11
神聖暦1981年 夏
「起きろ、悪魔」
大声でがなる男に蹴飛ばされて、目が覚めた。
蹴飛ばされたところに多少の痛みは感じるが、今更痛いと口にだすほどでもない。どうせ、あと数時間で死ぬのだし。
両脇を抱えられ、無理やり体を引き起こされる。
乱暴と言えば乱暴だが、どちらかと言うと、その手からは男たちの恐れのようなものを感じた。当然といえば、当然だろう。私はユスティナ。〈世界の破壊者〉にして、彼らの言う「聖戦」において、彼らの同輩を十万人規模で蒸発させてきた〈悪魔〉だ。そんな捕虜を処刑台に連れて行く役目を帯びたなら、誰しも人生で最悪の罰ゲームだと嘆くだろう。私だって、そう思う自信がある。
とはいえ私の両目を覆う、魔力遮断効果を持った布がしっかりと固定されているのを確認した男たちは、だいぶ安心したようだ。扱いが、ぐっとぞんざいになった。
魔術師を拘束するというのは、とてつもなく難しい。魔術師は、多かれ少なかれ、歩く大量破壊兵器なのだから。
一方、意識を失った魔術師であれば、拘束できる。その魔術師が目を覚まさないうちに両目を物理的に潰したうえで、さらに魔力遮断布で視界を覆ってしまえばいい。「魔法は視界の範囲にしか発動させられない」の原則により、目を潰された魔術師は事実上無力化される(治癒魔法や精神魔法のような例外があるので、念の為に魔力遮断布を併用しなくてはならないが)。
私も、捕虜になった魔術師たちのご多分に漏れず、意識を失っていた間に捕まり、目を潰された。その場で殺されなかったのは、これだけの殺戮を繰り返してきた〈悪魔〉は、公開処刑にしなくては収まりがつかないからだろう。
男たちに引きずられるようにして、処刑台が置かれているのであろう場所へと連行されながら、私はどうにも、世の面白さ、人間の不合理さに、畏敬と感嘆の念を抱かざるを得なかった。
捕虜となって、牢(だと思う)に幽閉されてからこのかた、こういう状況では定番と言える尋問も、拷問も、看守による陵辱も、何一つ、なかった。
定期的に水と食事が出され、私は匂いを頼りに、犬のように這いつくばってそれを食べる(食事の量は、私にとってみると、実に適切だった)。それ以外の時間は、睡眠と思索に明け暮れた。睡眠がしばしば悪夢によって中断される程度で、それ以外に私の時間を邪魔する者は、今の今まで現れなかった。
なんのことはない、私は〈悪魔〉として捕らえられた後もなお、人々から遠ざけられるポジションを確立していたのだった。
まったく。
私が収監されていた場所にだって、警備は必要だったろう。そのためのコストは、決して小さなものでは収まるまい。何かの――決定的に重大な――ミスがあって、私が脱獄してしまったなどということになれば、彼らの政権は間違いなく倒れる。そんな醜態は絶対に避けねばならないわけで、おそらく相当な規模での警備が敷かれていたのではないか。
……とはいえ、「悪魔を閉じ込めておく」ために新規に発生した雇用もあるだろうから、私も多少は経済にプラスの貢献ができた、と考えることも、できるかもしれない。
ああ、まったく。
もうすぐ死ぬというのに、何もかもが他人ごとに思えてならない。
いや、きっとそうなのだろう。
あの日から、世のすべては、他人ごとになった。
そんなことを思いながら、ふらつく足で階段を上がったり下がったり、扉が開くまで待たされたり、ざらついた砂岩の廊下を歩いたりしているうち、ふっと空気の匂いが変わった。肌に感じる温度が急に上がったことから推察するに、おそらく、地上に出たのだろう。たくさんの人間がザワザワと雑談している声も聞こえてくる。
「ハンス大尉、〈悪魔〉ユスティナの引き渡しを終えたことを報告いたします!」
「ご苦労、大尉。ここから先は私が責任もって輸送する」
「ハハッ!」
(ハンス大尉、ご苦労様でした)と心のなかでつぶやく。彼は立派に己の任務を成し遂げた。どんな人物なのか知りようもないが、軍人として有能であることは論を待たない。
が、それを声に出してしまうと、彼の将来に関わるだろう。
馬鹿なことをあれこれ考えていると、ぐいっと体を持ち上げられ、硬い床に放り出された。少し痛い。背後でバタリと扉が閉まる音がしたということは、おそらくは馬車、それも密閉型のキャビンを持つタイプだ。
推測を裏付けるかのように、馬のいななきにあわせて、床がガタゴトと派手に揺れ始めた。私は芋虫のように体をよじって、壁面に背中をつけるように、座り直す。
おそらくこの馬車もまた、幾重に護衛されているに違いない。
なんとも、壮大な、無駄遣い。
だが馬車を使うということは、私用の処刑台に火が入るまでには(火刑を宣告されたわけではないが、〈悪魔〉を殺すのだから火刑が無難だろう)、もうちょっと時間がかかるということだ。
もう一眠りするというのも考えたが、これだけ揺れる馬車の中で眠るのは大変だ。せっかくだし、捕虜になってから考え始めた仮説の、最後の詰めでも進めるとしよう。
■
ことの起こりは、イリスの置き土産だった。
彼女は間違いなく天才だった。
だから、その天才がかなり早い段階で完成させていた技術を、なぜか秘匿し続けたという事実について、人々はもう少し敏感であるべきだった。
イリスが編み出した技術は、いわば「検索技術」だ。
構造としては、「検索台」と「特殊なインク(+活字)」によるセット、というのが分かりやすい。
一般的な学術書に使われるレアナ文字は、28文字。ここに数字が10種類を加えた、合計38文字を組み合わせることで、ほぼあらゆる文章は記述される(記号がいくつか加わるが、「検索」においては記号はむしろ無視できたほうが良い)。
さて、魔法には〈残響〉というものがある。魔力粒子が運動した後の、痕跡のようなものだ。
「とりあえず近くで大きな魔法を使えば〈残響〉が残る」ため、意図的に〈残響〉を何かに染み込ませるというのは、さして難しいことではない。
魔法には大きく分けて50種類(50法)があるので、〈残響〉もまた50パターンが残り得る。
……と、ここまでくれば、察しの良い方であればこれで「検索」が可能になるメカニズムも理解できるだろう。
38文字に対し、それぞれ異なる〈残響〉を染み込ませたインクが分泌する、特殊な活字を割り当てる。この版面によって刷られた紙面は、微弱ながらも個々に識別可能な〈残響〉を持つ文字が並ぶことになる。
あとは簡単、特定の〈残響〉の連続を探査する魔術具、つまり「検索台」を用いることで、その文字列が本のどのあたりにあるかを、かなりの精度で「検索」できる。
学問の世界において、これは実に革命的な発明だ。が、いくつか弱点があることも、すぐに分かった。
まず、特殊インクを使った本でなくては検索できないこと(古い書物の検索は無理)。それから、特殊インクに含まれた〈残響〉が3年ほどで揮発してしまうこと。最後に、「検索台」が高価なこと。
このうち、2番めと3番目の問題は、この発明が再発見されて1年のうちに、急速に改善していった。具体的に言えば、「質より量」という割り切りをした商人が、大成功を納めた。
そもそもイリスの考案した方式は、検索できるといっても、精度はそこまで高くない。ゆえに、「だいたい前後数ページ以内に着弾できれば実用上の問題はないのでは?」と考えたその商人は、精度を犠牲にして、価格を下げることに成功した。
少なくとも1年以内の記録(要は個別の残響が残ったインクで書けばいいのだから、ちょっと手間だが羽ペンとインクで手書きしてもいい)であれば、だいたいの検索ができる。これは、日々大量の財務記録が発生する職場や、大量の議事録が発生する現場に、革命的なまでの生産性向上をもたらした。
こうして裕福な商家を中心に普及した検索台は、誰も(イリスを除いて誰も)想像しなかった事態を引き起こす。
発端は、「特殊インクで印刷した聖典」だった。
2つの教会が主要な経典とする「聖典」は、その起源が古いこともあって、聖職者でもなければそこから有益な訓話や思想を引き出すのは、ほぼ不可能だ。神学は神学で長い歴史を持つ学問であり、そこで積み重ねられてきた議論なしには、最新の「聖典解釈」には、ついていけないという事情もある。
だが「検索」が、すべてを変えた。
裕福な商人や貴族たちは、自前の検索台で「聖典」を(〈愛〉とか〈正義〉とか〈悪〉とか〈信仰〉とかいう言葉が人気だ)検索し、そこで見つけた一節を読んでいくことで、「聖典に書かれた真の言葉」を見出した。
見出してしまった。
「聖典」は、1500年前の公会議で一度記述が固定された。300年前に「新教会」の成立によって現代口語への翻訳こそ進んだが、その内容は変わらず、1500年前の社会通念や常識に依存している。
ゆえに神学者たちは、聖教会も新教会も、聖典の副読本や、聖人の言行録を利用することで、「教え」を現代に沿わせる努力を続けてきた。
だが検索台で聖典を検索し、そこから「神の言葉」を(前後関係などすべて無視して)読み取った人々は、「聖教会も新教会も、神の教えの真実を伝えていない」と「理解」してしまった。
もちろん、中にはそれがただの素人の誤解であることが分かっていた人々もいる。だがその一部は、この素人の誤解を利用できることに気がついた。
聖教会であろうが、新教会であろうが、「間違っている」のであれば、教会に税金を払う必要はない――そう考えた一部の大貴族が、既存の教会の勢力を削減するために、その手の「誤解した素人」を「新たな信仰者」として擁護し、援助したのだ。
かくしてここに、〈自助信仰の扉〉が開かれた。
〈自助信仰の扉〉とは、「聖典に書いてあることは、神を信じる我々が我々自身で解釈すべきだ」という思想だ。これは決して新しい言葉や思想ではなく、「聖典」を検索した結果として発見された言葉であり、思想でもある。
この思想は、教会による支配や束縛を嫌う人々の間に、急激に広まった。検索台は飛ぶように売れ、特殊インクで書かれた聖典は増刷に増刷を重ねていった。
――おそらくイリスは、この可能性に思い至っていたのだろう。
検索台が、長らく閉ざされていた〈自助信仰の扉〉を開いてしまうことを。
そしてそれが、大量の流血をもたらすことを。
〈自助信仰の扉〉が開いたことにより、大都市には一気に「聖者」が溢れかえった。
聖者たちはそれぞれ自分自身の聖典解釈を説法し、人気のある聖者のもとには多くの信徒が集まった。目端の利く聖者は、大商人や貴族を優遇する「解釈」を語り、そういう聖者は大金持ちのパトロンを得るようにもなった。
聖・新教会の双方ともが、この動きに対し、有効な手が打てなかった。彼らは神学者を育ててきたが、宗教者は育ててこなかった。世慣れぬ学者が、世故長けた山師である「聖者」と公開討論をしても、まるで勝ち目はなかった。
こうして始まった宗教上の混乱は、やがて、人々の血を求めはじめた。
「聖者」は、基本的に、「いまの教会は間違っている」「いまの教会は腐敗している」という前提に立つ。でなくては、現状に対して漠然とした不満を抱いている市民の人気を得られない。
だがこの批判は、ただの誤解だ。「より正しい批判」は、存在しない。となると、市民の人気を集めるのは「より正しい批判」ではなく、「より過激な批判」になる。
かくして「聖者」たちの言動はどんどん過激化し、シンパの活動もそれにあわせて過激化していった。そしてその過激さは、しばしば、社会にプラスの効果をもたらした――運動が始まって3年ほどで、村人を食い物にする「冒険者」の類はほぼ一掃され、「神の加護を示すため」に行われる討伐行によって治安は明らかな改善傾向を見せていった。
そうやって「歓迎される過激さ」としてさらに人気を高めていった「聖者」たちは、いつしか、一線を越えていった。討伐行で捕らえた盗賊を、残虐な方法で公開処刑するのは序の口。そうやって血の興奮を覚えたシンパたちは、「血の粛清」を自分たちの組織の内部にも、外部にも広げていった。
なかでも大きなターニングポイントとなったのは、1978年に起きた「ラ・マサの虐殺」だ。
長らく〈自助信仰の扉〉運動を支援してきたマルキ公は、彼らの過激化を嫌い、1977年頃から少しずつ運動に対する否定的な発言を増やしてきた。
だから1978年、保養地ラ・マサで開かれたマルキ公長男18才の誕生日を祝う大祝宴を、「聖者」の中でも最も過激なことで知られるアンドリュー派が襲撃したのは、必然だったと言えるかもしれない。アンドリュー派は複数の魔術師を擁しており、周到な計画に基づく奇襲を受けた宴会は、大虐殺の場と化した。マルキ公以下、公爵の一家は全滅。マルキ公の長男は背教者として公開処刑された。
ここに至って、貴族たちも〈自助信仰の扉〉運動を弾圧しはじめる――と、誰もが思った。
だが、現実は奇妙によじれていく。
大貴族であるマルキ公は、それだけ多くの政敵を有していた。マルキ公の存在を煙たがっていた他の大貴族にとってみれば、ラ・マサの虐殺は、歓迎すべき事態だったのだ。
もちろん、アンドリュー一派には貴族連合による軍勢が差し向けられ、瞬く間に聖者アンドリューは縛り首となった。だがアンドリューは異端を理由に処刑されたのではなく、マルキ公以下貴族たちを殺害した罪をもって処刑された。彼らの信仰は、保障されたのだ。
このアンドリュー派討伐軍の指揮をとったアンナ伯が、自らを「聖者」として、〈自助信仰の扉〉運動の一翼に加わったとき、既知世界はかつてない騒乱と流血の時代を迎えることになった。
私もまた、その騒乱に参加することになった。ノラド王国からの使者を前に、私は首を縦に振るしかなかったから。それに、「聖者」を名乗る山師からの勧誘はひっきりなしになっていたし、断ると暗殺者が送られてくるケースも増えていた。〈世界の破壊者〉が、旗幟を鮮明にしないという選択肢は、なかった。
だが新教会側に立って戦ったノラド王国は、敗れた。もともと新教会は聖教会より規模が小さく、事実上ノラド王国が新教会の守護者だった。
私はほぼ毎日のように出撃を繰り返し、やがて恒常的な魔力酔い状態に陥った。夢を見ているのか、夢を見ている夢を見ているのか、それもわからなくなった。
そして気がついたときには、すべては終わっていた。
■
馬車が止まった。先程からずいぶん騒がしくなっていたから、おそらくは大きな都市の、広場にでも連れてこられたのだろう。戦乱によって物流が滞っているいま、公開処刑は多くの市民にとって見逃せない、数少ない娯楽だ。
馬車の扉が開き、外に引きずり出される。
誰かが説法しているのか、魔術で拡大された金切り声と、それに呼応するかのような市民の歓声が、耳に痛い。
再び、両脇をガッチリと固められた。今度の男たちは、牢にいた連中のような恐れがない。さすがに、プロ中のプロ、ということか。
と、思っていたら案の定、声をかけられた。
「……ノラド王国宮廷魔術師のユスティナ殿。貴殿はこれより、〈悪魔〉として処刑される」
危険な物言いをする人だ。私の尊厳を守ろうとする言葉は、彼の立場を悪くしても、良くすることはあるまいに。
「エドガー最高聖者は、あなたは悪魔の顕現であり、捕虜としての権利を有さないと言う。だが私にとって、あなたは将の一人だ」
「――亡国の、敗残の将ですがね」
淡々とした言葉に釣られるように、思わず言葉を返してしまう。それと同時に、ああ、私はなんのかんので軍人だったのだな、と思った。
「勝敗は兵家の常。私の同僚も少なからずあなたに殺されたが、私はそれを恨まないし、同僚たちもあなたを尊敬していた。それだけは、どうしても伝えたかった」
何も、言えなかった。
言うべき言葉は、なかったから。
「……つまらないことを申し上げた。あと10分ほどで、説法が終わる。
いまのうちに、最後の希望があれば、私にできる範囲でお応えしたい」
処刑前の「最後の希望」は、捕虜の正当な権利として、広く認められている。
私は長らく、自分が「最後の希望」を言うとしたら、タバコだろうな、と思ってきた。だが今は、ちょっと別のことが気になった。
「では1つだけ質問を。カラクフ公国はどうなりました?」
男は、一瞬言葉に詰まった。「なぜそんなことを?」という疑念に加えて、「軍事機密」の4文字が脳裏によぎったのだろう。だがすぐに私が元魔術学院生であり、ノラド王国軍に復帰するまでは大導師としてカラクフに勤めていたことを思い出したようだ。
「――申し上げにくいが、カラクフは陥落した。
大規模な略奪と虐殺があったとも聞いている」
その言葉に、小さく頷く。
予想は、できていた。
そしてその情報に、自分が痛みを感じないであろうことも。
生みの親に売られ、
学院から逃げ、
ノラド王国から逃げ、
〈勇者〉たちを失い、
ノラド王国を失い、
学院は焼け落ちた。
ああ。
ああ、なんて。
なんて、すがすがしい。
私には、もう、何もない。
気が付くと、私は階段を登っていた。
群衆のざわめきが、遠く、近く、耳鳴りのように聞こえる。
1段、また1段と階段を登りながら、意識を集中する。
だってもう、私には、何もない。
何もない私は、やっと、「実験」ができるようになった。
慎重に、慎重に、意識を手繰る。
イリスがかつて示した仮説。
私は、「魔力」分野に生まれ持っての才能を示している魔術師ではないかという、大胆極まりない仮説。
もしこれが正しいなら、私は純魔力粒子を――四大元素などに分化する以前の段階の、知覚不可能とされる高エネルギー微粒子を――知覚することもできるはずだ。
もう1段、階段を登る。私は、きっと、純魔力粒子が、見える。
急に、視界がぱっと明るくなった。思わず、驚きの声が漏れそうになる。
視覚が回復したわけでも、遮蔽がなくなったわけでもない。
――おそらくこれが、純魔力粒子を知覚している状態なのだろう。
そういえば、「魔術を発動させようとしている相手」が、なぜかチカチカ光って見えたような記憶がある。状況的に修羅場ばかりだったので意識の外に追いやっていたが、あれはそういうことだったのか。
もう1段、階段を登る。
空間に純魔力粒子がどれくらい存在するのか、確かな研究は存在しない。なにしろ、測定不能だったので。
まさかこんなにみっしりと、世界が魔力粒子に満たされているだなんて。
もう1段、階段を登る。
実験を、次のステップに進める。
純魔力粒子をコントロールし、1箇所に集めていくのだ。
――と考えた途端に、周囲を満たしていた純魔力粒子が、リンゴくらいの大きさに集まった。すさまじい明るさで、目が潰れるかもしれない……と思ったけれど、そういえば私の目は潰されていた。これはラッキー。
もう1段、階段を登る。
ここから先が、難しい。
純魔力粒子を「折りたたむ」イメージで、同時に同じ空間へと積層していく。といっても現状はまだ、概念上積層しているだけだ。この「概念」を「現実」に投射した瞬間、純魔力粒子の融合による反応が始まる、はずだ。
もう1段、階段を登る。
どうやらここが一番上らしく、次の一歩が空を切った。たたらを踏む。
あやうく集中が乱れそうになったが、なんとかキープ。処刑台の上ですっ転ぶのが人生の最後でしたというのは、全力で回避したい。
案の定、火刑だったようで、体が柱に縛られた。頭の上から、液体が振りかけられる。匂いからするに、油なのだろう。これはちょっと、いろいろと不味いかもしれない。が、今更止めようもない。
耳元で、「聖者」が金切り声を上げている。術の維持と構築に集中力を根こそぎ持って行かれているから、何を言っているのかまるでわからない。想像は簡単にできるが。
そんなことより、問題は実験だ。現状、1,073,741,824個の純魔力粒子が積層している。もう1回、先に進めるべきか? それともこのあたりで良しとすべきか? チャンスが1回しかないので、とても悩ましい。
だが、また頭の上から液体がかけられた。火刑としては明らかに不要な手順だから、儀式的な「最後」を締めくくる何かだと思って間違いないだろう。
あと30秒あれば、2,147,483,648個にまで拡張できたのだが、仕方ない。
頭の上から降り注ぐ液体を無視して、私は魔術の発現を開始した。
途端に、全身に火が着いた。予備発現の、そのまた予備発現レベルで、油の発火温度を越えたのだろう。
気が狂いそうな激痛が押し寄せるが、今まで生きてきた苦痛に比べれば、たかが知れている。それに、私に最後の「聖なる油」をかけていた聖者が一緒に炎上しているようなので、気分的にも悪くない。
苦痛を無視して、呼吸を止める。体内が焼け始めると、多分そう長くは正気を保てない。これまで何万人、何十万人を焼き殺してきた女が、最後は焼け死ぬというのは実に理にかなっているが、実験を完遂できないのは避けたい。
だが、どんなに無視しようとしても、全身のあらゆる場所が苦痛でよじれる。体が勝手に反応し、縛り付けられた杭をガタガタと揺らす。
あと、もう少し。
もう、ほんの少し。
すべてを失った私は、最後に残った命を失おうとしている。
だからこそ、あと、ほんの、少し。
たったひとつだけでも、真理を。
真理を、この手に。
――そして、魔術は発動した。
純魔力粒子が重なりあい、崩壊し、大量のエネルギーを放出する。そのエネルギーは、私が「集めなかった」純魔力粒子をも崩壊させ、崩壊した純魔力粒子はまたしても大量のエネルギーを放出した。
なるほど。純魔力粒子の崩壊は、近隣の純魔力粒子の崩壊を誘発する。
炎の魔力粒子という、純魔力粒子に比べてエネルギーの総量では遥かに劣る粒子を崩壊させようとしただけで、暴風雨以上のエネルギーが生まれそうになった。これが純魔力粒子なら、連続的な崩壊が起こっても不思議ではない。
しかし、さきほど視認した範囲で言うと、純魔力粒子はこの世界に満ち満ちている。もしかすると、いわゆる「宇宙」と呼ばれる領域まで、魔力粒子は広がっているかもしれない。
この仮説が正しければ、この実験によってこの世界は――もしかするとこの宇宙は――その全域が純魔力粒子の連鎖的な崩壊による爆発に飲み込まれて……
そこまで考えたところで、私の意識はふっつりと途切れた。




