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もしかして:遺伝

ちょっと長くなりました……

 6時間目の世界史を途中から受けて(世界史の原田先生は板書が多いので、追いつくのは大変だった)、7時間目の受験対策模試を半分の時間で仕上げて途中退席する。

「模試なんてものは、規定の半分の時間でやらなきゃダメ」というのは、死んだ母が唯一残した、勉強に関するアドバイスだ。

 本番で全力が出せるわけがないんだから、練習では不利なセッティングで勝負に挑まなくては意味がない、というのがその理由。

 そんなので本当にいいのかどうか分からないけれど、今でもなんとなく守っている。


 教室のある3階から、1階まで降りたところで、学長とはちあわせた。私は軽く会釈。学長もにこやかに会釈を返す。

 以前は「まだ模試が途中でしょう?」と怒られたが、「全部解答して提出しました」と告げると、何かに思い当たったかのように頷かれた。しかるに「あなたのお母さんも、大学時代の試験、退出できる時間になった途端に出て行ったわね」とのお言葉。


 もしかして:亡き母は、ただのせっかち


 学長をやりすごして、放送室の前を通り、職員室の前を抜け、生活指導室の前を特に慎重に通過して(生活指導の堂本先生に見つかると「みんなまだ模試を受けてるんだ、教室に戻れ!」と、お説教モードに突入される)、生徒会室の扉を開けた。


 実に今更の自己紹介になるが、私は中等部の頃から、この学園の生徒会執行部に所属している。


 生徒会執行部というのは、宮森学園独自の、ちょっと変わった組織だ。


 生徒会役員は、毎年選挙で決まる。生徒会長、副会長、書記長、会計長の4役員は、このため、毎年入れ替わる傾向にある(ごく稀に2期連続、3期連続もあるそうだが、私が中等部に入ってからは毎年変わっている)。

 また体育祭や文化祭の実行委員長は、その年にそれぞれ体育祭実行委員、文化祭実行委員になった生徒(これは各クラスごとに挙手とじゃんけんで決まる)のなかから選ばれる。

 つまり、これまた普通は、1年限りだ。


 こうなると、生徒会役員内部にも、また各種催事委員会内部にも、学園自治実務のノウハウがまったく蓄積されない。

 それでは、宮森学園のモットーである「自主自立」が危ぶまれる。


 というか、学長いわく「生徒が楽しむイベントまで教諭が全部管理しようとするから、教諭の仕事量が無駄に増えて、肝心の授業の品質が落ちる」とかなんとか。


 かくして生まれたのが「生徒会執行部」だ。

 生徒会執行部員は、厳密に言えば、ただの生徒に過ぎない。選ばれるにあたって選挙もないし、正式な書類としての役員名簿もない。もちろん、部活動でもない(兼部禁止な学校なのに、部活動と兼任している執行委員も結構いる)。

 各種「委員」とも兼任可能、というか兼任が前提(つまり執行委員だからといって、図書委員や保健委員といった、生徒全員が何か1つを割り当てられる役職を、回避できるわけではない)なので、執行部員というのは制度上は「存在しない」と言って間違いではない。


 この、本来は存在しないはずの生徒会執行部は、毎年、新入生のうち「見どころがある若者」を新たな執行部員として引き込み、組織を維持する。そうやって一度でも執行部員になろうものなら、高等部を卒業するまで、その生徒は執行部員だ。

 かくして最長6年に渡り、執行部員は学園自治の実務を執行する。


 「実務の執行」というのは「ですの!」と言いながら不良生徒を虫ピンで標本にしたりする、アレとはかなり違う。


 例えば学内イベントがあって、そこで「○○のしおり」が必要となったとしよう。

 そこで、そのイベントに向けた「しおり」のコンテンツを作り。

 その「しおり」の印刷データを作り、印刷所に発注し。

 ときには数百部に及ぶ「しおり」を折って製本し(=「イベント前夜に作るコピー誌」状態)。

 そういった、学園自治に付随する細かな雑用のすべてを仕切り、執行するのが、宮森学園生徒会執行部なのだ。


 そして私は、中等部1年の頃から、執行部に在籍している。

 執行部には、部門として企画班(生徒会長・副会長補佐)、書記班(書記長補佐)、会計班(会計長補佐)とある。私はずっと書記班だが、この修羅場で3年鍛えられたせいか、必要に応じてどんな仕事でもするし、今ではだいたいどんな仕事でも最低限の「前例」は憶えている。


 ……なお、同じくらい地味かつテクニカルな雑務を、同じように6年間ずっと支え続けることになる、もう一つの縁の下系組織が放送部なのだが、これについて語るのは、また別の機会に。



          ■



 私が生徒会室に入ると、先客がいた。宮森学園高等部3年C組、現生徒会長の御木本 進だ。


 昨年度末の選挙で、初出馬にして見事、生徒会長の座を射止めた彼は、高等部3年生の間ではちょっとした有名人……というか、人気者だ。


 とにかく、彼は人当たりがいい。

 彼の周りにはいつでも生徒の輪ができて、笑い声が絶えない。


 しかも、集まる生徒のタイプが、いつも違う。

 受験勉強に専念する生徒の輪と去年のセンター試験の傾向について論じていたかと思えば、スポーツ特待生たちに運動生理学を踏まえたアドバイスをして感服され、おなじクラスの男友達たちと下品な話題で盛り上がったかと思えば、コンピューター部員と最新のゲームエンジンについて論じ、いつのまにか女子の輪に加わって「髪切ったんだね、試験のときはいつもちょっと前髪が煩そうだったもんねえ」などと言って内気な女生徒の顔を真赤にさせる。

 これがまた、ルックスもなかなか見目麗しく、スタイルも良いと来ているから、人気が出ないはずがない。少し色の薄い、天然ものの癖毛頭が、チャームポイント。


 ああ!


 だが、生徒会執行部員たる私は知っている。

 天網恢恢疎にして漏らさず、天は滅多に二物を与えないのである。

 宮森学園の女生徒たちの好感度ナンバー・ワン、今やこの学園でその名を知らぬ者はないとまで言われる御木本進生徒会長、彼は――


「おっ、高梨か。早めに来てくれると思ったよ。助かった。

 早速だけど、この議事録なんだけどさ」


 そう言って、彼は当然のように私に議事録を手渡す。

 私はため息をつきながら、自分の席と決めた椅子に座って、ノートPCの電源を入れる。

 しかるに、「議事録」と書かれたノートを開く。


 案の定、真っ白だ。


「うん、まあ、あれだ、前回の会議、飯島書記長が休みだったじゃん?

 で、会議の間、高梨が渉外で外出てたでしょ?

 そしたら、ちゃんと記録取れるのが、いなかったんだよね」


 私は、もう一度、ため息。

「――永末さんに私の代理をお願いしていたハズです」

「うん、うん、そうなんだけどさ。

 彼女、直前の体育の授業で、手を怪我しててさ。

 たいした怪我じゃないって言うんだけど、やっぱ、そういうの、悪いじゃん?」


 状況は、容易に想像ができる。

 永末さん(中等部の2年生で、私が一番信頼する書記班員だ)が怪我をしたというのは、私も出掛けに聞いた。

 慌てて本人に確認したら、ちょっとした切り傷で、絆創膏で十分ということだったので、私は安心して備品修理発注の旅に出たのだ。

 でも、その程度の怪我であっても、この新生徒会長様の「紳士道」にとっては、労働させるなど許せぬ大怪我だったのだろう。


「だから、議事録は俺が取るよって言ったんだけど。

 いやー、つい、議論が白熱してさ。こういう状況なんだ。

 でも確か、今日の会議では、この議事録が資料になるんだよね?」


 御木本生徒会長は、申し訳無さそうに釈明する。

 が、言葉とは裏腹に、「反省の気持ち」は、そのにこやかな表情のどこにも見て取れない。


「状況は理解しました。

 これ以上の釈明は結構ですので、先輩の調子の良すぎる提案に不安になった永末さんが密かに録音したであろう、会議の音声データをください。

 彼女なら、昨夜のうちに、先輩宛にデータをメールしたのではありませんか?」

 私はなおも釈明を続けようとする御木本先輩の言葉を遮り、手を差し出す。


 何が起きたかは、簡単に想像できる。

 この男は永末さんに「僕にも見栄があるから、自分でテープ起こし(録音データをもとに、文字の記録に書き起こすこと)したいんだ」とか何とかいって、録音データを送らせたに違いない。

 永末さんはまだまだコイツの本性が分かっていないから、「仕方ないですね」とかコメントしつつ、メールして、それで安心してしまったのだろう。


 (甘い! この男が、そんな面倒なことを、期日までにきちんと仕上げるはずがなかろう!)

 心の中で叫ぶ。


 さすがにバツが悪そうな顔をしながら、生徒会長は私の手に銀色のUSBメモリを置いた。

 私はまたしてもため息をつきながら、ノートPCにUSBメモリを刺す。

 録音時間は――58分。58分の音声データを文字にして、さらに会議資料にまで持っていくには、私が普通にやって2時間くらいかかる。


「Holy S***!」


 思わず強めの悪態が漏れた。それを聞いて、クスリ、と生徒会長様がお笑いになられる。


 ああ。


 さっき保健室で試してしまった、アレ。

 アレは、この男に向かってこそ、試すべきだった。


 データをノートPCのメモリに転送し、テープ起こし用ソフトとエディタを起動する。

 音声の再生速度を150%にセットする。これが、私が追随できる、最高速度だ。

 ノートPCの壁紙にしている○峰君を拝んでも、この状況では、心は晴れない。


 自分のカバンを開いて、愛用の赤いヘッドフォンを取り出し、ノートPCにつなぐ。高等部への進学祝いは何がいいと学長に聞かれたので、清水の舞台から飛び降りるつもりでおねだりした、AKGの開放型ヘッドフォンだ。

 4千円程度のものだけど、私にとってヘッドフォンに4千円は、完全に常識外れだ。だって、100均で似たようなの売ってるじゃない?


 孤児になった私にとっての、事実上の母である宮森学長はお金持ちだし、私としても今更学長に遠慮はない。学長は、たとえ4千円が4万円でも、買ってくれただろう。進学祝いだし。

 だからこそ、私にとって本当に必要なもの以外にお金を出してもらうのは、極力避けたい。

 私は弱い人間だ。自分に対して安易に「これくらいなら」を許せば、きっと、歯止めが効かなくなる。

 宮森おばさんには、そんな浅ましい私の姿を、見せたくない。


 だがこのヘッドフォンは、ドラマCDを隅々までちゃんと聞くには、絶対に必要……ッ! 必要な投資だった……ッ!


 いかん、現実逃避してしまった。


 再生ボタンを押す前に、私は隣に立つ、このどうしようもなく見栄っ張りで、蹴り倒したくなるくらい怠惰な男に、釘を刺す。


「最善を尽くしますけど、やはり60分はかかると思います。

 印刷時間を考えると、65分。

 50分後には、今日の会議が始まります。

 運動部の部長が集まる会議ですから、後ろにはずらせません。

 最初の15分程度、会長がトークで、それとなく間を持たせてください」


 鬼のような形相でキーボードを叩く執行部員を横に置いて「それとなく間を持たせる」も何もないかな、と思わなくもないけど、こいつにはこれくらいやってもらわないと困る。

 やんぬるかな、御木本会長は満面の笑顔で頷いた。


「まかせてくれ、そういうのは得意なんだ。

 それと高梨、さっきから妙にため息が多いけど、ため息をつくと幸せが逃げるって言うから、気をつけたほうがいいぞ?」


 (ああ。

  今からでも遅くはない。

  やはり、保健室で試してしまったアレを、今こそ――)


 そんなことを思いながら、深くため息。

 覚悟を決めて、私は再生ボタンをクリックした。


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