日記 6日目
8月 5日
朝起きたら、コンタクトを試みていた元看護婦さんから、メールが入っていた。
今日の昼過ぎから夕方4時までの間ならいつでも会えると言うので、例のマンションの近くの喫茶店で話を聞くことにした。
結論から言うと、この接触は失敗だったかもしれない。
元看護婦さん――本庄朱美さんを、もっとも不躾な言葉で表現するなら、ストーカーだ。
完全にストーカーではないにしても、非常に強いストーカー気質がある。
喫茶店に入って、こちらから事情を説明しようとしたら、本庄さんは機先を制して「あの女たらしが、また若い子を孕ませたんだって?」と聞いてきた。
私は慎重に話を進めようとしたが、彼女は院長先生の周辺で起こっていることを、私よりもずっと詳しく知っていた。
それだけではない。
星野先輩の件も、星野先輩の事情まで含めて、相当詳しく知っていた。
どうやら私のことすら、私が手紙を出す前から知っていたらしい。
彼女曰く、情報の出どころのほとんどは、ネットの匿名掲示板だと言う。
さもありなん、とは思う。
特に星野先輩は、一見してあまりに完璧すぎるせいで、崇拝者も多いけれど、根強いアンチもいる。
学業のレベルはまるで桁違いで、1年生の段階で3年生と同じテストを受けて、全国トップクラス。
スポーツも、そこまで目立って不得意、というわけではない。運動能力測定の成績は、平均より上。言い換えれば、星野先輩より運動ができない生徒のほうが、数は多いということだ。
その上、課外活動では図書委員長として図書室の充実に務め、執行部のリーダーとして生徒会実務全体を統括し、文芸部員として部誌にフランス語の詩を投稿する。
しかるにその外見は、抜群の美女。
もし私が星野先輩と同級生だったら、「凄すぎて嫉妬する気力すら起きない」と感じただろう。
でも、皆が皆、私のように諦めが早いとは限らない。
そうやって、中等部1年の頃から諦めることなく挑戦し続け、敗北し続けたら――しかも自分と星野先輩の差が開く一方となったら――心が折れるだけではなく、負の感情が爆発することだって、十分にあり得る。
そして悲しいかな星野先輩は、見かけどおりの完璧な人では、なかった。
それどころか、その手の負の感情を発散させるにあたって最高の弱みを、いくつも持っている。
匿名掲示板のような場所で、あるいはそういった人達が集まるLINEグループの中で、星野先輩がどのような評価を受けているか、想像は難しくない。
■
ともあれ本庄さんは、院長先生を社会的に破滅させられる可能性のあるネタとして、星野先輩のことを相当調べていた。
実のところ、本庄さんが「本命」と睨んでいたのは、有原先輩のほうだったらしい。
なるほど、これはこれで、合理的な疑いだ。
高校を卒業したばかりの若い女性を、何ヶ月にも渡ってICUで治療し続ける。
普通は、「何か特別な関係があるのでは」と疑うところだろう。
この疑いをもとに有原先輩の周辺を調べてみたら、そこで浮上した「もっと怪しい相手」が、星野先輩というわけだ。
星野先輩は、中等部の頃に一度妊娠しているが、堕胎手術は院長先生の病院で行っている。
そして普通なら一発退学の事案なのに、星野先輩は何事もなく復学している。
こうなると、「院長先生は中学生を妊娠させたのでは」、という疑いを抱くのも、そこまで不思議ではない。
――いや正直このあたりで既に、私の目から見ると論理的ではないと思えるのだが、本庄さんにとっては十分に「真実」なのだろう。
そしていま、星野先輩は再び妊娠し、自殺未遂に至り、院長先生の病院に緊急入院している。
今度こそその場で退学が決まってなんら不思議ではないのに、まだ処分は確定していない。
つまり、星野先輩と、有原先輩と、宮森学長と、院長先生の間には、何らかの「黒いつながり」があり、彼らはセックスとカネと暴力で濃厚に結ばれている――というわけだ。
ここまで来ると「その結論はいくらなんでも飛躍があるのでは」とツッコミそうになったが、本庄さんは「もうこれは間違いない」「それ以外にあり得ない」と、何度も繰り返した。
もっとも、彼女との接触から、新たに得られたこともあった。
「地元の名士たちによる大陰謀」に興奮した本庄さんは、ほんの少し水を向けるだけで、10年前彼女が巻き込まれた「陰謀」を、ペラペラと喋ってくれた。
長くて複雑な(それでいて繰り返しの多い)話を簡単にまとめると、以下のようになる。
(1)院長先生は、かわいそうな人である。彼は傾きかけていた病院の経営を支えなおすため、財閥のお嬢様と政略結婚させられたのである。
(2)その財閥のお嬢様は素行不良で有名で、「大病院の院長夫人」という肩書は、そのお嬢様を抱える家にとって、非常に高い価値があった。
(3)もちろん結婚は形ばかりのもので、二人の関係は最初から冷め切っていた。
(4)そんななか、10年前、院長先生と本庄さんは、一目惚れの末、真の愛を育んだ。
(5)本庄さんは院長先生の子を宿し、院長先生は本庄さんと駆け落ちするつもりだった。
(6)しかし院長夫人の肩書を失うわけにはいかないお嬢様は、一族を動員して本庄さんを拘束、はした金のような慰謝料で、堕胎と退職を認めさせられた。
とりあえず、帰ってからざっくり調べ直した範囲で言うと、この物語は、どこまでが本庄さんの妄想なのか、判別がつかない部分が多い。
まずそもそも院長先生の奥さんは、院長先生が苦学生をやっていた頃にその生活を公私に渡って支えてくれた、学校の先輩だと聞いている(会ったこともあるが、お嬢様と言うより、お年を召してなお元気溌剌としたお姉さま、という感じだった)。
ネットでプロフィールを調べもしてみたが、父方・母方とも、「財閥」のような家系は見当たらない。
夫婦仲がどうなのかという点については、判断できる材料がない。
ただ、お二人の間に、子供はいない。
この点は、実は仮面夫婦なのだという論拠にもなり得る。
が、子供がいないから夫婦関係が成立していないと言うのは、あまりも乱暴すぎる。
思い出したくない話だが、ユスティナもまた〈勇者〉と結婚してからは、近所の人に「お子さんはまだかしら」と言われる度、内心穏やかでいられなかったものだ。
しかるに(4)から先は、追跡も検証も、現状では不可能だ。
だがそれでも、糸が切れてしまったわけではない。
本庄さんと話をするうち、「10年前にも、元宮森の卒業生が新米看護婦として病院にやってきたから、さんざん面倒をみてやった」という逸話を聞くことができた(本庄さん的には、私に対する軽いマウンティングのつもりだったのだろう)。
その新米看護婦は、栗林千春さんという名前だったらしい。
試しにfacebookをその名前で検索してみたところ、確かに現職看護婦で、市内の赤十字中央病院が勤務先になっている。
年齢と学歴は非公開だが、友人のリンクを踏んでいくと、学歴に「私立宮森学園」と書かれたプロフィールを公開している人物に次々と行き当たった。ほぼほぼ、確定。
栗原さんには、そのまま直接Facebook経由で「相談」の打診をしてみた。
現在もアクティブにFacebookを使っている(栗原さんの最終ログイン時刻は1時間前)ようなので、何かしら反応を期待してもいいだろう。
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もうすぐ、宮森おばさんが日本に帰ってくる。
おばさんからはメールでもSkypeでも連絡がないが、こちらとしてはおばさんの帰国までに、院長先生との対決を済ませてしまいたい。
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ひとつ、書き忘れていた。
本庄さんには、「話を聞く限りでは、あなたはまだ院長先生のことを愛しているようだけれど、だったらなぜ彼の破滅を求めるのか」といった内容の質問を、なるべく婉曲的な言葉で聞いてみた。
彼女の答えは、シンプルだった。
「だって彼が社会的に破滅したら、彼はもう、私を頼るしかないでしょう?」




