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神聖暦1972年?
「ねえ、ユスティナ。異常って、どう定義すべきだろうね?」
「そうですね……基本的には集合論、個別に考えた場合は閾値の問題に帰着するとは思います。自分で言っていて、なんとも月並みだなとは思いますが」
「そんなことはないよ。ボクの場合、ちょっと発想が飛躍しすぎることがあってね。そういう地に足の着いた意見を聞くと、逆に発見が多くてさ」
「……なんだか、どう判断して良いのか困る評価ですね」
「あっは、それはボクも言ってて思った。
まあそれはそれとして、だ。こんなことを聞くのには理由があってね」
「理由、ですか」
「うん。ユスティナはさ、『魔族とは何か』ってのを、考えたことある?」
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「――作戦としては、以上です。
あくまで素案ですので、細部の詰めは必要です。
特に連絡手段については、なにかしら上手い方法を考えなくては」
いつも通り、依頼という名前の無理難題を勝手に持ってきた〈勇者〉に対し、これまたいつも通り、私がその遂行のためのプランを提示した。
荒事でしか解決できない依頼に際し、作戦の立案は私の仕事となっている。
アイリスは、兵士としては文句のつけようもなく優秀だが、状況全体を見通したり、状況そのものを作ったりという訓練は受けていない。
もちろん、本能的な判断力に優れているし、カリスマもあるので、並みの指揮官よりは良い仕事ができる。でも彼女に作戦立案を任せると「とりあえず軽く仕掛けて、様子を見よう」から始まることが多く、私としてはちょっと恐い。
イリスは、発想は素晴らしいのだけれども、それを実行するにはイリスが10人ほど必要ですよね? というアイデアがほとんどで、大抵の場合、実現は不可能だ。彼女の思う「これくらいならみんなできるでしょ?」は、多くの人にとって、人智を超えている。
ロザリンデは、アドバイザーとしては一番頼りになる。また、依頼が交渉メインとなったときは、作戦立案から実行まで、ほぼ彼女の独壇場だ。だが荒事となると、さすがに名門貴族のお姫様だけあって、各論のチェック以上の役には立たない。
〈勇者〉? 論外。
と、いうわけで、今回もいつも通り、私が主導でブリーフィングとなった、のだが。
「――大筋は、理解できる。
基本、隙のない作戦だとも、思う。
だが……」
渋い声を出したのは〈勇者〉。
「そうだな……あたしも、両手を上げて賛成は、できないな」
アイリスも顔をしかめている。
「ボクは全面的に反対。
ユスティナの負担が大きすぎるよ。危険度も飛び抜けて高い」
イリスはちょっと怒り気味。
「……私も、賛成できかねます」
考えこむように、ロザリンデ。
あらあら、全員に反対されるだなんて。
「これだけの複雑な作戦が必要になる仕事を持ってきたのは、俺だ。そこは、責任を感じてる。
だが、いくらなんでもこの作戦は、複雑すぎないか?
多重に保険をかけた結果、こうなってるってのは、分かるんだが」
んー、そこはまあ、指摘されても仕方ない部分だ。自分だって、こんな入り組んだ作戦、うちのメンバーでやるんじゃなかったら、「机上の空論」と一蹴しているところ。
「同感。これ、もっと綺麗な解があるはずだよ。
ユスティナの案は、実効性が高いのは認めるけど、なんかこう、モヤっとする。凝り過ぎっていうか……もっと抜本的なパラダイム・シフトで対応できるはずじゃないかなあ……」
イリスの指摘も、ご尤も。自分でも、「これは多分、スッパリいける方法があるな」という予感は、ある。
ただ私ではその方法に辿り着ける気がしなかったし、仮にその方法に辿り着いたとしても、それを現実世界に実装できるかどうかは別問題だ。
「せめて、あたしくらいの腕の護衛が、もう1人いればな。
そこがクリアできないなら、あたしとしては、これには乗れない」
そんな凄腕、何人もいてたまるか!
……とはいえ、そこは一番の妥協のしどころではある。アイリス並みの1人は無理でも、そこそこの腕の護衛を4人ほど雇えば、皆が感じている不安点は解消できるかもしれない。
「でしたら、人数を増やすというのは?」
考えていたことを、ロージィが代弁してくれた。
「予算的に問題ないなら、そのほうがいいと思う。
あたしには、お金のことはわかんないけどさ」
またまた、そういうことを……。
「外部から人を入れる、か。アテはある?
悪いが、俺にはそういう人脈がなくてさ」
「あたしの知り合いに、ちゃんとおカネを払えば、そのあたりのこと手伝ってくれる人がいる。
ヘタすると怪我じゃ済まない話だし、安全第一だよ。
それに、ただ頭数がいればいいってわけじゃなくて、ちゃんと技術が伴ってないとダメなんだし」
そりゃまあ、そうなんですがね。問題は、おカネでして。
言い出しにくいことをどう言おうか悩みつつ、コーヒーを一口。
「――予算的には、ある程度までなら、捻出できます」
星野先輩が、資料を見ながらそう言った。
「じゃあさ、それで行こうよ。
芝田がさ、なんかロボットの会社みたいなこと? やってるから。
アイツに相談すれば、この手の、電気がどうこうって話、面倒見てくれると思うんだ」
芝田先輩というのは、梓先輩の彼氏で、数年前にこの学校の生徒会長だった人ですね。確かにそれなら、上手くいきそうですが。
「分かった。じゃあ館林は、芝田先輩にあたってみてくれ。
星野は、出せる金額の上限を出して。
高梨は、放送部長に連絡。この件は、これでいいね?」
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違う。
これは……違う。
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――いや、違わない?
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「魔族の定義、ですか」
「魔族は、ボクらから見ると、明らかに異常だ。
だから、戦いは続いてきた」
「……その部分は、否定しきれないですね」
魔族との戦争は、最初、魔族による侵略として始まった。
長らくその戦争は、人類の生存を賭けた戦いとなっていた。
だが英雄アーレントが登場し、人類の反撃が始まってから、戦争の意味合いは変化した――生き残るためではなく、「魔族から奪い返した土地の権利」という具体的な利権を含んだ、いつもの「戦争」に。
魔族から奪還できる土地がなくなった結果、魔族との戦争は終結せざるを得なかった。その象徴が、ヴェスダ城だ。
魔族はヴェスダ城を越えて侵略するだけの力を失い、人間はヴェスダ城を越えての攻撃によって黒字を出せる保証がない。互いに打つ手を失っているというのが、現状だ。
それでも人間社会は、「魔族との戦い」が続いている、と意識している。
それはただ単に侵略の歴史だけではない――魔族の姿が、あまりにも人間離れしているからだ。
「魔族は、人間世界への干渉を停止した。
この300年、人間社会は停滞してきたけど、部分的に見れば前進してるところもある。はっきり言って、ヴェスダ城をユスティナを含めた精鋭で固めれば、魔族は絶対に人間世界に出てこれないと思う。
それくらい、攻撃魔法は進歩したよね」
私はともかく、私以上に危険な魔術師はまだまだいるわけで、イリスの指摘はまったく正しい。
「これはボクの概算なんだけど。
仮に魔族が住んでいるとされるエリア全域が耕作好適地だったとしても、それで支えられる人口を計算した場合、魔族は人間の魔術がもたらす大規模な損耗に耐えられない。だから、攻めてこない。
人間社会に魔族のスパイが紛れ込んでるのは、ボクも知ってる。彼らが有能なら、そして〈魔王〉がまともなら、人間相手にもう一度侵略戦争をするのは、ただの自殺行為だと判断できるはずだ。
そしてそのことは、人間社会の支配者層も、だいたい理解してる。
彼らが魔族領に攻めこまないのは、ユスティナが言うとおり経済的なメリットが担保できないことと、『共通の外敵』の喪失を恐れてること、この2点に限定できる」
私は軽く笑いながら、イリスの推論の細部を指摘する。
「待ってください、イリス。
だとすると、およそ400年前に魔族が人間に対して大規模な侵略を開始した、あるいはそれが成功した理由が説明しきれないように思えますが?
確かに攻撃魔術は大幅に進歩しましたが、当時だって威力だけで言えば同等の魔術がありました。それについては、学院の実験資料をほとんど調べつくした私が言うのですから、間違いありません。
となると、400年前も、現代と同様、魔族と人間はスタンド・オフとも言える状態になっていたはずなのでは?」
イリスもまた、嬉しそうに笑う。
――ああ、このイリスの笑顔を見ながらコーヒーを飲むのも、久しぶりだ。
「そう来ると思ったよ。ユスティナはほんと、地道に詰めてくるよねえ。
その点はね、ボクは別の仮説を立ててる。
三圃制が、いつボクらの社会に広まったのか、知ってる?」
――やはりイリスは、そこまで論を立てていたか。
「ユスティナも、気がついてるんでしょう? ボクは、ユスティナが学院で書いた論文を、全部読んだんだよ? あの〈ユスティナの方程式〉もね」
私は、こくり、と頷く。
「350年くらい前に始まった三圃制は、人間社会の農業生産性を劇的に進歩させた。
これは個人的な見解だけど、英雄アーレントがいなくても、多分人間は魔族を巻き返してたと思う。生産力の増大とは人口の増大で、それはすなわち兵力の増大だからね。
魔族が最大進出したとき、人間は2割程度の領土を失ったけれど、人口総数ではまだまだ人間のほうが多かった。ここに三圃制での生産性増大がもたらされれば、肝心の合計特殊出生率も上昇する。
もともとの人口の多さに加えて、人口増加速度まで向上すれば、人間が魔族に負ける要素は消える」
その通り。
軍事力の根底は、人口の絶対数ではなく、「人口が増える速度」、すなわち「このままなら何者にもなれない成年男子が増える速度」に依存する。
このままでは死ぬしかない若者が、黙って死ぬくらいなら一発逆転に命を賭ける――それが「強い軍隊」の本質だ。
「問題は、この三圃制が人間社会に伝わったのが、350年前だってことだ。
こんな革新的な技術が、どこから出てきたのか?
面白いことに、その資料はどこにも残っていない。
人間社会には、350年前まで、三圃制どころか、その前段階の技術すらなかった。
――となれば、答えはひとつ。
人類に三圃制をもたらしたのは、魔族だ」
意気揚々と、イリス。
「魔族は、人類から奪い取った領土で、当然三圃制を実施しただろう。
そしてその効率の良さを知った人間が、人間社会に逃げ延びることだって、あっただろう。
何しろ、当時だって魔族の絶対数は少ない。人間を奴隷にして働かせていたという記録は残ってるし、ということは逃亡奴隷だって出たはずだ。
三圃制こそが、魔族に侵略戦争を起こさせた――そしてそれを成功させた――理由だと思う。正確には、三圃制の普及による魔族人口の急激な増加と、余剰人口の発生だね。
しかるに、魔族による侵略と支配が成功することによって、図らずしも三圃制が人間に伝わり、魔族の敗北もまた決まってしまった」
イリスは天才だ。
ほぼゼロに近いヒントから、真相に辿り着いている。
「だからさ、ユスティナ」
イリスの手が、私の手を握った。
途端に、機能しなくなったはずの私の視野に、「私」の姿が映る。
これは――イリスの視界だ。精神魔術による、視界共有。
枯れ木のようにやつれた体を緋色のローブで覆い、焼けただれた顔を白銀の仮面で隠した、〈世界の破壊者〉。それが、今の、私。
磨きあげた鏡のような仮面に映るイリスの姿は、驚くほど、昔のままだった。
「ボクはもう、まっぴらだ。何もかも、もう、まっぴらだ。
ユスティナは、異常とは集合論における閾値の問題だと言ったよね?
でも、考えてみてよ。
人間と、魔族は、違う。
でも人間と牛、人間と猫、人間とヒマワリだって、まるで違う。
なのになんで、魔族は異常で、牛や猫やヒマワリは異常じゃないの?
『人間』が集合A、『異常な人間』が補集合Aとして、Aと補集合Aで全体集合Uはできてる?」
私は、内緒事をうちあけた幼なじみに囁くような声で、イリスに言う。
「その問いには、もう1つ、解があります」
イリスは、きょとんとした顔。私は、コーヒーを一口。
「この問題は、数学的には閾値と境界条件の問題だと主張しますが、政治学的には純粋にスカラー量の問題でしかありません。
魔族が、『異常な魔族』たる人間を従えれば、イリスの悩みは解決します。
だからイリスは、ヴェスダ城を越えて、ここまで来たんでしょう?」
ぱあっと、花が開くように、イリスが笑った。
その笑顔を見て、私は――報われた、と思った。
苦痛と苦難が続いた私の人生は、この笑顔のためにあった。
そう、思った。
「〈世界の破壊者〉にして、〈魔王の猟犬〉ユスティナは、世紀の天才たるイリスを歓迎します。
さあ――ともに、世界を革命しましょう、イリス」




