もしかして:コスプレ
翌朝。
教室に入ると、一瞬だけ「おおっ」という空気が一部に漂った。一部に、一瞬ですが。A組だもん。そんなもんだ。たぶん、半分以上は気づいてない。
席に座ると、学級委員の鴫原さんが「遙ちゃん、おはよー」と、とぼけた感じの挨拶。彼女はのんびり屋さんだけど、何事につけとても丁寧なので、中等部からこのかた鉄板で学級委員に選ばれている。
本人は「またですかー?」と毎回困惑気味だが、なんのかんので毎回引き受けているのは、人が良いのか、それとも学級委員程度、負担にも感じないのか。
「髪型、変えたのねー? メガネも似合ってるよー」
おお、さすが鴫原さん、女子力高い。
「休んでた間の配布物とかは、袋にまとめて机の中に入れておいたからねー?
特に大事な書類とかはなかったけど、一応、確認しておいてねー?
あと、提出物の課題とかは出てなかったから、安心していいよー」
きめ細やかなサポート、ほんとに大感謝です。
と、そこにエマちゃんがすっ飛んできた。
「遙さん! おはようございます! もう体調はよろしいんですの?」
あっはい、もう元気です。
「その髪型……そのメガネ……もしかして、遙さん!」
むむ、エマちゃんオタっぽいから、気づかれたかな?
「黒○スの、リコ監督ですわね!?」
ずっこけた。
鴫原さんも盛大にずっこけている。
「あ、あら? わたくし、何かおかしなことを言いましたかしら?」
――ええと。そういうの、大声で言うのはどうかなって。
それに、リコ監督ってラインは、自分でも考えてなかったよ……
確かにショートだし。メガネかけてたし。でも、髪の分け方が違うでしょ!
「遙さん、お胸もリコ監督似だし、とてもお似合いだと思うのですけれど」
ぐさ。
「……あっ、でもよく見たら、ヘアピンの位置が違いますわね!
ということは――わかりましたわ、『浜村渚の計算ノート』のマドモワゼル渚ですわね!?
遙さん、お顔が幼い感じですから、とてもお似合いですわよ!」
ぐさささ。そ、そっちは自分でも一瞬思ったけど! でも!
「エマちゃーん、もうやめてあげてー。
遙ちゃんのヒットポイントは概算でゼロよー?」
鴫原さん(漫研部員)が的確なフォローを入れてくれるも、なんだか手遅れな気がします……立ち直れる気がしません……。
「なぜですの? わたくしが日本語を勉強したコミックスには、『貧乳はステータスだ! 希少価値だ!』と書いてありましたわ。
遙さんの体型は、日本社会では希少価値をお持ちなのでしょう?
わたくし、こんなのですから、嫉妬いたしますわ!」
豊満な「お胸」を両手で強調するエマちゃん。
あかん。死んだ。これは朝から死んだ。
「エマちゃん、完全にとどめをささなくてもー」
鴫原さん、解説ではなく、もうちょっと建設的なフォローを……フォローを……。
エマちゃんは不思議そうな顔のまま、小首を傾げている。
「なんだかよくわかりませんけど、遙さんのコスプレ、わたくしは評価いたしますわよ!
それにしても、さすが日本は本場ですわね。遙さんのような、真面目な優等生を絵に描いたような方が、コスプレで登校していらっしゃるだなんて。
わたくしも、何か考えようかしら」
鴫原さんも、フォローする気力をなくしたっぽい。
そっかー。
しめて1万4900円(税別)かけた、初失恋克服のイメチェン作戦。
外から見たらコスプレかー。
そっかー。
そだねー。
つらい。
人生は、つらい。
■
朝から殺人的な連打を浴びたけれど、とりあえずその日一日、授業は無事に終了。
コスプレ云々はともかく、メガネいいっすね。ほんといい。板書が楽に読める。
これまで「あの先生の板書はちょっと文字が細かいんだよなー」とか苦労してきた、あの苦労はなんだったのか。
こんなことなら、もっと早くメガネにするんでした……世界が変わるとはこのこと。
小学校の頃からメガネデビューしてましたというクラスメイトからは「スポーツのときが結構大変、体育の時間用にメガネバンドも買った方がいい」「剣道やるなら専用のメガネにするべき(←そんなものがあるのか!)」「ラーメン食べようとすると曇る」「メガネ外すと条件反射で眠くなるから気をつけて」みたいなアドバイスを、浴びるように頂いた。ふむふむ。
でもこの快適さとのトレードオフなら、大抵のことは許せるなあ。
放課後は、微妙に腰が引けるけれど、生徒会室に直行。
ふっきったつもりでも、星野先輩と直接顔をあわせるんだと思うと、やっぱりしんどい。
これが告白しての撃沈だったら、どんな顔をして生徒会室に行けばいいんだってことになるのかもしれないけど。
純粋に一方的な片思いを、一方的に諦めただけ。それだからこそ、救いがたい情けなさもあれば、まかり間違っても星野先輩に悟られてはいけない的な、妙な気負いもある。
生徒会室の扉の前で、ひとつ、深呼吸。
落ち着いて。普段通りで。
扉を開けると、そこは拍子抜けするくらい、普段通りの生徒会室だ。会長が馬鹿話に興じていて、星野先輩はmacの前で読書、永末さんは慣れないDTP作業にかかりっきり。
唯一の違いは、エマちゃんか。一歩先に生徒会室に向かったエマちゃんは、星野先輩に割り振られたと思しき書類とにらめっこしている。
「高梨、髪切ったんだ。メガネはデビュー?」
朗らかに、会長。
「わ、高梨先輩、思い切りましたね。似合ってますよ。メガネも素敵です」
永末さんからは高評価を頂く。
星野先輩(今日もワンピース姿だ)は、ちらりとこちらを見て、感心したみたいに何回か頷くと、本に視線を戻す。
「これから暑くなりますし、昨日は1日休めって言われちゃったんで、美容室に行ってきました。
ついでに、黒板の字が見づらくなってたんで、メガネも作ってみました。
まだちょい慣れないですけど、メガネ凄いですね」
自分の席に座りつつ、練ってきたストーリーを話す。まさか失意の末の気分転換とは、言えない。
「メガネ、初めは頭が痛くなるっていうなあ。どう?」
「今のところ頭痛はないですね。視界に枠ができるのが気になるかなって思ってたんですけど、意外とすぐ慣れました」
「人間って凄いもんだな。
慣れるのも凄いし、すぐ慣れるメガネを作っちまう人間も凄い」
会長と他愛のない話をしながら、ノートPCを起動、引き出しをあけて愛用の筆記用具を――あれ、開かない。
「あ、高梨先輩、お伝えするの忘れてました。
昨日、学校の封筒で高梨先輩宛の郵便が来まして」
――おっと。なんだろう。
席を立った永末さんがお財布を取り出し、中から書記班用の机の鍵を引っ張りだす。
「あの、それで、学校の封筒だったんで、執行部宛かと思ってうっかり開封してしまって……今宮さんって方からの、高梨先輩宛の私信だって気がついて、慌てて戻したんですが」
え。そ、それ、まさか。
「大丈夫です、中は見てませ――う、うう、すみません、ちょっとだけ、見ちゃいました……」
あはは。まさか。
「だいぶ古いルーズリーフだったんで、何かなって……。
あの、1枚目だけ、見ちゃいました! ごめんなさい!」
永末さんは、ぴょこん、という効果音でも出かねない勢いで、深々と頭を下げる。
ぞぞっと、背筋に寒気が走った。
――いや、でも、大丈夫。あれが何か、本当に重大な問題にリンクしてしまうには、「ユスティナの方程式」の存在を知っていないといけない。永末さんが「知ってはいけないことを知ってしまった」みたいな状況には、陥っていないはず。
ていうか、そういう危険性があるなら、今宮さんも手渡ししに来ますよね。
つまり、問題があるとすれば、あの黒歴史ノートを見られちゃったということ、それだけだ!
あかんやん。
「あ、ああ、うん、小学校の頃に書いた、メモみたいなやつだから。
気にしなくていいよ。うん。ていうか気にしないで……」
我ながらぎこちない。最後は小声。
「は、はい、忘れます。もう、忘れました。大丈夫です」
そうかそうか、さすが永末さんだ。頼れる後輩。
……んなわけあるかーい! 人間、「忘れよう」で忘れられるもんか!!
いや、会長に見られちゃうのに比べれば、なんぼかマシだけどね……。
「……と、ところで、昨日到着だっけ? それで、この引き出しに?」
永末さんはしばし鍵と格闘。この鍵、ほんと開きにくいんだ。
「――はい。鍵も閉めましたし、この鍵はコレでしか開きませんから。
一度、先輩の部屋まで持って行ったんですけど、先輩がいらっしゃらなくて。
でも、寮のポストってちょっと不安じゃないですか……」
あー、あれねえ。寮のポストは、形ばかりの鍵はかかるけど、梓先輩みたいな先輩がときどき抜き打ちのラブレターチェックとかしてるからなー。
鍵との格闘戦に勝利した永末さんは、ふう、と一呼吸置いてから、鍵をしまい直した。
「ま、まあ、とにかく、ありがとう。いやほんと、内容は、忘れて」
「はい、忘れます。すみませんでした……」
永末さんの頭が、もう一度、深々と下がる。わざとやったわけでもなし、本人も「忘れる努力をする」と言ってくれているし、この件はここまでにしよう。
そのほうが、私の精神衛生上もよろしい。
引き出しを開けると、筆記用具の山と一緒に、ルーズリーフの袋が出てきた。懐かしい。まだ少し、たどたどしさが残る文字。1ページめは「ユスティナの物語」とだけ書いてある。
そうだった。1ページめから、いきなりハイテンションで「物語」が書いてあるんじゃなかったんだった。なら被害は最小限だな。
ほっとした――それが油断だった。背後に人の気配! あわてて引き出しを閉める。振り返って、案の定の会長の姿に向かって、怒鳴る。
「会長! ほんと、怒りますよ!
そういうの、絶対にやめてください!」
さすがにガン切れ。
――したんだけど、会長は驚いたような表情。
「お、おお? 俺、何か悪いことした?」
……あれ。
「――あ。もしかして、後ろ、通り抜けようとした、だけでした?」
「おう」
「あわわ。これは失礼しました……すみません」
「いや、まあ、俺も前科持ちだからな。
李下で冠を正したこっちも、悪かった。」
ひええ。やっちゃった。これはいくらなんでも申し訳ない。
「うう、すみませんでした……」
席を立って、頭を下げる。会長は苦笑して、私の頭を撫でた。
「いいさ。それより、コーヒー飲みたいから、ちと通してくれると助かる」
「あ、はい、すみません」
会長を通して、赤面しながら着席。うへえ。
まあでも、今のうちか。私は引き出しを開け、ルーズリーフの袋をカバンに放り込んだ。
と、星野先輩からお声がかかる。
「高梨さん、ちょっとお願いがあるんですが」
「はい、何でしょう?」
いつも通り自然に返事して、星野先輩から仕事を貰って、席に戻る。そのときようやく、自分が自分でもびっくりするくらい、星野先輩と普通に応対できていたことに気づいた。
あれか。開幕いきなりのドタバタのせいで、「星野先輩」を意識する余裕もなかったせいか。
それはそれで、偶然とはいえありがたい。
その後も、エマちゃん突然の「できましたわ!」シャウトに驚かされたり、永末さんから会長への密やかなアタックを観察したりしながら、私は黙々と仕事を進めた。
演劇鑑賞会が「もうこちらからは何もできない」段階に到達するまで、もう少し。駆け込みでのトラブルも予想されるし、いましばらく、頑張るとしよう。




