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日記 3日目

8月1日


 エマちゃんから盆栽部の合宿に誘われるが、断る。

 盆栽部の合宿は、水中盆栽の展覧会を見に関西まで1泊2日で遠征するというものらしい。

 試みに「水中盆栽」でGoogle検索したら是非とも同行したいという言葉が喉まで出かかったのだが、費用的にも、タイミング的にも、ちょっと難しい。


 鴫原さんからも、夏コミ関係で相談を受けた。

 なんでも、エマちゃん以外に売り子がもう1人欲しい、とか。

 こちらも魅力的なお誘いではあるのだが、今は星野先輩の件が最優先課題だ。

 おそらく今年は、評論本もすべて諦めざるを得まい。お馬鹿なガチ論文を集めた同人誌は、なんとしても手に入れたかったのだが、今年は鴫原さんの赤○様本(お取り置き)だけで我慢。


 執行部は閉鎖されたままだ。星野先輩の処分も発表されていない。

 一週間後には宮森おばさんが帰国するから、そこで何もかもが正式決定、ということになるのだろう。

 学園祭の準備的に言うと、夏休みの前期が使えなかったのは痛いが、後期で追い込みをかければ取り返しは効く。


 執行部存続に向けての署名は順調に賛同者数を増やしている。

 宮森学園が今の体制になる前のOB・OGの中にも、趣旨に賛同して署名してくれている人がいるようだ。本当に、ありがたい。


 院長先生関係では、重大な進展あり。

 10年ほど前、院長先生は病院の看護婦との間でスキャンダルを起こしていた。

 おそらく看護婦に親しい人が書いた「告発文」が、廃墟と化した「ホームページ」に残っていたのだ。

 非常に曖昧な書き方がされているので、普通に検索したのでは引っかからなかっただろうが、そこはそれ、検索ワードの設定には自信がある。


 告発文を元に、当時のゴシップ系週刊誌を漁ったところ、「大病院のゆる~い下半身事情」という、いかにもな記事が見つかった。

 情報の信憑性は、まとめサイトに毛が生えた程度だが、看護婦の名前はどうやら実名のようだ(名前で検索したらamebaブログの遺跡が引っかかった)。

 なんとも、いろいろと、おおらかな時代だった、と言うべきか。

 もっとも、もしFacebookをGoogleがクロールできたら、こんなものでは済まないだろうが。


 連絡を取る手段はないものかと、ブログの遺跡を右往左往していたら、「初雪」というエントリを見つけた。

 もしやと思い中身を読んでみたら、案の定、ベランダから写メした降雪写真が張ってある。

 画像をローカルに保存し、Photoshopを起動して写真を拡大。いかにも昔のガラケーで撮った、解像度の悪い写真だが、いくつか特徴的な建物が識別できる。

 3点測量の応用でだいたいのアタリをつけたところで、Googleストリートビューを見る。

 撮影された写真は、高層階から撮影されたものではない。せいぜいが3階程度だろう。となると、ストリートビューに収まっている風景と、そこまで大きく違わないと思っていい。

 予想通り、数十クリックもしないうちに、写真とだいたい同じ風景が見える地点を発見した。10年の間に新しくビルが建ったり、古い建物が駐車場に変わったりはしているが、ほぼ間違いない。


 いよいよ、最後の詰め。賃貸情報サイトにアクセス。ストリートビューから割り出した住所を入力し、その近辺にあるマンションで、3階以上、築10年以上、空室なしでも表示と条件を設定して、検索をかける。

 ヒットしたのは合計4棟。うち2棟は明らかに違う(写真の方角にベランダがない)ので、可能性があるのは2棟のみ。


 絞り込んだ2棟の住所をEvernoteに転記して、スマホ片手に実地調査。

 もし万が一、その看護婦が転居していなければ、直接話を聞ける可能性がある。

 転居していたとしても、管理人さんに相談して「確かに本人がそこに住んでいた」ことが確認できれば、追跡可能性は大いに向上する。日本において個人(法人も含む)は「氏名」と「住所」で規定されるので、その両方の履歴が確定すれば、個人の足あとを辿る難易度は一気に下がる。


 結果、幸運なことに、その看護婦さんは転居していなかった。

 管理人さんに適当な物語を吹き込んだところ(「母親が私を出産するときにお世話になった方が、こちらに住んでいると伺ったのですが、最近母が亡くなりまして云々」)、管理人さんはいたく感動して、その看護婦さんはこの部屋にまだ住んでいる、と教えてくれた。

 ただ、いろいろあって、今では夜の仕事をしているから、この時間(午前11時頃だった)は、たぶん熟睡しているだろう、と。


 ともあれ、これで院長先生の外堀を埋める手立ては、ひとつ増えた。

 どんな展開になるにせよ、相手の弱みを握っておいて損はないと、ユスティナの経験が告げている。


 ……いやしかし、コミケって怖い。

 今回私がその看護婦の所在を突き止められたのも、コミケで偶然入手した、とある同人誌に示されていた技術を応用した結果だ。

 私がブログを書くことは絶対にないと思うが、LINEもtwitterもアカウントは持っている。くれぐれも、迂闊に「ベランダから撮った写真」をUPしないように、心がけなくては。


          ■


 事務的な記録は以上。


 今日はもうひとつ、事務的でない記録をつけようと思う。

 いわゆる、夢日記だ。ゆめにっきではない。


 幼いころは、夢というものを、まったく見なかった。

 母親を「夢って何?」と質問攻めにして、困り果てた母は「ノンレム睡眠が云々」と言い出して、互いによくわからなくなったので、とりあえず近所のファミレスにご飯を食べに行ったのを覚えている。


 だがどうも、最近の私は、夢を見ている、ように、思う。


 特に、一昨日の夢は鮮烈だった。

 起きた時に、自分がユスティナなのか、高梨遙なのか、しばらく呆然としてしまうくらい、現実味にあふれていた。いや、私はその両方なわけで、呆然とするも何もないのだけれど。


 ただ問題は、夢を見るという経験に乏しすぎるせいで、夢の内容をはっきりと把握できなかった、ということだ。

 とにかく強烈で、劇的で、謎めいた夢だったのだけは、覚えている。

 ロザリンデと、ユスティナが、何かを話し合っていた、そんな夢だ。

 そこでユスティナが何か衝撃的な話をして、それを上回る劇的な話をロザリンデが返す。そんな感じ。


 そう、確か……


 確か、ユスティナは、幼いころに身売りされたか、それに近似した状況で、とにかく、親に「売られた」。

 そして性的な暴行を受け、辛うじて生き延びたものの、死を待つばかりになった……ように、覚えている。


 いや、そうだ。間違いない。思い出した。


 それもあって、ユスティナは基本的に他者に対して心を閉ざしてきた。

 当たり前だ。しばらくの間、男を見るのも怖かった。


 だから魔術学院は、自分にとって、すごく居心地が良かった。

 あそこは、とにかく勉強して、課題をこなし、成果を出していれば、それで誰も、何も、言わなかったから。


 もちろん、特待生で入学した私には、成果を「出さなくてはならない」というプレッシャーはあった。

 でも正直、普通のことを、普通にこなしていれば、特待生のラインから滑り落ちる可能性はなかった。

 いやまあ、年に数回の研究発表のたびに、内心で胃が痛い思いはしていたけれど。


 そのうち、私はゲーベル師の下につくことになった。

 それまでずっと指導教官が女性だったから良かったのだけれど、ゲーベル師は壮年の男性で、会った瞬間に私は硬直してしまった。

 ゲーベル師は、そんな私の事情を知っていたようで、とても面倒くさそうに、「君にとって、魔術理論には性別があるのかね?」と言い放った。


 この一言は、効いた。


 それまで私は、極論言えば、「目の前にいる指導教官を喜ばせたい」と思って、頑張ってきた。

 これはこれで当然だ。

 なぜなら私の最初のモチベーションは、私の命を救ってくれ、魔術学院への道を開いてくれた、セレナ導師に少しでも喜んで欲しい、その一心だったから。


 ゲーベル師の言葉は、私にもう一段階高い認識が必要だということ、そしてその認識は私をもっと楽にしてくれることを、教えてくれた。

 ゲーベル師を含め、私達は、魔術理論という大いなる理論に奉仕する下僕だ。

 ここにおいて、身体的なあれこれは、煩わしい枷、測定誤差、足りない余白に過ぎない。


 そして同じ頃、私はタバコを覚え、その素晴らしさに魅せられた。


 タバコは、いい。

 思考の深奥に潜っていくとき、身体がそれを邪魔する事態は、可能な限り避けたい。

 だが身体は実に我儘で、何もしなければ暇を訴えるし、尿意や便意、空腹、眠気――そして驚くべきことに、この私にすら、性的欲求を、訴えてくる。


 この身体の我儘をやり過ごすにあたって、タバコは最高だ。


 もちろん、「やり過ごし方」には、人類の奮闘の歴史を示すかのように、いろいろな種類がある。


 でも、例えばお菓子の類は、悪くないのだけれど、私の場合はすぐにお腹が一杯になって、気持ち悪くなったり、眠くなったりする。

 コーヒーやお茶も素晴らしいのだけれど、これは尿意を刺激するのが煩わしい(一度、あまりに面倒なので垂れ流したら、さすがにゲーベル師の助手に叱られた。今では反省している)。

 酒は完全に論外で、思考を停止して良い局面や、思考を停止することに決めた局面ではタバコ以上に素晴らしいけれど、思考と両立しない。


 その点、タバコは、満腹にならないし、尿意も便意ももたらさないし、思考を鈍らせることもない。かつ、身体を適度に騙し続けることができる。

 実に素晴らしい。


 ゲーベル師もまた、ヘビースモーカーだった。

 師は極めて優れた魔術理論家で、心の底から、それ以外のあらゆるものに価値を見出さなかった。私は、そういう生き方があるのだということに、心底感服した。

 正直、自分でもイヤになるくらい、「自分を性的な目で見る(見ているように思える)男性の視線」に過敏だった私にとって、ゲーベル師は――その、なんだ、私をしていろいろ心配になったり、あらぬことを想像してしまうくらい、私のことを「魔術理論を探求する頭脳」としか見なかった。

 師にとってあらゆる事象(人間を含む)は記号であり、師はそれらを記号論理学で処理していたのだ。


 今では師も結婚していて、娘さんもいるのだけれど、師の奥さんは、人間というよりは神なんだと思う。


 そして、ゲーベル師の研究室に入るのと同じ頃、私はミラ先輩と出会った。




 待った。




 私は、そんな夢は見ていない。はずだ。多分。

 それに、ミラ先輩って、誰だ。




 いや、待った。


 私は、高梨遙だ。かつてはユスティナだったし、そういう意味では今もユスティナかもしれないけれど、私が私と把握する私は、高梨遙だ。


 なぜ、私は、ユスティナを、「私」と書き続けたのだろう。


 やめだ。やめ。ここまで。


 ここまで。


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