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QED ― 高梨遥の場合

          ■


 〈勇者〉を飲み込んだ魔法陣が消え去ると、なぜかそこはただの砂浜だった。廃墟のような海の家は、どこにもなかった。

 何気なく腕時計を見ると、あれだけ話し込んだというのに、合宿場を出てからまだ15分しか経っていない。


 すごいな、時間魔法。完全にチートでしょ。


 〈こちら〉の御木本会長は、何事もなかったかのように、しゃがみこんで足元の砂を弄っている。と、何かを見つけたのか、慎重に砂山から何かを拾い上げた。


「すまんな高梨、ワガママに付きあわせちまって」


 苦笑しながら、会長が言う。

 私の知っている、でも知らない、御木本進。


「――構いませんよ。いつものことです」


 時間魔法によってこの時間線がどんなふうに「調律」されたとしても、とりあえず違和感なく通じるであろう言葉を、返す。

 会長は照れ笑いしながら、立ち上がった。その長くて細い指先には、綺麗な貝殻が摘まれていた。


「永末が、貝殻コレクターでな。

 でも高梨を見習ってるのか、この親睦会でも裏方に徹してるだろ?

 貝殻集めに行く時間が取れなかったら可愛そうだな、と思ってな」


 ははあ。お熱いことで。

 そして相変わらず、妙に気が回ることで。


 それから私たちは車道に戻って、コンビニまでの長い道のりを歩いた。

 道すがら、会長はいつものように上機嫌で、私はいつものようにその軽口を適当にあしらい続けた。


          ■


 スナック菓子が詰まった袋を持って(ペットボトルを詰め込んだ袋は会長が持った)、陽炎が立ち上る晩夏の海辺道を歩きながら、私は散漫に、いろいろなことを思い出していた。


 そして、ふと、思った。


 ユスティナの孤独を、誰が救えるのだろう。

 ユスティナの孤独に、誰が追いつけるのだろう。


 〈魔王〉と誹られながら、ただ世界の敵であるだけのために、世界の敵であり続けたその孤独を、誰が語り得るだろう。

 一縷の望みにしがみつき、およそ人が耐えるべからざる重荷に耐え続け、ついに絶望に挫けたその孤独を、誰が論じ得るだろう。


 もしかしたら、それは語りえぬものなのかもしれない。

 であるならば、沈黙すべきだろう。

「天と地の間には、"your philosophy"には思いも及ばぬほど、多くのもの」があるけれど、真に孤独が癒やされたとき、「生きることはとても簡単で、難しいことではなかった」。


 そこに言葉は、必ずしも必要では、ない。


 でも、語りえぬからこそ、語るべきなのかもしれない。

 であるならば、人生を賭して、物語るべきだろう。

「書こう。時の流れを越えたその遥か先にある砂漠のような人生、そこで私自身が見た女のドラマを、書いてみよう」と語られたあのインドシナの紫の浜辺の音を、今の私は、我と我が身のように感じる。


 その言葉は、語られなくては、伝わらない。


 難しい、問題。

 おそらく私では、この問題の綺麗な解には、辿りつけない。

 こんな人類史レベルの難問、どう考えたって手に余る。


          ■


 合宿所に戻ると、案の定、梓先輩に冷やかされたりもしたが、それ以上は何もなく、飲み物とお菓子の追加を得た親睦会は更に盛り上がった。

 会長と永末さんは傍目に見てもお腹いっぱいになるくらい良い雰囲気で、星野――ダメだ、まだ慣れない――宮森先輩も幸せそうだ。


 ちょっと驚いたのは、有原先輩が合宿場にいたことだ。

 私の記憶が正しければ、有原先輩の意識が戻ったのは前夜祭の夜で、それから体調は急速に回復したものの、まだ出歩けるほど回復していなかったはず……と思ったが、こういうことはさっさと忘れてしまうに限る。それが多分、この世界のためだ。

 それにそんな差異など、有原先輩が地味系ボクっ娘でなかった(むしろゴージャスでナイスバディな眼鏡美人さんだった)ことに比べれば、些細な問題に過ぎない。

 つうか〈勇者〉はよくこの人とイリスの相似関係に気づいたな。全然別人じゃん――って、あ、あ、あああ! そうか! 有原→在原→在原業平→カキツバタ→あやめ科→イリス か!

 すごい。〈勇者〉凄い。やっぱり全然関係ないじゃん。


 有原先輩は宮森先輩につきっきりだったから、なかなか話をするチャンスがなかったけれど、夕方のバーベキュー大会に向けてキッチンで地道に串打ちをしていたら、ふらりとその場に姿を現した。


「――飲み物、足りなくなりました? 冷蔵庫にまだ……」


 ネギと胸肉を交互に串に刺しながらそう言うと、有原先輩は「飲み物はまだまだあるから、大丈夫よ」と一言。


「実はね、謝りに来たの。静香が、ずいぶん迷惑かけちゃったみたいね。

 とりあえず制服の件、あとでお金、請求してね。

 そういうのを曖昧なままにしとくの、私、ダメなのよ」


 例の自殺未遂のときに返り血で汚れた制服は、クリーニングしてもなお、サスペンス劇の舞台衣装にするしかない仕上がりで、新調するしかなかった。


「あー、あれは学校が払ってくれました。

 ですので、もしお気持ちを頂けるなら、生徒会予算にでもご寄付頂ければ」


「しっかりしてるね。分かった。10口ほど、寄付入れとく」


 10口=20まんえんだが、有原先輩にしてみれば小遣いにもならない金額なのだろう。ここは有難く受け取っておくことにする。


「それで、これは謝罪の延長なんだけど、あなたにも先に報告しておくね。

 私と静香、正式に結婚することにしたから。

 式を挙げられるのはちょっと先になりそうだけど、そのときは招待させてもらえると嬉しい」


 お、おう!? 思わず串打ちの手を止めて、有原先輩の顔をまじまじと見てしまう。


「私ね、『美味しそうなものが2つあったら両方食べる』人間でさ。

 だから、オリヴァーと静香、どっちかだけを選ぶなんて、できなかった」


 オリヴァーというのは、たぶん、有原先輩の、亡くなった旦那さんか。

 しかるにイリスは、こっちでも、「両手に花」のタイプか。


「でも日本の古い社会って、結婚してるっていうのが社会的信用になるのよね。

 だから特に何も考えずに、オリヴァーとの結婚を決めたの。

 それが静香を傷つけるだなんて、想像もしなかった。

 私たち3人の実生活は何も変わらないよって何度も言ったのに、泣いてばかりでね」


 うわあ……それはまた――

 このレベルの天才馬鹿と付き合ってたら、そりゃあ、命削りますわ……


「でももう、決めた。私は一生、静香だけを、嫁にする。

 静香と、生まれてくる子を、愛する。

 償いとかじゃなくて、私が、そうしたいの」


 なるほど。

 なんとも、パワフルな人だ。


「ごめんね、お仕事、邪魔しちゃったわね。

 手伝ってあげたいけど、私は料理に関わるなって静香に釘刺されてるから、『手伝わないことをもって手伝いとする』ことにさせて?」


 私は、いいですよ、と笑って、串打ち作業に戻った。

 有原先輩も小さく笑うと、じゃあ後でと言って、キッチンを出て行った。


 よくわからないけれど、私はなぜか幸福な気分を噛み締めながら、ひたすら串打ちを続けた。


          ■


 バーベキューは大いに盛り上がり、梓先輩と会長をツートップとして、誰もが呆れるような量を食べた。

 おかげで、明らかに作りすぎになっていた串焼きは、綺麗さっぱり消費された。ありがたい。


 食後は、お約束の花火大会になった。

 男子どもはロケット花火による射撃戦を始めそうになったが、梓先輩の鶴の一声で戦争は迅速に回避された。流れ弾が宮森先輩にあたったら、シャレにならない。

 とはいえ、〈夏の〉〈海岸で〉〈花火〉。この最強の組み合わせの威力は絶大だ。あちこちでカップルが良い雰囲気になり、ぼっち族はぼっち族で、大きめの打ち上げ花火に連続点火したりして楽しんでいた。


 線香花火の玉をくっつけあって遊んでいる芝田先輩と梓先輩――お二人がそれやってると、めっちゃ隠喩的にエロいんですが――を見ながら、私は合宿所の縁側で涼んでいた。


 涼みながら、コンビニからの帰り道に考えた、あの難題を、思い出していた。


 私はきっと、これからもユスティナのことを思い出し、悩み、考え、ときに記録にしようとし、物語にしようとし、そしてその度に諦めたり、諦めなかったけれど満足のできるものに仕上がらなかったりしながら、圧倒的に多くの場合、「無題」と表示されただけのエディタの前で眠れぬ夜を過ごすだろう。


 でもきっと、それで、いいのだ。


 だってユスティナも、私も、そういう人間(エレファント)なのだから。

 いまさら綺麗(エレガント)ぶって見栄を張るくらいなら、最初から総当りで、ぶちかませばいい。


 たとえ最期まで、解に辿りつけなかったとしても。


 そこに解なんて、なかったとしても。


          ■


 そんなことを考えていたら、気がついたら横にエマちゃんが座っていた。

 エマちゃんも、みんなが花火を楽しむのを、見るでもなく、見ている。


「ねえ、エマちゃん」


 特に意識せず、隣に座るエマちゃんに、話しかけた。

 なんですの、といった風情で、エマちゃんがこっちを見る。


「私、エマちゃんのことが、好きです」


 エマちゃんは、特に驚いたような顔もしなかった。


「そうですの? でも私を落とすのは、大変ですわよ?」


 そんな気はしてました。


「私、国に恋人がおりますの。

 帰国したら、本格的に同棲を始める予定ですわ。

 遥さん。あなたは彼から、私を寝取る覚悟と自信が、おあり?」


「やってみなきゃ、わからないでしょう?」


「でも遥さん、未経験でしょう?

 しかも、どう見ても、乗算表記すれば右側でしょう?

 それがいきなり寝取りにチャレンジだなんて、ハードルが高くありませんこと?」


「まあそれも、ヤってみなきゃわからない、ってことで」


「それに私、面倒くさい女よ?

 本当は私、こんな感じで、普通の日本語を話せる。

 でも外国人が綺麗な現地語を喋りすぎると、現地の人に警戒されてしまう。

 それで自分なりに工夫して編み出した処世術が、現地の人が思う、フランス人ならではの訛りを再現すること。中国人が『アルヨ』って喋ると、コミカルだと思ってもらえるのと、同じね」


「そういう秘密とか、処世術とかは、誰にだってあるでしょ?」


「……そうかもしれませんわね。

 でも今のことは、遥さんの胸のうちに収めておいて頂けると、ありがたいですわ」


「構いません」


「感謝しますわ」


「じゃあ、目出度くエマちゃんが私に借りを1つ作ったのを記念して、さっそくその借りを返して欲しいんですけど」


「……日本人は交渉が下手だなんて言ったのは、どなたなのかしら」


 少し呆れたように笑ったエマちゃんの小さくて可愛い唇に、私は素早くキスをした。


 遠くで、花火が打ち上がった音がした。

 私は唇を離し、もう一度、告げる。




「エマちゃん。

 私は、あなたのことが、好きです」




【第6部:ユスティナの方程式・完】


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