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もしかして:デビュー

 一晩泣いて泣いて泣きはらして、それでも朝は来る。


 朝4時に目が覚めて、枕元の本を見てもう一度泣いたけれど、夜のときのような、世界が終わってしまった感は、もうなかった。

 理想論というか、願望だけを言えば、そりゃあ星野先輩に告白して、受け入れてもらえたなら、どれほど素晴らしかっただろう。

 でも、たとえ昨晩のアレを見なかったとして、私が星野先輩に告白できるかと聞かれれば、やっぱり、それは、無理だ。

 あれだけ悔やんで、泣いて、一晩苦しんだけれど。

 無理なものは、無理。


 こう見えても私の中に棲んでいる恋心は執念深いようで、夜中に何度も目を覚ましては「今から後追いしても、まだ間に合うんじゃないか」「こんなに恋しいなら、奪ってしまえばいい」とかいったフレーズは、心に何度もよぎった。


 でも、そもそも私は女で、星野先輩も女。

 世の中にそういう性的傾向があるのは知っているし、フィクションとしては楽しんでも来たけれど(漫研部員の友人にこっそり「百○姫」を借りるとか)、自分が当事者となると、そう簡単には前に進めない。


 それに何より、私には永末さんのような自信は、まったくない。

 星野先輩は、学園「憧れの人」ランキングでぶっちぎりナンバーワン。

 議論の余地なく、高嶺・オブ・ザ・高嶺の花だ。

「それでも絶対に勝ち取ってみせます!」と断言できる、そんな自信や自負は、私の中をどう探しても、見つからない。


 つまりは、そういうことだ。


 この初恋は、私には難易度が高すぎた。

 繰り返しになってしまうけど、そりゃあ、まだまだ後悔は尽きない。

 でも、時間とともに、自分が「登りたかった」「登れたはずだった」と思っていた近所の素敵な山が、実際にはヒマラヤ級の霊峰なのに気付かされて。

 それでも後悔の在庫を保ち続けるのは、なかなか難しい。


 朝5時、こっそりと病室を抜け出し、コンビニでホットコーヒーを買った。

 病室に持ち帰るとゴミでバレるので、外のゴミ箱の横でそそくさと飲む。

 目が腫れぼったいけれど、コーヒーは美味しかった。


 コーヒーを飲み終え、急ぎ足で病院に戻って、洗面所で顔を洗う。

 うわー、眼が赤い。

 かといって、何かできるわけでもない。

 看護師さんには不審に思われるだろうけど。


 朝7時、健康極まりない朝食を食べて、体温やら血圧やらをささっと測って、退院。ただし今日は一日、学校は休みにすること、というのが、院長先生からのご指導。

 たぶん学校にはもう連絡が行っているのだろうけれど、念のため職員室に電話して、今日1日休むことを伝える。


 たった2晩の入院なのに、意外と荷物が多い。これは歩きじゃなくて、バスを使うかな――と思っていたら、看護師さんに「院長先生からプレゼントですよ」とタクシーチケットをもらってしまった。なんというブルジョワ……星野先輩を射止めるだけのことはある、か……。

 そこは考えるまい。

 なんにせよ、荷物の量を考えると大変にありがたいので、素直に拝領して、病院のタクシープールに停まっていたタクシーに乗り込む。


 寮に戻って、一息ついたところで、朝8時。

 見事に1日、暇になってしまった。


 とりあえず、真っ先にやることがコレかと思いつつも、星野先輩――ではなく永末さんに「無事退院できましたが、本日は学校を休みます」とメール。

 鈍感力に自信のある私でも、さすがに昨日の今日で星野先輩にメールするのは、しんどい。


 机の上にスマホを置いて、ベッドに横になる。


 何も、やる気になれない。

 呆然と天井を見ていると、気がついたら9時になっていた。


 ……いや、さすがにこれは、非生産的すぎる。


 ううむ。その、なんだ。

 定番なら、ここはひとつ、髪型を変えに行くべきだろう。

 昔から漫画で読んでは「これって効果あるのかな?」と疑問だったし、そういえば母に「これって効果あるの?」と聞いたことがあったような気もする。

 母の回答を思い出せないのが、残念だが。


 今こそ、積年の疑問を、実践主義で解決すべきか。

 それだ。それだな。

 だってこんなチャンス、滅多にない。

 というか、そんなにたくさん、あってほしくない。


 思いついたからには、善は急げ。

 PCを起動させるのも面倒なので、スマホで近所の美容院を検索する。

 おお、どこもだいたい、もう営業してる。

 カットのお値段は……カットだけなら、安いと2500円くらいなのか。いろいろ追加しても5000円ちょい。

 これなら、いいかな。普段なら絶対に払えない金額だけど、今日は特別。


 問題は、どんな感じに切ってもらうか、だけど。

 今は「だいたい肩の高さ」っていう雑把な注文で、学内の1000円床屋さんにお任せしてるけれど、美容院となるとそうもいくまい。

 こういうときはGoogle先生に聞くに限る。


 数分後、私は画像検索の迷子になっていた。

 うぬー。おのれリア充め……面倒くさい用語ばかり増やしおって。

 ここはアレかな。スマホの画像を見せて「こんな感じで」が一番か。


 よし。ここはひとつ、「知ってることだけ」の人の、後期バージョンみたいなショートにしよう。これから暑くなるし、実用的だ。

 画像検索して、数枚をダウンロード。最近はアニメキャラの髪型をモデルに指定する人も多いっていうし、これでいいでしょ。


 そこまで済ませたところで、一番お気に入りの私服に着替えて、お出かけの準備を開始。お財布も持ったし、スマホの充電は十分。女子力を(比較的)感じさせるバッグも用意完了。

 さあ、美容院に出撃! だ!


 ……その前に、いま行って、すぐ入れるとこ探さなきゃだよ。


 PCを起動し、駅前の美容院を検索して、片っ端から電話する。「夕方からなら」「今日は一杯です」という回答にめげそうになりながらも、5軒目でようやく「すぐできます」にヒット。


 やれやれ、「初恋に破れて、新しい自分に変わるために」的なヤツ、いざ実装となると、意外と大変だ……



          ■



 カットはすんなり終わり、初失恋振り切り大作戦は完了とあいなった。

 効果の程は、なんとも言えぬ、というところ。良い気分転換にはなったけど。


 ただその、イメージどおりとはいかなかったのが、難しい。

 わりと童顔なので、ショートにしても、やっぱり子供っぽく見えるのだ。

 美容室の鏡に映ったのは、某委員長というよりも、浜村渚ちゃん……。


 が、美容師さんからは良いアドバイスをもらった。


 私は、やや目が悪い。高等部に進んでPCと向かい合う時間が増えてからというもの、視力は順調に悪化。春の視力検査では両目とも0.7と、ついに1.0を割り込んだ。

 美容師さん曰く、そのせいか、私は額に皺が寄りがちだという。良くてしかめっ面、悪くするとガンを飛ばしているようにしか見えないから、コンタクトかメガネを作ったほうがいいですね、とのこと。なるほど。


 しかし……コンタクトにせよ、メガネにせよ、結構なお値段だ。銀行の口座には数年来のお年玉が手付かずで残っているから、美容院代にプラスしてメガネを新調するくらいなら何とかなるが……


 ――いや、ここは思いきろう。今日は、自分にご褒美の日だ。

 何のご褒美かは知らないけど。


 思い立ったら、行動開始。

 実はメガネには、ちょっとアテがある。星野先輩がときどき使っている、「PC用メガネ」というやつに、興味があったのだ。

 先輩のは度なしで、一度借りて使ってみたが、確かにものすごく目が楽だった。あれなら、初メガネにも惜しくない。


 プランの大枠を組んだところで、一旦腹ごしらえ。食が細いとはいえ、お腹が空かないわけではない。このあたり実に不便。少し悩んだけれど、駅横のマックに入って、コーラとポテトを買って、お昼代わりにした。

 病院食が続いた後のジャンクフードは、実に背徳的で、たまらない。

 マックのコンセントでスマホを充電しながら、PC用メガネを扱っているメガネ屋を探す。

 ここからさほど遠くないところに、安さ自慢の店舗が見つかった。幸先良し。


 お昼を終えたところで、いざメガネ屋。


 最初はリムレスにしようかと思ったのだけれど、高いのでパス。

 店員さん曰く「初めてメガネを買われる方は、フレームが顔に似合わないと思われるのか、リムレス希望の方が多いですけど、正直そんな変わりませんよ」。なるほど、なるほど。


 お値段との兼ね合いもあっていろいろ悩んだけれど、最後は赤い細身のフレームに決めた。デザインも色も好みだし、何より軽いのがいい。

 視力検査をして、レンズの度を決めてもらい、ブルーライトカット機能つきを選んだところ、しめて11900円+税。ぐぐっ。

 いや、でもこれは、必要経費だ。パッシブスキルでガンを飛ばしまくってるのは、自覚がなかっただけに、早急に改善しないとイメチェンどころではない。


 夕方には仕上がりますという話なので、受け取り票をもらって、メガネ屋はとりあえず終了。


 さて、どうしたものか。一度寮に戻ってもいいけれど、往復の時間を考えると、部屋でくつろぐには程遠い。

 こういうときは本屋か。

 本屋だな。


 ……と思ったところで、ふと電器屋が目に入った。この前、執行部のお詫びチームがお菓子片手に訪問したお店。

 んー、今は特に欲しいものもないしなあ、と思ったのだけれど、タイムサービスでワゴンセールをしている。これは気になる。


 誘蛾灯に誘われる虫みたいに、フラフラとワゴンを覗く。

 銀イオン入りウェットティッシュとか、USB接続のミニ扇風機とか、キーボード掃除グッズとか、全体に微妙な感じ。「ああ、そういうの、流行りましたよね」的な。

 お、でもこっちのワゴン、スマホ保護ケースが7~8割引きか。どれどれ。

 ――あー、このマットっぽい赤のケース、いいかも。さっき買ったメガネのフレームと、微妙に色が似てる。そういうの、ちょっとお洒落っぽい?

 お値段は……500円。元値が1800円だから、だいぶお得感がある。

 どうしよう。要らないっちゃ、まったく要らないけど。ワンコインなら、良くない? いいよね? やっぱりいらないかな?


 30分ほど悩んで、わざわざ店内まで入ってこれ以外のケースも見てみたのだけれど、最後は「タイムサービス、まもなく終了です!」の声に負けた。だって500円だもの。いいじゃない。ご褒美ご褒美。

 マックに入りなおして、100円のコーヒーで席を確保。

 ほぼ衝動買いに近い買い方をしたケースを開封して、付け替えてみる。

 ふふ。やっぱりこれ、いい色だ。買ってよかった。

 正直、髪を切ったよりも、気分転換効果が大きい気がする。これって、女子力的にはどうなんだ。


 まあ、なんだか嬉しいから、いいや。


 スマホケースを交換したけれど、メガネ完成まではまだ小一時間ほどあるので、近くの本屋へ。

 駅前の本屋の場所と、各店の傾向は、完全に把握している。今月の「数学セミナー」を買いそこねていたので、最初の店で即座にゲット。500円のケースに悩んでも、1000円ちょいの雑誌には悩まない、これはどういう心理か……。

 しかるに店を渡り歩いて3軒目、そっち向け書店でコミックスを何冊か買って、本屋巡り完了。時間も丁度だ。


 メガネ屋に戻ったら、メガネは綺麗に仕上がっていた。試着してみる。


 おおおお。


 おおおおおおお。


 おおおおおおおおおおおおお!!


 世界が明るい。明るくて、すごく、くっきりしてる。

 思わず、ニヤニヤ笑いが出てしまう。すごい。メガネってすごい。


 店員さんは慣れっこなのか、気味の悪いニヤニヤ笑いにも動じず、「何か問題はありますか?」とマニュアルトーク。いやいや、素晴らしいです。メガネ、すごい。メガネ、マジヤバイ。


 メガネに感動しながら、改めて、鏡の中の自分を見る。


 羽川ショート(ちゃんとヘヤピンもした!)、細身の赤縁メガネ。

 ネックストラップでぶら下げたスマホも渋い赤色。嬉しい。別人みたいだ。


 店員さんにお礼を言って、ウキウキ気分で帰りのバスに乗る。

 歩いて帰って帰れなくはないけれど、思い返してみれば美容室を出てからこの方、ほとんど立ちっぱなしだった。

 1日最後の数百円、惜しんでも仕方ない。


 バスに乗ると、疲れがどっと押し寄せてきた。

 でも、嫌な疲れではない。外見だけとはいえ、自分を少し、変えることができた。そんな充実感のある、疲れ。


 変わったのは、たかが外見。

 でも、その「たかが外見」を変えるのに、人はこんなにも苦労するのだ。

 その労力を、ちゃんと支払えた1日だった。


 ともあれ、明日は朝一番に、まずはエマちゃんにでもメガネを自慢しよう。

 エマちゃん、私のイメチェンを、どう評価するだろう。

 それを楽しみに思いながら、私は目を閉じて、学校までの道のりを少し寝て過ごすことにした。

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