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夢10

 振り返れば、後悔と、死体ばかりだ。


          ■


 先天的な盲目というハンディキャップを乗り越え、未成人にして精神領域の導師となった天才、カヤ・シャハトは、戦場で非業の死を遂げた。

 その死の所以を紐解けば、私が「積年の仮説」を心置きなく実験したいと願った、その欲望の巻き添えになったからというのが、最も適切な説明だ。


 最終的には過酷な辺境警備に馴染んだとはいえ、カヤはもともと深窓の令嬢。

 どんなに特別扱いしたところで、戦場に連れ出せば、高確率で死を迎えることになる。早いか、遅いか、それだけの問題。

 その当然の確率論は、カヤを例外とはしなかった。


 つまるところ、カヤ・シャハトを殺したのは、私だ。

 私の、せいだ。


          ■


 故郷においては「爵位継承順位が高いだけの非才な姫君」を演じぬくことで、「経歴にハクをつけるための魔術学院留学」を勝ち取り、よりによって魔術理論コースを選んだ挙句、教官の庇護の下で「社会科学」と呼ぶべき新しい学問領域を広げていた不世出の天才、ミランダ・ドール。

 ミラと呼ばれた彼女は、爵位継承を目前にして、暗殺された。

 暗殺者の刃がなぜミラ先輩を狙ったか、その理由を突き詰めれば、私が彼女と同行することを選んだ、それが決定的な引き金だ。


 もともと、ドール家においても、ミラ先輩は敵が多かった。

 ひとつは、彼女が凡庸(に見える)ゆえ。

 そしてもうひとつは、その凡庸さが仮面でしかないことに、ごく一部の競争相手が気づいていたゆえ。


 魔術学院における最高の理論家であるゲーベル師がその有用性を認めた「社会科学」を携えて故郷に凱旋するミラ先輩は、そのままでもほぼ間違いなく、次代の公爵だった。

 だが、ミラ先輩には、不安もあったのだろう。

 凱旋帰国にあたって、私を臣下として迎えたい、という提案をした。

 ミラ先輩に心酔していた私は狂喜乱舞し、特に深く考えることもなく、その申し出を最敬礼で拝領した。


 してしまった。


 学院お墨付きの「国家を大きく繁栄させる理論」を独占する若き名君候補が、戦略兵器級の魔術師を直属の部下として連れ帰る。


 この噂は、ドール家周辺の貴族たちを、一気に団結させた――その「若き名君候補」を、永遠に「候補」止まりにするために。

 貴族連合は学院とコンタクトし、水面下での熾烈な交渉の末、「ミランダ・ドールが卒業するまでに暗殺されるようなことがあれば、学院はそれを宣戦布告と見なす」「ユスティナに危害が加えられるようなことがあれば、これも宣戦布告とみなす」というラインで話はまとまった、らしい。


 ミラ先輩は卒業式の翌朝を迎えることなく暗殺され、私は一人、学院に残された。


 もし、私がもう少し、注意深かったら。

 ミラ先輩の提案に対し、とりあえず断っておいて、ミラ先輩の爵位継承後に「こちらから押しかける」形をとっていれば。

 あるいはミラ先輩が「卒業式の夜は、同窓生と一緒に、朝までスイーツ三昧、肉三昧の予定」と言ったとき、食べるのが苦手だの何だの言い訳せず、私もそれに参加していれば。


 つまるところ、ミランダ・ドールを殺したのは私だ。

 私の、せいだ。


          ■


 呪われた家系の末裔でありながら、その呪いと罪の重さに屈することなく、いつもあでやかに、やわらかに、社会と人を調和させることに心を砕いた、クルシュマン家最後の当主、ロザリンデ。


 彼女は私の判断ミスで、死んだ。


 あとほんの少し、考えておいて当然の予測をしていれば。

 あとほんの少し、計算に入れておいて当然のリスク管理をしていれば。


 それだけのことで、彼女は死ななかった。


 彼女の持つ神秘的な力に、何十回となく命を救われてきたのに。

 彼女の備える穏やかな知性に、幾夜となく心を救われてきたのに。


 結局、私は一度も、彼女を助けることができなかった。


 して当然のことを、しなかった。

 その些細なミスが、小さな甘えが、彼女を死へと追いやった。


 つまるところ、ロザリンデ・クルシュマンを殺したのも、私だ。

 私の、せいだ。


          ■


 私の目の前を、無数の人々の顔が通り過ぎて行く。


 カヤ。

 ルシェク百人長。

 ミラ先輩。

 ゲーベル師。

 マルキ公爵。

 ロザリンデ。

 イリス。

 アイリス。


 みんな、死んだ。


 みんな、死んでしまった。


 なのに私は一人、生きている。


 たった一人で。


          ■


 ふと、気配を感じて、振り返った。


 そこには、母がいた。

 どこかぼんやりしたような、それでいて、いつも何かを面白がっているような、不思議な雰囲気の人。


 だけど母は、体の右半分が、なかった。


「お母さん、ダンプカーに、こっち側半分を、すり潰されちゃったの」


 いつもの呑気な声で、母が言う。

 私は何と答えていいか分からず、それでも、そうなってもなお母が生きているのだと思って、笑顔になった。


「遙ちゃんは、変わってるわねぇ。

 人間がこんなふうになったら、死ぬに決まってるじゃない。

 なんでお母さんが、まだ生きてると思ったの?」


 言葉を失う。


 母は、死んだのだ。


 いや、分かっている。そんなことは、分かっている。


 これは夢だ。

 夢に違いない。

 目を覚ませ、私。


「お母さんがこんなになっちゃったの、誰のせいだと思う?」


 これは、夢だ。


「お母さんねえ、遙ちゃんが倒れたって聞いて、大急ぎで学校に向かったの」


 これは、夢だ。

 これは、夢だ。

 これは、夢だ。


「そしたら、信号無視したダンプカーが、お母さんの車に突っ込んできてね。

 数学的に言って、避けようがなかったのよね」


 夢だ。夢だ。夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ。


「それで、こんなになっちゃった。

 さて、ここで問題です。

 お母さんがこんなになっちゃった理由は、何でしょう?」


 やめて。誰なの、こんな夢を私に見させるのは。

 母は、絶対にこんなことを言ったりしない。

 母は、こんな人じゃない。

 絶対に、絶対に、絶対に、違う。


「遙ちゃんは、変わってるわねぇ。

 遙ちゃんを構成する集合と、お母さんを構成する集合は、部分的には包含関係だけど、一致はしていないわよ?

 もちろん、お母さんが遙ちゃんの部分集合だったら、遙ちゃんはお母さんのことを、何もかも分かるだろうけど。

 でも遙ちゃん、ユスティナの方程式、解けないじゃない」


 お願い。もうやめて。目を覚まして。目を覚まさせて。

 こんな夢、もう嫌。

 助けて。誰か。お願い。助けて。


「遙ちゃんが、ユスティナの方程式を解けばいいのよ。

 そうしたら、お母さんのこと、何もかも分かると思うわよ?

 解けないなら、お母さんが死んだのは、遙ちゃんのせいってことじゃないかなあ」


 無茶苦茶だ。そんな理屈、まるで筋が通ってない。矛盾だらけだ。

 だから、これは夢だ。

 母が、こんな筋の悪い証明をするはずがない。

 絶対に、そんなはずがない。


「遙ちゃん、あなたのそれ、数学じゃなくて、宗教って言うのよ?

 あなたが正しいと信じているから、あなたにだけ、正しい。

 ちゃんと数学、しましょう?」


 お願い。もうやめて。


「もう一度、問題です」


 誰か。助けて。


「お母さんが死んだのは」


 こんな夢、もう、許して。助けて。

 許して。許してください。


「誰のせいかしら?」


 ごめんなさい。

 ごめんなさい。ごめんなさい。

 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめ


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