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QED ― ユスティナの場合

 〈勇者〉が――ススムが、何かを仕掛けてきた。

 それが私に認識できた、最後の記憶だった。


          ■


 気がついたら、胸のど真ん中に、剣が突き立っていた。

 魔術の構築を阻害する効果を持ったその剣――確か〈天空の怒り〉とかいう名前だ――は、その効能書き通りの効果を発揮していた。魔法を構築しようとしても、まるで魔力回路が組み立てられない。


 いや、〈天空の怒り〉のせいでは、ないかもしれない。

 心臓を貫かれた痛みは、とてもではないが、まともに魔法を行使できるレベルを超えている。


「吸血鬼を殺すには、どうしたら?」

「心臓を白木の杭でぶち抜け」

「それで死なない奴っているんです?」


 脈絡もなく、そんな小話を思い出す。

 やれやれ、心臓を貫かれておいて、まだこんな余裕があるだなんて、私はいよいよ人間ではなくなっていたらしい。


 それも、当然か。

 〈魔王〉を始めて、そろそろ20年。

 ただの人間のままでは、弱肉強食の魔族世界に君臨し続けるなど、不可能だった。


 喉の奥から、血塊が上がってくる。

 心臓以外の臓器も傷ついたか。

 呼吸が苦しい。



「ユスティナ。待たせたな」



 霞む視界を、声のした方に向ける。

 そこには、ススムがいた。

 かつてあれほどまでに愛し、そして憎んだ男。

 もう中年と言って良いくらいに老いているが、その声は、昔と変わらない。


 かつて、〈魔王〉を討伐すべくその居城に乗り込んだ私たちは、罠にかかって散り散りになった。

 なんとか合流できたのは、ススムとイリス、そして私。

 だがそこに魔族が総力をあげて襲いかかってきた。

 ススムの子を妊娠していたイリスは戦力にならず、やがて私たちは断崖絶壁へと追い込まれ――そしてススムは、足手まといになるまいと自ら身を投げたイリスを追って、崖から飛んだ。


 崖の上に一人残された私は、落ちてきたススムを抱きとめたイリスが渾身の力を振り絞って翼を展開し、遥か遠くへと滑空して去っていくのを、呆然と見つめた。


 私は、魔族の大群の前に、捨てられたのだ。

 確実な死か、それよりも悪い未来だけを、残されて。


 でも私は、もう一度だけ、彼に会いたかった。

 「お前を捨てたんじゃない」という、虚しい言い訳が聞きたかった


 だから私は、彼に再会できる、唯一の選択肢を選んだ。

 それは、当時の〈魔王〉を魔術決闘で破り、自分が〈魔王〉になる道。

 〈魔王〉であり続ければ、いつかススムは、私を討ちにくるだろう。

 世界にとって最悪の敵であり続ける限り、ススムは必ず、どんな手を使ってでも、私を殺しに来る。


 私はそれに賭け――そして、賭けに勝った。


「相変わらず、無茶をする奴だ。

 ここまでやれるのは、お前くらいだよ」


 この声は……アイリスか。

 彼女もまた、ススム同様、歳相応の老いた姿になっていた。

 とはいえ鍛えあげられた体は相変わらず筋骨隆々としていて、そこらの魔族と剣で一騎打ちしても、悠々と勝利するだろうが。


「私もそう思いますわね」


 耳を疑った。もう二度と聞けないと思っていた、声。

 必死で、声のしたほうを見る。

 そこには、昔となんら変わらない、美しい女性がいた。ロージィだ。


「――呪いが、解けたの、ロージィ?」


 血を吐きながら、なんとか声を出す。


「つい先ほど、サニアさんが呪いを解いてくれましたわ。

 おかげで私だけ、時代に取り残された気分です。

 ご紹介しますわね。ススムとイリスの長女、サニアさんです」


 ロージィが示した先には、まだ少女といっていいような女魔術師がいた。

 その手に持つ杖は、マルキ家が伝える秘宝、〈蒼海の杖〉か。

 まったく、実にススムらしい。〈魔王〉を倒すために、世界中から伝説級の魔術具をかき集めたのか。


 しかし、サニア、ね。


 言われてみれば、イリスの面影があるし、ススムにも似ていなくもない。

 でもイリスさえ匙を投げた、ロージィの呪いを解いたのだから、その能力は折り紙つきということだろう。


「――イリス、は……?」


 一言一言、口にするのに、決死の努力がいる。


「イリスは、死んだ。サニアを産んで、すぐだった。

 最期まで、お前に会いたがっていたよ。

 〈魔王〉の玉座に私も座ってみたい、ユスティナに魔術決闘で勝てば座れるんでしょって、羨ましがってた」


 思わず、苦笑が漏れる。


「お勧め、しません、ね……

 実際に、座ると、自己嫌悪しか――ありません」


 勇者もまた、悲しそうに微笑んだ。


「それより……まさか、ロージィに、会えるだなんて――

 私は、ツイて……る。

 おかげで、安心して、託せる――」


 ロージィが不思議そうな顔をしながら、私に近寄ってきた。

 懐かしい、加護のオーラを感じる。


「私に、ですか? 何を託すと?」


 震える手で、懐から金色の鍵を取り出し、ロージィに差し出した。


「〈円盤〉の、実験は――知ってると、思う。

 あの実験で、使った〈円盤〉、の、汎用性と――

 効率、耐久性を……20万倍くらいに、高めたものが、

 この城の、地下に、あるの。

 動かせば――理論上……この世界、から、魔法が、消える」


 前回は風の魔力粒子を狙い撃ったのが、失敗の原因だった。

 今回の円盤は、純魔力粒子を自己浪費する。世界でただ一人、「魔力」領域の魔術を使える私だけが作れる、壮大な技術の無駄遣いだ。

 この円盤は、一度駆動させれば、世界にどれほど純魔力粒子があろうとも、やがてそのすべてを食いつくすはずだ。たとえすべては無理でも――つまりどこに巨大な供給源があったとしても――濃度はぐっと落ちる。事実上、魔法は使えなくなるだろう。


「まあ。そんな危険なものが?」


 鍵を受け取ったロージィは、目を丸くした。


「危険、かな? 私には――世界を、たった一人が、気まぐれに滅ぼしうる、

 そんな……魔法がある、ほうが、よほど危険に――思える、よ」


 でもロージィは、渋い顔だ。


「ですがその魔法のおかげで、飢えや乾き、病や怪我から命を救われる人もまた、多いでしょうに」


 その指摘も、尤もだ。魔法は所詮、道具に過ぎない。

 それをどう使うかが、本来の課題だ。


「そうだね――だから、この鍵は……ロージィが、持って。

 円盤を、起動させるには――これが、要る」


 激しく咳き込んだ。大量の血が、胸元に散る。


「不格好、だけど、これは――私なりの、ロージィの、思い出なの。

 魔法を、封じれる……ロージィのことを、思い出しながら――作った」


 ロージィは、「お馬鹿さんね」と言いながら、優しく私の頭をなでてくれた。


「もっとも――仮に、魔法を封じた、ところで……

 人間は、また別の手段で――世界を滅ぼす力を、手に、入れる。

 きっと、ね」


 アイリスとススムは、小さく頷いた。

 彼らは、力とはどういうものかを、熟知している。


「だから、これは――もし、必要なときがきて……

 そのときに起動させても、時間稼ぎにしか、ならない。

 使うか、どうかは、ロージィが――決めて。

 でも、その効果を……過信、しないで」


 視界が暗くなってきた。私は、死にかけている。

 でも、もう少し。もう少しだけ。


「私は、信じるよ――人は、少しずつでも……前に、進める。

 昨日より、今日。今日より――明日。

 どんなに否定、しても、世界は、きっと、良く……なってる。

 生きることを、続けることを、諦めなければ。前に――進める」


 何度も、何度も、ススムは頷いた。


「だから――これは、万が一の……保険。

 魔法を、封じ――それでも、また世界を……滅ぼす力を、得るまでの、間。

 その間に、ほんの少しだけ、みんなが、賢くなって――

 そしてまた、みんなで――前に、進む。

 それが、最後の魔王の……最期の、願い。

 任せて、いいかな、ロージィ?」


 うっすらと涙を浮かべながら、ロージィは頷いてくれた。


「じゃあ――そろそろ、楽にして、もらっていい?

 これ、見た目通り、結構……痛いんだ」


 私は弱々しく笑いながら、アイリスを見る。

 アイリスは首を振り、ススムのほうを見た。

 両目にいっぱいの涙を浮かべたサニアも、懇願するようにススムを見ている。


 ススムは、ひとつ深呼吸すると、頷いた。


 ススムの手が、私の肩に触れる。

 すぐに、彼の剣が、私の首を落とすだろう。

 それで、いい。

 〈魔王〉は、〈勇者〉によって討たれなくては。




 でもそのとき、突然、視界が開けた。




 目の前で、巣から雛が飛び立っていくかのように、無数の〈可能性〉が分岐していく。

 萌え出づる新芽のようにそれぞれの〈未来〉は伸び、その先で分岐し、まるで巨大な樹木のように広がっていく。



 世界樹だ――



 脈絡なく、そんなことを、思った。


 私は恐る恐る、その生まれたての〈可能性〉を、覗きこんでみる。

 どの〈可能性〉の先でも、人はときに苦しみ、ときに悲しみながらも、明日を信じながら毎日を生きることを止めなかった。そこには無数の涙と、流血と、孤独と、そしてそれに数倍する笑い声と、微笑みと、祈りがあった。


 想像もできない魔術が駆使され、見たこともない機械が動く世界。

 生物学の常識に反する奇妙な生物と人間が、共存共栄している世界。

 〈宇宙〉と称される漆黒の深淵を旅し、ときにそこで戦い、それでも更なる新天地を信じた人々が無限の彼方を目指す世界。



 そのどこにも、私はいない。それが、少しだけ、悔しかった。



 でも、どうしようもないことなのだ。

 今でこそ、分かる。

 私が死ぬことで、〈可能性〉は、再び拓かれた。

 私こそが、この無限の可能性を、せき止めていたのだ。


 にも関わらず、ススムはちゃんと、約束を守ってくれた。

 私に、未来を見せてくれた。

 それで、十分だ。



 この上ない満足感と幸福感に包まれながら、私の意識は闇へと沈んでいった。




 ありがとう、ススム。




 さよなら――未来。


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