もしかして:本気
タクシーの中で、私は固くスマホを握りしめていた。
宮森おばさんは、圏外。ちょうど今頃は、市議会議員さんと食事をしているはずだ。ワンチャンと思って鳴らしてみたけれど、案の定の結果。
院長先生の携帯も、圏外。もしかすると、おばさんと同じ会食の席だ。
祈るように、最後の可能性に向かってダイヤルする。
お願い。どうか、非番であってください、栗原先輩。
■
推理としては、実にシンプルだ。
院長先生のストーカーである、元看護婦の本庄さん。
彼女にとって、星野先輩(宮森先輩だが、思考が混乱するので、今しばらく星野先輩で通す)が退学処分を受けたというのは、納得できない処分だったはずだ。
なぜなら、彼女の仮説においては――というか彼女の世界においては、院長先生と星野先輩、そして宮森学長は、「カネと暴力とセックス」でつながっているはずだったから。
なのに、星野先輩には退学処分が下された。この事実は、本庄さんの仮説と上手く符合しない。
だがここに来て、星野先輩が宮森学長の養子として迎えられるという、本庄仮説にとって理想の展開が発生した。
養子の件は秘密だったが、あのネームプレートは、小さな、しかし致命的なセキュリティ・ホールだ。
きっと本庄さんは、あのネームプレートの変化を、もう知っているだろう。
あの手の人物の執念と、それがもたらす情報収集能力を、舐めてはいけない。ネームプレートを朝に掛け替えたなら、昼にはその情報は伝わっていると考えるべきだ。
彼女は、自分の仮説の正しさを確信しただろう。「宮森静香」のネームプレートは、彼女の仮説を決定的に裏付ける、これまでにない具体的な証拠だ。
では、大病院の院長と、大企業のCEOにして有名進学校の学長、そしてその進学校でも指折りの才女。この3者による「強固で邪悪な結びつき」に対して、本庄さんは何をする?
――実は、ここについては現状、ノーアイデアだ。
本庄さんが具体的にどんな動機で、何を仕掛けてくるのかを、手持ちの情報から特定することはできない。
でもその動機や手段と関係なく、本庄さんは、星野先輩を狙う。
なぜなら星野先輩は、本庄さんの組み立てた陰謀論の鎖における「最も弱い部分」だからだ。
この手の人間は、必ず、低きに流れる。独自のロジックによって作り上げた「世界の真相」に対して、自分でも実行できる制裁――板塀に落書きをするとか、上履きを隠すとか――を発見したが最後、今度は逆に、その制裁を正当化するロジックを再発見するのだ。
そして実のところそれは、陰謀論者に限らない。
ユスティナが何度も見てきた、「ごく善良かつまっとうな正義感を持った人々」が選ぶ行動様式の、ひとつでしか、ない。
だから高確率で、本庄さんは星野先輩に、何らかの危害を加えようとする。
本庄さんが自分の正義を貫くには、それしかないから。
その上で、仕掛けてくるなら、今夜の可能性が最も高い。
「宮森静香」になった以上、星野先輩はいつ退院してしまうか、わからない。
宮森学長は養子となった星野先輩をがっちり守る(実際には落ち着いた環境を用意する程度だろうが、本庄さんの視点からはそうは思えまい)だろうから、襲撃するなら1日でも早く仕掛けなくては、星野先輩が自分の手の届かないところに遠ざけられてしまいかねない。
おまけに、今日はどうやら宮森学長も院長先生も外出中。
宮森学長はともかく、院長先生の行動はある程度まで本庄さんに筒抜けになっている(あの脇の甘さだ)と考えるべきだから、いよいよ今夜が危ない。
私が本庄さんなら、外来受付が開いているうちに変装して病院に入り、そのまま潜伏。
夜も遅くなったあたりで、トイレなり何なりを利用して、確保しておいた看護婦の制服に着替える。あれだけの大病院だ。どの業者が、どのタイプのナース服を納品しているのか、調べようと思えば私でも調べをつけられる。
しかも本庄さんにとってみれば、病院はかつての職場であり、院長先生と秘密の逢瀬を繰り返してきた現場だ。警備の目をすり抜けて、深夜まで隠れていられる場所も、ある程度まで把握しているだろう。他の看護婦と鉢合わせる可能性が低い場所も。
病棟内ではIDチェックを要求されない(患者もいるのだから当然)から、IDカードを偽造するといった難しい問題をクリアする必要はない。もちろん、これでは安全確実な脱出は不可能だが、「使命を果たせる」なら脱出など問題ではない。
ただしこれは、本庄さんにとって理想的であると同時に、私にとっても理想的な展開だ。
本庄さんが深夜を待たず(あるいは待てず)に決行した場合、ちょうど今頃、何らかの凶行が起きている可能性がある。この場合、私は現場に間抜け面を晒しに行っただけ、ということになる。
実に皮肉な話だが、本庄さんが賢明で、周到で、我慢強い犯罪者であることを、祈るしかない。
■
栗原先輩にダイヤルすること、4度目。
「ふぁい……栗原です……」という、間の抜けた声が聞こえた。我に天運あり。
どうやら眠ったばかりだった栗原先輩に、私が何を心配しているのか、納得させるのには時間がかかった。
だがあと交差点3つで病院に着くという頃には、栗原先輩も「ちょっと心配しすぎじゃないかしら?」と言いつつ、私の懸念に一定の理があることを認めてくれた。あの病院のスタッフにとって、本庄さんはそれくらい要注意人物と見なされている、ということだろう。
栗原先輩は、今日の当直スタッフと警備員に、警戒を強めてもらうよう、お願いしておくと約束してくれた。それから、自分も今から病院に戻るから、くれぐれも危ないことをしないように、と釘をさされた。
栗原先輩との電話が終わったあたりで、タクシーは病院に到着した。「この出費は痛い!」とか本能的に思いつつ運賃を払い、夜間外来受付に走る。まだ面会受付が、ギリギリ開いている時間だ。
面会受付の台帳に星野先輩の病室番号を記入、バッジを受け取る。「あと15分ですから、急いでくださいね。でも廊下は走らないで」という係員の注意を聞き流しつつ、競歩めいた速度で病室に急ぐ。
最短ルートは、把握している。廊下を歩き、階段を2つ駆け上がって、いったん別の棟に入ってエレベーターを使い、しかるに渡り廊下をダッシュ。これが最速。
最後のダッシュで軽く息が上がった(最近は露骨に運動不足だった)私は、「宮森静香」のプレートが差し込まれているはずの個室のドアの前で、思わず息を呑む。
ネームプレートは、床に落ちていた。
偶然落ちるなど、あり得ない。先にこの部屋に入った人には、あのネームプレートを床に叩き落とさねばならない理由があったのだ。
体を叩きつけるようにしてドアを開け、部屋に飛び込む。
中は、真っ暗だった。窓から街の明かりが入ってくるのだ、唯一の光源だ。
でも、その光で十分だった。
ベッドの上でぐったりとしている星野先輩と、その横にハンマーを持って歪んだ笑みを浮かべている本庄さん。
頭に、かっと血が登った。
「あら――あなたは、高梨さんだったかしら?
ちょうどいいところに来たわね。
大丈夫よ。あなたの大事な先輩を、どうかしようとは思ってないわ。
でも先輩が、かわいい赤ちゃんを失うところを、よく御覧なさい?」
卑劣な。なんて、卑劣な。
彼女は星野先輩ですらなく、もっと弱い存在――星野先輩のお腹にいる子供を、標的にしたのだ。
「当然よね! あなたにもわかるでしょう!?
なんで私はあの人の子供を殺されて、この女はあの人の子供を産むの?
なんで私は端金だけ握らされて捨てられて、この女は資本家が保護するの?
おかしいでしょう? あなたもおかしいと、思うでしょう!?」
思うでしょうも何も、彼女のロジックは、破綻している。
歪んだ認識の上に、歪んだ推理を並べて、自分の欲望を正当化した、それだけのこと。聞くに値しない。
「私は何もかもが憎い!」と叫ばれたほうが、よほど共感できただろう。
心の奥底で、カチリと、何かが音を立てた。
私の中のユスティナが起きたのを、感じる。
〈世界の破壊者〉が導くままに、私は腰に手をあて、ポケットからピンクのシャープペンシルを取り出した。寮食で誰かから借りたままになっていた、あのシャーペンだ。
だがこの暗闇の中では、このシャーペンは、「細い筒状の何か」にしか見えないはず。
私はシャーペンの軸を拳銃のバレルに見立てて、本庄さんにその先端を向ける。
「武器を捨てて、ゆっくりと両手を床につけて。
それ以上、何かするなら、あなたの命は保証しない」
幾多の修羅場を踏んできた、ユスティナの声。
その迫力は、結局は現代っ子でしかない本庄さんを、ビビらせた。
「――な、なんですって!?
ば、馬鹿にしないでよ! あんたみたいなガキが、ピストルなんて、持ってるはずないじゃない! どうせオモチャでしょう!」
本庄さんは、動揺している。
本当に私が銃を持っていると思うなら、何か言う前に、ハンマーを星野先輩のお腹に向かって振り下ろすべきだ。
私が持っているのが銃ではないと思うなら、やはり、ハンマーを星野先輩のお腹に向かって振り下ろすべきだ。
なのに本庄さんは、言葉を発する方を選んだ。
この、素人が。
私はジリジリと窓とは反対側の壁側に移動し、本庄さんはそれに押されるように窓側へとポジションをずらしていく。やがて、私と本庄さんは、星野先輩を間に挟んで、一直線上に並んだ――本庄さんが、窓を背負う形で。
これで、射線は取れた。
「もう一度だけ、警告する。
武器を捨てて、ゆっくりと両手を床につけて。
まさか、脅しだとでも思いますか? 病院長と学長、その双方にコネクションを持ち、星野さんの後輩という立場を守り、あなたの周囲に姿を見せ、そして今、ギリギリのタイミングでしたが凶行の現場に踏み込めた。
本庄さん、あなたは私を、何者だと思ってます?」
私はユスティナ。〈世界の破壊者〉にして〈魔王の猟犬〉。
お前のような小者など、消し炭も残さず焼いてみせる。
「――あ……ああ――っ」
本庄さんは、ガタガタと震え始めた。
これはチャンスであると同時に、非常に危険な兆候だ。
こうなった人物は、後先顧みずに、やるべきと信じたことを、やろうとする。
脳内で、素早く呪文を組み上げる。
こっちにも、魔力粒子は十分にある。やや薄めだが、人ひとり焼くには十分だ。
バイバイ、本庄さん。
でもそのとき、私の後ろから声がして――そしてその声を追い越すように、人影が本庄さんに飛びかかる。
まるで、出来の悪いパラパラ漫画を見るようだった。
声がして、一瞬人影が見えて、次の瞬間には御木本会長が、本庄さんを床に押し倒していた。
「ユスティナ。それは、やり過ぎだ。こっちでも、あっちでも、な。
それより、この人を拘束するのを手伝ってくれ。
俺がそういうのが下手なの、お前は知ってるだろう?」
■
病室のカーテンを適当に引き裂いて本庄さんを拘束したあたりで、警備員が病室に踏み込んできた。
彼らは状況に戸惑っているようだったが、有名進学校の生徒2人と、その2人に取り押さえられたブラックリスト入りしているストーカーでは、信頼度に差がありすぎる。
結局、警備員は私たちの説明を聞きいれ、警察を呼んだ。
警官を見た本庄さんは、私の方を見て「このガキ、拳銃持ってるのよ! きっと工作員よ! 身体検査しなさいよ!」と叫んだが、おとなしく身体検査を受けた私からはせいぜいピンクのシャーペンしか見つからず、私たちは「続きは署で聞こう」というお約束のセリフを聞くことができた。
その頃には普段着のままの栗原先輩も病室に駆けつけてきていて、「危ないことはするなと言ったでしょう!」と叱られこそしたが、星野先輩(クロロホルムを嗅がされていたらしい)にも、お腹の子供にも命に別状はない、ただし今から精密検査はする、という話を聞かせてくれた。
とはいえ、これにて解散、とはいかない。
私と御木本会長も、警官の要求に従い、警察署で事情聴取を受けることになった。警官からは「お手柄だったな。覆面パトカーか、普通のパトカーか、どっちに乗りたい?」と言われたのだが、会長は嬉しそうに覆面パトカーを選んだ。やはり男の子は、そういう車が好きなものらしい。
警察署で事情聴取を待つ間、夕食として振る舞われたカツ丼を、もそもそと食べていると、会長が物憂げに、話しかけてきた。
「お前、アレをやる気だったんだろ?」
アレというのは、私が使える唯一の精密攻撃のことだろう。
炎の魔力粒子の振る舞いを厳密にコントロールし、直径3ミリほどの空間に魔力を誘導する。
もともと半径数百メートルに渡る空間に対して発動する魔術を、直径3ミリの筒に押し込めることで、その理論上の射程は目視限界距離をはるかに越える(魔術は目視範囲内にしか効果を発揮しないが、目視範囲内で効果の「発火点」を発生させてしまえば、そこから先は連鎖反応で視界外まで魔術が効果を及ぼす)。
「当たり前です。それ以外の方法だったら、星野先輩ごと丸焼けです」
言うまでもなく、星野先輩だけでは済まない。この街のほとんどは、一夜にして壊滅しただろう。
御木本会長は、深々とため息をついた。
「お前さ。ほんと、そういうの、やめろ。
こっちには、魔法は存在しないことになってる。
そのあたり、お前は全部、分かってるだろうが」
そりゃあ私だって、今回のような事態にならない限りは、こんなことをしようとは思わない。でももしまた同じ状況に置かれたら、そのときには――
と、そこまで考えて、ふと気になったことを聞いてみる。
「なぜ、止めたんです?
熱線は目標を貫通、窓を抜けて、大気中で急速に減衰します。
残るのは、いわゆる人体自然発火で死んだオカルト死体と、溶け落ちたガラスくらいです。
どちらも科学では追求不能ですし、撃たれた対象がそうなることも、一度見ているはずでは?」
この精密攻撃は、彼の前でも一度だけ使っている。
あっちでは、この私が精密さを求められるシーンは、滅多になかったからだ。そういうエレガントな攻撃が必要なときは、イリスがいたし。
「止めるに決まってるだろ」
「だから、なぜ?」
「高梨も、ユスティナも、人を殺すことに耐えられる人間じゃないからだ。
その自覚が、なかったか?
お前は確かに、エレガントからは遠いかもしれない。でも、お前が言うほど、修羅でもないぜ? どっちかといえば、優しい目をした象のほうだ」
思わず、口ごもる。
確かに――私には、人を殺してなお、平然とし続けられる根性はない。
ユスティナだって、人を殺すたびに、己を消耗させていった。
ましてや、ただの現代日本人である私が、それに耐えられるはずがない。
ああ、くそ。
この人には、こういう肝心な場面で、言い負ける。
「なんにせよ、誰も死ななくて良かった。
それって、信じられないくらい、良いことだ。
俺も、それがこんなに良いことだってのを、久々に思い出したよ」
私はその言葉に、ただ、頷くしかなかった。




