表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
73/85

14

神聖暦1972年6月




 気がついたときには、手遅れだった。


 もう少し。もう、ほんの少し。疑うべきことを、疑っていれば。

 激しい戦闘の後、一瞬の気の緩みにつけ込まれることも、なかったはずだ。

 今はもう、後悔しかない。

 こうやって焚き火を囲みながら、事実上終わってしまった私たちの旅を、未練たらしく反芻するくらいしか、できることはない。


 ロザリンデは、何事もなかったかのように書物に目を落としている。

 イリスもアイリスも、〈勇者〉でさえ、昨日までと同じ夜を過ごしている。


「何をしてるんですか! こんなことしてる場合ですか!」


 ……そう叫びたいところだけど、それはきっと、みんな同じなのだ。

 かくいう私も、自分の無力さを噛み締めながら、悶々と焚き火を見つめている。できることと言えば、貴重なコーヒーを啜るように飲む、それだけ。


 やがて、ロザリンデがパタリと本を閉じた。

「そろそろ休みましょう。明日も早いのですから」


 思わず、立ち上がって叫びそうになる。

 あなたはなぜ、そんなに平然としていられるのか。

 どうして、もっと嘆かないのか。叫ばないのか。泣き喚かないのか。


 それからすぐに、私はその理由に思い至る。


 ロージィは、ずっと、この日を覚悟してきたのだ。

 物心ついたころから、ずっと、ずっと、毎晩毎晩、毎朝毎朝。

 1日が過ぎる度に、今日が「この日」にならなかったことを感謝し(あるいは無念に思い)、また明日が「この日」になったらどう己の身を処するか、考えてきたのだ。


 そしてついに、この日が来た。

 彼女にとっては、それだけのこと。


 でも本当に、それでいいの?

 本当に、それでいいの、ロージィ?


 本当に、本当に、それでよかったんですか、星野先輩?


          ■


 学長に会うチャンスは、なかった。

 でも、それでよかったのかもしれない。今の私が学長に会ったところで、彼女をちゃんと説得できる材料はまるでない。傷を深めることはあったとしても、なんらかの温情を勝ち取れる可能性は、皆無だ。


 そもそも、私はいったい、何を勝ち取ろうとしていたのか?


 私が初めて好きになった人、心の底から好きだと感じた、偉大な先輩。

 いつも気高く、自信にあふれ、それでいてどこか少し抜けた、美しい人。


 ミラ先輩は、死んだ。

 殺された。


 ミラ先輩に対する暗殺計画があることは、掴んでいた。

 先輩が作り上げた社会科学は、先輩の生家であるドール家を、間違いなく大きく躍進させるはずだ。

 だから私は、ミラ先輩からドール家宮廷魔術師の席を打診されたときも、慎重だった。一発芸に限りなく近いといっても、その一発であれば軍事的常識を覆す攻撃ができる私が、未来の名君の「手土産」として、凱旋する。ここまでやって、周辺諸国が何か仕掛けてこない理由がない。

 ミラ先輩も、すぐにそのことには思い至ったようだ。すぐに「ごめん、今のはなかったことにする」と言葉を濁した。


 でも私は、今の提案が「誰か」に聞かれたことを、確信していた。

 密偵、間諜、あるいは録音機能を持った魔術具。その手のものは、この学院には事欠かない。


 だから私は、策を練ることにした。


 学院の生徒が、学院の生徒であるうちに暗殺されれば、それは学院の権威に関わる。

 学院は、世界から留学生を引き受けている。その中には、「経歴に箔をつけるため」に形ばかりの留学をしている、貴族の子弟も多い。それだけに、「学院生が暗殺された」というのは、学院にとって最もセンシティブな問題になる。


 従って、もし暗殺があるとすれば、それはミラ先輩が卒業してからだ。


 だから私は、なんとかして先輩が学園に留まれるように、ほうぼうに働きかけることにした。

 そのためには、あらゆる手段を講じた。


 でも結局、私の奮闘は、まるで無駄だった。

 先輩を学園に留めうる、ほぼ唯一のシナリオは、私の早合点と妄想が融合した、机上の空論だった。私は最初から、進むべき方向を間違っていたのだ。


 だから、私は〈方程式〉に取り組んだ。

 これが完成すれば、その成果と引き換えに、先輩を学園に留めてくれるよう、学長と交渉できるはず。

 あるいは、完成した〈方程式〉を駆使して、先輩を学園に留めるような工作を続けられるはず。


 そんな、夢を見た。


 夢だった。


 それでもなお、私の前には〈方程式〉が広がっている。


 私は、どうするべきなのだろう?

 私は、どうするべきだったのだろう?


 コーヒーを、飲む。やけに、喉が渇く。それに、眠い。

 なすべきことは、山ほどあるというのに。


「星野の無期停学処分が決まった。

 星野は自主退学を認めた。

 生徒会執行部は明日から従来通りの活動を再開する」


 御木本会長から届いた、3行のメール。


 私はInboxのタブを閉じ、もう一度、ルーズリーフの束に向き合う。

 〈ユスティナの方程式〉を、解くために。


          ■


 振り返ってみれば、油断としか言いようがなかった。

 魔族の領域深く浸透した私たちは、順調に旅を続けていた。


 私たちの任務は、いわば、斥候――より正確に言えば、長距離の強行偵察部隊だ。

 マルキ公爵が率いる魔族討伐軍に5日ほど先行し、地勢を調べ、魔族の防衛体制を調査し、魔族の部隊を見つけた場合は、一気呵成の奇襲でカタをつける。

 イリスの魔術的索敵と、アイリスの「直感」による危険察知は、魔術を用いて待ち伏せしている魔族すらも、先に発見する。

 そうやって敵部隊を発見したら、イリスの視覚を魔術で共有した私が、目一杯の威力の範囲魔法を叩き込んで、地形ごと敵を蒸発させる。

 万が一、生き延びた敵がいた場合(一度だけ、雲の中に隠れていた翼人魔族が生き延びた)も、弓や投げ槍はアイリスが弾き飛ばし、魔術攻撃はロザリンデによってシャットアウトされる。そして私がもう一度魔術を使うまでもなく、イリスがエレガントに魔法で処理するか、アイリスの弓が残敵を射殺す。


 この前代未聞の魔族討伐行において、マルキ公の率いる軍勢は、ほぼほぼ、おまけだ。彼らは「従軍した」という事実が重要なのであって、戦う意志もなければ、能力も低い。

 時折、私たちが討ち漏らした魔族がマルキ公の軍勢を襲うことはあるが、いまのところ、公おつきの精鋭騎士が完璧に撃退している、という。被害はゼロではないが、ほぼ皆無とのことだ。

 

 だがマルキ公の軍勢が私たちにとっても無意味かというと、そうでもない。

 かの軍勢が後ろについているおかげで、私たちは包囲される心配をあまりせずに済んでいるし、なにより武器や食料、水の補給が安定するのが大きい。補給は魔法で賄うことも可能(イリスの十八番だ)が、魔法を使わずに済ませられるなら、それに越したことはない。


 ――はずだった。


 簡単に言えば、私たちは、「上手くやりすぎた」。


 その日も私たちは、魔族の迎撃部隊と交戦した。

 今回は火炎魔法対策を万全に整えていた兵士が多かったようで、初撃での討ち漏らしが多かった。〈オッペンハイマー〉の呪文を全力で打ち込んでなお、20人ほど生き残っていたのだ(そういえば呪文を詠唱している間に、イリスが「敵は全員、対火炎結界を張ってる!」と叫んでいたような気がする)。

 まあその、なんだ。私が本気で魔法を打ち込むと、並の対火炎結界など、溶鉱炉の中に厚着して飛び込む程度の意味しかない。それでも20人近く生き残ったのだから、魔族恐るべし、だ。


 とはいえ2発めを打ち込もうとしたら〈勇者〉に止められた(実際、この規模の魔法を1日2発のペースで撃っていると、1週間ほどで明らかな倦怠感に襲われる)ので、イリスとアイリスに残敵掃討を任せた。

 だが敵もなかなかタフなもので、イリスの魔法にもアイリスの弓にも耐えた魔族が6匹、至近距離まで迫ってきた。こうなると、6対5の乱戦は避けられない――と言っても、そこに至るまでに魔族はほぼ消耗しきっていて、アイリスが素早く3匹、私が2匹、なんと〈勇者〉が1匹を斬り倒して、戦闘は幕となった。


 この段階で、昼過ぎ。


 戦闘が終わって、とりあえず場所を移動し、安全を確保したところで、イリスが「マルキ公の紋章をつけた馬車が4km後方に来てる」と言い出した。


 何かあったのかな、というのが、第一印象だった。

 ともあれ、友軍を迷子にさせておくわけにはいかないので、イリスが魔法で御者の精神とリンク、私たちの居場所を教えた。

 20分ほどで馬車は到着し、中から見るからにお飾りな騎士たちと、高位の聖職者だけが着れる法衣を纏った男が姿を見せた。

 彼らはさんざん私たちの「偉業」を讃え、私たちに豪華な食事とお酒をふるまった。さすがに酒を飲める状況ではないので、そちらは固辞して、私たちはちょっと遅目のランチを、無邪気に楽しんだ――断るわけにもいかなかったし。


 戦闘の興奮がようやく冷め、久々の美味しい食事を満喫した私たちは、完全に気が緩んでいた。

 だから、聖職者がロージィに「ちょっと内密のご相談があるのですが、馬車の中でお話できませんか」と持ちかけてきたときも、「そういうのはお任せ」とばかりに、一人で送り出した。


 だから、

 ロージィを乗せた馬車が突然走りだし、

 その場に残された騎士たちが一斉に剣を抜いて、

 そして反射的に立ち上がろうとした私たちの体が痺れたように動かなかった、

 そのときになってようやく。


 私たちは、自分たちがハメられたことに気がついた。


         ■


 アイリスが身を挺して、騎士が振りかざした刃からイリスを守った段階で、局地戦の勝負は終わっていた。

 イリスは魔法で騎士を全員気絶させ、アイリスの怪我を治し、全員の毒を消してから、空から馬車を追跡。

 最後は馬車全体をイリスが魔法で持ち上げて捕獲し、私たち3人が空中30cmくらいに浮いた馬車を包囲した。馬車の扉を開け、ぐったりと意識を失っているロザリンデの首にナイフをつきつけた聖職者が「この女の命が惜しければ」と脅迫しようとしたが、「こ」のあたりでアイリスの弓が眉間を撃ち抜き、すべては終わった。


 そう、そのときには、すべてが終わっていた。


 意識を失ったロージィに、最初に駆け寄ったのは〈勇者〉だった。

 彼はロージィの乱れた衣服を直し――そして天を仰いで絶望のうめき声を放つと、馬車の扉を強く殴りつけた。


 私とアイリスは、そんな勇者を見て、いささか戸惑っていた。

 ロージィは、その――明らかに暴行を受けた形跡があるが、見たところ命に別状はない。

 絶対に許せないことではあるが、不埒な行いに至った男はあの世に送った。

 馬車をまるごと捕獲しているから、誰が悪を為したのかの証拠も保全されている。マルキ公に馬車ごと突き出して、正当な裁きを要求すればよい。馬車にはマルキ公の紋章が入っているが、だからこそ、公は「魔族討伐の功績を〈勇者〉たちに独占されることを恐れた部下の独走」として裁かざるをえないはずだ(実際、単なる部下の暴走の可能性もある)。

 公との協力体制はご破産だし、ロージィのためにも今回は〈魔王〉討伐を諦めるべきだ。そう考えると、あらゆる意味で腹立たしい限りだが、回復不能な損害ではない。


 だが空から舞い降りてきたイリスもまた、ロージィの様子を見た途端、呆けたように、ぺたりと座り込んでしまった。口を半開きにして、目からは滂沱の涙が流れている。


 しばらく、沈黙が続いた。イリスがすすり泣く声だけが、響いていた。


 重たい沈黙を最初に破ったのは、〈勇者〉だった。


「――俺の、ミスだ。

 ロザリンデは……明日の朝には、死ぬ。

 いや、死ぬより――悪い。ずっと、悪い」


         ■


 イリスがロージィを解毒し、目に見える範囲の怪我を治療して、3時間ほどたってから、ロージィは意識を取り戻した。

 そして、自分に何が起こったのかを、把握した。


 ロージィは大きく深呼吸すると、山の向こうに沈んでいく太陽を見て、「そろそろ野営にしましょう」、と言った。

 私たちは無言で、その提案に従った。


 焚き火を囲んで食事を済ませた後、ロザリンデは鈴を転がすような美しい声で、クルシュマン家の秘密を――限りなく醜悪な秘密を――話し始めた。


「――クルシュマン伯爵家が栄達を果たしたのは、けして、歴代の当主の能力によるものではありませんでした。

 簡単に言えば、我が家は、最高の賄賂を作り出すことができたのです。

 その賄賂の力で、伯爵家は富と名誉を得てきました」


 ほのかな湯気が立ち上るコーヒーを飲みながら、ロージィは言葉を続ける。


「伯爵家当主に伝わる能力は、御存知の通りです。

 私が今なおその力を行使できるように、伯爵家当主の周囲では、範囲の広さには差がありますが、魔法が発現しません。

 これは神の祝福であると、伯爵家は宣伝してきました。

 ですが真実は異なります。

 これは、クルシュマン家の女が受け継ぐ、呪いなのです」


「クルシュマン家の血を受けた女は、当主に限らず、私と同じ能力を持ちます。

 ですがこの能力は、その女が純潔を失うと、暴走します。

 具体的に申し上げますと、純潔を失ったクルシュマン家の女は、その翌朝には、彫像と化します。

 皆さんも、私の実家にいらっしゃった折、見事な彫像をいくつかご覧になられたのではありませんか? あれはすべて、クルシュマン家の女たちの、成れの果てです」


「ですが、彫像と化したからと言って、魔法の発現を阻害する能力は失われません。

 彫像になった女が、世界をどのように感じているのかは知りようもありませんが、ともあれ寿命はあるようで、彫像が魔法を無効化するのは、彫像化から長くて50年程度です。

 実家においてある彫像は、そういう意味では、すべて『死体』です」


「――もう、ご推察いただけているかと思います。

 歴代のクルシュマン家当主は、正妻や側室だけではなく、大量の妾や、ときには売春婦まで抱え込んで、女児の獲得に情熱を傾けました。

 生まれた女児が魔法を阻害する能力を発現させるのは、12歳の誕生日。

 そしてその翌朝、王族や大貴族が身辺警護の切り札とする『クルシュマンの彫像』が生まれます。

 この少女の彫像を賄賂とすることで、伯爵家は権勢の限りを尽くしてきたのです」


 私とアイリスは、醜悪という言葉では語りきれない、もはや腐臭すら感じるその話に、衝撃を隠せなかった。

 陰惨とか、卑劣とか、そんな言葉では、クルシュマン伯爵家の悪行を語り尽くすことは、到底できない。


 だがロージィは、どこまでも優雅に、話を続けた。

 私は手元のカップに注がれたコーヒーを飲んで、ひりつく喉を潤す。


「さて、マルキ公を見れば一目瞭然ですが、権勢とは、巨大になればなるほど、より大きな維持費を要求します。

 我が伯爵家もまた、その罠に囚われました。

 切り札となる彫像を作っても作っても、需要に追いつかなくなったのです。

 ですが王族クラスの需要に応えられないというのは、クルシュマン伯爵家の破滅を意味します」


「そこで歴代クルシュマン伯爵家の当主は、『どうやったら女児を得る確率を高められるか』の研究に腐心しました。

 男児は4~5人もいれば十分ですし、そもそも男児は賄賂になりませんから、そのほとんどは生まれた直後に間引かれていました。

 ですが妊婦一人を十月十日養った挙句、50%の確率で無駄になるのでは、大損だ――歴代当主は、そう考えたのです」


「伯爵家当主は、魔術学院の協力を得て、女児の誕生率を高める薬の製造に成功しました。

 歴代当主はこの薬を服用し、夜な夜な女児を得るべく手当たり次第に励んだ、というわけです。

 かくしてクルシュマン家は需要に見合う供給を達成することに成功し、その権勢は絶頂を迎えました」


「このとき、まるで御伽話のような『しっぺ返し』が、クルシュマン家を待ち受けていました。当主がどんなに励んでも、ほとんど女児しか得られなくなっていったのです。

 クルシュマン伯爵家を継ぐのは、男子以外には不可能です。なにしろ女子は、妊娠できません。跡継ぎを残せるのは、男子のみなのです。

 普通の貴族であれば、養子という選択肢があり得ます。ですが我が伯爵家は、血脈に潜む呪いの力を持って、その地位を維持しています。養子を取れば、そこで呪いも絶えます。

 事実、一度だけ養子が取られましたが、彼が得た長女は魔法無力化の能力を発現させませんでした。養子と長女はその夜のうちに暗殺され、クルシュマン家はさらに罪を重ねました」


「ですがついに、クルシュマン家が重ねた罪は、天罰という形で追い付きました。

 世界中の王族に一目置かれるクルシュマン伯爵家の跡継ぎたる男子たちは、伯爵家を妬む他家の暗殺者にとって、絶好のターゲットです。カネにあかせて護衛をつけても、こういうものは、攻めるほうが、守る方より有利ですからね。

 クルシュマン家が仕えていたアライア王国は、事実上、クルシュマン家を巡る陰謀が原因で滅びました。クルシュマン家を追い落とすためなら、外国の軍隊を呼び込んでも構わない――そこまで追い込まれた貴族によって始まった内戦は、腐敗しきっていたアライア王国宮廷をあっという間に焼きつくしたのです。

 主君を失ったクルシュマン家は、瞬く間に凋落しました。それでもなおクルシュマン家では男児が生まれず、生まれた男児も頻繁に暗殺され、血統を継ぐ者は減り続けました。

 そしてついに、その血を継ぐ最後の一人になったのが、私です」


「――だから皆さん、どうか悲しまないでください。

 私は夜明けには彫像になりますが、死ぬわけではありません。

 何より私としても、この呪われた血統がついに絶えることは、喜ばしい気持ちのほうが強いのです。

 滅びてしかるべき家が、ようやく滅びる。それだけのことです」


「それに、彫像になっても魔法無力化の力が途絶えるわけではありません。

 ちょうど馬車も得られたことですし、あれで運搬すれば良いように思います。

〈魔王〉を討つにあたって、私の力は、利用して頂けます」


「私は、滅びるべき世界の、その象徴のような人間です。

 ですから、どうか皆さんは、新しい――未来を。

 どうか、新しい世界を。

 その手で、切り開いてください。


 私はただ、それを信じます」


          ■


 ――新しい世界、か。


 ロージィを――ロージィの姿をした白亜の彫像を前に、私は呟く。

 朝日を浴びてキラキラと輝くその姿は、ただただ、美しかった。

 そしてこんな美しい人を妻に迎えながら、〈勇者〉が最後までロージィに手を出さなかったことを(そうすべき絶対の理由があったにせよ)、ちょっとだけ可笑しく思った。


 おずおずと像に触れると、ひんやりとした感触が伝わってくる。

 その感触は、私にたったひとつの事実を、思い起こさせてくれた。


「ロージィ。私は、あなたが、好きでした。

 わからないことばかりの人生ですが、それだけは、間違いありません」


 我ながら、祈りめいた言葉だと思った。

 そうであってほしいという、ただの願望の吐露。

 でもその祈りの言葉を囁くと、気持ちが少し、楽になった気がした。

 だからしばらく、そうやって像に祈りを捧げていた。


 けれど、いつまでも祈ってばかりでは、いられない。


 朝日が完全に昇った頃、私たちは踵を返すと、山道を下り始めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ