もしかして:趣味
かくして期末試験も無事終わり、学校はいよいよ夏休みムード。
だが待ってほしい、まだ演劇鑑賞会があるんだ、これが。
……てか、演劇鑑賞会に人気がない一番の理由って、これじゃないの? みんなもう脳内が夏休みになってる状態で、芝居を見て感想文を書きましょうって、そりゃあ盛り上がらないよね。
このあたりは、来年度以降の検討事項ということで。
反省会で、提案するだけ提案してみよう。
どうしてもこの時期じゃなきゃダメってものでもあるまい。
観劇できる芝居を2択で選べるようにしたのは、それなりに効果があったようだ。クラスでも、「どっち観る?」という話題で、結構みんな盛り上がっていた。
予想外と言えば、劇の内容よりも、「仲の良い友人がどっちを観るか」のほうが、選択基準として上にあるっぽいことか。
うぐぐ、このあたりは、私の読みが甘かったです……。
なお、言うまでもなく私は「ハムレット」を選択。台本を読んでる最中にぶっ倒れた「半神」を観に行くのは、いくらなんでもリスク高すぎ。
執行部員は現場の仕切りもあるので、一応要望を取ったものの、一部は要望とは逆側の劇場に配備。これも要改善だなあ。
具体的な被害者としては、「ハムレット」を観たかったのに「半神」配備の永末さんと、「半神」希望だったのに「ハムレット」配備になったエマちゃん。最善を尽くしたのだけれど、中等部と高等部で人数の帳尻をあわせていくと、どうしても1人ずつ犠牲が必要やったんや……今回だけは、自分のくじ運を恨んでおくれ……。
エマちゃんは「日本のシェイクスピア演劇にも興味がございますから、よろしいですわよ! でも来年はベケットにいたしましょう」と上機嫌なのでいいとして、明らかに会長と同じ芝居を見たがっていた永末さんには申し訳ない。
「根回ししようか?」と囁いてはおいたものの、「あああっ、ぜ、ぜひ……って、うわわわわ、先輩に不正させちゃうのは悪いです……」と断られてしまったので、如何ともし難い。
……ん?
これ……断られてるよね?
も、もしかして、「お願いします」の婉曲表現だったり、したかな?
――うん、そんな気がしてきた。あとで全力で謝ろう。
そんなこんなで、朝7時に集合した執行部員のうち、「半神」組は本来の予定どおり、文化会館に出発。「ハムレット」組は市民ホールへ。前日設営がNGだったので、掲示物から何から当日朝に仕込むしかない。
「半神」組のリーダーは星野先輩(こっちは名実ともに責任者)。「ハムレット」組のリーダー(こっちは名目上)は我らが御木本会長だ。二人とも、やる気マンマンという感じ。
いやー、いまさらのツッコミなんですけどね。
星野先輩と御木本会長、この件で結構険悪になるまで衝突してましたけど、これってお互いに「趣味」だったんじゃないですか……?
自分が観たい、あるいは観たくないものを、なんとか理屈つけて、うまく都合つけよう、とか、思ってませんでしたかー。
今朝、意気揚々と集団を率いて移動し始めた2人を見ると、いよいよそんな気が。
そういうこともありますよねー。
何から何まで、無私の心で生徒に尽くすとか、無理ですよねー。
ときには「せっかくだから俺はこの赤の扉を選ぶぜ」的な、そういう私的な価値判断、混じりますよねー。
むむむ、なんか働き損した気がする。
まあ、いいか。おかげで私は「半神」の観劇を、大手振ってパスできるわけだし。
もしこの件に首を突っ込まなかったら、「半神」が引き金になって倒れてしまうことを知らずに劇場に行って、観劇の途中でぶっ倒れるなんていう、悪夢みたいな展開もあり得たわけだし。
もともと「半神」は大好きだし、普通に考えたら警戒する要素ゼロだもんなあ。
結果オーライってことで、ひとつ。
30分ほど歩いて、会場に到着。会場側には早朝入りをお願いしておいたので、もう扉は開いている。
長机を引っ張りだして、一般入場口と、生徒入場口を分けたり。
「本日は宮森学園の演劇鑑賞会が実施されます云々」のポスターをあちこちに張り出したり。
そうこうするうちに劇団の人達が会場入りしてきたので、入場管理に関して最後の打ち合わせをしたり。
右に左に現場を仕切っているうちに、9時。
開場が10時、開演10時半だから、何か重大な見落としがあったとしたら、リカバリーが可能なギリギリの時間。
チェックシートを前に、準備状況を指さし確認。遺漏なし。
……ない、はず。
すごい、不安。
これまでは先輩の「これをやって」「あれをやって」に従うだけで良かったけれど、今回は初めて、私の指示で場を仕切って、最終チェックもする立場。
ぐおー。責任者って、こんな胃に悪い仕事なんか。
「どうした高梨、胃が痛そうな顔をして」
私の心を読んだような言葉は、いつも通りの御木本会長。缶コーヒー片手ですが、一応、買い食いは禁止ですよ? 忘れてません?
「コーヒーは飲み物だから買い食いじゃあない。
そらそうと、ちっとは落ち着け。高梨一人でチェックしたわけじゃあないだろ?
これだけの人数で何重にもチェックして、プロの目も通ってるんだ。
ボスはどっしり構えてればいいんだよ」
それは、わかってるんですが。
会長はもう一度笑うと、私の頭をくしゃくしゃと撫でて、何処かへと去っていった。って、会長、缶コーヒー忘れてます!
「高梨にやるよ! それでも飲んで、少し寛いでろ」
まったく。こういうカッコツケをする人だからなあ。
でも、その忠告に従ったほうが、いいんだろうなあ。
私がオロオロしてたら、後輩だって不安になるだろう。
ここは星野先輩みたいに、コーヒー片手に涼しげに本でも読んで、皆さんの報告を待つのが、一番。
んー。
無理だな-、その境地。
そんなことを思いながら、私は缶コーヒーのプルタブを開けた。
ミルクたっぷりを唄ったコーヒーは、どうにも味がしなかった。
■
激しく胃が痛くなる思いをしたが、終わってみればトラブルもなく、劇団の人達にも大いに感謝されて、演劇鑑賞会ハムレット班の仕事はほぼ完了した。
2時間に渡るハイテンションな舞台を演じきった役者さんたちは、これから夜の公演に向けてミーティングだと言う。役者ってすごい仕事だ。
肝心の公演だが、とても斬新な解釈の「現代版ハムレット」だった。
詳しいことは省くが、名台詞である"There are more things in heaven and earth, Horatio, than are dreamt of in your philosophy."にわざわざ藤村誤訳を採用して、それを軸に2人の数学者の愛とすれ違いを描く――という趣向。
より分かりやすく言えば、公演終了後、鴫原さんがわざわざ私を探しに来て、「ちょう萌えた。滾った。まさかホレ×ハムに萌えるだなんて。その発想はなかった」と熱弁を振るう、そういう舞台だった。
うむ。こういうのが好きだったら、次はAMPの「白鳥の湖」を観るといいと思うよ。
つうか演劇部は、どっからこういう公演の情報を仕入れてくるんだ。くそう。私もつい萌えちゃったじゃないか。芝居が終わって外に出るなり、劇団の公式twitterアカウントを超速でフォローしたのは秘密だ。
まだチケットあるっていうし、夜の公演も見に来ようかなあ。
鴫原さんは迷わず夜のチケット買ってたし、私も永末さん誘って観に来ようかなあ。
などと企みながら撤収作業をしていると、会長がなんとも物思いげなのに気がついた。
ほほう。
演劇部の横車を利用してまで観にきた現代版「ハムレット」、どうだったんでしょうね。
感想を聞く権利くらいは、あるはず。つうか聞かせろ。
「会長、今日の『ハムレット』、どうでした?」
会長は一瞬、面食らったような顔になったが、すぐにいつもの立て板に水トークが始まった。
「よく考えられた話だったと思うよ。
さすがに俺も、このアレンジは想像してなかった」
あら、詳しい内容まで知ってたわけじゃないんですか。
でもめっちゃホモホモしい話だったんですが、男の人的にコレってどうなんです。
「ホモが嫌いな男子なんていないよ」
ほうほう。
……んなわけねーだろ。
「ってのは冗談として。
高梨はさ、アラン・チューリング、知ってるだろ?」
そりゃもちろん。こう見えても、数学オタクでもありますから。
アラン・チューリングは第二次世界大戦の頃に活躍したイギリスの数学者で、コンピューターの父の一人だ。戦争中は、暗号解読もしてたはず。
今回のお芝居の主役2人が数学者で、しかも専門が暗号解読というのは、明らかにチューリングを意識した配役と言える。
「じゃあ、アラン・チューリングがどうして死んだかは、知ってるか?」
おおっと。そこまでは。
自殺、だったかな? 病死だっけ?
会長は目を閉じると、まるで親しい人に起きた悲劇を語るかのように、チューリングの最期を物語った。
「御存知の通り、チューリングは、同性愛者だった。
だが当時、イギリスでは同性愛は違法だ。
第二次大戦中、イギリスの勝利に大きな貢献をしたチューリングだが、戦後しばらくして、同性愛を理由に逮捕される。
結果、彼は社会的な地位も失い、失意のうちに自殺した。
毒物を塗ったリンゴを食べて、自ら命を断ったんだよ」
なるほど。
言われてみれば、「ハムレット」の原典でも、ハムレットの死因は毒だ――というか、クライマックスの大殺戮は、全員毒殺だ。
「同性愛が違法ってのが、昔の話じゃないってのは、高梨も知ってるだろ?
いま、世界中のあちこちの国で、同性愛の違法化が進もうとしてる。
チューリングの悲劇は、終わった話、歴史の一幕なんかじゃ、ないんだ」
会長は、注意書きの張り紙を剥がしながら、なおも喋り続ける。
「ま、それは、それとして、な。
実は俺、『ハムレット』は、あまり好きじゃないんだ。
いろいろ、行動が迂遠だろ?
そこで躊躇うなアホ! 殺れ、殺っちまえ! みたいなもどかしさがさ」
んー、それは昔から結構言われてることですね。
わりとご都合主義的に悩むハムレット、的な。
「ただ、それは本命の理由じゃなくてな。
俺、ハムレットが死ぬ間際のセリフが、嫌いなんだよ」
死ぬ間際のセリフと言うと、"The rest is silence."か。
今日の公演では「もう何も言わぬ」だったけど、これは小田島訳だったかな。
「原作で言うと、あのときホレイショーは、主君にして親友である男に、後追い自殺を禁止されて、何が起きたかを人々に正しく伝えるために生き難き世を今しばらく生きろと命令されて、そのうえ王位継承の遺言を託される。
これさ、まずそもそも、一人の人間に仕事積み過ぎだよな。部下に甘えんのもいい加減にしろって話だ。
まあ、俺が言うことじゃないが」
そうですね、会長に言われるとイラっときます。
「それにな、あのときホレイショーは、本当は何を言って欲しかったんだろう、って思うんだよ。
ハムレットは、『もう何も言わぬ』とかカッコつける余力があったのなら、せめてホレイショーに『ありがとう』か『すまない』と言うべきだったんじゃないか?
『お前は男だろう』だなんて、そんなスカしたセリフで何かを伝えたことにするだなんて、実に鼻持ちならんよ」
ああ。
「だから、今日の脚本を書いた人は、俺と同じ不満を持ってんのかな、なんて、な。
実際さ、今日の『もう何も言わぬ』は、俺が聞いても、ぐっと来たよ。ああ、何も言えないんだ、ってな。
もっと、たくさん言いたかったろう。自分に残された最後の時間の中で、この世で一番大切な相手に告げたいことなんて、言っても言っても尽きなかったろう。
でも、一番言いたいことは、言えないよな。
言えば相手は頷くし、そうしたら相手も同性愛の罪で犯罪者だ」
――ああ。
「総じて言えば、大変に楽しめたよ。
高梨も、裏方として大変だったと思うけど、おかげでとても満足できる1日になった。
ありがとう」
張り紙を剥がし終わった会長は、手元で紙をくるくると丸めると、私に向かって深々と頭を下げた。
私も、つられるように、頭を下げる。
「高梨先輩! ロビー班、撤収作業終わりました! ご確認お願いします!」
頭を下げきったところで、後輩の執行部員からお声がかかった。
私は「ごめんなさい、ちょっと行ってきます」と言って、ロビーに向かう。
背後で会長が「いってらっしゃい」と言ってくれた、その声が、なんだかとても、嬉しかった。




