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ユスティナ11

長いです! 長いですよ!(大事なことなので2回)

神聖暦1967年 1月


(メモ:こんなことをしている場合ではない。でも今は、自分の現実に立ち向かいたくない。とびっきりの悪夢で構わない。一晩でいいから、逃げ出したい)




 認めたくはないが、油断があった。その油断が、いまの窮地を招いた。


 状況は極めて悪い。

 私達の隊列は完全に包囲されていて、荷馬車をひっくり返して作った即席のバリゲードが、文字通りの命綱になっている。

 矢は雨あられと降り注ぎ、動くどころか顔をだすことすらおぼつかない。


 これはもう、覚悟を決めるしかないだろう。

 こうして私が迷っている間にも、部下は次々に命を落とし、あるいは一生残る傷を負っている。

 この期に及んで良心の呵責など、感じている場合ではない。


 ……しかし。


 首を強く振る。しかし、も、かかし、も、あったものか。


「カヤ、準備を!」

 最後の迷いを吹っ切って、私は大声でカヤに呼びかける。

 カヤは白い顔をさらに真っ白にして、その見えない目で私の真意を探ろうとして――それから、大きく頷いた。


          ■


神聖暦1970年 7月


 イリスが、困惑したような表情を浮かべた。彼女にしては、とても珍しいことだ。いつもなら、半分くらい意図を伝えた段階で、目から鼻に抜けるように最後まで推論してしまうというのに。


「いや、ちょっと待って――理屈は分かるよ。

 でも、マジでこれ、できるの? ていうか……できちゃうの?

 それ、洒落になってないよ?

 こんな技術が普及しちゃったら、世界が変わるよ?」


 イリスの困惑は当然だ。

 私だって、この技が世界に広まったら、世界の上下がひっくり返ってしまうだろうな、くらいの想像はつく。


「ノラド王国で国境警備任務についていた頃に編み出した技です。

 学院にいる頃には、実験する手立てがつきませんでした。

 だから学院にも、この技術の記録はないはずです」


 淡々と、説明。


「まあ――そうだねえ。

 これ、ユスティナの魔法でやったら、やられた方は何されたかわかんないうちに死ぬよね……。

 だから、食らった側からこの技が漏れることがないってのは、わかるよ。

 でもさ、これって必ず相棒が必要な技じゃない。

 ユスティナが軍人やってた頃の相棒さんは、これ知ってるんでしょ? ヤバくない?」


 ――ちくり、と、胸が痛む。

 でもその痛みを無視して、私はなおも淡々と説明する。


「当時のパートナーは、カヤという、精神領域の導師でした。

 彼女はこの技術を誰にも伝えることなく、戦死しました」


          ■


神聖暦1965年 6月


「――きてください。朝です。時間ですよ」


 柔らかなカヤの声が、いまだ眠気で朦朧としている頭に染みこんでいく。


「ごめん、ちょっと……まだ、きついです――」


 体を起こそうとしたけれど、頭痛と吐き気が襲いかかってきて、ぴくりとも動けない。


「言わんこっちゃない。

 昨晩、あんな無理するからですよ。

 正直、私もまだ微妙にボンヤリしてますもの」


 呆れたような、カヤの声。


「では、体調不良のため朝の点呼には臨席しない、でいいですね?

 ルシェク百人長に代行して頂く方向でよろしいですか?」


 吐き気をこらえながら、必死の思いで2回頷く。

 カヤはくすりと笑うと、部屋を出て行った。


 ああ、まったく。


 ぶり返してきた強烈な頭痛に思わずうめき声を上げそうになりながら、それでも私は、自分が柄にもなく興奮の余韻を感じていることを意識した。


 昨晩、私とカヤは護衛の兵士を連れ、かねてから可能性として感じていた魔術理論の実験を繰り返した。

 このあたりは、ほとんどが無人の荒野だ。私の魔術を使って「実験」するには、もってこいと言える。


 実験は大成功し、私は興奮のあまり、ちょっとばかり魔法を撃ち過ぎた。

 結果、実験のターゲットにしていた名も知らぬ湖が、だいたい元の2倍くらいの広さになった頃、私は突如として強烈な頭痛と吐き気に襲われることになった。俗にいう、「魔力酔い」だ。


 かくして私は護衛の兵士たちに抱えられるようにして搬送され、今に至る、というわけだ。


 私が何を実験したのか、そしてまた、こんなにも興奮したのはなぜかを理解しているのは、カヤだけだ。居合わせた護衛の兵士たちは、私が「狂ったように湖に向かって魔法を乱射した」ようにしか見えなかったろう。


 だがこれは、今後の戦争を――いや、魔術世界そのものを、大きく変えうる。


 だからこそ今の私は、この技術を独占しなくてはならない。

 私はもう学院生ではなく、ノラド王国の軍人なのだから。


 扉の外で、カヤとルシェク百人長が楽しげに談笑しているのが聞こえる。


 ――ああ、まったく。


 私は凶悪な頭痛に耐えながら、大きく息を吐くと、目を閉じた。


          ■


 ふと目を開けると、万力で締め付けられているのではないかと思うほどの、猛烈な頭痛が襲いかかってきた。いや違う、これは逆だ。頭痛のあまり、目が覚めたのだろう。


 この頭痛には、覚えがある。昨日の晩の実験のせいで――


 ずきり、と、頭以外の何かが痛んだ。


 違う。それは、今となっては随分昔のこと。

 あれからもう5年が経って、私を囲む環境はガラリと変わった。


「目が、覚めたかしら?」


 ロザリンデの涼やかな声。頭痛はひどいが、それでも少し、気分が楽になる。


「――ここは?」


 かろうじて、声をひねり出す。


「宿の部屋ですわ。ここまで運ぶのも、大変でしたのよ?」

 ロザリンデは読んでいた本をベッドサイドのテーブルの上に置くと、私の額に手をあてた。ひんやりした手が、とても、心地良い。


「ご安心なさい。

 実際には何が起こっていたのか、イエラ伯は気づいてはおられません。

 配下の魔術師たちも同じですわ。

 みな、イリスさんがすべてをやってのけたのだと、そう考えておいでです」


 それは、よかった。

 おそらくはそのあたり、ただの推測ではなく、ロザリンデが探りを入れてくれたのだろう。


「でも、イリスさんは居心地悪そうでしたわよ?

 自分の手柄ではないものを、自分の手柄だと賞賛され続けたのですから」


 それも、まあ、そうかもしれない――と思ったところで、またしても激しい頭痛。思わず、うめき声が漏れる。

 ああもう、軍隊時代はこんな無様な声を出すなんてあり得なかったのに。


 ロザリンデが不安げに私の顔を覗き込むと、机の上にあった小さな薬包紙を手にとった。

「イリスさんから、あなたの目が覚めたら飲むべきお薬を預かっているのですが――飲めますか?」


 反射的に頷いてから、ゆっくりと首を横に振る。

 とてもではないけれど、今のこの状況で、薬を飲むなんていう精密な作業ができるとは思えない。


「仕方ありませんわね。

 ちょっと、大人しくしていてくださります?」


 ロザリンデは薬包紙を自分の口に含むと、吸飲みから少し水を飲んだ。

 一瞬、彼女の意図が理解できない。

 理解できないまま、霞む視界の中で、ロザリンデの美しい顔が近づいてきて――その桜色の唇が、私の唇に触れた。

 彼女の口の中にあった薬と水が、つつっと私の口の中に入ってくる。

 驚きと、ほのかな興奮に誘われるように、私は薬を飲み下した。


 途端に、頭痛を圧する眠気がこみ上げてくる。


「さ、おやすみなさい。

 私はちゃんと、ジャスティーナの隣に座っておりますから」


 驚きとか頭痛とか眠気とか興奮とかが入り混じったまま、私はぎくしゃくと頷き、次の瞬間には眠りに落ちていた。


          ■


「カヤ、ちょっといい?

 一応、お説教しないといけない件があります」

「なんでしょう?」

「ルシェク百人長の件」

「――ああ。やっぱり、わかっちゃいました?」

「いくら私でも、わかります。

 論点は2つ。

 1つめ。私はあなたのお父上に、私の責任において、あなたの貞操を守ることを保証しています。

 2つめ。ルシェク百人長は有能な指揮官ですが、平民です。そしてあなたは貴族よ」

「どちらも、仰りたいことは、わかりますけど。

 でもまさかユスティナ様は、私が汚れのない乙女のままだとか信じてらっしゃいます? あの学院の、あの寮にいらっしゃったのに?」

「あの学院の、あの寮にいたからこそ、論点1についての結論は自明です」

「――ハメを外すなとは言わないから、避妊しろ」

「その通り。そして論点2は、回避手段がありません」

「でも」

「私に、その点を繰り返させないで。

 私も平民です。私と同時期に学院にいたなら、あなたも『貴族と平民の恋』が何を導き得るか、聞いているはず。

 もう一度だけ、言います。

 私に。この私に。その点を、繰り返させないで」

「――すみません。でも……」

「必要な説教はしました。行ってよろしい」

「……はい」


 落胆の化身になったかのようなカヤは、頭を下げると、退出しようとした。

 私はしおれきったカヤの背中に、声をかける。


「カヤ」

「――はい」

「つまり。やるなら、私の目が届かないところでやりなさい。

 あなたはもう大人で、魔術導師で、王国軍少尉です。

 でも私もまた大人で、魔術大導師で、王国軍少佐であることは、少しくらい計算に入れてください」


          ■


 目が覚めた。

 窓からは、やわらかな朝日が差し込んでいる。


 しばらく、ベッドの上で、朦朧としていた。

 眠ったような、眠れていないような。

 なんだか、とても幸せな夢を見たような気がするし、ひどく悪い夢を見たような気もする。


 しばらくそうやって夢の名残を反芻していると、控えめなノックの音がした。

 私は急いでベッドから下り、最低限の身だしなみを整えると、ドアを開ける。

 ドアの外では、なんとも言えない無表情で身を守った、侍女がいた。


「――おはようございます、ユスティナ様。

 あと4時間ほどで、カヤ導師の葬儀が行われます。

 ご準備のほど、よろしくお願いします」


 一礼すると、侍女はそそくさと去っていく。


 ひとり、取り残された私は、ゆっくりとドアを閉めた。

 そうだ。今日は、カヤの葬儀の日。

 死後、王国騎士章を授与されたカヤの葬儀は、国葬となる。

 文字通り「どのツラ下げて参列するのか」と罵倒されるべき立場の私だが、それでも、否、それだからこそ、行かねばならない。


 ああ。


 どうして、世界をいっぺんに消して、もう一度最初からやり直させてくれるボタンが、ないんだろう。

 もしそんなボタンがあったら、私は迷うことなく、あらゆる代償を支払ってでも、ボタンを押すだろう。


 私は突っ立った死体のようにフラフラとベッドに向かうと、崩れるようにその上に倒れこんむ。


 ああ。


 どうして、世界をいっぺんに消して、もう一度最初からやり直させてくれるボタンが、ないんだろう。


 そんなことを思いながら、目を閉じた。


          ■


 目が覚めた。


 私は〈勇者〉にしっかりと抱きしめられていた。

 彼は泣いていた。子供のように、泣きじゃくっていた。


「俺だ、俺のせいだ」


 何度も、何度も、それを繰り返して。


 それがあまりにも悲しくて、私は




 違う。これはユスティナの記憶ではない。


 記録を進めるうち、うたた寝してしまっていたようだ。

 挙句、こんなことを思い出すだなんて。


          ■


神聖暦1967年 1月


 認めたくはないが、油断があった。その油断が、いまの窮地を招いた。


 状況は極めて悪い。

 私達の隊列は完全に包囲されていて、荷馬車をひっくり返して作った即席のバリゲードが、文字通りの命綱になっている。

 矢は雨あられと降り注ぎ、動くどころか顔をだすことすらおぼつかない。


 これはもう、覚悟を決めるしかないだろう。

 こうして私が迷っている間にも、部下は次々に命を落とし、あるいは一生残る傷を負っている。

 この期に及んで良心の呵責など、感じている場合ではない。


 ……しかし。


 首を強く振る。しかし、も、かかし、も、あったものか。


「カヤ、準備を!」

 最後の迷いを吹っ切って、私は大声でカヤに呼びかける。

 カヤは白い顔をさらに真っ白にして、その見えない目で私の真意を探ろうとして――それから、大きく頷いた。


 カヤが精神を集中させ、呪文の詠唱に入る。


 カヤが使うのは、超広域に機能する精神探査の呪文だ。「精神を」「知る」魔法。

 といっても、この魔法でこの周辺にいるすべての人の心が読める、というわけではない。理論上は可能かもしれないが、そんなことをしてもノイズにしか聞こえないだろう。

 カヤの術は、心を読む数歩手前。

「心」と呼べるべきものが、どこにあるかを探知する術だ。


 精神探査の術を完成させたカヤは、それを維持したまま、今度は精神結合の呪文にとりかかる。並列発動は高度な魔術理論が必要となる技術だが、導師級ともなれば、2つや3つであれば問題ない。


 精神結合が完成し、私の視覚はカヤの知覚とリンクした。いまや私には、周囲2キロ程度の範囲に存在する、「心」を持った存在が「見えて」いる。


 すかさず、詠唱を開始。周囲はまんべんなく包囲されているが、なかでも敵兵の密度が濃いあたりを狙って、術を発動させる。

 途端に、視界に「見えて」いた「心」が50個ほど、消え失せた。


 おそらく、多くの魔術師にとって、これはあり得ないことだ。

 魔術は、術師が直視しているものにしか行使できない。

 ゆえに本来は、今のように敵のいる方向すら向けない状況では、魔術で敵を攻撃できない。

 だがカヤと連携することで、私はこの不可能を、可能にできることに気づいていた。


 そもそも、「見えている相手にしか術が使えない」という理論には、穴がある可能性がある。だってそれが絶対の法則であるなら、生まれつき目の見えないカヤは、魔術を習得できたとしても、発動させられないはずだ。

 だがなぜか、精神領域に関してのみ、「見えていない」ことは、問題とならない。いや、精神領域だけではない。「知る」技法もまた、必ずしも直視を必要としない。

 無論、この点については、数百年に渡る研究がある。だがそこで得られた結論は、「一部の技法と領域に限って、視認は必要ない」という経験則を超えない。


 一部の技法と領域が、視認を必要としないのはなぜかという点については、私は特に興味はない。というか、「炎を」「作る」ことしかできない術師である私には、手が届かない世界だ。

 だが、それらが持つ特性を、他の魔術と組み合わせることができたとしたら?

 偶然にもノラド王国宮廷での新年パーティで、精神魔法のエキスパートと出会えた私は、その積年の疑問を試すチャンスに飛びついた――カヤを軍に誘ったのだ。

 結果、細かな失敗はあったが、私達は「魔法の間接投射」とでも言うべき技術を完成させた。カヤの精神探査はあらゆる光学的なカモフラージュを貫通し、カヤの「知覚」を通して私の術が敵を破壊する。私達の前に、敵はいなかった。


 そう、今の、今までは。


 定期的な交代のために王国への帰路についていた私達には、明らかに油断があった。敵の軍勢に包囲されてしまってから、そのことにようやく気づくくらい、間が抜けていた。

 そしてそこには「万が一、そんなことになったとしても、私が魔法を数発撃ちこめば終わりだ」という慢心があった。

 だが敵は、私達の持つ最大火力である「私」こそが、最大の弱点であることを見抜いていた。彼らは近隣の村を襲い、村人を攫って、人間の盾にしていたのだ。

 案の定、私は判断が遅れた。この窮地に立たされて思うのは――そして間接投射で無辜の村人ごと敵兵を蒸発させた今になって思うのは――なぜもっと早く決断できなかったのかという、後悔ばかり。


 ダメだ。いまは。

 いまは、後悔すべき時間ではない。

 私は次の間接投射の準備に入る。


 が、そのとき。

 視界の隅のほうで、何かが光った、ような気がした。


 本能が突き動かすままに、私は上空に向かってマントを投げる。

 同時に、転がるようにその場を飛び退いて、空に向かって広範囲の術式を解放した。


 わずかに、遅かった。

 上空3,000mあたりを飛行していたと思われる敵魔術師からの、人工的な落雷による攻撃が、至近距離に落下する。

 投げ上げたマントで、一瞬ながらも視界を遮れたのだろう。直撃こそ免れたが、体が動かない。全身が痛む。いや、痛いという感覚すら、朧げだ。


 かすむ視界の中で、はるか上空に「心」がひとつ、探知された。

 カヤの精神探査の射程は2,000m。その範囲に、敵の術士が入ったのだろう。

 接近して、とどめを刺すつもりか――と思ったが、その「心」は、蝋燭の炎のようにまたたくと、ふっと消え失せた。「人を焼き殺せるギリギリの温度」で、効果範囲を重視して闇雲に撃った魔術は、確かに敵魔術師を捉えていたのだ。


 ざまあ、みろ。

 私の、勝ちだ。


 激しく咳き込む。呼吸ができない。

 周囲の戦闘騒音と、半泣きになって私の名を呼ぶカヤの声、「衛生兵!」の連呼が、潮騒のように、遠く、近く、こだまする。


「ルシェク――指揮を……

 私の――治療など――無駄なことを――するな……」


 自分が「最後の命令」をしているのを、他人ごとのように聞く。

 と、ルシェクがひょっこり顔を見せた。


「ユスティナ副隊長、残念ですが、あなたの怪我は死ぬほどの怪我ではありませんな。治療もせずにほっとけば死にますが。

 だから、あなたの治療を優先します。おっと、指揮権はありがたく拝領しました。今は、黙ってそこらで転がっといてください」


 ――あああ……しまった、これは――

 一生ものの黒歴史を作った……


「それから、カヤ少尉の力を、お借りします。

 カヤ――頼む。俺に、お前が『見て』いるものを、見せてくれ。

 お前が、俺に対して魔法を使いたくないってのは、わかるし、嬉しい。

 でも、頼む。どうか、今だけは、その誓いを破ってくれ。

 敵の位置さえ特定できれば、まだまだ挽回できるんだ」


 朦朧とする視界の中で、ルシェクとカヤが、しっかりと手をつなぐのが見えた。

 そしてそれを最後に、私は気を失った。


          ■


 目が覚めたとき、私は即席の担架に乗せられていた。

 全身が激しく痛み、こらえきれずに悲鳴が漏れる。


「副隊長、気が付かれましたか!

 よかった、副隊長の意識が戻ったぞ! 衛生兵!」


 ルシェクの声。

 行軍が止まり、周囲で慌ただしく人が動く気配がする。


「――ルシェク。状況……を――」


 痛みのあまり、またしても意識が飛びそうになるが、何があったかは聞いておかねばならない。そして生きている以上は、必要な指示を出さなくては。


「そうですね、良い報告と、悪い報告があります。

 まあ、悪いほうから行きますかね」


 コイツはそういう奴だ。


「部隊は奇襲を撃退しましたが、損害は甚大です。

 部隊の1割が戦死、2割が重傷。重傷者の半分は、医療設備がある場所まで持たんと思われます。もともと里帰りの旅ですからね、携行してきた医薬品がまるで足りてません」


 あまりの損害の多さに、傷の痛みも忘れるほどの目眩がした。


「それから……言いにくいんですが――

 カヤ少尉は、名誉の戦死を遂げられました。

 遺骸は、現地で埋葬するしかありませんでした」


 そんな、予感は、あった。

 そもそも私に最初に声をかけるのがカヤでなかった段階で、何かがおかしい、とは思っていた。


 カヤを失ったのは、言葉にできないほど、痛い。

 軍事的にも、政治的にも、精神的にも、痛い。

 でも私が感じている痛みなど、ルシェクが感じている痛みに比べれば、物の数にも入るまい。


「ここまでが悪い報告です。

 良い報告としては、敵が追撃してくる気配はありません。

 斥候も出していますが、敵影なしとの報告です。

 我々は、勝ちました」


 勝利。勝利か。馬鹿馬鹿しい、この損害を受けて、勝利だなど――

 そこまで思って、考えを改める。

 これが勝利でなかったら、死んでいった部下たちが、そしてカヤが、報われない。


「それから。これはカヤ少尉から、ユスティナ少佐への、個人的な伝言です」


 ルシェクが居住まいを糺す。


「とっても、素晴らしい毎日でした。

 こんな幸せな日々が与えられるだなんて、想像すらしていませんでした。

 物心ついてからずっと、自分に価値なんてないと思ってきました。

 自分がなんで生きてるのか、ずっと悩んできました。

 でもユスティナ様のおかげで、自分が生きてるっていう実感を、初めて持てました。

 だからどうか、私のことで悲しまないでください。

 私は、ちゃんと、生きることができました。

 本当に、本当に、ありがとうございました」


 つつっと、涙がこぼれた。

 絶対に、泣くべきではない。

 私に、泣く資格なんてない。

 そう分かっていても、涙が堪えきれなかった。


「まあその、実際に言葉で聞いたわけじゃないんで、これであってるかどうかはわからんのですが――ともあれカヤは、致命傷を負ってもずっと、ユスティナ副隊長のことを心配していました。

 悔しいですが、あいつが最期の最期に思っていたのは、俺のことじゃなくて、副隊長のことでした。

 だから、副隊長。

 どうか……どうか、生きてください」


 私はとめどなく泣きながら、何度も何度も頷いた。


          ■


 最前線から一番近い街についてすぐに、私は軍病院に押し込まれ、魔術による集中的な治療を受けた。一番厄介だったのは重度の火傷を負って壊死を起こしていた左足で、一度切断の上、魔術で再建するという、大がかりな治療が必要になってしまった。

 魔術による治療は万能とは言えず、今回も軽い後遺症が残るということだったが、普通に考えれば再起不能な状態から「元の形に戻してもらえた」だけでも、感謝しなくてはならない。


 街について3日ほどで、魔術親衛隊の隊長がすっ飛んできて、長い時間をかけて事情を聴取された。

 本来、部隊の休息ローテーションと、その帰還ルートは、軍の機密だ。

 なのにその帰還路で待ち伏せされたということは、何かしら、軍機密が漏洩しているということだ。

 隊長はしばらく難しそうな顔をしていたが、「こっちの件は任せろ」と言うと、去っていった。


 1か月後、いまだ杖の補助なしには歩けないものの退院が許さた私は、首都に帰還することになった。帰還というか、「召喚」が正確なところだ。

 当たり前だろう。指揮する部隊を壊滅させ、無理を言って大貴族の家から借り受けていた令嬢にして導師級魔術師を戦死させてしまったのだ。相応の責任は、果たさねばなるまい。


 王城に呼び出された私は、女王陛下じきじきに、謹慎3ヶ月の罰を言い渡された。やらかしたことに比べ明らかに軽すぎる罰だが、陛下の聖断に異議を差し挟める者はいない。

 杖なしで歩けるようになるまで少なくとも3ヶ月と聞いているので、要はこれは罰と言うよりも、「3ヶ月の強制的な休暇」ということなのだろう。

 その配慮はとてもありがたかったけれど、今の私は、思慮に富んだ労いよりも、苛烈な罰が欲しかった。


 謹慎を言い渡されておいて何だが、その足で私はシャハト伯爵の邸宅に向かった。老シャハト伯は1年前に亡くなっていて、今では8代目当主が後を継いでいる。


 カヤを国境警備隊に借り受けたいという提案をしたとき、シャハト家からは賛否両方の意見を示された。

 8代目当主と9代目(予定)は、「カヤでお役に立てるなら」と、むしろ渡りに船といった様子だった。正直、彼らもカヤの扱いには困っていたのだろう。

 一方でカヤの母と弟は、烈火のように怒り狂った。「平民あがりの魔術師が、カヤの力を私的に利用しようとしている」「カヤに軍務が務まるはずがない」というのがその趣旨。

 最終的に、老シャハトが「カヤはもう成人しているのだから、カヤの意志を尊重すべきだ」と提案し、カヤは戸惑いながらも私のオファーを受けた。


 シャハト家の門番は、私のことを覚えていた――そして、非常に困ったような顔をした。

 想像はつく。彼はおそらく、板挟みになっているのだ。

 当主は、私が来たなら通せ、と彼に命令しているのだろう。だがカヤの母と弟は、「あの野良犬を絶対に通すな」とでも命令しているに違いない。

 門番は私に「しばらくお待ち下さい」と言って、屋敷の中に引っ込んだ。


 それからおおよそ2時間、門の前で待つことになったが、結局、屋敷の門は開かれた。屋敷の中でどんな修羅場が展開されたか、想像するだに心が痛い。


 通された応接室では、8代目当主とその息子さんが待っていた。互いにごくごく、通り一遍の挨拶を交わす。2時間待たせたことへの謝罪はなかったが、それは謝罪されるべき筋合いのものでもない。

 私はカヤを家に帰せなかったことを謝り、彼女が極めて勇敢だったこと、兵士として優れていたことを語った。

 二人は頷きながら、それを聞いていた。


 でも、カヤの業績を伝えるうち、私はなんとも言えない違和感にとらわれ始めた。


 8代目当主は、表情や言葉にこそ出さないが、明らかにカヤの死を――正確には、カヤがその勇敢な戦いによって王国騎士章を受けることを――喜んでいた。

 当然だろう。

 これまでシャハト家は多数の優れた文民を排出してきたが、武官には恵まれなかった。そこに、降って湧いたような王国騎士章だ。もともと上から数えたほうが早いシャハト家の格が、一層高まったのは議論の余地がない。


 当主の息子さん(カヤの兄だ)は、また少し違っていた。

 彼は、私が語るカヤの武勇談に、興奮を隠さなかった。彼は時折、私を賞賛し、カヤを賞賛し、自分には無理だと悔しがり、ときには私を慰める言葉すら語った。

 これもまた、理解できる。

 彼は名門シャハト家の次期当主として、シャハト家の本業である文民となるべく、最高の教育を受けている。当然、そこには武人としての訓練は含まれないし、おそらく彼は首都の外に旅行したことすら、ほとんどないのではないだろうか?

 シャハト家における本当の「籠の鳥」は、カヤではなく、彼だったのだ。


「カヤのことは、残念です。

 不幸な生まれでしたが、私ども家族としては、やはり、生きていてほしかった。

 ですが私達は、この歴史あるノラド王国において、エヴェリナ女王の英明なる治世を支え、また我が国に脅威を与える不埒者から母国を守ることを、使命としております。

 カヤもまた、当然それを使命としておりましたし、むしろ我々の誰よりもそのことを分かっていたのだと、恥じ入るばかりです。

 父が生きていたら、きっとカヤを褒め称えたでしょう。

 また、あなたを責めることも決してなかったでしょう」


 素晴らしいバリトンの美声でそう語る現当主の言葉を聞いて、私はようやく、違和感の正体に行き当たった。


 この人たちが語る戦争と、私達が戦ってきた戦争の間には、どうしようもないほど大きな差がある。


 彼らの戦争は、正義の使徒と、邪悪な敵が戦う、崇高な試練だ。

 私達の戦争は、寒くて、恐ろしくて、すえた臭いのする、忌まわしい現実だ。


 カヤがその偉大な試練において、きわめて重要な役割を果たして死んだという解釈は、なるほどそういう理解もあるのかと感心させられる。が、それはどこか、私達の戦争を馬鹿にしているようにも思えて、どうにもいたたまれない。


 彼らに、私達と、私達の戦争を貶めようとする意図がないのは分かる。

 むしろ最大限の賛辞と慰めを示そうとしてくれているのも、分かる。

 でも、罵倒され、憎悪を投げつけられる方が、私達がよほど正しく尊重されている気がして、それがとても辛かった。そしてまた、この不思議な心理をカヤに相談できないという事実は、私をとことん打ちのめした。


 1時間ほどの懇談で、シャハト家への挨拶は終わった。


 杖をつきながら歩いた魔術親衛隊隊舎への帰り道は、どこまでも長く、遠かった。

 道半ばで疲れ果てた私は、街路樹に背中を預け、一息入れがてらに久々のタバコをと思って紙巻きを咥えたところで、自分がこれに火をつける適切な手段を持っていないことを思い出した。

 火のついていないタバコを口にしたまま、軽く天を仰ぐと、脈絡もなく記憶がフラッシュバックする。

 カヤと初めて会った新年パーティ。

 無様ながらも無様なりに踊りきったダンス。

 くしゃくしゃに破顔した老シャハトの笑顔。

 嬉しさと誇らしさで一杯一杯になった、カヤの横顔。


 タバコをポケットに戻して、もう一度歩き始められるようになるまでの間、私はただ、ノラド王国の短い夏の空を、眺めていた。

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