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もしかして:突入

一挙にUPと言いつつとりあえず1話だけ。

 夏休みも2週めまで終わって、開始直後の補習祭りも一段落。

 エマちゃんは虎の穴を見事完走し、「皆勤賞」として私が使っている古典文法書と同じものをプレゼントされていた。あれの出処がバレてしまったか。


 コミケ組は、いよいよ最後の追い込み。

 鴫原さんもコピー本だ、ペーパーだと、最後の足掻きに突入している。

 エマちゃんは手伝おうとしたけれど、普段の教室で見るのんびり鴫原さんが、「絵師シギー」に切り替わっているのを見て、「お邪魔にしかならなさそうでしたわ……」とのコメント。ですよねー。


 私はと言えば、最初の週は補習メインで過ごし、そこからは執行部詰め。


 展示をする系の部活は、この時期から学園祭に向けた制作をスタートさせることが多い。

 レギュレーションに関する問い合わせ、「思いついちゃった」アイデアの実現可能性に関する相談、特別な業者に頼まないと入手が難しい材料の仕入れ仲介など、生徒会室を訪ねてくる生徒は多い。


 同時に、ステージイベントの相談も増える。春の段階では「一緒に学園祭でバンドやろう!」と結成されたグループが、1学期を「まだ先だから」「夏休みになったら猛練習だ」で和気あいあいとダラダラし、いよいよ夏休みになってみたらみんな何かと忙しくて練習がはかどらず、ギスギスし始めるのがこの時期だ。

 結果、諦めの早いグループは出演のキャンセルを打診しに来たりする。が、経験から言うとこの時期に「無理じゃないか」と判断するチームというのは、背中を押すとほぼ間違いなく学園祭までにきちんと仕上げてくる。

 なのでそういう申し出に対しては、事務的に「はいそうですか」と受け取るのではなく、会長みたいな人間が「やれるよ! 熱くなれよ!」と説得するというのが、わりと定番だ。


 ……もちろんここには別の事情もある。


 夏の段階で、放送部は部長を中心として、ステージイベントに向けての機材運用プログラムを組み始める。

 放送部はステージ照明スタッフも兼ねるので、「専門的なことはまるで知らないけれど、こだわりたい」生徒と、そのあたりを詰めていくのは、結構な大仕事だ。今でこそ私も「キュー・シート」と言われたらそれが何かわかるが、中等部の頃は何を言われているのかさっぱりわからなかったし。


 そうやって練っていった計画を壁に張り出している放送部室に行って「すみません、例のグループ、結局キャンセルです」と告げる。これは結構、心臓に良くない仕事になる。

 ましてや「すみません、例のグループ、やっぱりやると言ってます」みたいな再訂正まで乱発されるようになると、さすがに、しんどい。


 その日も、そんなこんなで、いろんな相談を受けたり、それにあわせて書類を作ったりと、それなりに忙しく、それなりにグダグダお喋りしながら、私たちは生徒会室でのたくっていた。

 ひどく暑い日で、星野先輩(このところずっとワンピ姿でたいへん目に嬉しい)は定番のコーヒーではなくミネラルウォーターのボトルを脇に置いてmacの前で読書、私は書類を作ったりチェックしたり永末さんとお喋りしたり。他の執行部員も、暑い暑いと唸りながら、スチレンボードを切ったり張ったりしていた。


 そのうちふと、星野先輩が席を立った。

 ミネラルウォーターのボトルが空なので、飲み物を買いに行くのかな……と思ったが、さすがに先輩に「ついでに自分の分も」とは頼めない。

 やむを得ず、同学年の女子が「バンドメンバーが練習に来ない」と愚痴るのを、うんうんと頷きながら聞く仕事を続行。末永さんは「大変ですねえ」と相槌を打ったり、「そういえば私のクラスメイトも」と話の接穂を作ったり。


 むむ。永末さんのほうが外交力が高いぞ。さすが恋する乙女。

 いや、関係ないか。


 そうこうしていると、後輩の執行部員の一人に声をかけられた。

「高梨先輩、大型カッター、ご存知ありません?

 さっきまでここにあったんですが」

 スチレンボードで掲示板を作っていた人達だ。あれを切るには、頑丈なヤツがあったほうがいい。でも普段使いにはちとゴツすぎるから、そんなに本数ないんだよねえ。

「ちょっと待ってね。引き出しに予備があった、はず――」

 そう答えつつ、バンド女子の相手を永末さんにお任せする。


 引き出しを漁ると、1本だけ大型カッターが見つかった。何でも予備は持っておくものだ。

「1本だけだけど、ありました」

 黄色いカッターを、後輩に渡す。

「ありがとうございます。必ず後で返します。

 うーん、でもほんと、あんな大きい物が、どこにいっちゃったのか……」


 そういう神かくし、あるよね……などと冗談で返そうとした、そのとき。



「ゃぁぁあああああああああああああああああああああああっ!!」



 生徒会室まで響く、大きな叫び声が、聞こえた。



          ■



「え、何かあったの?」


「誰? どうした?」


「うお、ビビった――誰だよ」


 突然の絶叫に、生徒会室はもちろん、廊下の生徒もざわついている。

 夏休みで、登校している人は少ないとはいえ、この絶叫は尋常ではない。


 気が付くと、私は立ち上がっていた。

 今の声は、星野先輩の声だ。

 それを、この私が、聞き間違える可能性は、ない。


 ――突然、何かが頭の中でつながった。

 私にしては極めて珍しい、「ひらめき」。


 ワンピース型制服。

 コーヒーではなく、ミネラルウォーター。

 見つからない大型カッター。

 そして、絶叫。


 どこだ。


 さっきの声は、どこからだ。


 私は廊下に飛び出す。廊下では、まだみんながザワザワしている。

 周囲を素早く観察。女子トイレの前に人だかり。あそこだ。


 女子トイレの前に集まっている人達の一人を捕まえ、聞く。

「いま、中から叫び声がしませんでしたか?」


 突然私に腕を掴まれた女子生徒は、ぎょっとしたようだったけど、即座に頷く。

「なんだか、すごい声がして――なにかあったんじゃないかって、みんなが」


 最後まで聞かず、女子トイレに飛び込む。


 飛び込んだ途端、私は状況が限りなく最悪に近いことを悟った。

 芳香剤では隠し切れない、匂い。

 ユスティナがよく知る、あの、匂い。


「きゃあああああああっ!!!」


 個室のドアが開くと、女子生徒が一人、飛び出してきた。


「どうしました!?」


 何が起こったか、分かってはいる。だが、確認は必要だ。

 でもその女子生徒はトイレの床に尻もちをついたまま、過呼吸を起こしたかのように、「ヒィ……ヒィ……」と声にならない声で私に何かを訴える。


 埒が明かない。それに、今は1秒が惜しい。

 女子生徒が飛び出してきた個室に入る。


 隣の個室から、赤い液体が、床を伝って広がってきている。


 クソ。

 クソ、クソ、クソ!


 どうしてですか!?

 どうしてなんですか、星野先輩!


 頭が真っ白になる。何も考えられない。


 それとほぼ同時に、「ユスティナ」が起きた。


 深呼吸して、1、2、3。落ち着いて、ユスティナ。

 もう一度、深呼吸。オーケー。落ち着いた。私は、落ち着いている。


 前世でお馴染み、機械のような、自己暗示。

 でも今は、ありがとうユスティナ、ありがとう私。


 床で尻もちついていた人の襟首をつかんでトイレを飛び出すと、大声で野次馬たちに呼びかける。

「中で大怪我をした人がいます! かなり酷く出血しています! 救急車を! 養護の斉藤先生と、それから、誰でもいいから男の先生を! 急いで下さい! 一刻を争います!」

 みな一斉に色めき立っておろおろし始めたが、高等部の先輩たちはすぐに走り始めた。さすが、頼りになる。


 必要な初動を済ませ、もう一度、トイレに戻る。

 どうする。どうやって突入する。

 個室の壁は、盗撮防止も兼ねて、非常に高い。

 天井との隙間はあるが、いかに私の体つきが平坦だからといって、あそこを通るのは難しい。


 落ち着け。考えろ。


 個室のドアは、個室に向かって内開き。

 ドアは、全開にしたとしても、便座に座っている人の足にはぶつからない程度の余裕を持って、取り付けられている。


 これだ。


 私はトイレから出ると、すぐ隣にある放送部室に飛び込み、「女子トイレで怪我人です! 個室の中、鍵がかかってます!」と叫びつつ、手頃な武器を探す。

 あった。

 こいつはゴキゲンな片手用メイスだ。

 入ってすぐの床に置いてあった卓上マイクスタンドを掴むと、放送室を飛び出し、再びトイレに駆け込む。


 トイレには、もう誰にでも分かるくらい、血の匂いが充満していた。


 私は星野先輩が立てこもっているであろう個室のドア、鍵があるあたりを狙って、卓上マイクスタンドで殴りつける。

 ガスン。

 クソ、「こっち」のドアと鍵は頑丈だ。

 「あっち」なら、トイレの鍵くらいこの一撃で吹き飛ばせるのに。


 もう一度、マイクスタンドを振り上げ、叩きつける。

 ガスン。

 少し、ドアがガタついた。鍵を取り付けた金具が歪んだのだろう。

 でもぶち破るには程遠い。


 ダメだ。私の力では、このドアは破れない。


 ――破れない?


 手はある。魔術の予備発現。

 オッペンハイマーの呪文を使えば、私の手は触れたものを溶かすくらいの温度に達する。これを使えば、ドアの丁番を焼ききるのも、ドアそのものを燃やすのも容易だ。


 頭を振る。ダメだ。

 もともとあの魔術は、最後まで「ぶちかます」のが大前提だ。

 手加減が苦手なユスティナがここで魔術を使って、「もしも」が起こったら、校舎を吹き飛ばす。


 ならば。


 レベルを上げて、物理で殴れ。

 もう一度、大きくマイクスタンドを振り上げる。


 そのとき、放送部長が飛び込んできた。

「高梨さん、良くやった! あとは俺がやる!」

 見ると、部長は釘抜きだのハンマーだの、大工道具一式を持ってきている。

 素直に場所を譲る。餅は餅屋だ。


 放送部長はガタついていたドアの隙間に釘抜きを差し込んだ。

 体重をかけて押しこめば、梃子の原理で鍵をへし折れるかもしれない――と思ったら、部長は釘抜きを全力で蹴飛ばした。

 ガツンと大きな音がして、鍵が扉から剥がれ落ち、勢い良くドアが内側に開く。


 なるほど。餅は、餅屋。



          ■



 便座の上には、ぐったりとした星野先輩が、壁にもたれるようにして座っていた。

 右手はまだカッターを握っている。左手の手首からは、大量の出血。

 真っ白なワンピースが、真紅の血で斑になっている。

 もともと白い肌はことさらに白く、乱れた黒い髪がその上を舞う。


 一瞬だけ、その美しさに、打たれた。

 この美しさには、記憶がある。


 だが今は、そんな場合ではない。


 血の色が赤い。非常に危険だ。動脈を傷つけている。

 わりにそこまで大量出血していないのは、僥倖と言うべきか。

 ハンカチを取り出し、星野先輩の左手首に巻きつけて、強く圧迫。

 圧迫した左手首を、心臓より高い位置に。


 圧迫するために握った星野先輩の手首が、ぎょっとするほど細い。

 やはり、そうだったのだ。

 ワンピース型の制服は、セーラー服より、体型を隠しやすい。

 星野先輩は、激痩せした体のラインを隠すために、ワンピース型制服を着続けたのだ。


「星野先輩!? 星野先輩!? 聞こえますか!?」

 何度も呼びかけるが、返事がない。意識が混濁しているのか。

 それとも、答えたくないのか。


 1分も待たないうちに、養護の斉藤先生が救急箱を持って駆け込んできた。

 先ほどと同じく、餅は餅屋へ。圧迫止血していること、呼びかけに応答がないことを斉藤先生に告げ、慎重に圧迫を交代する。

 圧迫止血を始めた斉藤先生からは、「誰かに、若い男の先生を呼びに行かせて。高梨さんは洗面所で顔を洗ってきなさい」とのお言葉。

 一瞬、「この期に及んで顔を洗えだなんて、そこまで動揺して見えますか」と思ったけれど、すぐに理由に思い至った。こういう問答、ユスティナも何度かやらかした記憶がある。

 おそらく今、私の顔は、返り血で結構なスプラッター状況なのだろう。

 その顔で救援を探しに行くと、私自身に救援が必要なものと誤解されかねない。


 私は女子トイレを出て、野次馬をせき止めている放送部長に、若い男の先生を集めてもらうように頼んだ。

 案の定、私の姿を見た野次馬は、悲鳴をあげて後ずさる。放送部長ほどの眼力がなくても、今の私であれば、この野次馬を押しとどめるのは簡単だ。餅は餅屋。

 状況を理解したのか、放送部長はすぐに先生を呼びに走っていった。すでに呼びに行ってくれた先輩たちもいることだし、遠からず何人かの男性教諭が集まってくるだろう。夏休みといえども、部活の顧問としてコーチをしている先生なら、それほど難なく見つかるはずだ。


 私は、野次馬に告げる。

「怪我した人は、まだ危険な状態です。

 救急車が来た時、救護隊員の人が迅速にここを通れなかったら、怪我人の命に関わります。好奇心がうずくのはわかりますが、どうかご理解と、ご協力をお願いします」

 なんとも芸がないが、正論パンチ。野次馬は、しぶしぶといった様子で、遠巻きに散っていく。


 こういうとき、会長なら、一言で野次馬を味方につけられるだろうに。


 ないものねだりをしても仕方ない。

 私は女子トイレの前に立ちふさがりながら、トイレの個室の床に転がっていたもののことを、思い出していた。

 放送部長には、あれが何か、分からなかっただろう。

 養護の斉藤先生は、それに気がついていた。

 気がついていたから、私を早く外に出そうとした。


 だが私は、理解してしまっていた。


 体温計のような、白い棒状のもの。あれは、妊娠検査薬だ。

 血に塗れてはいたが、間違いない。保健体育の座学で、見たことがある――そして遺憾ながら、私は学年トップの点取り屋として、教科書で見たものは滅多に忘れない。

 検査表示窓には、紫のラインが2本。陽性だ。


「羽目をはずすなとは言わないから、避妊しろ」


 瀬賀先生の訓示が、脳裏によぎる。


 星野先輩。

 先輩はどうして――どうして、こんなことを、したんです……?

 先輩ほどの人が、どうして、こんなことに、なったんです……?


 遠くから、救急車のサイレンが聞こえてきた。

 道路が空いていたらしい。想像より、ずっと早い。

 放送部長が、数人の男性教師を案内して走ってくる。


 とりあえずは、ほっとすべき状況だ。

 でも私は厳しい表情のまま、女子トイレの前で仁王立ちし続けていた。

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