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蓮台野を行く

 車体のメッキはところどころ剥げて、錆が侵食して茶ブチ柄のようになったバスが、濃い霧の中を前方の目玉のようなライトを頼りに、未舗装の道をすっ飛んでいく。両脇には大きな木が道作るようにのように並び立ち、不気味さをより一層演出していた。

 未舗装の道をすっ飛ばすものだから、バスはガタガタと音を振動をかき鳴らす。

 俺は手荒い目覚ましで、遠のいていた意識を取り戻す。意識の覚醒を促そうと目を擦って伸びをする。

 軽い目眩が起きたあと、一気に視界のピントが合う。

 バスの木製の窓枠はがたがたと鳴り、板で出来た床に足を着ける度に鼠の断末魔のような軋む音。

 どうやら俺は、手荒い目覚まし時計の中で寝ていたらしい。

 よく見てみると、こちらの世界に来たら、手足も透けずにしっかりとしか体つきになっている。

 現世で魂になって生霊化していた時はどうもふわふわしていたが、今はすっかりと地に足を着けて浮ついた気持ちも無くなっている。

 俺は一番後ろの五人掛けの一番右側の席に、誰も乗っていないがらんとした薄気味悪いバスに一人で乗り込んでいた。

 バスは法定速度をお構いなしに弾丸のようなスピードになる。スピードが上がるにつれてバスの揺れは激しさを増し、座っているだけなのに飛んだり跳ねたりと心の休まる時間が一つも無かった。

 俺は、吊り革と手すりに掴まりながら運転席へと向かってみようと試みた。この揺れ具合に我慢が出来ず、少しスピードを落とすように言おうと思ったからだ。

 よろめく体を吊り革を雲梯のように使い、軋む床をリズミカルに踏みしめながら運転席へと向かう。

 「あのう、もう少しスピード落としてもらってもいいですか」

 一応、運転の迷惑にならないように、視界に入らないように少し後ろからおずおずと声を掛けてみたが、返事は全く無い。

 スピードも落ちる気配は無く、景色も両脇の大木がどこまでも並んでいた。

 「あのう!」

 俺はしびれを切らしたように声を荒げて、運転席を覗き込む。

 するとそこには誰もいなかった。ハンドルだけがゆらゆらと動いている。

 その光景を押し黙って見ていることしか俺には出来なかった。ハンドルの動きを見ていると、このバスがどっちへ走っているのかがわかるくらいしか判明せず、どうして無人で動いているのかちっとも理解出来なかった。

 目をぱちくりさせながら、軋む床を鳴らしながら進行方向に逆らうように元の場所へと戻る。

 元の場所に戻ってもちっとも落ち着くことが出来ず、そわそわと膝小僧をすり合わせてみたり、自分の爪を眺めてみたりとなんとか気を紛らわせようとしてみたが、やっぱり駄目だった。ここでは全ての常識を放棄せねばならないと確信した。

 本当に俺だけしか乗っていないバスは常識を置き去りにするように爆走している。俺にはただ座っているしか術が無かった。

 もう随分と走っている。

 なんだかこの揺れにも慣れ少し眠くなってきた時には、人間の適応能力というものにつくづく感心した。

 どうせ誰も乗ってこないのだろうから、快適に使ってやれと思い立ち、俺は五人掛けの座席に寝転んで寝ようかと考えていたときだった。

 「まもなく、終点。終点です」

 という、アナウンスが入った。

 俺は慌てて飛び起き、固唾を呑んで停車するその時を待った。

 まんじりと前方を見ていると、光が差し込んでいた。道を作り上げるように並んでいた大木たちの密集の終わりを告げているような光だった。

 バスは光の中に飛び込んだ。目が潰れそうな程の輝きに耐え切れず、俺は前の椅子を盾にして死角へと逃げ込んだ。

 光を浴びたバスは、車体から窓から光を取り込んだ車内までもが金ぴかに光り輝いていた。

 何とも荘厳に輝き走り抜けていたバスだったが、光の中から走り抜けると元のオンボロへと戻っていった。

 光線の襲来が無いのを確認すると、俺は恐る恐る顔をあげる。

 そこはどこまでも広がっているだだっ広い野原だった。その野原をススキが一面を覆うように生い茂っていた。その野原の真ん中に一本道がどこまでも伸びているようだった。

 目を凝らしてフロントガラスに映る景色を眺めた。だけども、やっぱり群生しているススキとバスが一台通れる程のあぜ道しか映らなかった。

 また少し走ると、バスのスピードが急激に落ちた。フロントガラスの左側にバス停が見えてきたからだった。ここがどうやら終点らしい。

 このバスがゆるゆると走っているのが何だか不思議に思えたが、さすがにバス停があったら止まるのは、生きていた頃と今の世界も変わらない事を発見した。

 バス停に止まると、無人の運転席と反対側にある、ドアが開く。

 「終点です。ご乗車ありがとうございました」

 降車を促すアナウンスが流れたのを聞いた俺は、床板を踏み鳴らし空いているドアへと向かう。

 誰もいない運転席へ、軽く会釈をしてバスを降りると、バスはクラクションを一つ高らかに鳴らし、どこまで続いているかわからない道を先へと走っていった。

 バス停の看板も塗装は剥げ、錆が大部分を侵食し、駅の名前も最初の「蓮」という字がなんとなく読めるだけで、その後に続く文字は判別不可能だった。

 その下にくっついている時刻表を見てみると、18時にバスが1本あるだけであとは真っ白だった。真っ白と言っても、やはり時刻表もペンキは落ち大部分は錆に蝕まれていて、18時のところだけがかろうじて読める程度だった。

 バス停に寄り添うようにトタン製の簡素な休憩所も、小さな廃墟と化する一歩手前というところだった。

 一陣の風が吹き抜けると、野原中のススキがまるで俺を歓迎するように揺れ動く。あの世に来て歓迎されてもリアクションが取りづらい。

 バス停でぽつねんと立ち尽くしていても仕方がないので、バスが走り去っていった方へととぼとぼと歩き始めた。結局歩かせられるのならば、バス停をもう少し先の方に設置してもらいたかった。

 まあ、折角あの世に来たのだから少し歩くのも悪くないかと気持ちだけはプラスの方に持っていこうと心がけた。

 15分くらい歩いた頃だろうか。左手の方に小高い丘が見えてきた。

 俺は小高い丘からこの野原の全景を知ろうと思い、ススキの大群生の道なき道へと分け入って、息も絶え絶え登る頃には体中にススキの穂がひっついていた。

 「いやあ、絶景」

 体に付いた穂を払いながらぽつりと出た言葉の通り、一面に広がるススキが何とも言えない侘しい空間を作り出していた。その侘しさも寂しげな感じなどは微塵も感じさせず、荒涼とした雰囲気は心に涼やかな風を運び込むようだった。

 丘に腰を下ろして一休みしようと思ったその矢先だった。

 歩いてきた道を眺めて見ると、バス停と休憩所が大きめの粗大ゴミのようにぽつんと地面に捨てられていた。

 振り返って、これから向かっていく道の方を眺めてみると、こちらには、もうすっかり見飽きてしまったススキが嫌という程に群生していた。

 もう少し何かないものかと目を凝らして見てみると、遠方で何かが微かに光るものが見えた。

 第一村人を発見したような気持ちが鼓動を高鳴らせた。俺は、丘を駆け下りたスピードそのままに大群生へ突っ込み、歩いてきた道へと再び戻ると、再び体中に付いたススキの穂を落とすのも忘れて歩みを早めた。


 微かな光を見つけたのはこの辺りだったはずだ。結局逸る気持ちを抑えきれずに走って来てしまった。

 走るのを止め、肩で息をしながら周囲を見渡す。

 道路を境に左側には、見飽きたススキの群生がゆらゆらと風にたなびいている。流れるように道路の右側へと視線をやると小さな東屋に壁を取り付けたようなコテージが、この少し先の道路脇に建てられていた。

 外には、屋根の端っこから大きめの赤い提灯が煌々としている。どうやら俺が丘から見つけたのはこの提灯のようだった。

 その提灯には「蓮台野」(れんだいの)と酔虎書体で書かれていた。

 この辺りの野原を蓮台野と言うらしい。おかげでバス停に書かれてあった解読不能だった地名をはっきりさせることができた。

 「すみません。どなたかいませんか」

 小さなコテージへ近づきドアを叩きながら問いかけると、やる気のない返事が中からすると、足音がぱたぱたと戸口へと近づいてくる。

 出てきたのは、髪の毛が鳥の巣みたいに方々に跳ね返っている白とも銀ともつかないような髪、柔和そうなおっとりとした顔。その白っぽい髪の毛に引けを取らない白磁のような肌。しかし、新品の鉛筆のような長く細い体型を見ると、これは化粧などといった努力の賜物でなく、堕落した生活からくる怠惰の賜物だろう。

 「なんふぇすか?」

 鳥の巣に竜巻を起こすかのように頭をがりがりと掻きむしりながら、歯ブラシを口にくわえて歯磨き粉色の口のまま、俺の応対をする。就寝前なのだろうか、淡い緑色のパジャマを着ている。

 「俺、今日ここに着いたんですけど」

 「ちょっと待っふぇふぇ。口ゆすぐ。」

 俺は戸口で外で待っていると、水の流れる音と口をすすぐ音が聞こえて来た。

 「入っていいよ」

 パジャマの袖口で濡れた口を拭きながら俺の中へと招き入れる。

 このコテージをひっくり返したようにこの部屋は物で溢れかえっていた。自分一人が座れる場所とベッドだけが唯一足の踏み場のあるところだった。しかし、この汚さは生前使っていたアパートの俺の部屋そっくりで、どこか懐かしい感じもした。

 「ごめんね、ちょっと今いいところだから。少し待って」

 部屋の角には「ポーズ」と映し出されたテレビ、机の上にはゲーム機があり、唯一空いている座れる場所に座椅子とコントローラーが置いてあった。

 俺はベッドに、ここの家主は座椅子へと座り、コントローラーを握り締めポーズを解除した。

 レースゲームをしているようだった。流れるような指さばきで画面に映し出されていたバスを動かしていた。たしかにゲームはもう終盤で、最終便の仕事も終えて戻った営業所で車庫入れをするだけだった。

 慎重な指使いで車庫へ入れていく。映し出されているバスはスムーズに車庫に入っていく。

 座ったベッドからぼんやりとテレビ画面のバスを見ていると、所々に茶ブチのような錆があるのが見えると、俺は家主の方へ視線を変えた。

 「やったあ。クリアー。これで今日の仕事も終わりだー。」

 コントローラーを放り投げて、解放されたかのように伸びをする。座椅子はシーソーのように後ろへひっくり返って散乱した物を押しつぶす。

 「ちょっと聞きたいんだけど」

 「なあに」

 家主はひっくり返したまま脚を起こしそのまま座椅子に思い切り叩きつけると、再び座椅子はシーソーのように元へ戻った。

 「さっきのバス、俺が乗ってきたのに似てるんだけど」

 「ああ、似てるっていうか同じだね。僕がここから運転してたの。これで」

 そう言ってコントローラーを見せつける。

 「あんた、運転下手だな」

 「ええー?最速ラップだったのに?」

 不満気に彼は頬を膨らませる。だから運転手も乗せずに異常なスピードだったのか。

 「そうだ。バスってのは速度を競うように出来てないんだ。お客を安全に運ぶもんだ。大体、この場所はなんだ。ススキしか無い。苗字をスズキに変えてやろうかと思ったぞ」

 「君はスズキって言うの?僕はモリオって言うんだ」

 モリオは勝手に自己紹介をすると、思いついたように立ち上がって散乱した物を踏みながら、机のゲーム機に押しつぶされていた茶封筒に手を伸ばした。

 茶封筒から二枚の紙を取り出すモリオは一枚を俺にボールペンを添えて寄越した。

 「それ書いといて」

 そう言って渡されたのは、履歴書だった。

 紙を見て、ふと思い出した俺は、羊皮紙の無事を確認しようとポケットに手を突っ込んだ。ちびた鉛筆のようになっていたが、確かに羊皮紙の生存を確かめた。

 「うーん、君は何て言うのかなあ……」

 俺の顔をまじまじと見つめると、苦虫を奥歯で精いっぱい噛み締めたような顔をしていた。

 「なんだよ」

 ベッドの近くに転がっていた週刊少年誌を机がわりにして履歴書にペンを走らしていたが、それを止めてモリオを見ると、もう一枚の白紙の紙と俺を交互に眺めていた。

 「でも、仕方ないよね」

 そう呟くと、モリオは何かを念ずるように目を瞑り、口が細やかに動かしてから白紙に向かって手をかざすと、白紙は薄紫色の光に包まれたかと思うと、あっという間に不思議な言語で書かれた書類が出来上がった。

 その妙技をまざまざと見せつけられた俺は間の抜けたようにぽっかりと開いた口を閉じることをしばらく出来なかった。 

 「どうかした?」

 モリオは不思議そうに見つめている俺を、不思議そうに見つめ返す。

 こういう場所に来ると、大体人智を超えた異能の力みたいなものが貰えたりするのを、漫画や小説で読んだ。もしや、俺も何か力が貰えたりするのではないか?

 もし貰えて、かつ選べることが出来るとしたら何にしよう。電撃を手から出してみるのもいいし、人を操るような能力もいい。

 そんな妄想に浸っているとモリオがベッドの方へ近づいてくる。

 「履歴書書けた?」

 「まあ、書けるところは」

 ボールペンを渡し、履歴書を三つ折りにする。

 「じゃあ、この中に入れて」

 手渡された茶封筒の中を見てみると、さっきモリオが作った書類が入っているようだった。

 その中に履歴書を入れると、後で渡すから持っているようにと言われたので、ポケットに折れないように、ズボンの後ろのポケットに入れておいた。

 「じゃあ、準備も済んだし行こうか」

 モリオは床に散らばっていた衣類の中から、よれよれのカーディガンを拾い上げ肩に羽織ると、欠伸をしながら、幽霊のような足取りで戸口の方へ向かった。まあ、コイツ本当に幽霊なのかもしれないが。

 そう思いながら、俺も足の踏み場を探しながら戸口へと向かった。


 ここに着くまでの空は薄暗い程度だったが、ここに着いて少し準備をしていた間にすっかり暗がりになってしまっていた。

 突っ掛けを履いたモリオはコテージの軒先にぶら下がっていた提灯の頭の把手を持ち、俺を歩くように促した。

 「御用だ!御用だ!……なんてね」

 モリオは提灯を俺に見せつけて同心の真似を見せる。会心の出来だったのか、やり終えると提灯に照らされた白い歯がこぼれる。

 「なかなかいいね」

 俺は笑って、ススキが揺れる音しかしない暗がりの道を歩く。

 「ここ、蓮台野って言ってたけど何なの?ススキしかないし」

 「うーん、ざっくりと言っちゃうと死人の面接会場だね」

 「まさかぁ――説明もざっくりしすぎだし」

 俺は笑って受け流す。

 「煉獄とかとも言うよ。この辺」

 「蓮台野の方が合ってるな。このだだっ広いススキまみれの野原はいかにも蓮台野だよ」

 「君の話も大分ざっくりだね」

 そう言うとモリオも笑う。寒々しい蓮台野に笑い声が響く。

 「あ、そろそろ着くよ。」

 他愛もない話をしていたおかげで、あっという間に着いた感じだったが、肝心のどこに着いたのかがよく分からなかった。

 「ほら、あれだよ」

 モリオが先を指差すと、そこにはそびえ立つような大きな鉄格子で出来た門が現れた。門の脇には万里の長城のように続く石壁が蓮台野の一本道を遮るように立ち並んでいた。

 門の天辺を探そうと俺は顔を見上げて、文字通り天の辺りまでたどり着いていそうだった。実際そんなことはないのだけど、そう思わせる重厚感と、このだだっ広い野原にいきなり現れたので目が慣れないのかどこまでも高く見えた。

 彼は道端に落ちていたススキを拾って足元に置いてから手拍子を二回鳴らすと、ススキの穂は暗がりの空へ飛び上がったかと思うと、大きな炸裂音とともにキラキラと黄金色に輝き花のつくはずのないススキは夜空で一瞬の大輪を咲かせた。

 ここに来てから驚きの連続で俺の口は開きっぱなしだが、夜空の大輪を門の中にいるであろう奴らも見ていたのか、真っ暗だった鉄格子の先にあった街灯が道を作るように灯り始めたと同時に、鉄格子の門が妖しく誘うように音を立ててゆっくりと開いた。これからの行いで、生き返るかどうかが決まるのかと考えると武者震いにも似たものが俺を包み込む。

 「あの花火は、ここに着いた時の合図なんだ」

 震えている俺をリラックスさせようとしたのか、声を掛けたモリオがこちらを見て微笑む。

 「ここまで道案内ありがとう」

 俺はモリオの方へ向き直りお礼を言った。何気なく言った後に、どこで誰が見ているか分からないし、既に生き返る為のテストは始っているのかもしれないと咄嗟に考えた俺は、礼儀正しく深々とお辞儀もしておいた。

 今にも魔女が出てきそうな、枯木が立ち並ぶ庭を明かりに照らされた道を一人で進む。

 少し登っている道を進み続けると坂の終点に着いた。そこにはところどころカーテンを閉め忘れた窓から光が漏れるこぢんまりとしていたが城のような洋館が蓮台野を睥睨( へいげい)するようにどっしりと鎮座していた。

 洋館のドアに付いている獅子を模したノッカーを鳴らす。ライオンの咆哮にも似た、低く重厚感のある音が周囲に響き渡る。

 板チョコを分厚くしたような大きなドアがゆっくりと開く。

 清潔感のある白いカチューシャを着けた頭を恭しく垂れて出迎えてくれたのは、ヴィクトリアンメイドの黒を基調とした足首まですっぽり隠れる長いスカートを着用した、スリムで俺と同じくらいの身長の女性だった。

 「佐久間様ですね。お待ちしておりました。こちらへどうぞ」

 これだけ丁寧に扱われてしまうと却って恐縮してしまう。

 コメツキバッタのようにぺこぺこと会釈をしながら、俺は洋館へと足を踏み入れる。

 床一面に赤い絨毯が敷き詰められていて、お城のような見た目だけなく中身までも豪華な印象を与えていた。 所作の無駄がないきびきびと歩くメイドの後について行く。広々としたホールを抜けて、階段を上がっていく。

 二階の廊下にもふかふかとした赤絨毯を歩く。二階は下のような大きな部屋は無く、小さな部屋と中くらいの部屋で構成されているようだった。

 「では、こちらで少々お待ちください。順番が来たらお呼びします」

 中くらいの部屋のドアを開けて、俺の入室を促した。

 部屋に入ると、中くらいの部屋と言いつつも、生前の俺の小屋みたいなアパートの部屋が3つ、4つくらい入りそうな程広かった。

 部屋の真ん中に置いてある長テーブルの周りに置いてある椅子に腰掛ける。

 ぽつねんと座っているのも少し寂しかったので窓の方へと近づき、暗がりの外を眺めてると、照らしていた屋敷内の街灯は消え、鉄格子の外側でモリオが持っている赤提灯の光が揺らぎながら小さくなっていくのが見えた。

 ほどなくすると、部屋のドアが開くとここまで案内してくれたメイドが立っていた。

 「佐久間様、こちらへどうぞ」

 「はあ…」

 要領良く物事が進みすぎてしまうので、目まぐるしい展開に俺の返事は要領を得ない間延びしたものになってしまった。

 無言で先導するメイドの後ろを付いていくと、斜向かいにある小さな部屋の前に立たされた。

 「では、こちらにお入りください。管理人様がお待ちです」

 流石に展開が突飛すぎるので突っ立っていると、メイドが業を煮やしたように俺の後ろへ回り込むと、ドアを開け、訳も分からないまま部屋に押し込まれるように入れらてしまった。ちょっとした軟禁だ。

 半ば強引に押し込まれた部屋には、部屋の真ん中に椅子が一つ、それを机で挟んで相対するように二人の女性が座っていた。

 「こちらにお掛けください。」

 俺が座るであろう椅子から見て左側の女の子が純粋な子どものような声で着席を促す。

 俺は訝しむように二人を見つめながら、椅子へ尻を納める。

 「それでは、これから天国か地獄のどちらに適性があるのか面接で確かめさせていただきます」

 完全に寝耳に水、藪から棒、窓から槍、青天の霹靂だった。そんな事があるなんてちっとも聞いちゃいなかった。

 しかし、ここで蓮台野からこの城にくるまでにしたモリオの会話がものすごい速さでフラッシュバックしてきた。

 『うーん、ざっくりと言っちゃうと死人の面接会場だね』

 ざっくりしていたがこの程的確な喩えは無かった。もう喩えというより答えを言ってしまっている。アホな事この上無い。

 しかし、そのアホをさらに三段跳びで上回っていく奴がいる。俺だ。そのアホの話を笑い、聞き流してしまった。もう少し真面目に聞いておけば対策の一つは練れそうなものだったのに、足元に転がってきた千載一遇のチャンスを、自らの足で明後日の方向に蹴っ飛ばしてしまった。

 背中にナイアガラのような冷や汗を流しながら席に着く。

 「私、アリスって言うの。それでこっちは私の妹のテレス。私たち双子でこの蓮台野の管理と運営をしてるんだー」

 着席を促したアリスの声は非常に可愛らしかった。話し方も難しい事を言うとたどたどしくなった。これらの事から推察すると、小学校低学年くらいだろうか。また、非常に小柄だった。大きさとしては小学校低学年くらいだろうか。これらのことから彼女たち双子の年齢は小学校低学年くらいだと考えた。また、短めで栗色の髪はくりくりとカールしていた。短髪の天然パーマと言ってしまえば聞こえは悪いが、彼女には非常に愛らしくマッチしていた。

 一方、妹のテレスも小柄で、座高を比べるとアリスと同じくらいの大きさだと推測できた。対照的に、テレスの栗色の髪は腰に巻けそうなほど長かった。

 「姉さん、そろそろはじめようよ」

 テレスは、アリスの袖を引っ張りながら透き通るような細い声で、面接を始めようと催促した。

 「そうだね。じゃあいつものやつを出そうか」

 いつものヤツと聞いて俺は少し緊張した。なにか痛めつけるような拷問器具でも出てくるのでは無いかと思ったからだった。

 アリスがそう言うと、二人はシンクロするように、洋服についたポケットをまさぐり始めた。

 中から出てきたのは、棒の付いた大きなアメちゃんだった。

 「やっぱりこれがないとねー」

 「ねー」

 二人は顔を見合わせて微笑むと、一斉にアメちゃんの袋を破り、一斉に口いっぱいに頬張り始めた。一挙手一投足がシンクロしていた。

 しかし、ボールペンを持っている面接官はよく見るが、アメちゃんを持っている面接官は初めてだった。

 「お嬢ちゃんたち、そのアメはいるのかな?」

 「当たり前でしょ!仕事をすると糖分が失われるの!どうせ後で補給するんだから、補給しながら仕事すればいいのよ。あんまり余計なこと言ってると地獄に落とすわよ」

 アリスはそう言い終えると、手のひらを上にして手を伸ばす。

 俺は、アリスの小さな手を取って恭しく頭を垂れて膝まづいた。

 すると、それを見たテレスは笑いを堪えているのか、体を小刻みに震わせている。

 「あの……書類の方をもらっても……」

 アリスが差し出した手は書類を出せというサインだったようだ。

 顔を真っ赤にしているテレスは言葉も震わせながら途切れ途切れに俺にやんわり注意する。

 俺は恥ずかしさで顔を真っ赤にして、慌てて後ろのポケットから茶封筒を差し出す。

 アリスも俺に取られた手を見て顔を赤らめていた。今、この三人に赤い服を着せて横に寝かせれば、赤い絨毯に早変わりだろう。

 アリスとテレスは、えへんと同時に咳払いし、この不思議な空気を仕切り直そうとする。

 お互いが見易いように真ん中に履歴書とモリオが作った書類を広げた。

 「それではまず最初に、氏名、何歳まで生きていたか、死因、を述べてください」

 テレスが面接の進行を始める。

 「はい」

 俺は深呼吸を一つするとゆっくりと自分を落ち着かせるように話し始めた。

 「佐久間智浩です。18まで生きてました。死因はトラックに轢かれました」

 「トラックに轢かれたと言いましたが、その時の状況をお願いします」

 「その時は友達といたのですが、車道に小さな女の子が飛び出していたので、それを助けた時に、避けきれなくてそのまま轢かれてました」

 何が悲しくて小学校低学年に敬語を使わないといけないのかと思うと、些か憤りを覚えたが、今怒ってしまっては、地獄に流されかねん。ここは穏便に済ましておくのが吉だ。人は結局権力には媚びへつらってしまう運命なのだろう。少なくとも俺は運命に抗うことができなかった。

 「それはなんとも勇敢な最期でしたね」

 テレスは優しい声で俺を褒めた。アリスも隣で大きく頷いている。

 「では、私から質問。大学生活……ああ、大学生活始まってすぐ死んじゃったんだっけ。それならー…高校生活で打ち込んだことを教えてください」

 「あーっと…それはですねー…えーっと…」

 さっきはあれほど立て板に水を流すようにすらすらと話せていたのに、すっかり閉口してしまった。

 「楔です…!!」

 口篭った挙句に、こんな使い古されたボケを力強くやってしまった俺の心は、音を立てて崩れ落ちていく。

 アリスとテレスの体がふるふると震えている。当然だ。怒るのも無理はない。

 「ぎゃーっはっはっはっは!楔って…!はーっ、はーっ、お腹痛い。ぶふっ…楔って言った時のコイツの顔ったらどうよ…あー笑える」

 「ぷふっ…お姉ちゃん…笑いすぎ…ふふふっ…くさび…」

 意外にもウケた。ありがとうトラディショナルギャグ。古くから伝わる様式美よ。

 俺は胸を撫で下ろし、何とか答えあぐねていた質問をかわした。

 「あー…苦しかった…。そ、それじゃあ履歴書の方はもうおしまい」

 アリスは肩で息をしながら涙を浮かべていた。そんなに面白かったのか…。ともかく、第1ラウンドは俺がもぎ取ったような感覚を覚えた。

 二人はブレークタイムを取るかのように手に持ったアメちゃんを舐め始めた。

 しかし、第2ラウンドからは双子幼女の猛烈な質問ラッシュが始まることを俺はまだ知らなかった。

アリスとテレスは二枚目の書類に目を通し始めた。それは不思議な言語で書かれているもので、俺には何が書いているのか皆目見当もつかなかった。

 やはり、天国と地獄の宣告をする大役を担ってるだけある。楽しそうだった笑顔はすぐに消え、全てを見通すような目つきで二人は書類に目を通している。

 「佐久間智浩。ここに書かれているのは全て本当か」

 アリスが俺を詰問する。テレスは俺をじっと見つめている。

 「本当かと言われても…俺はその字が読めないから何が書かれているのかちっともわからないんだ」

 「お姉ちゃん、これ読んであげなよ」

 「なんで私が読まなきゃいけないの!絶対嫌!」

 「仕方ないなあ…」

 テレスは、書類を手に取ると徐ろに立ち上がった。やはり身長は小学校低学年くらいだった。

 「あなた、小学生の時友達と、ジェノサイドをしていますね。」

 「ジェノサイド……ですか?そんなことはした記憶はちっともありません」

 大量虐殺なんて有り得ない。それも小学生の頃なんかは純粋無垢が服を着て歩いているような程にキラキラしていた。

 「では、それらを立証する方々に来てもらいましょう」

 テレスは指を鳴らす動作をする。しかし指はちっとも鳴らず、テレスの指は擦れるだけである。

 見兼ねたアリスが軽やかな音を鳴らすと、たちまちそこは百鬼夜行が出現した。

 しかし、そこに居たのは妖怪ではなく数多の昆虫たちだった。

 彼らは俺を見るや否や、悲鳴や怒号を一斉に上げ始めた。

 「皆さん、静粛に。これから彼に思い出してもらいますのでどうかお静かに」

 面接というよりも、裁判に近くなってきた。

 「ドロップさん、ここにいる人たちは全員、あなたに殺されました」

 テレス裁判長――面接官は、俺をアダ名で呼びつける。

 「そりゃあ、小学校の頃だ。力の加減を間違えたりしてうっかり殺してしまったことくらいある」

 うっかりだと!?ふざけるなー!この殺虫野郎!

 外野から容赦無い罵声が投げつけられる。

 「では、本当にうっかりで、故意は無かったのか証言してもらいましょう。ではこちらへ」

 そう言って、証言台…と言っても机の上に登ったのは、蟻だった。

 「うだるほど暑い夏のことでした。私たち働き蟻は神社の境内で蝉の死骸を運んでいたのです。巣までもう一息のところでしたが、休憩を取ろうということになりました。そこに、白い悪魔たちがやって来たのです」

 蟻は語るのも恐ろしいのか小刻みに震えていた。白い悪魔というのはおそらく俺のことだ。俺はあれか、ガンダムかなんかか。まあしかし、蟻から見てみたら、人間なんてガンダムくらいの大きさだろう。

 「白い悪魔の一人は言いました。『巨人ごっこしようぜ』と。」

 巨人ごっこと聞いて俺はハッとした。確かにそんな事をやっていたのを思い出してきた。

 「私たちは、最初意味がわかりませんでした。でも、それは絶望という形で我々に襲いかかってきたのです。」

 ああ、そうだ。隣に住んでいた同い年の裕太と、蟻が出てくる季節になるとお決まりの遊びだった。

 「差し込む木漏れ日が急に遮られるように陰ったのです。我々がどうしたものかと上を見たときにはもう手遅れでした。靴底が我々の頭上から振り下ろされました。私も咄嗟に避けたのですが、すんでのところで間に合わず、下半身は踏みちぎられてしまいました」

 いいか諸君、蟻をいじめるな。地獄に落ちるぞ。俺は頭を抱えた。

 傍聴席からは蟻の心境を慮ったのかすすり泣く声が漏れてくる。

 これから苦痛の時間が続く。首をもがれたトンボや、尻にストローで空気を入れ、膨らませたあと電車に轢かせて花火のように破裂したカエル、その他非道の限りを尽くした小学生に殺された者たちの怨嗟( えんさ)の陳情が続いた。

 中学生の頃は、女子たちの気を引こうと、気だるそうにしてみたり、ヤンキー化してみたりと試行錯誤したマイルドな黒歴史を暴露された。言うまでもないが、彼女はできなかった。

 高校時代には、皆が右を向けば左、左を向けば右という事を繰り返し、ひねくれた生活を過ごした。

 大学時代は、自室を簡易ホテル化させて荒稼ぎしているのと、自堕落な生活を追求された。

 「以上の人生年表から鑑みて、心は残虐性とひねくれの心で満ち、自堕落で非生産な日々を過ごしてきた人間だと考えられます。私は地獄へ送るのが妥当だと考えます」

 テレスはそうまとめると席に着き、手に持っていたアメちゃんを口に含む。傍聴していた虫たちは拍手をテレスに浴びせた。

 どうやらモリオが作っていた書類は、俺の悪行の数々を羅列したものらしい。

 死んだものの悪行を見透かして、書類を作成し管理人に提出させるのが彼の本当の仕事で、バスの運転やこの城の道案内は細々とした仕事に過ぎなかったのだ。穏やかで人のいい顔つきにまんまと騙された。

 地獄に行ったら何をするのかと震え上がっていると、アリスが口を開く。

 「ちょっとそれは厳しすぎないかしら」

 ふざけるなー!殺虫野郎の肩持ち幼女!この売虫奴ー!

 それを聞いた、昆虫たちは一斉に野次を飛ばす。売虫奴って……。

 「うるさい!」

 アリスは指をぱちりと鳴らすと、全虫たちは雲散霧消し、室内は静謐を取り戻す。

 「小学生の頃は思慮分別がまだ確立されてなくて、時には過ちを犯してしまうと思うの。その過ちをどう人生に活かしていくかが大事だと思うわ」

 お転婆そうで少し乱暴な言葉遣いの割に心の優しい幼女だ。そのままテレスを言いくるめてしまえ!と、手のひらに爪が食い込もうかというほど拳を固く握り締めて祈った。

 「自らの経験で学ぶのは愚か者です。賢い人は歴史から学ぶのです。人からの伝聞をしっかり聞き、それを守ります。『命は大切に』と言う話しは、彼の両親は少なからずしているはずです。それにも関わらず、その彼の両親が語る歴史を踏みにじり、働き蟻さんたちを踏みにじった彼の行動は許されるものではありません」

 テレスは毅然とした態度で反論する。

 「だからー、その伝え聞いた事を判断する能力があるのかって言う話しじゃん」

 「小学生のうちは親の言ってることを黙って聞いておけばいいのです」

 「そんな無茶苦茶な暴論があってたまるかー!」

 アリスは両手を思い切り手をついて立ち上がる。それを受けたテレスも同様にして立ち上がる。彼女たちの目の間には火花が散っているのが見える。

 「あ、あのー…」

 「「何よ!」」

 恐る恐る声を掛けた俺を二人は同時に睨みつける。

 「少し落ち着きになったらどうでしょうか……?」

 俺は苦笑いを浮かべながら停戦を促した。

 「「あんたの事で揉めてんでしょーが!」」

 二人は、揃った声で俺を一喝すると再び激論を交わす。子どもの教育方針で揉める夫婦喧嘩のようだった。

 「はい…すいません…」

 俺はすごすごと引き下がり肩をすぼめて椅子で小さくなっていた。

 しかし、アリスは噛み付いてはみたが、俺の人生はどうもあまり褒められたものでは無かったらしい。

 「仮に、小学生の頃は分別がつかなかったとしても、後の中・高・大学の生活態度は擁護できるものはありません」

 「ううっ…」

 アリスが口ごもる。頑張れ!まだまだ俺のいいところはあるぞ!妹に教えてやれ!

 「それに彼の渾名はドロップだったそうです。地獄に落ちるべくして付けられた渾名だとは思いませんか?」

 オリンポス山でさえもひとっ飛びしそうな程の超理論を展開するテレス。さすがの俺の椅子からずり落ちた。

 「ドロップがドロップオフするように人生ドロップアウトして、ドロップインした私たちの手によって地獄にドロップされるのです」

 ルー大柴か。しかも使い方違うのあるぞ。

 ドロップという言葉がゲシュタルト崩壊しそうになったその時だった。

 「私の負けよ」

 アリスは力なく椅子に座り込んだ。

 おい、あんな訳分からん説得に負けるなよ!

 テレスもゆっくりと席に着いて、俺の方を向く。

 「佐久間智浩に”地獄行き”を宣告します」

 俺は椅子の中でがっくりとうなだれた。なんとか笑顔を作ろうとしてみたが、どんなに精いっぱい笑っても苦笑いにしかならなかった。

 俺はどうなっていくのだろうか。先のことを神にでも聞きたいところだったが、閻魔大王にお伺い立てたほうがすぐに答えが返ってきそうだった。

 うなだれる俺をよそに、アリスとテレスは一仕事終えたご褒美に、チョコレートの包みを破って頬張っていた。

 甘そうなチョコが、俺の苦笑いをより一層引き立たせているようだった。

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