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日記 1日目

7月28日


 いろいろなことが、自分の中で整理がつかない。ネットを検索してみたところ、そういうときは日記をつけると良い、というアドバイスがあった。どれだけ有効なのかわからないが、試してみようと思う。


 星野先輩の自殺未遂から数日経ったが、事態は収拾の目処が立っていない。


 とはいえとりあえず何点か、良いニュースと言えるものはある。


 星野先輩の自殺未遂は、間違いなく本人による自殺未遂だったということが確定したということが、最大のグッドニュース。

 なんとも、良いには程遠いニュースではあるが、少なくとも「自殺未遂に見えたけれど、実は女子トイレに不審者が侵入していて、星野先輩の手首をカッターナイフで切って逃走した」という状況は(警察による現場検証によって)否定された。


 また、「あちら側」からの転生者が私の他にもいて、精神操作の魔法によって星野先輩を自殺に追い込んだという可能性も、高確率で否定できる。


 理由その1。精神魔術の導師であったカヤとの記憶を完全に取り戻した私は、同時に精神魔術の限界も思い出した。「精神を」「作る」/「変化させる」系の魔術を用いて感情を操作することは、ほとんど不可能なのだ。

 というのも、人間の精神は極めて短時間のうちに、多様な変化をし続けている。何か1つのことに集中しているように思っているときでも、実際には人間の心は千変万化しているのだ。

 このため、一時的に感情を作ったり、変化させたとしても、それを維持することはほとんどできない。

 ほんの一瞬、心に「死にたいにゃん」という思いをよぎらせることはできるが、その思いはせいぜいtwitterで「死にたいにゃん」と呟かせる程度の効果しか発揮しないのだ。


 そして、理由その2。星野先輩は、間違いなく、こちらの世界における「ロザリンデ」だ。


 星野先輩が病院に運ばれてから、私は保健室で血しぶきを拭きとってもらい、ジャージも借りた。制服も血で汚れてしまったため、そのまま校内をうろつくわけにはいかなかった。

 ジャージを借りてまで校内に留まったワケは簡単だ。

 あのときの私は、不思議と落ち着いていた。おそらく、まだ「ユスティナ」が起きていたのだろう。起こりうる最悪の事態を予想し、今のうちにできることと、今でしかできないことを、やってしまおうと考えた。


 生徒会室に戻ると、案の定、執行部員はみな半分パニック状態だった。当たり前だ。星野先輩は、執行部員が次にどう動くべきか、その采配のすべてを握ってたのだから。

 私は興奮したり、不安に打ちひしがれたりしている執行部員たちを押しのけ、かきわけ、空席になったままの星野先輩の席に座った。周囲の視線がさっと集中したが、それは問題ではなかった。

 スリープになっていたmacのキーボードを叩くと、ログインパスワードの入力画面になる。星野先輩の本業は会計部門だから、PCのセキュリティ管理も厳しい。ここまでは、予想通りだ。


 私は椅子に座ったまま背後を振り向くと、会計部専用のロッカーを開いた。

 中には丁寧に分類されたファイルが、ぎっしりと詰まっている。

 数十冊以上あるファイルから、私は迷わず1冊の分厚いファイルを手にとった。星野先輩に「自分が学校を休んでいるときに、至急対応が必要な案件が発生したら、このファイルを見るように」と言われていたファイルだ。


 教えてもらったときは、とても嬉しかった。星野先輩に認められたのだ、と。


 まさかそれが、こんな形で役に立つとは思わなかったけれど。


 膝の上で、ファイルを開く。中身は緊急時の対応マニュアルだ。

 星野先輩の綺麗な手書きの字で書かれたインデックスをたどって、目当てのページを探し――たどりついた。

「PC管理」の項目に分類されていたそのページには、2通の白封筒が貼り付けてあった。

 1通目を開封すると、そこには「緊急時に限り、別添したパスワードで星野静香の学内アカウントを使用することを認めます」と書かれた文章と、星野先輩の手書きのサイン&捺印。

 少し震える手で、もう1通を開封する。

 2通目には、A4の紙に、8文字のパスワードが印字されていた。


 Rosy1221


 夏の猛暑にも関わらず、冷たい汗が滲んだのを覚えている。”Rosyロージィ”はロザリンデの愛称で、ユスティナは彼女のことをいつもロージィと呼んでいた。


 もう、偶然では済ませられない。

 星野先輩が、梓先輩ともどもお世話になったという、有原先輩。

 その有原先輩のハンドルネームが、イリス。

 星野先輩のアカウントのパスワードが、ロージィ。

 この関係性で言えば、アイリスは梓先輩か。


 ともあれ、もし星野先輩が(自覚があるかどうかはともかく)ロザリンデ相当の人物であるなら、星野先輩には魔法が効かない可能性は十分にあり得る。

 実に回りくどい話だが、ゆえに、星野先輩が精神操作の魔法で自殺(未遂)を強いられたという説の妥当性は、皆無ではないが、限りなく皆無と言っていい。


          ■


 良いニュースはこれだけだ。

 悪いニュースは、正直数えきれないが、それでは日記を書いている意味がないので、なんとか絞り込みを図ってみよう。


 まず、ほぼ最大の問題となっているのが、実務の問題。


 事件以来、執行部は活動を停止している。教師陣から見れば、妥当な判断だろう。私自身、仕方ない、と思う部分もある。

 執行部という一種のイレギュラーな組織の、事実上のトップが、一発退学級の不祥事を仕出かしたのだ。これが野球部なら、甲子園予選の出場を辞退する的な話になるクラス。


 だがそれはそれとして、学園祭に向けて夏の追い込みが始まったこの季節、執行部が活動を停止するということは、すべての準備が滞るということだ。

 時期的にはまだ、致命的というラインではない。

 それに、いよいよマズイとなれば、先生方が各種事務手続きの采配をするだろう。

 星野先輩が残した「緊急時の引き継ぎ資料」は、量は膨大だが、完璧な仕上がりだ。先生方がそれらをすべて読み解けば、学園祭が実施不能になる、といった事態は回避できる(ちなみに星野先輩愛用のMacは先生方の手で差し押さえられている。遺書や日記が残っていないか、調査が必要というのが理由)。


 だが、こう言っては何だが、先生方に学園祭のすべてが仕切れるとは、到底思えない。

 先生方がどんなに親身になって学園祭を支援したとしても、生徒にしてみれば相手は「先生」だ。学園祭であんなことがしたい、こんなことがしたい、そのすべてを、遠慮なくぶつける相手としては、望ましいとは言えない。

 執行部は、同じ生徒として、「一緒に学園祭を作っていく仲間」なのだ。

 その機能ばかりは、先生方では担えない。


 その上で、より大きな問題は、執行部という組織の存続に関わる問題だ。


 ここには大きく分けて、2つの視点がある。

 1つめは、連帯責任・懲罰的な視点。不純異性交遊・妊娠・自殺未遂と、役満級の「トラブル」を起こした生徒を出した部活が、お取り潰し(無期限活動中止)になるというのは、まったく前例がない話ではない。

 過去の事例としては、新聞部がこのケースだ。新入部員歓迎コンパの2次会のカラオケボックスで、言語道断な人権蹂躙事案が発生、店員の通報により警察沙汰となり、新聞部は即座にお取り潰しとなった、らしい。


 だがこの視点は、どちらかと言うと、「執行部が気に入らない」生徒を中心とした噂に過ぎない。


 真の問題は、もう1つの視点だ。

 つまり、執行部は「執行部」という組織としての形態を取ってはいるが、実質その負荷すべてを1人の優れた人間に押し付ける構造になってはいなかったか、という疑念である。


 この点については、私自身、忸怩たる思いしかない。

 執行部は、どんなに言い繕っても、「星野先輩とその手下たち」で成立していた。生徒会長はもちろん、先生方も、私自身も、心のどこかに、「いざとなったら……」という思いがあった。


 これはデータからも裏付けが取れる。星野先輩が作っていた引き継ぎ資料フォルダに入っていたファイルの数は56。先輩は、実に56件の仕事を同時に抱えていたのだ。

 星野先輩の能力を高く評価している中等部の吉川先生は、この数字をもとに、職員会議の席で「星野君のような人物に限界を越えさせてしまったのは、すべて教師の責任」と熱弁を振るったという。

 吉川先生による火を吹くような大弁舌は、事件のその日のうちに星野先輩が退学処分を受けるという最悪の展開から私達を救ってくれた――が、それゆえに、「すべて教師の責任と言うが、執行部という組織にも問題はないのか」という、当然の流れを明確化せざるを得なかった。


 だがそれでも、私は自分が持つすべての(「ユスティナ」の力以外、すべての)力を振り絞ってでも、今の執行部という組織を守ろうと思う。

 必要とあらば、宮森おばさんと直談判してでも。


 なぜなら執行部は、星野先輩が愛する組織だからだ。


 そのことは、エマちゃんが教えてくれた。

 学園祭に呼ぶ予定で、星野先輩が交渉を進めていたという、フランス人。彼に宛てた手紙の中で、星野先輩は何度も「自分が愛し、誇りとする、生徒による学園自治」と書いていたらしい。


 星野先輩は、執行部を愛し、誇りにしている。

 だから、50を越える仕事を並行させてもなお、愚痴ひとつこぼさなかった。


 もちろん執行部の仕事は、星野先輩を大いに疲弊させただろう。

 だがそれだけでは、説明がつかないことが多すぎる。


 というのも、引き継ぎ資料を一つ一つ調べてみると、星野先輩からの提案で、星野先輩が自分の仕事として引き取った案件が、今年1月以降に急増しているからだ。

 これはどう見ても、「あちこちから仕事を押し付けられて、ついにオーバーフローした」という状況ではない。むしろ、精神的にも肉体的にも破綻してしまう、そんな状況を自分から求めている――つまり緩慢な自殺を試みていたようにしか思えない。


 思い当たるフシは、いくつかある。


 特に昨年12月に起きたという、有原先輩が巻き込まれた事件は、星野先輩の心に大きな傷を残したと考えて間違いない。言葉は悪いが、あの梓先輩が、いまだに引きずっているほどなのだ。


 そういえば、表向きは明るくにこやかなロージィも、裏では黙っていろいろ抱え込んで、破滅に突っ走っていくタイプの人だった。


 ……?


 あれ、いま突然「思い出した」けど――ロージィってそんな人……だったっけ? いや、いい、これは今後の課題。


 ともあれ、星野先輩が発作的に自殺未遂に走ったのも、それ以前に不純異性交遊に走ったのも、核心的となる理由は執行部活動にはない(少なくともそれがすべてではない)、ということを証明しなくてはならない。

 そのためであれば、私は何でもしよう。

 それがどんなに汚い手であっても、目的のためには、手段は選ばない。


 絶対に。


          ■


メモ:

 ユスティナの記憶を掘り起こすことは、今回の件にプラスになる部分も多そうだ。

 現状で既に、「魔法による思考操作」の可能性は、カヤの記憶を発掘することで、否定できた。


 ロージィについて思い出すことで、星野先輩により近づける可能性は、高い。



          ■



 書かないつもりだったが、やはり書こう。

 半信半疑だったが、日記を書くことで、今後の方針を定められた。

 だから、この件も、記録にしてしまおう。


 星野先輩が自殺未遂を図った次の日、私は習慣に導かれるまま、気がついたら生徒会室の前にいた。

 事件があった夕方以降、生徒会室は、封鎖されている。

 でもそれがなんとなく悔しくて、私はドアに手をかけ――なぜか鍵が開いていることに気づいた。

 先生がPCを調べているのかもな、と思いながら、ドアを開けた。


 中には、なぜか、生徒会長がいた。

 会長は星野先輩の席に座って、緊急対応マニュアルを読んでいた。

 今頃になって、そんな意識を高めなくてもいいのに、と思った。


 会長は、とても、悲しそうだった。


 そんなしおらしい会長を、私は放置しておくべきだった。

 さもなくば末永さんを呼び出し、「いまがチャンス!」と吹き込むべきだった。


 でも私はそのどちらもせず、会長の隣に立った。


 会長はファイルから視線を上げ、私を見た。

 その目には、涙が滲んでいた。


「なんでだろうなあ。

 なんで、こうなっちまったんだろうなあ」


「お前もさ、これ、読んだよな?

 おかしいじゃないか。こんなの。

 なんであいつは、自分がいなくなることを前提にしたものを、こんなにたくさん作ったんだろう?

 ただでさえ大量の仕事を抱え込んで、俺みたいなのがそこに仕事を上乗せして、あっぷあっぷだったはずなのに。

 なんでこんな、自分がいなくなることに、自分がいない世界に、甘い夢でも見るみたいに、憧れてるんだろう?」


 だいたい、そんな支離滅裂なことを、言っていたと思う。


「俺には、わからないんだ――

 また、わからなくなっちまった。

 なんで、なんで俺は、こんなにもあいつが苦しんでることに、気がついてやれなかったんだ?

 こんなにも毎日顔をつきあわせて、こんなにも何でも知ってるつもりでいて、なんで俺は、あいつの重荷に気づいてやれなかったんだ?」


 私は床に両膝をついて、彼と視線の高さを合わせた。

 そうしたら、本当に自然に、彼の両手が、私の背中に回された。

 驚きはなかった。ただ、悲しかった。

 彼の体温が、どうしようもなく、悲しかった。


「いや、わかってる。

 わかってるんだ。

 俺だ。俺のせいだ。俺の、せいなんだ」


 彼は、何度も、何度も、そう繰り返して。

 それがあまりにも悲しくて、私は彼の背中に手を回した。


 そうして、

 気がついたら、


 彼と、キスをしていた。


 生まれて初めての、男の人とのキス。


 でも、全然、初めてという気がしなかった。


 私はこの涙に、この声に、この後悔に、この懺悔に

 この抱擁に


 このキスに


 あまりにも 慣れていた

 あまりにも 知り尽くしていた


 キスをしていたのは、ほんの一瞬だったと思う。

 もしかしたら、数分だったかもしれない。


 やがて私達は互いに気まずい笑みを浮かべると、抱擁を解いた。

 彼はファイルに目を落とし、私は生徒会室をあとにした。



          ■



 ここには、幾何学的な合理性はない。

 だが、私の繊細の精神は、確信している。


 御木本進。

 彼こそが、(勇者)その人だ。



          ■



 なるほど、日記を書くというのは、思ったより効果がある。

 今まで漠然とした疑念でしかなかった違和感が、スッキリした。


 御木本進が、(勇者)と同一人物だとしよう。


 なぜ彼は、こちら側におけるロージィの精神的な破綻に際して、「俺のせいだ」と言ったのか?


 御木本会長と、星野先輩の間に、男女の関係があった?

 星野先輩が身ごもった子供の父親は、まさか?


 もしロージィが(勇者〉の子を妊娠していたなら、こちらでも(勇者〉が「手を出す以上を望む」可能性は十分にある。

 個人の視点に立つと、「あちら」と「こちら」の境界線は、驚くほどあやふやだ。それは私自身の経験として、太鼓判を押せる。


 でも、もしそうだとしたら、院長先生と星野先輩の関係はどう説明すべきか?


 調べるべきことは、多い。




 思い出すべきことも、また。


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