日記 7日目
都合、本日2度めの投稿です
メッセージの着信を知らせるベルが鳴ったような気がしたので、反射的に目が覚めたが、空耳だったようだ。
懐中時計を見ると、現在時刻は11時36分。ギリギリ、本日。
最近、うまく眠れないことが多いせいか、今日はとても眠い。
まあ、悪いことではない。夜に眠くなる、自然の摂理だ。
そういえば〈勇者〉は、「何でも一人で抱え込むな」と言っていた。
だがこんなこと、いったい誰に手伝ってもらえばいいと言うのか。
かつてロージィを守ったイリスは、今なお昏睡したままだ。
だったら誰が、今のロージィを守れるというのか。
私にその大役が務まるかどうか、それは分からない。
でも「無理だろう」という妥当な推測をもとに手を伸ばすこともせず、気がついたら何もかもが手遅れだったという経験を、繰り返したくない。
あの夜を、繰り返したくない。
つくづく利己的だな、とは思う。
私は、ロージィのためではなく、自分のために動いている。
だがそれでも、あんな思いは、もう嫌だ。
「倒れるときは前のめり、土を掴んで倒れたい」とは、ルシェクを士官候補生として雇うことに決めたときの、彼の自己紹介だったか。
私はその心意気ではなく、そのウィットを買って雇うことに決めた。
でも今は、彼の言葉が、必ずしも当意即妙だけではなかったということが、分かる。
人はいずれ、倒れる。
ならばその最後の瞬間まで、一歩でも先に進みたい。
その気持ちを、どうして笑えようか。
それはただの自己満足だと、どうして批判できようか。
――そういえば、カヤの最期は、どうだったのだろう。
彼女もまた、最後まで「あと一歩」を望んだのだろうか。
どうか、そうであってほしい。
そしてそう願う私もまた、そう、ありたい。
■
8月 6日
朝起きたら、上の日記? が、エディタに記されていた。
こんなものを書いた記憶は、ない。
怖くなって、PCのセキュリティをひととおりチェックしてみたが、私に分かる範囲で言えば、攻撃を受けたりウィルスに感染したりしている形跡はない。
寝る前に無線LANの接続を切っているのだから、リモートで書き込まれたとも思えない。
それに、こんなことを「こちら側」で書けるとしたら、彼くらいだ。
でもあの御木本会長に、そんなPCリテラシーはない。
つまりこれは、自分では寝ていると思っていた間に、私自身が書いたと、考えるべきだ。
確かに最近、睡眠時間が短くなっている自覚はある。
なかなか眠れないし、すぐ目が覚めるし、一度目が覚めると二度寝できない。
そんな状態だから、睡眠も浅いのだと思う。
朝起きたときも、鉛のように重い疲労感が、体の芯のほうに残っている。
良くない、とは思っていたが、まさか夢遊病のような症状まで出るとは。
とはいえ、具体的な対策は思いつかない。
少なくとも、目が覚めたら魔法をぶっ放したあとの焼け野原でした、ということだけはないように、祈るしかない。
いま、Facebookメッセンジャーに着信があった。栗原さんだ。
栗原さんと、今日のお昼に話ができることになった。
夜勤明けだそうだ。なんだか申し訳ない。
ただ最初は「後輩からの職場訪問かしら」程度に思っていたらしい栗原さんのほんわかとした態度が、「本庄さんの件」という一言で豹変したのが、やはり気になる。
ともあれ、まずはシャワーを浴びて、きちんと身支度をしよう。
■
栗原先輩からは、有意義な話を聞くことができた。
以下、その経緯。
病院正門前で栗原先輩(考えてみれば学園OGなのだから、先輩と呼ぶべきだ)と待ち合わせをした。
誤差プラスマイナス1分で、栗原先輩は姿を現した。
「ICU勤務だから、お昼までに救急車のサイレンが鳴ったら、今日は無理だと思って諦めて」と言われていたが、大丈夫だったようだ。
バスに乗って、宮森学園に向かった。
「できれば人目のないところで話したい」ということだったので、話をする場として学園内のカフェを選んだからだ。
栗原先輩も、「カフェなんてできたんだ」と興味津々で、掴みとしては上々だったと言える。
案の定、夏休み期間中のカフェは実に閑散としたもので、店員も2名程度しか入っていなかった。それ以外の期間で黒字を出してはいるのだろうが……。
栗原先輩は「イタトマができたって噂、本当だったんだ」と羨ましそうな顔をした直後に、「でも学生時代にこのお店があっても、私のお小遣いじゃ無理だったかなあ」と、少ししんみりしていた。
席についた栗原先輩は、ペンネ・アラビアータのランチセット。私はカフェラテを注文した。
先輩には「私が払うから、好きなの食べていいわよ?」と言われたが、朝の件もあって、私の胃は空っぽなのにオーバーフロー状態。コーヒーが限界だった。
しばらく、先輩から学園の昔話を聞いた。
先輩の時代、宮森学園はまだ宮森おばさんが買収する前で、名前も「仁聖学院」と、ものものしかった。
当時は進学校からは程遠く、「本学設立の理念を体現する生徒を育成するため」と銘打って、男子は組体操、女子は裁縫の授業が、必修として週1コマあったという。
いやそれ、たとえ10年前でも、時代錯誤なんてレベルじゃないでしょ……。
で、ちょうど栗原先輩が卒業する頃、「学園が買収されるらしい」という噂が持ち上がったらしい。
当時の生徒たちは、初めは「もっと厳しい学校になるのだろう、逃げ切れてラッキー」と思っていたそうだが、新オーナー候補である宮森おばさんの素性が明らかになるにつれ、「ものすごく自由な学校になるんじゃないか」という期待が高まったらしい。
当時生徒会役員を務めていた栗原先輩(文字通りの大先輩だった)は、1~2年生の間で高まる期待と、3年生の「自分たちはそれを知らずに卒業する」という苛立ちの、板挟みになった。
けれど先輩は怯むことなく、「若い実業家に買収されたから、学校が良くなった、などと言われたくない」といった趣旨の、大演説をぶったらしい。「あの頃は、怖いもの知らずだったから」というのが、栗原先輩の弁。
この演説は、生徒たちと、一部の先生を奮起させた。
生徒会が主催する行事が次々に開催され、好評だったものは「翌年以降も実施する」ことが約束され、不評だったものは「翌年以降、改善する」と宣言された(演劇鑑賞会はこのときが最初だったそうだ)。
仁聖学園の現状に疑問と不満を抱いていた先生がたの協力もあって、生徒会自治は急激に浸透していった。栗原先輩が学園を去った2年目も、生徒会主導による行事企画・運営は続いたのだ。
この「伝統」は、今の宮森学園にも、脈々と受け継がれている。
■
と、このあたりで栗原先輩はランチを食べ終わり、食後のコーヒーに口をつけた。
先輩の表情が、引き締まった。誇らしくも楽しい、昔話の時間は終わった、という合図。
本庄さんの件は、簡単に言って、病院でも「地雷中の地雷」だそうだ。
私は本庄さんから聞いた話の概略を伝えたが、それを聞いた栗原先輩は、非常に厳しい表情になると、「その話は、ほとんど全部、本庄さんの思い込み」と断言された。
が、「ほとんど全部」ということは、妄想ではない部分もある、ということだ。
そこを突っ込んでみたところ、栗原先輩はしばらく黙りこみ、やがて「私が黙っていても、あなたはいつか知るだろうから」と呟くと、「自分が知っている、本庄事件最大の問題点」を教えてくれた。
本庄事件のようなスキャンダル(ないしスキャンダルの火種)は、だいたいどこにでもある、という。
栗原先輩は、何度か研修で他の病院に出向いたり、大学の研究室に行ったこともあるそうだが、「だいたいどんな場所でも、男女が合計3人いれば、そういう噂はあった」そうだ。
なんとも、人間というのは、そんなものなのかもしれない。
……というか、私自身、そういうスキャンダルが原因で生まれた人間だった。
だが本庄事件がそういった「火種」と決定的に違ったのは、「本庄さんが妊娠したのは事実」「堕胎したのも事実」「父親はほぼ間違いなく院長先生」という、3点セットが揃っていることだ、という。
最後の1点が確定情報ではないのが気になるが、事件に関して様々な公式アナウンスが出された中で、「院長は本件に一切関与していない」という明確な宣言は、最後までなされなかったという。
ということは、そこには相応の理由があるのだろう――というのが栗原先輩の(正確には、当時の医師たちの)推測、というわけだ。
また悪いことに、看護婦の間ではその後も院長先生の「浮気疑惑」の噂が、毎回その相手を変えながら、2年に1度の周期で流布するという。
そのうえ、これまで数回、その噂がデマじゃなかったことがあった(病院の待合ロビーに浮気相手が押しかけて、警備員に取り押さえられた)というのが、これまたよろしくない。
そこまで説明した栗原先輩は、そこで少し、不思議そうな表情になった。
「でも」。そう呟きながら、コーヒーを一口。
「最後の浮気疑惑が浮上したのは、去年なのよ。
だから通例で言えば、今年は浮気はしてないはず」
なんとも、根拠としては実に薄弱だ。
だが、「これまで浮気をしては、それが看護婦の間で噂になってきた」という甚だしい脇の甘さを誇る院長先生が、星野先輩との浮気に関しては秘密を守り切った――というのは、いささか不自然だ。
その点を指摘してみたら、栗原先輩は「そう、それ。それが言いたかったの」と何度も頷いた。
「もし院長先生がまた浮気してるんだったら、私達の耳に入らないなんて、ちょっと考えられないのよね」と、ひとりごちる栗原先輩。
ついでに私は、今回の浮気相手についても、少し突っ込んで話をしてみた。
星野先輩のことは、栗原先輩も知っていた。
「あの、ものすごい美人さんね?
学園の生徒なのは制服で分かったけど――じゃあ今、うちに入院してるのは、そういうことなのね? それ、初めて聞いたわ」
この言葉を聞いて、私は急に、不安になった。
おかしい。何かが、おかしい。
心中で嵐が吹き始めた私をよそに、栗原先輩は話し続けた。
「でもそれも、変ねえ。
星野さん、ICUに入院してる有原さんのお見舞いに、2日に1回くらいのペースで来てたけど……もし星野さんと院長先生がそういう仲になっていたなら、私達の同僚の誰かが気づいてたと思うのよ」
それだ。そこが、おかしい。
歩くスキャンダル広報塔のような院長先生が、栗原先輩の職場をひとつのキーポイントとして浮気をしていたなら、なぜ栗原先輩は星野先輩の件を「詳しいことは今初めて聞いた」のだろう?
もしかしたら、星野先輩のお腹の子供の父親は、院長先生ではないのかもしれない。
だとしたら。
だとしたら。
だとしたら、あのキスは、何だったのだろう?
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栗原先輩は、「なんにせよそういう疑惑があるなら、早めに対処したほうがいい」ということで、院長先生にそれとなく問いただしてみる、と約束してくれた。
なんというか、周囲のスタッフが、院長先生の浮気スキャンダルの対処に慣れているというのもどうなのか、思わなくもない。
もし、星野先輩の相手が院長先生ではないとなれば、私が内心で描いていた絵図は、大きく崩れる――院長先生が、自分の立場を守るために、星野先輩も守らざるをえない、という構図が、成り立たなくなる。
ただ、そうであるならそうとして、私には真実が必要だ。
今回の件、私が最後に向き合わねばならないのは、「宮森おばさん」ではなく、宮森学長だ。
たかが一生徒に過ぎない私が、学長とタイマンするためには、真実という武器を手にするしかない。
ああ、せめて、星野先輩に直接、話を聞けたなら。
でも星野先輩はいま、面会謝絶の鉄壁の向こうにいる。
それに、もし会えたとして、星野先輩は私に何も言わないだろう。
そうだ。きっと、何も、喋ってはくれない。
だってロージィも、最後の最後まで、私に何も話してくれなかったのだから。




