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夢9

 夢を見た。


 正確に言えば、見ようとしている。


 見るだろうと思っていたし、見ないほうが不思議なくらいだが、かといってこの夢は、歓迎できるものではない。

 十年以上、思い出したように立ち現れては、私を苦しめ続ける、悪夢。


 毎回毎回、筋書きは決まっている。

 悪夢の中身は、自分の古い体験のフラッシュバックだから、変わりようもない。


 付き合いが長いせいか、さすがに最近はいつものイントロが始まると、「またか」程度の感慨は抱くようになった。

 この調子でいけば、いつかこの悪夢に慣れてしまえる気もする。

 まあ、実際には無理だろうが。


 だから私は、イントロが始まったところで、強引に目を覚ますことにした。

 これは数年前に覚えた技で、思いの外、実用性がある。

 私のように悪夢のストックに事欠かない人間にとっては、必須の技術と言ってもいい。


 ともあれ私は、懸命の努力で、無理やり「起きた」。

 悪夢は不快な残滓を残して消え去り、私は半身を起こして、深く深呼吸する。

 到底心地よい目覚めとは言いがたいが、悲鳴を上げながら跳ね起きて、周囲の人々も一緒に飛び起きさせるよりは、はるかにマシだ。


 が、そうやって一人悦に入る私の背中に、声がかけられた。


「どうしました、ジャスティーナ?」


 しまった。ロザリンデを起こしてしまったか。


「……あなたのことですから、私を起こしてしまったか、とか思っておいででしょう?

 大丈夫です。今はちょうど、私が野営の当番時間です。

 アイリスさんも、イリスさんも、〈勇者〉様も、よく眠っておられますわ」


 左様ですか。それは良かった。


「ひどく汗をかいてますね、ジャスティーナ。

 それに顔色も、あまり良くない。

 悪い夢でも見ましたか?」


 大丈夫、と言おうと思ったけれど、ロザリンデ相手に自分を偽るのはあまりに愚かだ。

 私はちょっとだけ頷いて、状況を説明する。


「あら。悪夢を見そうになったから、無理やり起きた、だなんて。

 人間、やろうと思えば、いろんなことができるんですねえ」


 できちゃうんです。

 ともあれ、もう一度寝ます。おやすみなさい、ロージィ。


 そんなことを思いながら、毛布をかぶり直して、横になる。


「ジャスティーナ。ひとつ、提案があるんですが」


 なんでしょうかね。


「あなたのことです。ほぼ疑いなく、眠れないまま朝を迎えるでしょう。

 それをどうにかしてあげることは、私にはできません。

 ですからせめて、その悪夢の正体を、私に話してみませんか?

 我らが旦那様の言うとおり、話せば楽になるとは、思いません。

 でも朝まで悶々と息を潜めているよりは、ずっとマシでしょう?」


 私はため息をひとつつくと、もう一度半身を起こした。


 いくらロージィ相手でも、話したくないし、話せない。

 〈勇者〉が言ったとおり、話して楽になるなら、私はずっと前に楽になっていたはずだ。

 思い出すのもイヤな過去だし、あの悪夢に踏み込むくらいなら朝まで悶々と息を潜めていたほうがマシだ。


 ――などといったことを考えながら、私は毛布を体に巻き付け、ロージィが座る焚き火の隣に腰を下ろした。


          ■


「もう、随分と昔の話。

 私はその頃推定11歳で、もうちょっとで12歳になる見込みだった」


 焚き火のゆらめく炎を見ながら、私はポツポツと語る。


「――いきなりで申し訳ないのですけど、ジャスティーナ、その『推定11歳』というのは、いったい?」


 ああ、そうか。つい忘れそうになるが、ロージィは大貴族の末裔だ。

 彼女にとって、極貧の村は、果てしなく異界でしかないんだった。


「私の家には、私を含めて10人の兄弟姉妹がいて。

 カレル村みたいな極貧の村では、子供は労働力だから、どの家もとにかく『産めよ増やせよ』でね。

 無論、娯楽が少ないというのも大きな理由だし、維持できないとなれば身売りや間引きも普通にあった。

 『推定11歳』というのは、私がいつ生まれたか、家族も近所の人も、みんな忘れちゃったっていう、それだけのこと」


 ロージィは、少なからぬショックを受けたようだ。

 だがこの世界の6~7割程度は、カレル村の類似品でできている。


「3~4歳まで生き延びれば、最初の仕事は子守り。

 子供のやることだから、うっかり赤子を殺してしまう子もいた。

 5~6歳くらいから、子守をしながらの畑仕事が始まって、それから一生、朝から晩まで働くの」


「そうなのですね……わたくし、田舎の子供たちはみな、とても元気がよくて、小さいのに赤ちゃんの世話もして、私達のような人間にはない活力をお持ちだと、羨ましく思っておりました。

 幼い頃から派閥闘争のコマとして揉まれて、どんどん目の輝きを失っていく貴族の子供たちに比べて、田舎の子供たちはみんな目がキラキラしてる、と」

 懺悔するかのように、ロージィ。


「私だって小さい頃は、貴族様は毎日遊んで暮らせて、何でも手に入って、何一つ苦労することなく生きていけるものだと、信じてた。

 過去現在未来に渡って夢も希望も持てず、ただ泥に塗れて生きていく私達と違って、都会の貴族様たちは、世界そのものがキラキラしてるのだろう、と」


「……お互い様、ということでしょうか」


「人間は本能的に、『ここではない世界』に憧れるんだと思う。

 それはともかく、そんな毎日だから、田舎では命の値段は、とても安い。とても」


 実際、安い。不作の年になると人買いが村々を回るようになるが、年頃の少年少女1人の値段は、家族の食費1週間程度。つまるところ、供給が過剰すぎるのだ。


「でもそんな田舎にも、価値が高いものがあって。

 畑に、家畜。これらは基本、人間よりも価値がある。

 だから畑を荒らす凶暴な動物や、山賊崩れの家畜泥棒といった存在は、村にとって重大な問題になる」


 あくまで、淡々と、気持ちを整理しながら、語り続ける。

 ロージィは、初めて知る世界の「残り7割」の実態に驚きを隠せずにいるが、それでも静かに耳を傾けていた。


「ある程度の脅威であれば、ぎょっとするような犠牲を支払いつつ、村人が自力で撃退できる。

 でも大型の熊だとか、元傭兵の山賊となると、素人ではまったく歯が立たない。キルレシオが1:30とかだから、さすがに村がなくなっちゃう」


 キルレシオが1:30というのは、敵対的な存在1人を排除するために、こちら側に損害が30人出る、という意味。


「そこで、いわゆる『冒険者』の出番になる。私達の同業者だね。

 村長はなけなしの貯金から彼らに報酬を提示し、そこで値段と冒険者の技量と問題の難易度が折り合えば、問題を解決してもらえる。

 折り合えなければ――行く末は、ご想像の通り」


 この時代、廃村の数は着実に増えている。

 イリス曰く、全世界的に見て、食料生産量は右肩下がりにあるらしい。

 生産量の減衰が廃村の増加を招いているのか、それとも廃村が増えていることが食料生産量の減少を招いているのか。卵と鶏の関係ではある。


「ちょっと待って下さい、ジャスティーナ。

 あなたが嘘を言っているはずはありませんが、でも、それはおかしいですわ。

 だって、どんな村であっても、所領にしている貴族がいるはずです。

 領民を守るのは貴族の義務ですし、なによりそれによってその貴族は税収を安定させられるわけですから、守らない理由がないではありませんか」


 さすがロージィ。理論的には、その通りだ。

 名誉においても経済においてもメリットなのだから、領地の所有者がそれを守らない道理がない。


 だがこの世界は、ロージィや、あるいはイリスが思い描くように、綺麗にはできていない。


「カレル村のような寒村は、治安維持費に対し税収のほうが下回るの、ロージィ。

 その上、現状こういった貧しい村を所領にするような小貴族は、基本的にはより大きな貴族ないし王族に『宮仕え』して、給料を貰ってる。

 だから経済面だけで言えば、赤字所領は廃村になったほうがいいんだ。

 それに廃村になったとしても、その貴族の支配権がなくなるわけじゃあない。

 その手の支配権は、いざというときの取引材料にもなる」


 ロージィはなおも何かを言いかけて、口を閉ざした。

 思い当たるフシがあったのだろう。

 この世界では、貴族の義務ノブレス・オブリージュは、実態を失って久しい概念だ。


「話を戻すね。

 推定11歳のあの日、村のある家族が、山賊もどきに誘拐された。

 身代金を払えって話になったけど、当然、そんなお金はどこにもない。

 結局、その家族全員の死体が晒されて、さらに別の家族が攫われた」


「……まさか」


「いや、違うよ。この話に私が登場するのは、もうちょっと先。

 法外な身代金は払えないけど、冒険者に払う程度のお金ならなんとかなるってことで、急いで冒険者が雇われた。

 幸い、金額交渉は上手く行って、無法者どもに痛い目みせてやる、村人も取り返してやるってことになった。

 でもこれ、明らかに連中、グルだよね。

 『山賊』役の冒険者が村人を攫い、『英雄』役の冒険者がその山賊を追い払って、被害者から小金をせしめる。

 よくある商売だよ」


 悲しいかな、冒険者という商売のほとんどは、この手のマッチポンプが本業だ。

 だから私達も「冒険者」と名乗ることは滅多になく、「旅の研究者」を名乗ることのほうが多い。


「ともあれ、冒険者は山賊を追い払った。

 誘拐された家族は殺されたけれど、なんでも彼らは山賊と通じていて、次の誘拐の計画を一緒に練っていたらしい。

 途中で仲間割れが始まったおかげで、楽に退治できたんだとか。

 見え見えの嘘だけど、『そういうこと』にしておかないと、次は村全体を根こそぎやられかねない。

 村長は彼らに支払いをして、その日の夜は宴会になった」


 少し、額に汗が滲んできた。嫌な汗。

 私は先を急ぐ。


「宴席で酒が入った冒険者たちは、ちょっとした追加サービスを要求した。

 戦闘で昂った気持ちを和らげるために、『夜のもてなし』がほしい、と。

 困った村長は、村人と相談した。

 短い相談の末、娘を差し出した家族には、銅貨10枚を報酬として払う、ということになった」


 銅貨10枚。

 買い物上手のアイリスと朝市に行けば、銅貨10枚あれば、ベーコンを300gほど買えるだろうか。


「私の親は、その報酬に飛びついた。隣の家の親も。他の家は、そこまで生活に困ってなかった。

 私と、隣の家のマリーアは、酔った6人の冒険者たちが手ぐすね引いて待ち受ける宿舎に、何が起こるかも知らずに送り込まれた」


 いつのまにか、強く拳を握りしめていた。

 「もう話さなくていい」と言わんばかりに、ロージィの白い手が私の拳に重ねられたけれど、私は話し続けた。


「朝になったら、マリーアは死んでた。窒息死だったと、後から噂で聞いた。

 私は辛うじて生きてたけど、瀕死だった。出血が止まらなかった。

 私とマーリアに何が起こったのか、翌朝には村の全員が知ってたから、『せっかくだから』みたいな感じで寝込んでる私のところに忍び込んだ男もいたんだけど、彼らは私の下半身を見て、ぎょっとしたような顔をして、そのまま何もせず帰っていった。

 私が死ななかったのは、ただの偶然。

 その翌日に、ボランティアの巡回魔導師が村に初級魔術を教えに来て、たまたまその人が、『生命』領域の導師だった」


 何かに突き動かされるように、私は喋り続ける。

 そういえば昔、一度だけこの話を他人にしたことがあった。

 そのときも、こんな感じで堰を切ったように喋ったような気がする。


「彼女は私の手当をしてくれて、予後もしばらく診てくれた。

 でもどんなに高度な治癒の魔術にも、できないことはある。

 私のケースで言えば、破壊された子宮の機能を再生させることはできない」


 一気に喋った私は、大きく深呼吸する。

 客観的に見れば、実にくだらない、どこにでもある悲劇。

 戯曲に仕立てたところで、失笑を買うことはあっても、お涙頂戴とはならないだろう。

 だがそれが、自分に起こったこととなると、話は別だ。


「それでも私は、生き延びた。彼女は私の命を救ってくれた。

 それだけじゃなく、彼女は私の世界までもを変えてくれた。

 それまでも私は、彼女みたいなボランティアの巡回魔術師に、読み書きや魔法の基礎を習ってきた。その頃から、魔術実技はからきしダメだったけど。

 でも彼女は、私が魔術理論に限って、なぜか理解が早いことに気がついた。

 試しに与えられた課題を、私は見た瞬間に解くことができた。

 しまいには彼女が抱えていた魔術理論上の問題を、指摘することまでできた。

 それで、私は魔術学院に特待生として迎えられることになった」


 最悪の地獄は、私に別の世界への扉を与えてくれた。


 ――が、当時の私は、その先に別種の地獄が広がっているだなんて、想像もしなかった。

 まあ、それはまた、別の物語だ。


          ■


 それからも少し、話を続けた。

 ロージィはいくつか質問をして、私はそれに短く答えた。

 大方の解答は、「わからない」だけど。


「家族を恨んでいるか?」

「もう一度、家族に会ってみたいと思うか?」

「家族と話したいことはあるか?」


 さすがロージィ、どれも簡潔で、かつ難しい問いだ。


 やがて夜が白み始めた頃、ロージィは山の端から登る朝日を見ながら、ふと呟いた。


「ジャスティーナ。

 わたくしは、恥じ入るばかりです。

 わたくしは世界のことを、何も知りませんでした。

 ですから、あなたに何かアドバイスすることも、できません。

 改めて、我が身の傲慢さを、お詫びします。

 お話を聞くまでは、わたくしならば、あなたの苦痛を和らげらるヒントを何か与えられるかもしれない、いえ、与えられるはずだと、不遜にも信じておりました」


 思わず苦笑してしまう。

 どう考えたって、そこまで恐縮されるほどのことでは、ない。


「ですが、ひとつだけ。

 何の救いにもならないとは思いますが、わたくしから申し上げるべきことがある、とも思いました」


 おや。何だろう。


「天網恢恢疎にして漏らさず、という言葉はご存知ですね?」


 それは、まあ。

 ひとつの理想論としては、知っている。


「あの言葉は、残酷なほど、真実です。

 神なのか、あるいはもっと別の摂理なのか、それはわたくしには分かりません。

 ですが、一般に『天』と呼ばれるものは、成された不正に対し、必ず裁きを下します。

 たとえそれが、世代を越えたとしても、です」


 ――それは、救いというより、むしろ悲惨なことなのでは?


 罪のない村人を殺し、マリーアを殺し、私の心と体に消えない傷を残したあのクソどもが天の裁きで無残に死んでくれるなら、それはもう、願ったり叶ったりだ。

 私にだって、そういう形での人の死を喜ぶ浅ましい気持ちは、ある。

 でも彼らの子孫が、彼らの親の罪ゆえに無残に死んだと告げられたら、困惑しかできない。


「思うに、天というものは、杓子定規なのか、さもなくば意地悪なのですわ。

 その真意は分かりませんが、ともあれ、必ず裁きは下ります。必ず。

 因果の循環から、逃れうる人はいないのです。

 それだけは、わたくしが我が身をもって、保証いたします」


 思わず、ロザリンデの顔をまじまじと見た。


 でも、昇りゆく朝日を見つめる彼女の美しい横顔から何かを読み取ることは、そのときの私には、できなかった。

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