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もしかして:フラグ

「……では、先生からの話は以上です。

 最後に、大事なことなので二度言いますね。

 羽目をはずすなとは言わないから、避妊しろ。リピート・アフター・ミー!」


「羽目をはずすなとは言わないから、避妊しろ」


 エマちゃんだけが颯爽とリピートしてホームルームは終了、1学期も終了とあいなった。

 A組の担任、瀬賀先生は、若くて可愛い系の女性教諭(担当は英語)で、授業のわかりやすさと訓話のシモネタ含有率には定評がある。

 いや、仰ってることは、とても大事なことだと思いますけどね。

 でもその訓話、A組の生徒の9割くらいにとっては、前提条件が成立してないんですよ……「羽目を外す」が、「お盆で一家が集まってるのに、なぜか自分だけ早朝からりんかい線に乗る」だったりする人なら、そこそこいるはずですがー。


 さーて、夏休みはいよいよ、いろんなことが本番だなー、などと思いながら、帰り支度をしていると、エマちゃんと鴫原さんが並んで近寄ってきた。むむ。この組み合わせは。


「遙さん! 夏のバカンスのご相談をしたいのですわ!」

「バカンスっていうか、聖地巡礼のご相談ですねー。

 もちろん、有明も含めてのことですがー」


 はい。そうかなって思ってました。


 あ、ちなみに私は有明マンガ祭りは昼から参加組ですので、そのあたり誤解なきよう。いわゆる薄い高い本は守備範囲外なのです(予算的な意味で)。そして評論本は昼からでも余裕だからね……。

 この成り行きだと、今年は早朝から並びそうだけど。


「んー、補習と執行部の仕事以外に、特にこれといって予定もないですから、寮の部屋ででも相談しましょうか?

 聖地巡礼まで考えるなら、ちゃんとしたPCで調べたほうが楽です」


 と、エマちゃんが「ああ!」という顔になった。


「そうでしたわ! 夏休みの補習! そういうイベントもございましたわ!」


 いや、そんな楽しいものじゃないですが。


「……ですが、補習があるというお話、今初めて伺ったのですが」

「A組は補習、ないんですよ。

 いわゆるペナルティ的な意味での補習は、A組っていう段階で存在矛盾でしょう?」

「――そうですわね」

「全員参加型の補習、中等部のA組にはあるんですけど、高等部にはないんです。

 そういうのに積極的に参加したがる人は、自分で予備校の夏季特別講習とか行っちゃいますし。

 積極的に参加したがらない人は、サボっちゃいますし。

 ただ、他のクラスには全員参加型の補習、ありますから、参加しようと思えば、できます。

 もちろん、とても勉強になります。予備校と違って無料ですし、良い選択じゃないかなと」

「遙さんは、どうなされるの?」

「B組の先生にお願いして、いくつか参加させて頂く予定です。

 もっとも、執行部の予定のほうが優先ですが」


 エマちゃんは感心したように何度も頷く。


「わざわざB組の補習にまで出るの、遙さんくらいですけどねー」


 鴫原さんの華麗なフォロー。だって暇なんだもん。


「執行部のお仕事は、どのような予定なんですの?」

「んー、ぶっちゃけると、毎日あります。

 夏休みが開けたら、いよいよ本格的に文化祭の準備ですからね。

 ただし学校が完全に閉まる期間は、執行部も活動停止です」

「そうなんですのね……皆さん、毎日お仕事なさるのかしら?」

「一部はそうなるかと。星野先輩は、毎日生徒会室にいると思います。

 ただ、原則は個人の都合とか予定とか欲望とかを優先です。部活の大会とかある人も多いですし」


 エマちゃんはすっかり思案顔。


「星野先輩のお体が心配ですわね……。

 ともあれ、だいたいのスケジュールは了解いたしました。

 わたくしの両親も一度、日本に来るということですので、それも踏まえて日程の調整をさせて頂けるとありがたいですわ」


 あー、そうか、エマちゃんって、今更だけどハーフだよね。日本名は「千代ちゃん」だった。ご家族がお盆に帰省って感じなのかな。


「それにしても日本の学校はイベント盛りだくさんですわね。

 補習も体験してみたいですが、執行部のお仕事もお手伝いしなくてはなりませんわね。

 夏のコミックマーケットに、黒○スオンリーも参加しなくてはなりませんし。

 盆栽部の合宿もございますしねえ……」


 盆栽部の、合宿!? いや、変だとは思わないけど、それ何するの!?


「そうそう、忘れるところだったよー。

 よければエマちゃん、夏コミとオンリーは、私のとこで売り子してみるー?

 新刊は赤○様健全本だから、初売り子でも、たぶん、安心だよー」


 鴫原さんからの突然のご提案に、エマちゃんのテンションゲージは当然ながら一瞬でバースト。声にならない歓喜に震えながら、鴫原さんの手を掴んでぶんぶん振り回してる。やれやれ。


 しかしこれは私としても願ったりかなったり。初コミケが夏コミという、エマちゃんにはあまり優しくないこの状況。百戦錬磨の鴫原さんにエマちゃんを預けられるなら、とても有難いっす。

 鴫原さん的にも、エマちゃんは売り子として超目立つから、スカウトしたいってところ、あるだろうしねえ。


 ……と、なおも喜び続けるエマちゃんを見ていたら、良いアイデアが心に浮かんだので、提案してみる。


「ねえ、エマちゃん。

 補習のことなんですけど、この学園で一番、古文を教えるのが上手な先生の補習、出てみます?

 お願いしたら、たぶん入れてもらえると思います。短期集中だから、他の予定とも合わせやすいと思いますし」


 テンション超MAXX!のエマちゃん、二つ返事で大感激。よしよし。じゃあ、ちょっと一肌脱いでみますか。


 くくく。


 エマちゃん、地獄へようこそ。



          ■



 夏休みに入って、3日目の、生徒会室。

 扇風機は回しているけれど、実に暑い。

 私立学校らしく、すべての教室にエアコンが設置されているこの学園において、生徒会室は数少ないノー・エアコンの部屋。各部の部室にもエアコンはないから、だいたい部室相当の生徒会室にエアコンがないというのは、おかしな話ではない。


 そして、普段通りに凛として読書に励まれる星野先輩(そういえば今日もワンピ姿だ)の横で、エマちゃんが死んだゾンビみたいな顔でぐったりとしているのも、この猛暑だけが原因ではない。


「――エマちゃん、大丈夫?」


 微妙に申し訳ない気分になりながら、聞いてみる。


「……大丈夫……では、ありませんわ……」


 さもありなん。

 エマちゃんに紹介した補習は、中等部の国語担当教諭が独自に開講する、古文・漢文徹底補習。通称、虎の穴。


 暑さで溶けたパンダのような感じで、ぐねぐねっと机の上をのたくったエマちゃんは、辛うじて視線だけを上げて、私を見る。


「――最初は、遙さんがわたくしを密やかにバカにしているのではないか、などと……下衆の勘ぐりを――いたしました……よもや中等部の補習を勧められるなどと――などと……」


 エマちゃんの日本語が若干崩壊している。


「でも、吉川先生、凄い先生でしょ?」


 中等部の吉川先生は、私が最も尊敬する先生の一人だ。知識は深遠、思考は明瞭、私に「国語のなんたるか」を教えてくださった恩師と言える。

 ちなみに、あまりの凄まじさに、名前をGoogle検索してみたこともあるのだけれど、詳しいことは分からなかった――どうやら柳田国男のお弟子さんらしい、というのは推測できたのだが……。


「――わたくし、勉強会で遙さんに古典日本語文法を教えて頂いていた折……生真面目さで知られる日本人だけあって、教え方も厳しいのだと――スパルタ式とはこのことかと思っておりました……」


「とんでもない」


「まったくですわ――スパルタ人と遙さんに謝罪いたしますわよ……」


 吉川先生は凄い先生だが、その教え方は峻烈の一言に尽きる。多感な中等部時代、「皆さんの無価値な『感想』など、僕は尋ねておりません」などといった勢いでピシャリとやられると、そりゃあもう「しんどい」なんて言葉では足りないくらい、しんどかった。

 しかも、要求が厳しい。授業中に「この文章は、こちらの本に書かれているものですが、どなたか原著について調べてきた方はいらっしゃいますか?」と聞き、誰も調べていないと分かると、「でしたらこの件に関する解説は、しても無駄ですので省略します」。

 あまりにも悔しくて、一度だけ宮森おばさんに愚痴ったら、「大学の講義はそんなものです」と、これまたピシャリ。いや、大学はそうかもしれないけれど、中等部ですよ!? 世間一般で言う、中学校ですよ!?

 ――なんていう理屈が通る、吉川先生ではない。「僕はプロフェッショナルですので、相手によって教え方を変えます」という笑顔での宣言というか挑発に、ムキになって齧り付こうとしたのも、今では懐かしい思い出だ。


「ふふふ……終止形接続『べし』の命令用法連体形、活用はべくべからべくべかりべしべきべかるべけれ……ふふふ……」


 机に額をつけて、呪文を唱えるエマちゃん。だいぶ参ってるな。


「――エマちゃん、無理に全日参加しなくていいんだよ?

 あの虎の穴、5日間完走できる人は、毎年数人しかいないんだからね?」


 エマちゃんが、もぞり、と動いた。


「――まさか! まさか、ですわ……!

 あんな素晴らしい講義――欠席など……できましょうか!」


 根性あるなー。


「吉川先生、厳しい方ですが、ためになりますからね。

 頑張ってください」


 読んでいた本を机の上に置いて、macのキーボードをパタパタと叩きつつ、星野先輩。エマちゃんは死んだ魚の眼で頷く。


「エマさん、気分転換にひとつ、フランス語絡みの仕事はいかがですか?

 高梨さん、出力かけましたから、取って頂けると助かります」


 ズズズっと音をたてて数枚のプリントアウトが吐き出された。試しに内容を一瞥して見ると――うん、フランス語だってこと以外、さっぱりわかりません。

 素早く諦めて、机の上でのたくっているエマちゃんに手渡し。

 エマちゃん、机に寝そべったまま、じーっと文字を追う。


「――これは、電子メールの文面ですのね?」


「ええ。学園祭での特別講演会に、フランスの方をお呼びしています。

 そろそろ、講演内容を詰めていかなくてはなりませんので、そのご連絡をと。

 エマさんに書いて頂いたほうが良いかと思いましたが、自分で書いてしまいました。とはいえやはり一度、ネイティブの方にご確認お願いしたくて」


「承りましたわ……ですがあと3分だけお休みをくださいませ……」


「今日中に確認して頂ければ十分ですよ」


 そんな2人のやりとりを聞きながら席に戻ると、「いやー、暑いな! 日本の夏だな!」などと自明なことを大声で言いながら、会長が入ってきた。すぐその後から、永末さんもご来室。直後、「おーっす! 夏休みなのに、みんな暇だねえ!」と梓先輩も乱入。


 一気に騒がしくなった生徒会室で、私は軽くため息をつきながら、内心ウキウキと学園祭向けの書類を作っていた。

 こうやって、みんなでワイワイ仕事をして、あちこち旅行したり、イベントに参加したり、一緒に勉強したり、そうやって今年の夏休みも楽しく過ぎていくものだと、信じていた。

 その確信は、私だけのものではなかった。生徒会室にいるほぼ全員が、それを確信していた。


 その無邪気で無責任な思い込みが、やがて鋭いトゲとなってみんなの心に突き刺さるだなんて、このときには、誰も予想していなかった。




【第4部:ユスティナ年代記・完】


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