って愚痴をこぼしておられました」
「そうか。ちっこい割に忙しいんだな」
俺は笑った。釣られるようにメイドも少し笑みを浮かべた。
「そろそろ行くかなあ。モリオでもいれば少しは退屈しのぎになるんだけど」
そう言うと俺は椅子から立ち上がって、準備体操替わりに大きく体を伸ばす。
「私はあの方あまり好きではありません。軽薄で怠惰で、なにより幼稚です」
「まあまあ、それもアイツのいいところだと思うね。」
ご機嫌斜めになったメイドを宥める。
「じゃあ、そろそろ行こうかな。悪いんだけど、裏門まで案内してもらっていいかな」
「かしこまりました」
彼女は簡易ベッドになっていた椅子を元の位置に戻してからドアを開ける。
部屋を出ると静かで素早く歩く彼女へついて行く。
階段を下りるとホールは抜けずに、玄関とは反対側にあるドアに入ると、床が木目調の細い通路になっていた。
お互いに会話はなく靴底が床にぶつかる音だけが響く。
左右に分かれた突き当りを右に曲がりると、玄関にも取り付けられていた板チョコのようなドアがあった。
促されるままに敷居をまたぐと外に出た。
「こちらへ」
どうやら裏庭に出たようだった。来るときに見た枯木が植わっていた。
つながる道を進んでいくと、これまた左右に分かれた道にぶつかった。
「この道を左に曲がると蓮台野に出ます。門はこちら側から開けられますので」
メイドは突き当りで立ち止まると、左の道について説明する。
「そうか。ありがとう」
「あの…これを…お役に立てるかと…」
「?」
彼女は俺の手を取ると、穴の空いた銅貨を六枚手渡す。
「お気を付けて」
彼女は少し照れているのか俯いている。
「ああ、ありがとう」
もらった六枚をポケットに突っ込んで微笑むとそれだけを残し左へ曲がる。
ここでたらたらしていたら地獄に行けない気がしたからだった。言葉少なに背中で別れを告げる。
うーむ、ダンディズムの境地。男はかっこつけて生きるもんだ。
俺を見送るために、丁字路の交わるところに立つメイドの姿が小さくなっていく。俺は振り返ることもしない。未練がましくなってしまう気がした。
俺は後ろ髪引かれる思いを隠しながら裏門から出て、蓮台野から地獄へと向かう。
蓮台野を風が吹き抜ける。吹き抜けた風は何だか一段と冷たく感じたが、かたかたと鳴るポケットの六枚になんだが励まされているような気がした。
知らない間に昼間になっていたようだったが、蓮台野は相変わらずの曇りのような薄暗がりだった。
蓮台野をぽつねんとずんずんずんずん歩き進んでいく。ススキがさらさらと音を立てる。
休憩を挟んだりしている間に2時間くらい経っただろうか。
そろそろ書くのもうんざりしてくるほどに、ススキがさらさらと揺れていた。
その時だった。穂の立てる音に混じって何か別の音がさらさらと聞こえてきた。しかも、それは水音のようだった。
俺は音のする方へ――前方しかないのだが走りだした。
水音はどんどんと大きくなり、肌には微かに冷たいものが飛んでくる。もう川はすぐそこだった。
少し走ると川が視界に飛び込んできた。川の向こうにはススキ野原が広がっていた。川に分断された道を繋ぐように、木で出来た橋がこしらえてあった。
橋は渡らずに川沿いを歩いてみることにした。人の往来があるのか、踏み固められた川沿いには人が一人通れるくらいのけもの道が出来上がっていた。
けもの道を進んでいくと、上流に向かっているのか川の流れは激しくなっていくようだった。けもの道は途切れることを知らない。
けもの道の終点が見えると、川の終点…いや川の出発点とも言える滝壺が見えてきた。滝壺を見上げると、見事な直瀑が轟音を立てて流れ落ちてきていた。
その滝壺と川の始まりの間に茅葺き屋根の小さな小屋が建っていた。
その小屋に近寄ってみると、小屋の前に看板が建てられていた。そこには「地獄、逝き〼」と書かれていた。小屋に併設するように、桟橋と小舟が一艘結えられていた。
メイドが言っていた渡し舟というのはここから出ていることのようだった。
ガラスがはめ込まれた引き戸をノックしてみると返事が無い。鍵が掛かっていないようなので思い切って開けてみることにした。
「すみません。どなたかいませんか」
がらがらと音を立てて引き戸を開けると、そこには禿げ頭の小さな老人が藁打ちをしていた。どうやら藁を叩く音が響いているのと耳が聞こえづらくなっているのか、俺が声を掛けたのに気づいていないらしい。
「すみません!」
俺は老人の背後まで近づいて大きな声で呼びかけると、老人は藁打ちの手を止めて、俺の方へ振り返った。
「他人の家に土足で上がり込むとはどういう了見だ」
「いや…ノックしたんですけど…」
「これだから最近の若いモンは…礼儀ってもんがなってねえんだ」
老人の話し声は嗄れて大きく、俺の耳は劈けそうだった。
「実は、地獄行きを告げられてまして…舟で行けるというのを聞いたので、ここまでやってきたのですが…」
「人に会ったらまずは名前を言えい」
「僕、佐久間と言います」
俺は背筋を伸ばし直立不動する。怖い教師に遭遇したような心地だった。
「儂はケンエイじゃ。それで坊主、見た感じ若いが地獄行きとは中々難儀なこった」
「そうか、カネは持ってるのか?」
カネ?そんなものは持っていなかった。何か無いものかと服の中を引っ掻き回していると、ポケットから銅貨が六枚出てきた。
俺はその六枚を渡してみると、老人は手の中でじゃらじゃらと音を立たせた。
「ふん、いいだろう。準備をしてくるから桟橋で待っとれ」
俺は感謝の気持ちと共にメイドを思い出しながらほっと胸を撫で下ろして、桟橋へ向かった。
桟橋に現れた爺さんは頭に捻り鉢巻を締め、紺色の法被に白いゆったりとしたズボン、足元は地下足袋を身に着けて現れると、牛若丸のようにひらりと小舟に飛び乗った。法被の背中に描かれた鬼の文様が空中でたなびいた。
「小僧、乗れい。出航するぞ」
「はい…うおっと…」
川のうねりに身を任せている舟に足を掛けると、体も川の流れのようにゆらゆらと揺れた。
おっかなびっくりしながら舟に乗り込んで、腰を落ち着けるのを確認すると、小舟の横っ腹に括りつけられていた、小舟とほぼ同じ長さの棒切れを手に取ると、先端を桟橋に押し付けて突き放すように離岸した。
「ケンエイさん、この川結構流れ激しいですねえ」
声が水流にかき消されないように、俺は半ば怒鳴るように語りかけた。
「ここは上流だから余計になあ!この辺は漕がなくても勝手に進むから楽でいいわい!」
ケンエイの声は、藁葺き屋根の小屋で会った時の大きさと変わらない。
「この川、名前とかってあるんですかー?」
怒声にも似た声で、大したことのない質問を投げかける。
「三途川と呼ばれとるな!ここを渡りきるともうこっちへは戻っては来れんぞ!」
それを聞いた俺はため息をつく。ついたため息は水しぶきに混じるようにすぐ消え去ってしまう。
「おい!水を掻き出せ!」
しばらくしてケンエイは俺に命令を出す。おちおちうつむいている暇もない。激しく舟を打つ水はざぶざぶと船体の中へと侵入してきた。入ってくる度に俺は怒鳴られながらせっせと水を元の場所へ返してやった。
程よい疲労感に包まれていると、さっき見た木製の橋をあっという間に通り過ぎてしまう。
名残惜しそうに振り返って小さくなっていく橋を見ようとしたが、ケンエイが邪魔をしてよく見えなかった。
「ちょろちょろせんで前見とれ!落ち着きないのう」
見えない挙句に一喝されてしまった。これから地獄に行くっていうんだから優しくしてくれてもいいものなのに。
やっと川の流れは少し落ち着き始め、ケンエイもようやく手にしていた棒きれを使い器用に漕ぎ始めた。ヴェネツィアのゴンドラのようになった小舟は、さっきまでのアトラクションのような激しい乗り物から優雅な乗り物へと華麗にジョブチェンジし、水も入ってくる心配もなく、何よりお互いに怒鳴るように話しをしなくて済んだ。
「あとどれくらい掛かるんですか?」
ドライブで後部座席に座っている子どもが飽きた時に必ず使うワードを使ってしまう。慣れない揺れに体力をどんどん奪われてすっかり飽き飽きしていた。
「そうじゃのう…少し前に橋を横切ったからまだ半分も来とらんのう」
気の遠くなりそうな長さだということを知った俺は、止まらないため息を一つ空に向かって吐き出すと、薄暗い空がぐるぐると回っているような目眩が起きた。ぐるぐると吸い込まれていくように視界が暗くなっていった。
「君がみ胸に~抱かれて聞くは~♪」
ケンエイの嗄れた歌声で俺は目を覚ました。もぞもぞと動いて体を起こそうとする度に小舟が揺れる。
「よくもまあ、地獄に行こうって時に寝られるのう」
「あれ…俺寝てました…?」
「そりゃあもう大いびきじゃったぞ。その調子なら地獄でもやってけるのう」
「ところで、地獄ってどんな場所かご存知ですか?」
俺は、少し下調べをしておこうと考え、ケンエイに尋ねた。
「そりゃあ、基本的に天国に行けなかった奴らだからのう。何処かに難がある者共がいるのだろう」
「やっぱり、そういう奴らの巣窟なんですね…」
俺はがっかりしたように答えた。
もしかしたら、本当にもしかたしらなのだが、地獄もそんなに悪いところじゃなくて、地獄仲間と一緒に労働に汗を流し、仕事終わりに語らい、週末は遊びに出かけ、生き返ってもまた連絡するよー!なんて爽やかな付き合いも出来る可能性もあるかもしれないと、ほんの少し前まで希望的観測を持っていたのだが、ここにいる棒切れを持ったジジイに跡形も無く打ち砕かれた。
「じゃが、地獄に落とされた奴もピンキリじゃ」
「……と言うと?」
「天国に指が掛かっていたのに地獄に落ちた者もいれば、ハナっから腰のあたりまで地獄に浸かっている者が一緒くたにされているということじゃ」
「つまり、良い奴もいると言うことですか」
「まあ、良い奴なんてもんの基準は人それぞれじゃ。お前もそんなに悪そうには見えんから、似たような奴がくっついてくるんじゃないかのう」
ケンエイに粉々に打ち砕かれた希望が、別の形となって芽生え始めた。
「ほれ、そろそろ着くぞ」
「えっ、もう着くんですか?」
「相当寝とったからな。もう大分時間経っておるぞ」
それを聞いて川面の方へ視線をやると、川の流れは相当に緩やかで、漕いでいないと止まってしまいそうだった。
すると、前方を濃い霧が他者の侵入を拒むかのように立ち込めていた。
「ケンエイさん。霧ですっ。」
「見りゃあわかる!ったく…霧くらいで怖気づきおって。儂が何百年ここで舟守やってるか知らんな?こんなところ目を瞑ってたって通れるわい!」
そう言ってうろたえた俺を怒鳴ると、小舟は臆することなく霧の中へ切り込んでいった。
彼の言った事は本当だった。彼は手にしていた棒切れを見たことの無い手さばきで扱っていた。
「おい。舳先にこれ吊るせ」
そう言って彼が俺に渡してきたのは、煌々とした明かりが灯るカンテラだった。
俺は舳先へとにじり寄り、バランスを保ちながら仕事を手早く終えた。舳先に装備したカンテラが視界を切り開く。
ジジイ、さっきは目を瞑っても行ける!とか啖呵切ってたくせに…。思いっきりライト使ってるし。もちろん口には出さず、心の中で突っ込んだ。
少しばかり進むと、船底をがりがりと擦る音が聞こえて来た。舳先は平地へ突っ込んでいた。
「『賽の河原』に到着じゃ。ここからあっちの方へまっすぐ行ったら地獄はすぐそこじゃ」
持っていた某切れで地獄のある方向を指す。
霧は、賽の河原と三途川が交わるあたりだけで発生していたようだった。
舟から降りて、足首まで浸かって少し重たくなった足を動かして、久しぶりの平地へと歩みを進めた。
河原というよりも、大玉ぐらいのサイズの石を中心に密集していた。河原というよりも言わば、岩場と改めたほうが良さそうな景観だった。その岩場には、平たい石を膝くらいまで積み上げられて作られているオブジェみたいなのが何個もあった。
体が揺れない喜びを感じながら、しゃがみこんで濡れたズボンの裾を絞る。
「それじゃあ、儂は帰るぞ」
舟を水に浮かべて舳先を川の方向へ戻し終えたケンエイは声を掛ける。
「ケンエイさん、ありがとうございました」
無言で手を軽く振って応えると、ケンエイは小舟の後ろにがさごそといじくり始めた。
俺は目を疑った。そして問いかけた。いや、問いかけずにはいられなかった。
「それ…なんすか…」
後ろには、小舟には到底似つかわしくない船外機が積まれていた。
「これならエンジンからクラッチからなんでもありじゃ。最近、上りはきつくてのう。それじゃあ小僧、達者でな」
彼はエンジンを掛けると、久しく聞いていない機械の音を響かせながらさっさと帰ってしまった。
今の俺の口は、何をされても閉じることは無かっただろう。
少しの間を置いて正気を取り戻した俺は、小さくなっていくジジイの影を見守る事もせずに、さっさと地獄がある方向へ歩き始めた。
木々で覆われた賽の河原の出口を抜けると、やっぱりそこは野原だった。「ようこそ 地獄へ」と書かれた野立看板がでかでかと掲げられていた。
看板には、右隅に地獄の方向を指し示す矢印と、「1km先、十字路右折」とだけ書かれていただけで、あとは、地獄をPRしているのか、「ミス地獄」なる女性が、特に統一性があるわけでもない色んな被り物を被った画像が雑に切り貼りされていた。あれか、怒濤の合格みすず学苑か。
それはともかく、俺は矢印に従ってずんずんずんずん野原を分けるように出来たあぜ道を行く。
蓮台野を何時間も歩いた俺にとっては、1kmは準備運動にもならなかった。
見えてきた十字路を右に折れ、15分程歩いた頃だろうか。頭上のあたりがぼんやりと赤く光って見えたので目を凝らして見ると、それは突然に現れた。
ここに訪れる全ての者を歓迎するような、どデカイ鳥居の様な黒褐色のモニュメントがそびえ立っていたのだった。
鳥居はキラキラとしたネオンサインを身にまとって妖しい光を放ち、赤い豆球が集合し「地獄」という文字をかたどっていた。さっき見たのはこの光だったのだろう。
鳥居に見とれるのを止め、視線を様々な方向に動かすと、鳥居の下に、宝くじ売り場のような人が一人入れるような小さな小屋があった。
恐る恐る近づいてみると、そこには、髪の毛を短く刈り込み、唇と指の先に真っ赤な化粧を施し、下地の顔はスケキヨのお面のように真っ白けだった。一人で紅白歌合戦でもやっているつもりなのか知らないが、指にはごてごてとした金メッキの指輪と、首にはネックレス、服はてらてらした生地の黒い服を着た、小枝みたいな婆さんがちょこんと座っていた。
「なんだい」
婆さんは窓口から顔を出して、蝙蝠の超音波みたいなキンキン声で俺に声を掛けてきた。
「あのー…地獄ってここであって…ます…?」
「あってるよ!何!?あんた地獄行き?かーっ、ついてないねえ!さあさあ、とりあえず服脱いで!」
「は?」
ババアはマシンガンをぶっぱなしているように俺に言葉を早口で浴びせてくる。挙句に服を脱げと脅し、幼気な男子大学生の一糸まとわぬ裸体を拝ませろというのだった。
「服を脱ぐ理由は何ですか?」
俺はおずおずと尋ねる。
「ここは地獄だよ!地獄がそんなチャラチャラした格好を認めてたら示しがつかないだろう!服は没収だよ!さっさとこれに着替えな!」
そう言って窓口からぞんざいに放り投げられたのは、オレンジ色のツナギだった。
文句を言ったところで、また速射砲の餌食になってしまうのが目に見えていたので諦めて、ツナギを拾い上げ、野原の少し奥へ消えていった。
戻ってくる俺の手には、今まで着ていた服が抱えられていた。少し大きいのか、ツナギはダボついていたがとりわけ気になるほどでもなかった。
もちろん、柊からもらった羊皮紙を抜き取ってオレンジ色のポケットに突っ込んだ。手首にシリコンバンドをしたままだった。服だけの提出ということだったので、アクセサリーは提出する必要はないと考えたからだった。自前の白地に黒線三本のスニーカーに、このオレンジのツナギは中々似合っていた。
服を婆さんに提出すると、その服をおにぎりを握るような要領でこねくり回し始めた。
1分も経たないうちに、俺が着ていた洋服はただの糸へと戻ってしまった。
愛着のあった服を一瞬で婆さんに殺される現場に立ち会ってしまった。さよならも言えなかったことを少し残念そうにしていた。
「気をつけ!!」
そんなことをお構いなしに、婆さんはラッパがひしゃげたような声で上官が出すような命令を張り上げた。滲みついた人間なのだろうか、出し抜けに言われたために思わず気をつけしてしまった。
「いい子だ。胸を張りな」
俺は気をつけをして言われた通りに胸を張る。すると婆さんが窓口から手と顔を出して俺に近づいて来た。
食われるっ!と観念したように目を瞑ったが、まだ息をしていた。ゆっくりと目を開けると、右胸の辺りに俺の名前の刺繍を施していた。
「これで完成…と。もう行ってええぞ。迎えを寄こすように連絡入れといてやるから」
「ありがとうございます」
「それじゃあ小僧、達者でな」
俺は、会釈をしてあっさりと鳥居をくぐる。
ふと、どこかで聞いたような婆さんの別れ文句を思い出した。
賽の河原で別れたケンエイと一字一句変わらない文句だった。
そういえばどことなく顔も似ているような気がした。兄妹、あるいは似た者同士の夫婦なのだろう。
少し笑みを浮かべて吹きっさらしの一本道を行く。
あれ……書いてて思ったんだけど……ここまでの話に一個も盛り上がりがない…。
おかしい…こんなはずじゃ……。