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空中線にふわふわ浮いて

 翌日の新聞の片隅に、「大学生、トラックに轢かれ死亡」という小さな見出しが出た。

 俺の死亡を知った家族は片田舎から急いで都会に出てくると、遺体が安置されている病院へとタクシーをぶっ飛ばして来た。

 殺風景で寒々しい霊安室に通されて、クッキングペーパーに包まれてまな板の上に乗った魚のようになった、俺の体にかけられた白い布をどける。俺がの体が眠るように死んでいる。

 抱き合うように泣き崩れる家族たち。無理もない、希望あふれる自分の子どもを田舎から送り出したのに、今回会うのが病院の霊安室なのだから泣きたいのもわかる。

 ちょっと待て。

 なんで俺の意識はあるんだ?それとも、俺達の死生観が間違っているのか。死んでも意識はあるのか。生き返ったら、この体験を本にでも書いて一山当てよるとしよう。

 タイトルはそうだなあ……『地獄からの使者』にでもしよう。――いかんいかん。これでは柊とやってることが変わりはしない。

 どうやら死ぬと、葬式が終わるまではまだこの世をうろうろできるらしい。俺は、死んだ時の格好をしている。

 大きく変わったといえば、天井のあたりで宙にふわふわ浮いているくらいだ。

 それは事故の時にあった吹っ飛ばされた時のような浮遊感ではない。完全に浮いている。重たい鎧を脱ぎ捨てたようだ。

 魂になった俺は、家族の前に立ち、「おーい」と声を掛けてみる。案の定、見えることも聞こえることもなかった。

 よく宗教などで聞く「体は魂の容れ物である」という説法があるが、本当のようだ。どうやら向こうの世界には、体は必要ないらしい。

 とにかく魂だけとなった俺は、葬式までの間、と言っても少しの二、三日くらいだろうが、幽体離脱ライフを満喫しようと考えた。

 お決まりではあるが、ありとあらゆる場所に潜入した。

 詳しい場所を挙げるとキリがないので省略するが、俺はこのスキルが生きている時にあればと、心の底から悔しがった。透明人間は全世界の男子の夢であると断言できるだろう。

 夜の帳も落ちきり、ネオン煌びやかな繁華街を徘徊する。魂になると寝ることも出来ない。日中に比べたらずっと人は減ったが、まだまだ夜はこれからと言った感じである。しかし、宙にいるから人ごみという煩わしいものからも解放され優越感に浸っている。ふと、右手にシリコンで出来たリストバンドのようなものが着けられ、リストバンド全体が緑色に淡く点滅していた。

 いつこんなものが付けられたのか訝しげな顔で考えている。

 記憶を遡っていくと、事故に遭って倒れている時に、柊が俺の右手の辺りで怪しい行動をしていたのを思い出す。

 全体の発光が終わったかと思うと、今度は、小さな点滅を繰り返す。

 よく見てみると、シリコンバンドにはAからZのアルファベットと1から0が刻み込まれていて、それが一つずつ等間隔で光っている。

 最初はCが光る。その次にTが光る。それにH・Eが続く。そして、R・I・G・H・Tと続き、点滅は終わる。

 「シーザライト」

 心の中で呟いて合点がいく。右を見ろということか。この便利なリストバンドに若干の感心を覚えつつ、俺は体を右へと向ける。

 地上には、柊が空に向かって大きく両手を振っている。通りすがる人々が好奇の目線を柊に送る。

 「やあ!久しぶりだね!久しぶりといっても、最後に会ったのは昨日だけど。魂ライフ楽しんでる?」

 深夜の繁華街で、誰にも見えない相手に話しかける柊。完全にサイコ野郎……もといサイコガールだ。

 「まず聞きたいんだが、お前には俺が見えて、俺の声が聞こえるのか」

 「うん。くっきりはっきりしっかりとね」

 「次の質問。このシリコンバンドはなんだ」

 「これは通信機。この世と向こうで連絡出来るよ。ちなみに、ローマ字入力が出来る優れもの」

 「じゃあ、なんで英語で送ってきた」

 「かっこいいから」

 俺はこんな短絡的な理由を言う奴を久しぶりに見た。

 「とにかく、これを使えば俺は柊と連絡が取れる訳か」

 「ザッツラーイト!」

 柊にしか見えない魂に向かって、指パッチンをしてから流れるように指を差す。

 だが、柊に向かうように歩いてくるサラリーマンを指差ししてしまい、サラリーマンはすっかり怯えている。

 「柊、ここだと人目につく。裏通りに入ろう」

 「オッケーイ!」

 柊が大きな声を出し、また周囲を怯えさせる。このままでは精神病院か脳の病院に収容されてしまう。

 「なんかねえ。眠いんだー♪」

 スキップ混じりで裏通りへ向かう。どうやら睡眠不足が原因らしい。生前まで怠惰な生活をしていた俺が言うのは何だが、生活のリズムを改善することを命ずる。

 裏通りにはそこそこ人はいたが、表に面しているところに比べれば随分とマシだった。

 「それで、これから俺はどうすればいいんだ?」

 柊にアドバイスを求める魂。

 「心配ないさー♪」

 また大声。劇団四季に出てそうな声量だ。今の言葉もどこかで聞いたことのあるフレーズだ。

 「お前、声大きいんだよ。少し静かにできないの?」

 透けている手で、柊の肩を叩く。素早く振り向く柊の目は少し充血している。

 「まあ、なんとかなるよ」

 声のトーンは普通に戻ったが、科白も何だか素っ気なくなった気がした。

 「とりあえず、向こうに着いたら連絡ちょうだい。連絡の仕方は、送りたい文章を作ってから、一回手を叩けば送信したことになるから。それでは少年、明日の葬式で会おう!」

 「それでは~」のところからテンションが上がり、また裏通りを行き交う全員に聞かれ、皆をぎょっとさせた。

 しかし、当の本人はどこ吹く風で駅の方へと足取り軽やかに向かっていった。今日はすぐに寝れることだろう。

 明日、とうとう向こうの世界へ行く。

 俺は、最後に潜入する場所を悔いのないようじっくりと思案した。


 俺は、朝まで潜伏先で過ごし、この世への未練を断ち切った。

 怪しげな商売が店を閉じ、サラリーマンが活動準備に入る頃、俺も移動を始めた。

 俺の葬式会場がある故郷へと足……は使っていては時間が無いので、ふわふわとビルに引っかからない程度の高さでひとっ飛びする。

 飛んでいるから30分くらいで着くからいいものの、故郷まではどんなにハイテクな交通手段を使っても3時間は掛かってしまう。

 しばらく飛ぶと、見覚えのある古ぼけた建物がちらほらと見え始める。

 なかでも、錆びが降り積もって赤茶けている駅舎の屋根が見えた時は、少し心が締め付けられた。

 俺の故郷から、都会に出た同級生は数える程度だった。その数えられる中に俺はいた。

 都会へと旅立つ日、気恥ずかしいからいらないと言ったのをよそに両親は見送りに来た。改札の外で泣きながら、腕がちぎれそうなくらいに手を振っていた。妹の姿はなかった。

 俺は両手に両親が持たせた荷物があったから手は振らなかった。顔も見せなかった。視界に涙が映り込みぼやけていた。涙のダムとなった目をカッコつけて見せたくなかったのだろう。

 誰もいない車両のボックス席の窓側を陣取り、入ってきた改札を横目で見ると、父が泣き崩れている母の肩を抱きかかえ、俺が旅立つ時間をじっと待っている。

 警笛の音と共に、車窓は車輪の低く鈍い音を立たせながらゆっくりと流れ始めた。

 流れだす車窓は、両親の顔をどんどん小さくしていく。俺は電車の中で涙のダムを少し決壊させた。

 スピードに乗ってきた3両編成は川を渡ろうと、駅のすぐ近くにある橋を渡るところだった。

 目線を橋の下にやると、川の水面は昼下がりの日差しを浴び、プリズムが光を乱反射させているようだった。

 逆光になって見にくかったが、この川に寄り添うように作られている土手に人影が見える。一つではなく三つの輪郭の曖昧な黒い影が伸び縮みして忙しなく動いているようだった。

 電車が動くにつれて逆光線は弱まり、視界は開けていく。

 人影はセーラー服を着た三人だった。二人は白地の布切れをお互い引っ張るように持って左右に立っていた。

 その左右に挟まれていたのは妹だった。電車に向かって両手を振っている。

 俺は窓を開け、彼女たちに少しでも近づこうと顔を出す。顔を切る風が、目に貯まっていた涙を吹き飛ばしていった。

 三人は俺が見つけたのに気づいたのか、白い布切れを放り出して嬉々としながら川岸へと手を振って駆け寄ってくる。

 手作りの拙い横断幕には、「がんばれ」の文字と、友達たちと書いたであろう落書きが見えた。

 どこまでも楽しそうな彼女は、川の乱反射よりも眩しかったのを覚えている。

 あの時両親の見送りと妹の応援に応えられなかったのを謝りたかった。死んでも死にきれない想いだった。もう死んでいるからどうしようもないのだが、そんな気分だった。

 しかし、感傷に浸っている時間もあまりなかった。

 俺は、ふわふわとした体つきで自分自身の葬式会場へと向かっていった。


 会場へ着くと、そこにはまばらながらもカラス族のような黒ずくめの人たちが寂しげな面持ちで生前の俺の思い出話が出るたびにしんみりとした雰囲気に包まれていた。

 小学校の友達から高校の友達、学校の先生から実家の斜向かいに住んでいたおばさん。自分に関わってくれた人間が全て集まってくれたような気がして少しうれしくなる。

 俺も会場の中に潜入し、周りがよく見えるように、部屋の主役のように鎮座している棺に腰を下ろした。

 式はしめやかに始まった。すすり泣くような声がかすかに聞こえる。

 その歔欷(きょき )の中、袈裟に包まれた坊主が俺の前に重そうな体を椅子に収めて読経を始めた。

 俺は、坊主の真面目そうな顔を見て、何だか笑わしてやりたくなった。それに坊主なら、魂とかあの世などというオカルティックな現象にも多少の理解があるから見えるのではないかと、今更ながら試したくなった。

 俺は自分の出来るであろう最大限の力で変な顔を作った。片目を瞑って口を尖らせてみたり、両目を最大まで見開いてみたりとやってみたが、坊主はピクリともせずに、低くくぐもった声で読経を続けていた。

 しかし、坊主に反応は無かったが、遺族席の後ろに設けられていた参列者たちが座る席から、波風一つ立っていない水面に石ころを投げ込むかのような吹き出す声が聞こえた。

 読経を続ける坊主以外の視線がそこへ向かった。

 そこには柊が座っていた。わざわざこんな片田舎まで来ていたのか。

 視線が集まると、柊は咳払いをしてすぐに白々しく涙ぐみはじめる。この切り替えの速さはオスカー賞をもらった女優だって裸足で逃げ出すだろう。

 焼香の時間になった。

 懐かしい面々が次々と近くにやってくる。多くの面々は、涙で顔がぐしゃぐしゃだった。そんな顔を棺に座って見ていると俺もなんだか悲しくなってくる。

 最後に問題児の番になった。

 柊と初めて会った時は、パーカーと膝小僧が隠れるくらいのショートパンツを着ていて、会う時はいつも似たような格好だったが、今日は黒一色に体を包んでいた。

 伏し目がちに焼香台の前に立つと花に囲まれている遺影を淋しそうな顔で見上げている……訳ではなく、棺に座っている俺を見て、さっき俺のやった変顔を真似しながら笑みを堪えるので必死な様子だった。

 焼香を熱帯魚に餌をやるようにさらりと終わらせると、俺に一瞥をくれてから席に戻ろうとしていた時だった。

 「智浩くんのご両親ですか」

 柊は焼香台の前から遺族席に向かって声を掛ける。遺族席に親が座らずに誰が座るというのか。何とも白々しい質問の成り行きを俺は棺の上から見守っていた。

 「私、神原( カンバラ)と言います。智浩くんとは大学で知り合い、大変良くして頂きました」

 この静かな空間でも物怖じせずにはきはきと話したあと、丁寧なお辞儀をする。

 遺族席の面々はつられるように会釈を返すのを見ると柊は話しを続ける。

 「大変無躾で厚かましく、かつ決して信じていただけないとは思いますが、私の話しを聞いていただいてもよろしいですか」

 「どうぞ」

 沈痛な面持ちな面持ちで母が返事を返す。

 「私は智浩くんを蘇らせることができます」

 再びの静寂。無理もない。突然現れた謎の女がよりにもよって葬式の真っ最中にサイコ極まりない発言をし始めたのだから。

 「あんた!いきなり何言ってるんだ!私たちのことを馬鹿にしているのか!息子が死んで打ちひしがれているというのに、そんな訳の分からん妄言でさらに私たちに鞭を打つというのか!」

 ハレー彗星が流れるくらいに、父が怒ることは珍しかった。父は立ち上がり、柊の方へと詰め寄っていく。

 柊のサイコ発言により場内はどよめいたかと思うと、柊を弾劾する怒号が響き渡り、俺の葬式なんぞは何処かへ吹っ飛んでしまった。

 「私たちの智浩は死んだんだ。生き返ってくれればどんなことだってしたい。だが、人が生き返ることなんてありえないんだ」

 父は平静を取り戻したのか、少し乱れた髪を手櫛で整えながらいつもの静かなトーンで語りかけた。

 「そうですか。無礼なお話しの数々お詫び申し上げます。それでは失礼します」

 柊は会釈をすると、自分の座っていた席には戻らず、そのまま会場を出て行った。

 サイコガールがいなくなったおかげなのか、会場は一気に厳かさを取り戻した。

 俺は、サイコガールを追って外へと出てみることにした。棺から軽い腰を持ち上げ、座っている人たちの少し上を浮遊する足取りでロビーへと向かう。

 ロビーの片隅にある長椅子に腰を下ろしているのを見つけた。

 「よお」

 「やあやあ、ドロップも来てたの?」

 「まあな、どれだけ人が来るか見てみようかと思って」

 「大学生の割に結構来てたね。葬式に来ている人の数で、生前その人がどれだけ愛されてたかがわかるね。ドロップは中々の愛されボーイなんだね」

 柊はけらけらと笑う。しかしロビーにいた係員には、柊が一人で笑っているようにしか見えず、眉を潜めて不審人物を見るような目で彼女を見ていた。

 「おい、ウチの親をあんまり悲しませるなよ」

 「いいお父さんだね。あんなに真剣に怒ってた」

 「そりゃあ親は何処もそんなもんだろう」

 俺は柊の隣に座る。

 「お前、いきなり蘇らせるとか言うなよ。完全にアブない奴扱いだったぞ」

 「いやほら、曰くつきの場所に埋めると蘇って戻ってくるかもしれないし」

 「それ、ペットセメタリーじゃんか。それだと生き返れても精々ゾンビまでだよ。俺は完全体で戻りてえよ」

 俺はぶっきらぼうに吐き捨てる。

 「それもそうだ。あ、そうだ。向こうに着いたら連絡忘れないでね」

 柊は俺の方を見ながら念を押す。

 「わーってるよ。そう何回も言うなよ、姑じゃないんだから」

 ロビーの方が騒がしくなってきた。俺の葬式が済んだのか、会場から見知った顔がぞろぞろと出てくる。

 どうやらこれから火葬場に行って俺の体でキャンプファイヤーするらしい。

 体がこんがりきつね色になるまでグリルされると、俺のこの世での人生は終わる。

 「柊、お前火葬場行かないの」

 「うん」

 「なら、俺もいいや」

 「出よっか。もう用ないでしょ」

 「そうだな」

 俺と柊は、揃って会場を後にする。ロビーの係員は形式的なお辞儀をして見送った。もちろん係員たちには俺のことなんかちっとも見えてはいない。

 「これからどうしようか」

 柊は、会場の息苦しさから解放されたかのように伸びをして俺に問いかける。

 「歩くか。俺足無いけど」

 柊は笑った。俺もつられて笑った。

 「俺の田舎を案内するよ」

 「それいい!そうと決まれば早速レッツゴー!」

 柊は拳を突き上げる。レッツゴーって…今時言う奴いるのか。俺は苦笑いしながら歩を進めることにした。

 火葬が終わるまで、大体2時間くらいだろう。それまで柊を案内しながら、この故郷の景色だけはゆっくりと咀嚼するように脳裏に深く刻みこもうと決めた。

 赤茶けた屋根がある駅をスタートに、小学校、中学校、小学生の時に通いつめた駄菓子屋、そこで菓子を買って食べながらぶらついた。よく遊んだ神社の境内や俺の実家まで、駆け足ではあったが、その場所で覚えていることを身振り手振りを交えて説明した。

 その思い出話を聞く度に柊は、笑ったり、悲しそうな顔になったり、少し怒ってみたりと喜怒哀楽を爆発させた。

 最後に、川へやってきた。

 あれだけ高く昇っていた太陽も、辺りをオレンジ色に染め上げて夜になる準備を始めていた。川沿いの土手の中腹に腰を下ろすと、川もオレンジ色に乱反射しているのが見えた。川に掛かる鉄橋を電車が行く。

 俺は鉄橋を指差し、柊に見送りに来てくれた妹の話をした。柊も黙って聞いていた。

 「いい妹だね」

 話を聞き終えた柊はぽつりと呟く。川はさらさらと流れ続ける。

 「あのう……すみません」

 どこかで聞き覚えのある声が話しかけてくるので、振り返って見ると土手のてっぺんには妹が立っていた。

 「なんでしょうか」

 柊がお尻に付いた芝生を払い落としながら立ち上がって妹のそばに寄る。

 「あの、私、佐久間智浩の妹で菜月(ナツキ )って言います。神原さんですよね?」

 「妹さん、私今あなたの話しをドロップ……いいえ、あなたのお兄さんから聞いていたの」

 「お兄……兄はまだここにいるんですか!?」

 普段の呼び方でもいいのに、と俺は思いながら話しを聞いている。

 「私のすぐ隣にいるわよ。でも、そろそろ向こうの世界に行っちゃうよ」

 「神原さん、お葬式の時に、兄を生き返らせる事が出来るって言ってましたけど、本当ですか?」

 「本当だよ。現にお兄さんは、生き返る準備をしているよ」

 準備と言ってもボロい紙を持たされているだけだが、蘇る気満々で向こうへと行くつもりだった。

 「だけど、一つ大きな問題があるの」

 俺は柊の方を睨みつけた。このアマまだ何か隠していやがったな。と言わんばかりに。

 「お兄さんの体、燃えちゃうでしょ?そうすると蘇ってくる時に魂が入れなくて、生霊みたいになっちゃうの」

 「おい」

 思わず俺は口を挟む。

 「なんでお前は大事な事を全部話さないんだ?」

 「いやあ、心配するかと思って」

 「神原さん、どうしたんですか。いきなり一人で話し始めて」

 菜月が心配そうに尋ねる。

 「私の隣にお兄さんがいるんだけど、今の話聞いてないって怒ってるの」

 「隣に兄がいるんですか!?」

 「うん」

 柊は微笑みながら相槌を打つ。

 「お兄ちゃん!大丈夫!?」

 菜月は声を張り上げて、俺に問いかける。そんなに大きな声で話さなくても聞こえてはいるのだが、答える事が出来ないのが何とももどかしい。

 俺は所在無さげに辺りを見渡していると、菜月の少し後ろに拳くらいの大きさで先の尖った石を見つけた。そして、足元は未舗装で踏み固められたあぜ道のような田舎の土手。

 俺は、拾い上げた尖った石ころを鉛筆、あぜ道をノート替わりにして、菜月の足元にがりがりと書き殴り始めた。

 『大丈夫』

 「お兄ちゃん!」

 菜月の目は少し潤んできている。俺は続けて石ころで刻みつける。

 『必ず帰る。両親を頼む』

 俺の目には涙が貯まる。菜月からは見えないのだから泣いてしまおうとも考えたが、柊がチクるだろうから頑張って我慢することに決めた。

 しかし、文字に水滴が落ちた。これは俺の涙ではない。立ち上がって振り返ると、菜月が顔を両手で押さえて隠すように泣いていた。指の隙間を伝い、涙がぽたぽたと垂れていた。

 俺は視界はぼやけていたが妹の頭を撫でた。どうせ菜月は気づきもしないだろうがなんだか撫でずにはいられなかった。

 その瞬間、うなだれるように顔を伏せていた菜月は涙に濡れた顔を上げた。ちらりと横目をやると柊も少し驚いていた。

 菜月の目線は、完全に俺の目を捉えていた。

 「お兄ちゃん……」

 呟くのと同時に、菜月の涙が頬を伝って俺のつま先にひとしずく落ちた。

 その時だった。

 つま先は風にさらわれる砂のようにさらさらと何処かへ行ってしまった。

 「ドロップ!始まるよ!新しい人生が!」

 その光景を見た柊は叫んだ。

 「そうか。ちょっくら行ってくる」

 菜月から二歩程後ろに下がった。このままだと菜月まで巻き込んでしうかもしれないという用心のためだった。

 「柊、これから言うことを菜月に言ってもらっていいか」

 「うん」

 柊は現世と魂を繋ぐ通訳という感じだった。霊媒師の仕事をさせてはどうだろうか。まあ、あまり仕事の数は多くなさそうなのが少し問題だが。

 「俺、必ず帰ってくるから。」

 柊は俺の言葉を菜月に伝えた。

 「私も伝えてもらっていいですか」

 「声は聞こえてるから、そのまま話して大丈夫だよ。聞かれたくない話しなら私どっか行ってようか」

 「いいえ、大丈夫です」

 「あったりまえでしょ!早く帰ってきてお金返してよ!」

 菜月は涙を流しながら

 そうだった。金を借りたまま大学に行ってしまったため、俺の中ですっかり終わったことだと思っていた。借りた方は忘れてても貸した方はいつまでもおぼえているものだ。

 しかし言葉の内容とは反対に、拳は震えていて涙は止まらなかった。精いっぱい泣いているのを誤魔化す為に、全く関係ないことを言ったのだろう。

 それを聞いた柊は笑った。もう腰まで消えていたが、俺にも笑みが溢れた。

 「柊、菜月」

 俺は二人に声を掛ける。

 「ちょっくら行ってくるわ。またな」

 俺は消えかけていた右腕を水平に起こし、歯をむき出しにして笑顔を作り、親指を空に向かって立てた。

 柊も、同じようにしてそれも応えた。菜月も釣られるように同じサインをつくる。

 「『じゃあね』、じゃなくて『またな』ってところが泣かせるねえ」

 柊は笑って言葉を続ける。

 「でもそのほうがしっくりくる。またね!」

 「またね!」

 続けるように言った菜月の声は、まだ泣いているのか嗚咽が混じり震えていた。こういう時は笑って見送ってやるのが礼儀ってもんだろうに。

 そう思ったところで俺の魂は完全に消え去った。さらさらと川の方へと飛んでいく。

 「いっちゃった…」

 柊がそう呟くと菜月は、鉄橋の方へ向かって走りだした。

 「お兄ちゃん、がんばれー!」

 涙を振り払うように、声を張り上げて走り出す菜月を追うように柊も走り出す。

 「せーのっ、がんばれー!」

 俺は、またこの場所で見送られてしまった。

 だけど、この場所で見送られるとどこまでも頑張れるような気がした。

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